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2010年07月25日

『北京再造――古都の命運と建築家梁思成』王軍,多田麻美訳(集広舎)

北京再造――古都の命運と建築家梁思成 →bookwebで購入

「北京の都市計画史の最良の入門書」

北京を訪れた者が誰でも驚くのは、いかにも大陸的な、広大な土地を存分に使った巨大建築が立ち並ぶ様だろう。いわゆる高層ビルというより、横に広い感じの建物が並んでいる。再開発ラッシュの際、世界中の建築家が集まって独創性を発揮したこの都市では、奇抜な建物をいくつも見ることができる。
それ以外にも、碁盤の目状に配置された広い通り――それは雑然とした古い街並みを軒並み破壊した結果でもあるのだが――に、整然とした印象を受けるだろう。これだけ車の交通を優先させた配置を行っても、朝と夕方には恐ろしい大渋滞が起きる。深夜などなら10分で着く距離に、一時間かかることもザラだ。

現在の環状二号道路(この内側が大体「都心部」とされている)が、城壁を壊した跡であることなどは、私も予備知識としては知っていた。しかし、今の北京で、城壁や城門があった姿を想像することは、もはや難しい。漠然と、昔からこうした大陸的な風景が広がっていたように思えてしまう。

この本は、「文化財保護」という観点から、民国期から新中国成立後にかけて活躍した建築家、梁思成(梁啓超の息子でもある)の業績をたたえ、失われた彼の都市計画の来し方行く末を、哀愁にあふれる筆致で描いたものである。
梁思成は、著者が日本語版への序文で紹介しているように、第二次大戦末期の米軍に対し、文化財保護の観点から京都・奈良への爆撃回避を進言した(と広く信じられている)ことでも有名である。

本書は複雑な歴史を往復しながら、入れ子構造のような構成で書かれている。全体を通底しているのは、旧城地区の中心に主な政府機関などを集中させ、それが放射状に拡大していく形の都市計画への批判である(建築業界で「大餅型」と言われているらしい)。もうこのパターンは、水・土地・エネルギー資源からして継続が不可能であるとされる。
これに対し、1950年に提出された梁思成、および陳占祥を中心とした建築専門家による「中央人民政府の行政中心区の位置に関する提案」(文中で「梁・陳プラン」と略称される)は、北京の文化的遺産や中国の伝統的な(風水的)都市配置を保護しつつ、ヨーロッパの都市に見られたような人口集中、交通の混雑、スラムの形成などが北京で再現されることの防止に留意していた。

その後北京をめぐる建築計画、およびそれが帯びざるを得ない政治動向が、本書では以下のように整理されている。「梁・陳プラン」および梁思成ら先見の明を持っていた建築家は、その後大躍進~反右派闘争~文化大革命という激動の時代の流れの中で、激しく否定され批判を浴び、追放されることになった。
現実に主導権を握っていったのは、彼らのプランの理念とはまったく反対の、中心部の文化遺産の破壊をいとわず、そこに政府機関を集中させ、郊外への同心円的拡大をはかるという「大餅型」の計画だった。
さらに文化大革命においてはこうした形の都市計画すらも停止し、アナーキーな増改築によって、都市中心部に劣悪な環境の小規模住宅密集地域が形成されることとなった。

こうした経緯の中で、まさに梁らが憂慮していた、交通渋滞、都市に可視化される貧富格差などの事態が現実化していき、現在の北京において主要な都市問題と言われるものが形成されていく。90年代後半になってようやく、「プラン」の真意が理解され始め、学会でも公式に再評価が始まった。
以上のような経緯を、膨大な政治文書、および建築関連の報告書などを駆使しつつ描いたのが、本書である。

詳細な歴史記述が行われているので、論点は多岐にわたる。いくつかピックアップすれば、たとえば特に重要な争点だったものとして、ソ連との関係、および毛沢東の意志との衝突が挙げられている。

