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2010年08月24日

『インターネットと中国共産党―「人民網」体験記』佐藤 千歳(講談社文庫)

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「中国での記者体験記+α」

本書は、北海道新聞の記者だった著者が、人民日報社のネット部門「人民網」に出向した一年間の記録、および事後談をまとめた滞在記である。
「階層によって見える世界がまったく違う」というのは、インドについてしばしば言われることだが、中国にもある程度それに似た部分があると思う。バックパッキングのような旅行で、安宿に泊まりながら地方を回って低階層の人ばかりを目にしていたら、ひどく後進的な国に見えるだろう。それに対して、一流企業の社員や大学教授などの恵まれた立場で、都市の上層の人ばかりを相手にしていたら、日本以上に先進的で富裕な国に見えるかもしれない。

そして、これら二つ(その中間にもいろいろ段階があるだろうが)の世界は、同じ国にありながらまったく隔絶されており、現地の人も他方の世界をよく知らない。もう一方の世界では日常的に目にする出来事を話しても、躍起になって「そんなはずはない」と否定したりする。
どちらも、その国の本当の姿なのだろう。しかしその片方のみを強調してお国事情を紹介すると、いずれにしても結果的に誤解を生じさせることとなる。現地のしがらみや、他人の目や、慣習的束縛からある程度自由な外国人の方が、複数の世界を同時に見るチャンスは多いはずである。しかしそのチャンスを有効に活用できる観察者はそう多くなくて、滞在者の側も大体の場合は偏った一方の姿しか見ることができない。

本書の著者が、中国で最大の権威を誇る人民日報の関連企業に出向し、北京に滞在していたということは、上の分類でいえば「かなり恵まれた」立場にあったことになる。
ここから来る本書の第一の特徴は、中国のマスメディアで実際に記者職を務めた人物が、外部にほとんど知られることのないその仕事内容や、そこでの体験を、率直に記しているということである。
第二の特徴は、著者が自分で、自分が「かなり恵まれた」立場にあることを十分に認識していることである。そしてみずから、その立場では通常見ることのできない他の世界を、積極的に見に行こうとする。
これら二点によって、本書は数多い中国の滞在記の中でも、特別な魅力を持つものとなっている。中国のインターネット事情の解説としても読めるし、中国におけるマスメディアの特性の解説としても読めるし、また一風変わった中国の旅行記としても読めるように書かれている。

本書は六章構成となっている。
第一章 「人民網」のなかへ
第二章 急成長する中国ネット社会
第三章 規制の実態
第四章 “温度差”を感じながら
第五章 発展のかげに
第六章 人民とは誰のことか

大まかに、第一・二章で、人民網の日本語版記者としての仕事の内実や、そこでの体験がつづられている。
第三・四章は、報道統制がやはりまだ色濃く残る中国、中でも人民日報という最も権威的な職場にいる中で、中国の報道における規制と世論誘導がいかに行われ、著者がそれをどう感じたかが書かれている。
第五・六章が、マスメディア産業をある程度離れ、「恵まれない」人々の世界に飛び込んだ体験記である。

これら3つに分類できる論点それぞれについて、興味深いポイントがいくつも挙げられている。第一部において体験したことから生じた疑問が、第二部・第三部へとつながっていった、ということなのだろう(この三部構成は目次として明示されている訳ではないが)。その道筋を読者もよく追体験できるように書かれている。

第一部、人民網記者の体験記としては、内部にいた人でなければ知りえない情報がいろいろと書かれている。
日本語版独自の編集方針があること。内部にいても外国人はやはり警戒されていること。
人気が高く高収益の民間サイトと、権威はあっても人気のない政府系サイトの二極構造が以前からできあがっており、政府系に属する人民網の内部でも危機感をもってテコ入れの試みが行われていること。しかしあまりうまくいっていないこと。
民間ニュースサイトには取材権がない(独自の取材ができずに他メディアのニュースを転載するだけ)のに対し、人民網には取材権はあるが、市場化の波の中で資金難が深刻で取材に出る余裕がないという皮肉な状況があること、などなどである。

第二部の規制と世論誘導についてはたとえば、「政治学習」の研修をめぐる見聞が記述されている。
市場主義の反動としてむしろ近年「マルクス主義報道観」の学習が盛んになっている。要するに「報道機関で働く記者や編集者は、党の指導に従い、『党の喉と舌』として宣伝に従事すべし」ということを、研修・試験としてメディア関係者に教え込む。外国人は参加できない。
計42時間の研修の後、試験に合格すると国家新聞出版総署発行の「記者・編集者研修合格証」をもらう。これがないと報道記者証がもらえず、それがないと国家行事の取材はできない。

日々記事を書くなかでも、多くの制約があり、担当者との折衝が続く。中でも苦悩するのは、どこまでが許容範囲なのか、「底線」はどこなのか、明示されないことである。
「濁った泥水の底にあえて手を伸ばしたとき、泥のなかに突然触れる冷たく硬い水底が、中国の言論における『底線』」(178-9)と著者は感じたという。
しばしば言われる検閲だけでなく、長期的で大規模な報道プロジェクトが立ち上がると、一斉に右へならえとならざるを得ないのも中国のマスメディアの一面である。著者の見聞した中では、共産党中央宣伝部が、第十次五ヵ年計画の成功、第十一次五カ年計画の前途を祝福せよと通達すれば、地方政府、官庁、大学、メディアを巻き込んだ大合唱になる。

また、安部晋三ら日中友好7団体の訪中時には、日本関係の報道はすべて抑制という通達が出て、急に日本に関する報道が激減した。胡錦濤との会談後に解禁されたが、周囲の記者などマスメディア内部の人間でも、「対日報道の方針は、日本政府への批判はある程度OK、でも民間交流をより重視する」ということだと、初めて分かったらしい。

第三部の、弱い立場の人々へとの積極的な接触としてはまず、農村から中央へ直訴・陳情に来た農民に出会った顛末がある。
人民日報社にも、中央政府のそれとは別に、農村からの直訴取り扱い窓口があり、ごく一部のものを記事として取り上げるらしい。
社の前にたまっている農民に名刺を渡したら、直訴の資料をもらう。社からはそれを引き渡せと言われて、拒否したら社内で軋轢を生んでしまう。その農民から、社内の番号にも連絡が来るようになり、周囲の社員とさらにもめてしまう。
社内の陳情取り扱いの担当部署まで取材に行って、膨大な量の陳情すべてに対応することができないこと、農民たちの言い分も完全には信用できないことを肌で感じ、何もできない自分の偽善に著者は恥じる。

また、有名作家の方軍と同行した取材で、抗日戦争-国共内戦-朝鮮戦争を戦いながら、建国後にキリスト教徒のブルジョア女性と結婚したかどで党籍剥奪され、その回復を訴え続けている老人に会う。
しかし老人の言い分も100%は信用できないことが徐々にわかってくる。そして、反日ブームも過ぎた今、県の共産党も人民日報も老人には極めて冷淡だった。「抗日英雄」自身たちには、あれだけ強い「愛国主義」がまったく適用されないという皮肉を、著者は痛感する。

このような、著者の「濃い」中国体験が、新聞記者にふさわしい、読みやすく明晰な文章で記されている。文庫オリジナルの本で、手軽に手に入るのもうれしい。タイトルからもっと固い内容を想像しがちだが、分かりやすく読める。しかしその問いかけは重い。

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