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2010年01月31日

『現代日本の中小企業』植田浩史(岩波書店)

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「中小企業の慣習・政策・認識枠組みの歴史的変遷」

今回は、日本における中小企業とは何かという重要な論点を、統計的データだけでなく、歴史的背景を踏まえた認識枠組みから論じたこの本を取り上げたい。
本書の本格的な記述が始まるのは、1963年、中小企業基本法が公布され、中小白書が刊行され始めるところからである。植田はこの中小白書を系統的に読み込む中から、日本において中小企業に対する認識枠組みが変化していく様子を跡付けている。

同基本法自体、「二重構造の緩和」を課題としていたため、60年代には問題としての二重構造への言及が多かった。
二重構造という用語は1957年に有沢広巳によって初めて使用されたもので、57年の「『経済白書』に見られるように、日本の雇用構造において農業と中小企業部門の比重が高く、「一方に近代的大企業、他方に前近代的な労使関係に立つ小企業および家族経営による零細企業と農業が両極に対立し、中間の比重が著しく少ない」(35)ことを指摘するものだった。
そして、労働市場の二重構造的封鎖性(つまり両者の間を労働者が移動できないこと)によって近代部門からはみ出された労働力が、生産性が低い農業や中小企業部門に「全部雇用」という形で吸収されることによって、構造的な賃金格差が生まれるとされる。

今でも「二重構造」という用語は、大企業と中小・零細企業・農業との間の大きな格差という文脈でしばしば使われている。植田が有沢の言葉を引きつつ行う概念定義は、一見当たり前のことを述べているようだ。しかし、こうした「一見当たり前」の裏にある、日本の歴史的文脈を掘り下げていくことこそ、こうした本を読む意義なのである。

まず植田によれば、「二重構造」とは、「格差があることそのもの」ではなく、「格差があることによって日本全体の生産性が低下すること」を問題化する概念であったと述べる。よって、日本全体の生産性が劇的に増大することになった高度成長の中で、それはいったん「解消」したものとされることになった。

「『経済白書』では、こうした二重構造の解消は経済成長によって、近代部門での雇用の拡大と中小企業部門、とりわけ中規模経営の近代化が進むことで実現されると展望していた。二重構造というのは、単に大企業と中小企業の間に見られる格差をさすのではなく、そうした格差が生まれるメカニズム、さらに格差が生まれるメカニズムが存在していることが日本経済の生産性の停滞、経済の近代化に抑制的に働くという点を問題にしていたのである。格差発生のメカニズムとそうした格差が日本経済の発展にとって足かせになる点が問題されたのであり、格差が存在していることだけが問題とされていたわけではない」(26-7)

実際中小企業白書でも、1970年版で、「二重構造」はほぼ解消したと論じられていた。「二重構造とは本来格差の存在自体を問題にしたのではなく、格差がもたらす日本経済への影響を問題としていた。したがって、日本経済が発展軌道にのった高度成長期において、すでに二重構造自体の問題性は薄れていた」(35)。

日本の中小・零細企業を考える際、「下請構造」をどう捉えるかというのが重大な問題になるのは論をまたない。その下請構造についても、中小企業そのものと似た評価軸の推移があった。
60年代には、「下請構造」は業種全体の合理化の妨げ、親会社への依存の高まりなど、問題として論じられていた。それが70年代には、下請中小企業の地位が向上していると述べられ、80年代にはむしろ下請分業構造とは効率的なものである、とこれを肯定的に評価する記述が増える(39-41)

自動車産業を例にとると、高度成長下においては:
1)発注側の生産量は増えたが、外注先企業を簡単には増やさなかったため、限定された外注先に発注量を増大させた
→一次外注先の規模拡大と二次・三次下請の増加
2)高度成長が長期にわたったことで、長期継続的な取引関係が規範となった
3)規範としての長期継続的な取引関係が、発注企業側の下請管理においても、下請企業側の設備投資や技術高度化においてもインセンティヴとなっていた
4)発注側の管理手法が高まり、積極的に受け容れた下請企業が成長していった。TQC(全社的品質管理)など(59-60)

 その中で、戦前以来問題にされてきた、「生産力の桎梏としての中小企業」という問題は消失したとされた。

「高度成長期の下請企業化は、下請企業にとっては、戦時期に見られたような国家による強制、選択の余地はないという消極的選択ではなく、下請企業化することで企業としての発展が得られるという積極的選択であった。中小企業が自ら下請化を選択し、下請化を通して自らの力量を高めていった時代であった。そして、それを支えたのが高度成長であり、高度成長を前提として規範化した長期継続的な取引関係であった」(60)

 「下請企業化によって、中小企業は安定と拡大の可能性を得ることができた。しかし、それは下請企業として発注企業側の要請に応えていくということ、発注側の要請を第一に考えていくことを意味していた。発注側の要請は、期待するコスト、品質、納期で生産を行うことであり、常に要請は厳しくなっていった。要請に応えるためには、結局のところ必要な設備投資を行い、生産管理・品質管理の手法を導入するとともに、生産請負(場合によって開発も)に専門化していくことが求められていったのである。生産面に特化し、営業などの人員を抑えても、特定発注先との関係が維持されていれば問題は生じない。こうした関係が、しばらく続くことになった」(61)