梁思成は、民国期(当時北京は「北平」という名だった)にアメリカを研究訪問しており、また陳占祥は「大ロンドン計画」のアバークロンビーを師匠とする留学帰りだった。
上述のような、旧城内における文化財保護、そして旧城外の郊外に衛星市街区をいくつか作って都市機能を「有機的に分散」させるという都市計画の発想は、こうした西洋教育から得たところが大きかった。梁思成は、北京はワシントンのような行政の中心に、生産機能は天津にと考えていた。
国共内戦において、解放軍が文化的旧跡の破壊防止命令を徹底させたことを目撃したことから、梁は熱心な共産党の支持者となった。
しかし毛沢東は、首都北京が「消費都市」になっている現状を批判し、工業機能をもっと増大させ「煙突がもっと増えるべきだ」と考えていた。この背景には、「社会主義国家の首都は大工業基地であるべきだ」という、当時のソ連の建築界の思想があった。「梁・陳プラン」そのものが、こうしたソ連の意向への反論として提示された部分も大きかった。
 しかし3年の論争の後、執行機関を中心地におき、天安門広場を拡大し、工業建設の増進を目指すことが正式決定され、「梁・陳プラン」は葬り去られた。

 しかし、1952年、中央機能を旧城外に分散させる「三里河行政中心プロジェクト」が決定される。背景は朝鮮動乱で、毛沢東が都市防衛の観点から中央機能を分散させろと指示したことによるものである。これにより、「梁・陳プラン」の要素が一部採用されるかのように見えたが、1955年からの反右派闘争の中で、この計画は「復古主義」として全否定されることとなった。都市機能を分散化する機会は、これで永遠に失われた。
1954年の「北京市の再建と拡張をめぐる計画草案の要点」などにおいて、幅広の大通りが良しとされ、その道路の両側の建物の間隔を制限する「道路赤線計画」が提示された。そこでは、撤去対象地域にある文化財についての保護意識はなかった。

反右派闘争において、梁思成は「自己批判」をしてむしろ建築界における闘争の代表と目されるようになった。しかし陳占祥は右派と認定され失脚、他の多くの人々と同じように70年代末になるまで名誉回復されることはなかった。

1958年からの人民公社化と大躍進の中で、毛沢東は城壁を取り壊して道路にすることを明確に指示する。そして1961-4年にかけて中ソ関係が急速に悪化し、軍事的な要請から地下鉄建設が急がれ、城壁の全面的な取り壊しがついに実行された。65年7月に地下鉄の工事が開始され、城門の多くもこの中で解体されていった。

その後の文化大革命において、文化財に大きな被害があったことは言うまでもない。58年に北京市が確定した、保護の必要な文化財・古跡6843箇所のうち、4922箇所が破壊されたという。
67年に国家建設委員会が北京都市全体の計画実施を暫時停止、68年10月に北京市城市規画管理局は解散、以後4年は無計画の状態で建設が進む。
旧城区には工場が100以上建てられ、公害問題を起こした。緑地が占拠され、簡易住宅が建てられることによりスラム化の進む地域が出現し、また各政府機関が敷地内で勝手に取り壊し・増築・小規模住宅建設などを行った。
そして66年に、梁思成は中央文革小組によってブルジョア反動的学術権威に認定され、建築界を追放されてしまう。
1986年にこうした形の新規建築は禁止されたが、その時点での全建築物の半分以上、全住居建築の70%を、計画が中止されている間の、こうした無秩序・無計画な新規建築が占めるようになっていた。これにより都市構造の秩序は大きく喪失した。

1983年の「北京市都市建設マスタープラン」、86年の「建国以来の北京の都市建設」において、都市機能分散はみたび明確に否定され、中心部への機能集中と同心円的都市構造モデルが再確認された。 しかし、同マスタープランの中で、北京は必ずしも経済・生産の中心である必要はなく、重工業施設などは作らないとされ、今後は住宅・生活サービス施設を増加させるとされた。

他方で1993には、中心地区への過度の人口集中を問題視し、衛星都市へ分散させるという課題が国務院から提示された。しかしこの計画ではむしろ中心地区の改造と発展が目標に掲げられていたため、不動産プロジェクトが旧城地区内で多く発生し、人口集中が進む結果になってしまった。
同時に、住宅の郊外化が無秩序に蔓延し、昌平、望京、良郷、大興などの大規模郊外住宅地と、就業機会の集中する都市中心部を、住民が振り子運動で往復することを強いられるという、現在の北京の姿につながっていく。

