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2012年11月01日

『昭和二十年 13巻 さつま芋の恩恵』鳥居 民(草思社)

昭和二十年 13巻 さつま芋の恩恵 →bookwebで購入

「思索、真理の探究、詳細な説明、深い知識」

 『昭和二十年』の最新刊、第13巻『さつま芋の恩恵』を読んで、あらためて感銘を深くした。
 『昭和二十年』は在野の近現代史家・鳥居民氏による歴史ノンフィクションである。敗戦の年「昭和20年」の1月1日から、日々の日本社会の動きを膨大な史料を駆使して描き、読者は太平洋戦争とは何だったのか、日本人とは何ものか、立ち止まって思い返すことを余儀なくされる。1985年、第1巻『重臣たちの動き』が刊行され、今年2012年になって、やっと第13巻にたどり着いた。

 第13巻では7月1日と2日の二日間が描かれる。日本政府はまだ戦争終結を決められない。政府要人は、ソ連に和平の斡旋を期待する、後世から見れば愚かな悲喜劇を演じている。大都市は米軍によって既に焼き尽くされ、次は中小都市がターゲットにされている。人々は空襲の恐怖と食糧不足に苦しみあえぐ。高松宮のような皇族でも庶民でも、人々はどこにでも土地があれば、さつま芋を植えるようになった。南方戦線では、敗走を重ねる惨憺たる戦いが続く。飢餓との戦いとなり果てた島もある。さつま芋が最後の命の綱となっている。しかし、戦争継続を声高に唱える軍人は、依然、幅を利かせている。一方、米国政府のトルーマンは恐るべき新型爆弾の日本投下の準備を始めている──

 まさに絶望的な日々である。鳥居氏の精細な叙述によって、読者はまるで昭和20年の日本に抛り込まれたかのようだ。だが、鳥居氏は単に出来事を語るだけではない。一体なぜ、日本人はこんな無謀な戦争を初めてしまったのか。昭和16年、戦争を回避する道はなかったのか。そして昭和20年、早く戦争にケリをつける道があるはずだ。鳥居氏の筆は、昭和20年の「現在」と昭和16年の「過去」を往還しながら、読者に問い掛けを続ける。

 『昭和二十年』の魅力については、丸谷才一・井上ひさし両巨匠の評があって、これ以上のものはない。鳥居民氏を囲んだ鼎談の中で、丸谷氏は「素晴らしい本です」、井上氏は「読み物として最高に面白い」と、熱く語っている(『昭和と私 文藝春秋特別版 2005年8月臨時増刊号』)

 ──ギボンの『ローマ帝国衰亡史』や頼山陽の『日本外史』のように、広い範囲の読者が面白がって読む本なんです。事実、よく調べてあるし、よく考えているし、よく書けていて、情理備わった現代日本史になっています。(中略)将来、日本の小説家や劇作家やノンフィクションライターはみなこれを源泉とし、ここから材料を得て、数多くの佳作や名品を書くことになるんじゃないでしょうか。(丸谷才一)

 ──史料の裏付けがあった上で、カメラを動かして、どこへでももぐり込んでいくんです。史料収集と、それを読みこなして自分が使えるように整理していくということ、つまり情報の収集と分析ですけれども、それがこれほど見事に成立した本というにはなかなかない。(井上ひさし)

 お二人とも、シリーズの完結を見ることなく、鬼籍に入ってしまわれた。

 この十年の間、鳥居民氏は『昭和二十年』と並行し、2005年『原爆を投下するまで日本を降伏させるな』、2007年『近衛文麿「黙」して死す』、2010年『山本五十六の乾坤一擲』の三作を上梓している。それぞれ、トルーマンによる原爆投下計画、近衛文麿の語られざる和平への努力と木戸幸一の暗躍、そして山本五十六の戦争回避へ向けた大逆転の工作など、いずれも『昭和二十年』と重なるテーマを深く掘り下げた著作である。その成果は本作にもフィードバックされ、厚い下塗りのようになっている。

 特に、『山本五十六の乾坤一擲』で追究された歴史の空白は、本作でも繰り返し検討されている。それは、1941(昭和16)年11月、山本五十六は対米戦争を避けるため、昭和天皇に直訴し「聖断」を求めようとした、という新たな解釈である。山本の参内は、高松宮を通じて昭和天皇へ願ったが、昭和天皇は木戸幸一に下問し、主戦派である木戸は反対、失敗に終わった、という。しかし、この解釈を裏づける史料はない。高松宮や関係者の日記や手記、また当然のことに公的記録に記載はない。だが、鳥居氏は次のように記す。

 ──もっとも重大な問題の決定は、関係者が口外しないのはもちろんこと、議事録をつくることは避け、メモに残すことをせず、日記に記すことも決してしないものだ。(中略)昭和十六年のその半年のあいだに起きた出来事のなかには、関係者の日記、覚書、記録、さらに回想録を繰っても、確認、検証できるどころか、まったくなにも記されていない重大な出来事がある。

 続けて、鳥居氏は、開戦時の軍令部総長であった永野修身が主戦派か避戦派か、という設題をめぐって、「すべての研究者が「たしかな裏づけ」を読み落とし、間違えて解釈し、さらにはまったく無視することにしてしまって」いると批判し、永野が戦争回避のために密かに努力し、戦後は沈黙を貫いたことを説明していく。鳥居氏の歯がゆい思いが吐露された記述で、本シリーズににとっては珍しいが、その苛立たしい思いは「微かな夢」を記すことでおさめている。その夢とは、敗戦時、若い海軍士官であった野村実(故人)が、戦後、関係者から1941年11月の出来事の証言を集め、叙述した記録を残しているのではないか、という推測である。鳥居氏はそれを「信じている」と結ぶ。読者もそれを願いたい。

 『昭和二十年』に接すると、偉大な史家に対しておこがましいが、歴史研究についての次の言葉を思い出してならない(イブン=ハルドゥーン『歴史序説』)
 
 ──内面的には、歴史は思索であり、真理の探究であり、存在物そのものやその起源の詳細な説明であり、また諸事件の様態とその原因に関する深い知識である。

 ──史料をみるさい、そこから隠れた真理を選び出すには、洞察力が必要であり、またその洞察力を用いて数々の真実を明るみに出し、それを正しい一つの書物に磨きあげるには、知識が必要である。

 史料は必ずしも「事実」を表すのではなく、史料と史料の間に「真実」がある。鳥居氏はそれを見つけ出し、大胆に提示する。本シリーズの大きな魅力のひとつは、ここにあるだろう。

 『昭和二十年』のシリーズ第一部は全15巻の予定で、終戦の8月15日までが描かれる予定である。現在は第13巻、あと二巻で足りるとは到底思えない。前述の丸谷氏は「終戦の日だけで五巻も六巻もお書きになっていい」と期待を寄せていた。鳥居氏は「もう私も寿命がそう長くないですが」と応えているが、氏は1929年生まれで、今年83歳となられる。中国ウォッチャーとしても知られる氏は、昨今悪化する対中関係の問題で発言を求められることも多いようだ。世情の安定と、鳥居民氏のご健康とご健筆を願わずにはいられない。


(カタロギングサービス部 佐藤高廣)


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