こうした幸せな関係が壊れるのが、1973年の第一石油危機以後のことである。拙著『現代日本の転機』の基本モティーフでもあるのだが、こうした幸せな関係の崩壊が、逆説的に後々「日本型システム」と呼ばれるものの完成を導くことになる。
1)「減量経営」など、生産の効率化が推進される。高度成長期は設備投資による技術革新で効率化が目指されたが、石油危機後は設備投資を抑制しつつ同じ設備で効率化が図られた。トヨタ生産方式が代表
2)多品種化・多仕様化の進行→開発業務の負荷が高まり一次下請メーカーに「まとめてまかせる」範囲が拡大、二次・三次にも提案能力が求められるように
⇒結果として日本の製造業の国際競争力が高まる
⇒日本的下請生産システムが完成したのは80年代

そして、こうした日本型システム、この場合は下請構造が、効率性と競争力をもたらしたのは、一種の歴史的偶然を背景としていた。80年代~90年代初頭の条件としては以下のようなものがあった:
1)日本経済が右肩上がりの成長であり、長期継続的な取引の規範が残った。設計図面の知的所有権の所在やコスト負担などで「曖昧さ」が残っていたが、この規範により問題化することは少なく、むしろ柔軟かつスピーディな対応を可能にした
2)発注側の管理が充実。トヨタかんばんシステムなど
3)フルセット型の、国内で完結した生産構造だった(66-8)

こうした条件の中で培われた習慣のうち、歴史的条件の変化によって改める必要があるものは何か。 植田は、80~90年代の中小企業問題の代表的な研究者、浅沼萬里の議論を引きながら、「図面」という問題を提示する。このシステムの中で、設計図面は「貸与図」と「承認図」に区別される。
両者の違いは以下のようなものである。下請企業側が、現場のノウハウを活かして製造方法や設計に対して問題発見・提案を行うことがある。受け容れられた時にサプライヤ(下請)側で書き直して発注側に「承認」を受けるケースと、発注側で再度書き直して「貸与」する場合がある。こうした、下請企業からの提案の取り扱いの違いである。
日本型システムがうまく機能していた時の技術革新は、こうした条件下で行われていた。下請側の提案能力は、実際の取引関係の評価・競争力につながると認知されていた。
しかしそれは、長期的・継続的な取引関係が前提とされている。要するに提案に対し下請側が直接的代価を受け取る方式ではなく、受注を獲得するために有効な方法だった。しかし、もし長期的取引が想定しにくくなれば、より具体的な形で提案者に対する還元を考慮せねばならなくなる、と植田は述べている (85-6)。
要するに、技術革新の過程において、新しい知識・技術の「権利」がどこに所属するかというのが近年の日本においてしばしば問題化される。植田の議論は、なぜ日本ではそれが大企業に集中し、しかもそれこそが効率的で「日本的」な良きシステムであると論じられるのか、その歴史的背景を具体的に描いている。

高度成長で初期型ができ、80年代に完成した日本型下請関係の効率性を大きく喪失させたのは、バブル崩壊だった。その影響は以下のような形で現在も続いている:
1)生産水準が回復していない
2)国内完結型から、海外への生産移転・調達の拡大
3)中国など後発国の生産力急上昇により、コスト競争激化&企業の国際的再編の進行(87-8)

「グローバル化した巨大企業の部品調達戦略は、日本での生産だけでなくグローバルな生産の全体最適に基づいて、グローバルな観点での最適地から最適価格で調達される。そうした調達方針には、既存の信頼関係や取引の実績は、以前ほど意味を持たなくなってくる」(91)

取引関係がオープン化し、「系列を超えた取引」が増大する。そうなると、知的財産権など「曖昧さ」の問題が表面化してしまう。たとえば発注側が、海外メーカーに承認図を見せた場合、元々それを作った国内サプライヤの権利がどうなるのか不透明になってしまう。よって、取引関係の仕組み自体の変革が必要になり、明確な代価の支払いなどが必要になるだろう、と植田は問題提起する。

植田によれば、新しい動きはすでに始まっている。特に1999年の新・中小企業新基本法は、かつての旧基本法が中小企業の「過多」を問題としていたのに対し、廃業率の増大にともなうその「過少」が問題化するという変化を捉えている。新基本法では中小企業が「日本経済のダイナミズムの源泉」であり、1)新たな産業の創出、2)就業の機会の増大、3)市場における競争の促進、4)地域経済の活性化、を担うべき、と位置付け、そのための経営革新・創業の促進と、経営基盤の強化が重視されている。
また2000年の中小企業白書では、自助努力・競争の条件整備こそが必要であるとし、市場メカニズムを活用した競争条件の整備、創造的価値の拡大に向けた自主的な努力の助長などの必要がうたわれている。

これまでの創意と努力は、やはり右上がりの時代の中の下請関係・地域産業集積という条件の中であったことが否めない。下請受注は重要な事業形態であり続けるが、今後は既存の構造を有効に使うべく、個別的な対応・自立が求められるとして、成功している具体例をいくつか挙げて、本書は閉じられている。
中小企業、下請関係、またそれらを重要な構成要素とする戦後日本社会の特性について考察する際の、必須文献の一つといえよう。

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