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2012年05月02日

『Knappe Zeit』Harald Weinrich(C. H. Beck)

Knappe Zeit →bookwebで購入

「生は短いが、本を読む時間は欲しい(笑)」

昔よりずっと豊かで長生きのはずなのに、なんだか物足りない。そう感じている人が多いのでないだろうか。ますます急がされている一方で、生きる意味や目的がよくわからなくなっている。昨年は『暇と退屈の倫理学』が人文書の枠を超えて話題を呼んだが、暇や退屈の再発見は、そんな時代の気分とも関係していそうだ。
さて、その話も気になるけれども、これが終わるまでは待とう、と決めていた本があった。そう思い暮らすうちに、また月日が経って…というのもありがちな話であるが。刊行から何年もかかったが、このほど旅の道中でようやく読み終えたドイツの本をご紹介したい。

ハラルト・ヴァインリヒ著「不足する時間」(Knappe Zeit)は、古代ギリシアから現代まで、限られた生をめぐってものされてきた西洋文学・思想の一大パノラマだ。ホメロスからシェイクスピア、ゲーテからプルースト、果てはガルシア=マルケスまで、あるいはアリストテレスからセネカ、パスカルからフランクリン、そしてもちろんハイデガーまで、まさに縦横無尽。文学や哲学に限らず、神話、宗教、演劇、映画、そして法律、経済までも話が広がっていくのが凄いところだ。

これだけ多岐にわたる内容を要約することはむずかしいが、ライトモチーフはヒポクラテス的な時間とアリストテレス的な時間の対比だ。アリストテレスは、時間を空間と運動のアナロジーでとらえた。過去・現在・未来と、前から後ろへ、直線的に時間が流れていくイメージ。このアリストテレス的な時間は、二十世紀に入るまで支配的だった時間観だが、本書ではハイデガーらとともにこれを批判し、代わりにヒポクラテス的な時間を復権させようとする。

アリストテレス的な時間が近代化を推し進めた一方で、人間の疎外を生んだ合理的機械的な時間観であるとすると、ヒポクラテス的な時間はもっと人間の身体感覚に根ざしている。ラテン系の言語では、「時間」と「睡眠」に当たる語が似ているが、語源的には「鼓動」とも関連付けられるという。すなわち、「脈」を診ることを治療の基本としたヒポクラテス以来の西洋医学の伝統ともつながるのである。

ヒポクラテスの有名な格言「生は短く、術の道は長い」における長/短は、原語では大/小とも解せるという。大人と子供、背の高い人と低い人を比べているようなもので、成長の可能性も入っている。長い修練を要する術の道に対して、短い生では必ずしも到達不可能だと言っているわけではない。

ヒポクラテスの格言にはまだ続きがあるが、この第一文がとりわけラテン語訳(”Vita brevis, ars longa.”)では効果的なレトリックとなって、人口に膾炙していく。ヒポクラテスはアフォリズムの元祖ともなったわけだが、この短い形式自体が短い生に対応する時間の経済だという見方も面白い。

古代ローマ時代のガレノスの注釈によれば、生は短い、ゆえにヒポクラテスは短い言葉で医学の要諦を伝えようとした、ということになる。もっとも、そこで注釈を必要とするということは…情報の洪水に溺れかけている二千年後のわれわれを先取りしていたのかもしれない。

生の短さについては、古代ローマのセネカの考察があまりに有名であるし、「時は金」というメタファーも古代ギリシア以来だ。生の基本的な事実については、二千年前から同じ主題の変奏が繰り返されているのかもしれない。しかし、本書でも言われるように、例えばハイデガーやハンス・ブルーメンベルクを通して、先賢の言葉と現代の認識が響きあうところに立ち会える豊かさ、それを読む喜びははかりしれない。

本書の言語環境の豊かさは、ロマンス語学の碩学である著者の博識に負うところが大きい。もちろん、ドイツの本であるからドイツ語圏の文学や思想も広く参照されているが、ギリシア語、ラテン語から始まって、フランス語、イタリア語、スペイン語(そして英語も)にわたる原典の引用と著者自身によるドイツ語訳が自在に本文に織り込まれているのが圧巻。多言語を自由に行き来できるヨーロッパ的知性には脱帽しっ放しである。

この本を手にした動機のいくぶんかは、かつて大学で「ヨーロッパ文学とは何か」を探究する(今では失われた)専攻に属した記憶が与っている。志に比してあまりに貧弱な語学力しか持ち合わせず今にいたるが、こういう本を読んで勉強しておくのであった…。ここでも不十分な紹介しかできないが、もっとちゃんと読める方に読んでいただきたいという気持ちもあって、掲げてみる次第(英訳もある)。

ウンベルト・エーコの『芸術の蒐集』を思わせる、西洋文化のカタログのような十章の後、本書を締めくくるエピローグは、これまでの「時間」をめぐる思索が交わり合い、旅が終わったような充足感があった。ヒポクラテス的には、生は鼓動であり、音楽のリズムである。最後に、ホフマンスタールとリヒャルト・シュトラウスの傑作楽劇「薔薇の騎士」から、一番の名場面である元帥夫人の独白(「時というものは…」)が引かれているが、その話と符合してとても意味深く感じられた。


(営業企画部 野間健司)


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