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2009年05月02日

『BEYOND TALENT: 音楽家を成功に導く12章』アンジェラ・マイルズ・ビーチング著、箕口一美訳(水曜社)

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 私たちのように大学の技術系にいるものにとっては、科学技術の研究開発が仕事の大きな部分を占める。そして、世界の同じ分野の研究者を相手に、少しでも前に出ようと常に競争をしている。そんな私にとって、大きなカルチャーショックを受けた講演があった。

 ある技術系大会社のトップの人の講演であったが、その人は、「A級の技術とB級の経営」という組み合わせと、「B級の技術とA級の経営」という組み合わせの二つの投資対象があったとしたら、投資家は迷うことなく後者に投資すると言い切った。これはつまり、技術の面での少しぐらいの遅れは、経営の良さで十分にカバーすることができ、したがって、私たちの技術的競争はそれほど重要ではないといわれていることを意味していた。

 これは、最初に聞いたときには、私たちの努力が否定されているように感じて大きなショックであったが、その後、周りをいろいろ見ているうちになるほどと思えることも多かった。そして、経営が大切であるということは、研究開発の場面だけでなく、いろいろな場面に通じる共通の真実であるらしいということもわかってきたように思う。

 この本でも、場面は音楽活動であるが、経営が成功の鍵であることを解いているという意味で、私がカルチャーショックを受けた内容と同じ主張が展開されている。音楽の才能があり、練習を十分につんで努力しさえすれば、演奏家として成功するという素朴な考えは、幻想に過ぎないとまず否定する。そして、そのような努力に加えて、さらにすべきことが丁寧に解説してある。これを一言で言うと、起業家的音楽家をめざしなさいという勧めである。

 たとえば、音楽業界についてよく知ること、自分をよく知り何を特長として売り込むかを明確にすること、自分を売り込むためのプロモキットをつくること、人的ネットワークを広げること、メディアや広報をうまく活用すること、演奏の本番で最高の状態にもっていけるように体調や心理状態と整えること、助成金や奨学金を申請することなど、気を配るべきことをいろいろな側面から指摘し、そのためにどのような努力が可能かという方法も解説している。

 この本は、翻訳書であるが、翻訳であることを感じさせない素直な日本語で書かれている。さらに、税金の節では、日本の実情に合わせて中身を確定申告の方法に入れ替えるなど、単なる翻訳以上の丁寧な作業を翻訳者も加えている。

 ここで勧められている個々の工夫については、同意できないものもあるかもしれない。でも、個別の議論はさておいて、ともかく経営的視点・起業家的視点が大事であり、音楽家として成功したかったらそのような視点も持ちなさいという大局的な勧めは、音楽家を夢見る多くの若者にとって大いに学ぶべきものがあるであろう。