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2009年05月06日

『Her Mother’s Face』Roddy Doyle(Scholastic)

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「少女が反復する顔、言葉」

 アイルランドが大好きだがアイルランドに行ったことがないのでSiobhánという女の子の名前をどう発音すればいいのかわからなかった。わからないままに読みはじめ、読み終えて、ぐっと胸を突かれた。なんともいえない味わいのある絵本だ。

 物語の作者はロディ・ドイル。アラン・パーカー監督による映画『ザ・コミットメンツ』の原作者として覚えている人が多いだろう。あの映画はよかった、ばかみたいにおもしろかった。少しでもアマチュア・バンド経験のある人なら、無根拠な高揚やばかげた作戦会議やじつにどうでもいい喧嘩を知っている人なら、大笑いしながらのめりこむことができる話だった。それでぼくもドイルの名を記憶し、しかも自分と同い年(1958年生まれ)だということで親近感をもち、ブッカー賞をとった『パディ・クラーク、ハハハ』(すばらしいタイトル)はすぐに買ったけれど、それからなかなか読む機会がないままに(小説に関してぼくにはよくある話)今日まで過ごしてしまった。十数年はこうしてみると早い。どうやらロディ・ドイルの主だった作品はすでに日本語に訳されているようで、『パディ・クラーク』にしても1994年にキネマ旬報社から実川元子訳が出版されていた。読まない小説について何もいえるはずはないが、むせるほど濃厚なダブリンの空気がそこにはあふれているに決まっている。きっと大好きになると思う。

 さて、『お母さんの顔』と題された、この絵本。ぜひ人に勧めてみたいが、どう紹介すればいいだろう。物語を話すわけにはいかない、それではすべてを台無しにしてしまう。それなら絵についてだけ語ってみようか。絵こそどんなに言葉を費やして語るまでもなく、実物を見せればそれ以上には何もいうことがない対象ではあるが、それでも。絵本に関してぼくがおもしろいと思っているのは、ある物語のイラストになるのはどんな画家によるどんな絵でもよかったはずなのにいったんできあがればその絵以外の絵は考えられなくなるという点だ。これは、もっとも、漫画でも映画でもおなじ。文字による語りと並行して、絵が世界をその場で次々にひらき、ページをめくるたびに後戻りのできない出会いをタ・タ・タと連続させてゆく。ほんの30ページばかりの本の、この広々とした、晴れやかな、胸を打つ空間。いま、この本にノンブル(ページの数字)がついていないことに気づいたが、絵本にはノンブルがないのがむしろ普通なのかもしれないと、ふと思い当たった。これは考えたことがなかった。

 フレヤ・ブラックウッドという人の絵によって、われわれはこの物語を記憶してゆくことになる。鉛筆画に水彩で着色しているようだ。線が残り、滲んだ水の印象が残り、水が光になり、光が記憶になる。自分で経験したわけでもない物語に読者をひきこんでゆく、魔法がはじまる。成長する少女の姿の変化もいいが、特に魅力を感じるのは植物、そして街路。鳥瞰した公園(セント・アンズ・パーク)の見開きページに、物語のすべての秘密が隠されている、というか、顕われている。ありきたりといえばありきたり、驚きは別にない。だが、この紅葉の平凡さにこそ、このお話の真実がある。そのことを意識はしないまでも読者のすべてが感じとるのは、われわれが誰でも、紅葉とは年々の反復そのものだと知っているから。生の反復が、この本の主題だ。年周期の反復だけでなく、世代の、出来事の、言葉の反復が。時を隔てた反復こそ、人の生をかたちづくり、見失いがちな意味を取り戻してくれるものなのだ。

 主人公の女の子の名前の読み方は、その後、息子に教わった。アオテアロア(ニュージーランド)の中学校で、クラスメートにこの名の子がいたそうだ。シヴォーン、「ヴォ」が上がる。アイルランド名前としてはごくありきたりな名、フランス語ならジャンヌにあたる名らしい。ニュージーランドにはアイルランド系、スコットランド系が多いので、これは普通のこと。いよいよアイルランドに行ってみたくなる。そしてダブリンに行ったら、ジョイスやベケットの足跡と並んでまずは北の郊外にあるセント・アンズ公園に行き、いずれかの樹の下に腰をおろしてみよう。そこで誰を思い出すことになるかは、もう決まっている。



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