しかし、1994年8月、王府井の「東方広場」建設に際し、伝統的秩序の破壊を憂う異議が建築界から提出される。
これ以後、1995年に北京市政協は「都市の建設と危険・老朽家屋の改造の過程で、文物の保護をきちんと行うことに関する緊急の提案」を出す。また2000年6月には3.3億元を投入して文化財建築の修復を行うことを決定、11月には25の歴史文化保護区確定……など、急速に梁思成・陳占祥らによる主張を40~50年後に追随するような動きが活発化していった。
これを逆から見れば、旧城区内で保護対象でない地区は改造の対象になりやすかったということでもあった。「老朽化した危険家屋取り壊し計画」も、934万平方米にのぼる規模で確定され、実行されていった。
評者の体感した、風景を塗り替えるほどの再開発の嵐は、この延長上にあったのだろうか。

また2001年10月、建設部が「北京、天津、河北省北部地区の都市と農村の空間発展をめぐる計画の研究」=「大北京計画」を決定し、その中では都市機能の過度の中心を改め、有機的な分散化が提唱された。ここにおいて、梁思成・陳占祥の先見の明が、公式の計画の中に明確な形で現れた。
評者も、現在の北京周辺の都市計画において、この「大北京計画」の図示をよく見かける。近年の天津の急速な経済開発も、この理論を後ろ盾として推進されているのだろう。

駆け足で本書のモティーフを振り返ったが、都市としての北京に関心のある向きには、ぜひ一読をおすすめしたい。これほどの情報量を誇る本が日本語で読めるのは、本当にありがたいことである。同時に、以前から本欄でたまに触れていた、近年の中国における「新左派」「文化的保守主義」といった思想潮流の文脈、その根の深さの一端を、ここから覗くことも可能であろう。また豊富な図版・写真と、丁寧な訳注が収録されていることも指摘しておきたい。

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2010年07月15日

『チャイニ-ズカルチャ-レビュ- 〈v.3〉 ― 中国文化総覧』大可 張こう(好文出版)

チャイニ-ズカルチャ-レビュ- 〈v.3〉 ― 中国文化総覧 →bookwebで購入

「皮肉の利いた現代中国文化事典」

中国の大衆文化はめまぐるしく早い展開を見せている。毎年のように新しい流行語が登場しては消えていく。断片的な情報は流れてくるが、その全体像をつかむのはなかなか難しい。どの国の場合でもそうだろうが、特に中国からの情報に「文化」が占める割合はそれほど多くないため、なおさらである。

今回の「チャイニーズカルチャーレビュー」は、2001年から毎年刊行されている「21世紀中国文化地図」という本のうち、文化状況の解説部分を訳出したものである。現在、翻訳版はVol.6まで刊行されている。
主編は著名な文化評論家の朱大可である。編者や、それぞれの分野の専門家が配置された項目著者たちの、皮肉の利いたコメントも本書の魅力となっている。

本書は、文学、美術、音楽、映画、テレビ、演劇、建築、メディアという分野別に、その年の主要な出来事や、各分野の話題作を月別に並べて記述していくスタイルとなっている。そして、当該年の流行語・新語解説が最後に配置されている。
評者の手元にあるのは、2005年発行の(ということは2004年の文化状況を概観した)Vol.3である。私は特に中国文化の専門家という訳でもないので、現在は状況が少し変わっているかもしれない。

当然ながら、取り上げられている話題は多岐にわたる。ここでは評者の関心にひっかかってきたものをピックアップしたい。
文学においては、なんといっても韓寒・郭敬明などの「八〇后作家」の話題が多い。女性ではTIMEの表紙を飾ったことでも有名な春樹などの話題が見える。個人的には、村上龍がデビューした頃や、過激な女性の表現者としての山田詠美が登場した頃の雰囲気はこんなものだったのかなと思っている。
こうした作家たちを、TIME誌などの西洋メディアは「ビートジェネレーションや60年代の反体制運動が中国にも出てきた」と論じるが、これはまったく違うと編著者たちは皮肉交じりに評している。
「アメリカ1960年代の若者たちによるあの大規模な運動は、資本主義経済体制と中産階級のライフスタイルに対する全面的拒絶と打破を意味していたのであり、自由と愛を糧とした理想の世代であった。しかし中国の若手作家はベストセラーシステムの申し子にほかならず、彼らのオルタナティブとは全て商品に貼られた風変りなラベルに過ぎない。その商品こそがベストセラー作家本人なのである」(194)

