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2006年08月11日

『思想なんかいらない生活』勢古浩爾(筑摩書房)

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 私が通った中学や高校の図書室の壁には、世界の名著と銘打った推薦図書のリストが貼ってあり、その中には思想に関するものもたくさん含まれていた。これは読まねばと手にとってみたけれど、字を追うばかりで内容が全く頭に入ってこなくて自信をなくしたという記憶を持っている。
 王様が裸にしか見えないのに、「すてきな衣装を着ているだろう」、「この衣装は正直者にしか見えないんだ」と言われて、裸に見えると言えなくなるのと同じように、名著だろうと言われて読んだけれど、わからなかったとは言いにくい状況で、王様は裸だ、思想書は中身がない、と誰かが叫んでくれたら、さぞ気もちが良いであろう。
 さすが世界の名著に対してそんなことは言っていないが、日本で現在活躍している著名な思想家、哲学者、評論家の書いたものを対象にして、「むちゃくちゃ」、「ぬけ作」、「くだらん」、「何を言っているのかわからん」、「愚劣である」、「そんなことは知ったことか」、「ただひたすらにバカバカしい」などを連発して、徹底的に攻撃しているのがこの本である。
 もと東大総長を除いてここで攻撃の対象となっている人々を私はほとんど知らないが、それでも、その人たちが書いた文と、それに対する著者の見解を合わせて読むと、とてもおもしろい。取り上げられている人たちには悪いが、著者に深く同感してしまう。
 だいぶ前に、別宮貞徳の『誤訳、悪訳、欠陥翻訳』(バベル・プレス)という本を読んで、ゆめゆめ翻訳などという恐ろしい仕事はすまいと思ったが、それを思い出した。そのときと同じような感覚をもった。思想的、哲学的な風をよそおった文など、ゆめゆめ書くまいと。
 ひとしきり、著名人をまな板の上に載せて料理した後、著者は次のように言っている。

 『さて、すっきりしたところで一会社員から「インテリさん」たちにお願いをしておきたい。相手が素人だからといって、あまり舐めた本を書かないように。「思想家」であれ「哲学者」であれ「評論家」であれ、一皮剥げば、ただの男、ただの女であることをもっと自覚してもらいたい。もっと言えばただの俗物であることも。そうでなければかならず虚偽が入る。欺瞞が入る。演技が入り権威が入る。まあ無理だろうとは思うが。』 (193, 194ページ)

 余談であるが、この引用の最後の1文は、著者の独り言であろう。この種の独り言が、この本にはいっぱいちりばめられていて、それがまたとてもおもしろい。読んでいて、くすくす笑ってしまう。電車の中で読むとき、この笑いをこらえるのに苦労した。
 著者は、このようにインテリさんたちを攻撃した後、ふつうの人のふつうの生活について論じている。知はだいじだが、思想なんかいらない生活というものに賛辞を送って終わっている。
 難解さの中に何かがあるに違いない、と思ってしまいがちな私にとって、この本は痛快そのものであった。安心もでき、元気も出た。

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