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2007年11月18日

『人を動かす情報術』春樹良且(ちくま新書671)

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 現代は情報化社会で、私たちの周りには大量の情報が溢れている。したがって、それを利用したいと思ったら、自由に情報を選んで享受できる。こんな風に私たちは思いがちである。

 しかし、この本の著者はその逆であるという。私たちに届く情報は純粋に客観的なものではなく、マスコミによる情報の取捨選択をはじめとして多様な要素が加えられており、受け手としての私たちは、それを享受できるというより、むしろ影響を受けているのだという。言い換えると、情報は力を持っているが、情報の受け手は、その力を利用する立場にあるというより、むしろその力の対象になっているに過ぎないのだという。

 たとえば、企業の不祥事に際して、社長の発言が火に油を注ぐ結果を招き、世間の非難が集中するという現象が最近少なくない。これは、発言の内容自体はそのとおりであっても、発言の意図・状況が変形を受けて報道されることによる場合が多いという。発言者は単に個人的に一人の記者に向かっていったつもりのことが、あたかも記者会見の席で世間に向かって言ったかのような印象を与える報道になるなどである。

 このような状況を、この本の著者は「情報スタイリング」という概念で説明している。役者が舞台に上がるとき、すっぴんではなく、化粧をしおしゃれもして上がるように、情報も受け手に届くときにはスタイリングが施されている。これは、情報は、それを提示するフレームとともに届けられることだと言ってもよい。このスタイリングの施された情報を、客観的な情報と勘違いすると、情報の力に動かされてしまうことになる。

 この本では、情報にスタイリングを施すための手法に非常に多くのものがあることが、例とともに紹介されている。その中にはたとえば、土用の丑の日のうなぎとか、バレンタインデーのチョコレートなどのような宣伝の方法、「レモン1個分のビタミンC」などの比較の方法、グラフの軸の原点の恣意的な選択、
保育園の空きを待つ「待機児童数」の推移のように途中で定義が変更されたのにかまわずグラフにしたものなど、納得させられるものや驚かされるものがたくさんある。

 テレビや新聞などのメディアに情報を乗せるということは、情報を伝達させることではあるが、無色透明な素通りの伝達ではない。メディアによる評価をその情報に追加しながら伝達することである。ここで行われる評価の追加を、著者は情報の内部変形と呼んでいる。そして、その情報と内部変形との関係は、漫才におけるボケとツッコミの関係に似ていると論じているところも面白い。発信主体から出た最初の情報はボケの発言であり、それを内部変形させるマスコミの作用が、その情報の理解の仕方を示してくれるツッコミにあたる。漫才においては、適切なツッコミを受けたとき初めてボケの発言は生きるわけで、会話をコントロールしているのはツッコミの側である。その役割を、メディアも演じているというわけである。

 こうなると、メディアに、発信情報のどの部分にどのようなツッコミをさせるかを発信者側が考えながら情報を発信するという策も必要になり、かつ可能にもなる。というわけで、この本は、読んでいると、情報の持つ力とそれを発揮させる方法とが、多様な姿で実際に使われていることに、驚くと同時に気がめいってくる。でも、現代に生きるわれわれにとって、この事実は目をそらすことができない --- いや、目をそらすと情報に動かされるだけになる --- ということも思い知らされる本である。

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