また、儒教復権を中心にした「文化的保守主義」をめぐる論争が紹介されているのも興味深い。儒教復興にともない、子供の教育に儒教の経典を活用すべきという主張と、それを文化的保守主義であるとする主張の間に論争がおこった。
 また、9月に北京で開かれた「2004文化サミット」において、グローバル化のもとで劣勢におかれた中国文化を守ろうとする「甲申文化宣言」が発表されたが、ここでもこれに対する賛否をめぐって類似の論争がおこった。
「ここに至って明らかになったのは、文化的保守主義と政治的自由主義との間の理論的緊張が、“新左派”と自由主義との闘争に取って代わろうとしており、これは中国のインテリ階層が直面せざるをえない思想的難題となっているということである」(21)と著者は述べている。

また、文化をめぐる議論に、不可避的に法制度の改正論議が付け加わる点も、中国を見る際の難しさである。分野別に、こうした点にも触れられているのも本書の有用性を増している。箇条書きで列挙すれば、たとえば以下のようなものがある。
・2004年春の改革による出版の市場化
・国産アニメ産業の発展促進として、テレビ局に輸入アニメと自国産アニメの放送量の比率を4:6にするという通達
・暴力ドラマ、革命名作ドラマ、ゲーム番組について規制を強化する通知。これにより一時すべてのゲーム番組が打ち切りになった
・外資を含む民間資本が映画産業に参入できるようになった法改正
・建築においては、第10全人代・第2回会議で私有財産権が一般の民事権利から憲法上の権利に格上げされたことで、国有建築企業の改革の法律的環境が整備された

新語・流行の分野では、インターネットに関する記述が目立つ。
たとえば「金盾工程」は、1998年に構築が開始され数百億元が投じられた、2006年に完成予定(だったところ)の、、公安省が所有権を持つ「公安総合情報ネットワーク建設プロジェクト(公安総合信息網絡建設工程)」である。ネット監視だけでなく容貌識別・有線テレビ・クレジットヒストリー・インテリジェントカードなどを含めたネットワーク分散型監視制御データベースである。
「敏感詞」は、ネットでシステムがフィルタリングする禁止語であり、他国では児童への悪影響を考慮して行われるが、中国では「政治的に正確でない」ことに対する予防となっている。政権与党の略称「中共」や憲法に記載されている「人権」まで入っていて、過敏と言わざるを得ないと評されている。
著者たちは改革志向の批評家なので、こうした管理には一貫して批判的であり、またこの年に汚職スキャンダルを報道して休刊を余儀なくされた「南方都市報」と「新週報」の件にも随所で触れられている。

他に、これもネットと関係するが、対外的な軋轢にまつわる諸事件もいろいろ記述されている。韓国が「江陵端午の節句」を国家遺産リストに入れ、ユネスコの無形文化遺産に申請する予定だという文章が人民日報に掲載されたことで、政府関係者からネット世論に至るまで中国からの反感を買った事件も、2004年だった。中国は逆に、高句麗の遺跡を世界文化遺産登録しており、この頃からすでに両国の感情的軋轢は深刻だったのだなと思い返す。
他に、8月にナイアガラの滝ツアー中に中国人女性が警官に殴打され、反米感情・民族主義的抗議が巨大化した事件もあった。著者たちは、こうした吹き上がりに対しても、冷静で皮肉の利いたコメントをしている。

最後に、日本でも中国市場に対する注目が高まっているが、「新富」つまり「ニューリッチ」という新語に対する解説を見てみよう。
「ニューリッチは訳が分からぬ概念だ。世帯月収が5000元以上というが、この金額は上海・北京では衣食に困らないラインをなんとか上回る程度である。自分の不動産を所有しているといっても、ほとんどがローン払いである。金融資産を持っているといっても、数枚の株券とキャッシュカードに毎月残される雀の涙程度の貯蓄だけである。自家用車を持っていても大多数はフォルクスワーゲンのボロに過ぎない。【中略】彼らはみな大学を卒業したてで、9時5時で懸命に汗を流して働き、毎月の家賃とローンで四苦八苦しているというのに、彼らを“リッチ”だと言いたてる者が出てきたのだ」(254)。

こうした本が訳出されるのは、両国の知的な交流にとって非常に有用であると思う。扱われている対象の多くは「サブカルチャー」だが、全体的に文芸・芸術の伝統というか、ハイカルチャーの香りが漂っている点は中国らしい。情報量が多い上に、読み物としても楽しい一冊である。

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