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2012年03月06日

『脳を創る読書―なぜ「紙の本」が人にとって必要なのか』酒井邦嘉(実業之日本社)

脳を創る読書―なぜ「紙の本」が人にとって必要なのか →bookwebで購入

「「考える」読書を手離さないために」

「電子書籍」をめぐる議論は過熱している。しかし、肝心の「読書」の内実はどうなっていくのか。そこをきちんと考えないと、何のための「電子化」かわからなくなりそうだ。
本書『脳を創る読書―なぜ「紙の本」が人にとって必要なのか』は、小著ながら「読書」の意味をあらためて考えさせてくれた。著者、酒井邦嘉氏は『言語の脳科学』(中公新書)などの著作が高く評価されている、言語学と脳科学を結ぶ新しい分野の代表的研究者だ。この「言語脳科学」から「読書」を見るというのが、本書のユニークな視点だ。加えて、大変な読書家である酒井氏自身の「紙の本の一愛好家としての意見や思想」も味読する価値がある。

第一章「読書は脳の想像力を高める」は、さらりと平易に書かれているが、後の議論の重要な手がかりとなる。入力情報としては、活字は音声や映像に比べて圧倒的に情報量が少ない。その分、脳が想像力で補わなければならない部分が大きくなる。この「情報の欠落した部分を想像力で補うプロセス」こそ、人間の知的成長に欠かせないものだ。「自分の言葉で考える」人間を育てるために、読書が有効な手段であるのはたしかだ。逆に、出力情報としては、情報量の多い手書きの文字や会話の方が想像力を働かせなくてはならなくなる。脳の想像力を高めるためには、読書によるインプットと会話によるアウトプットを楽しもうとアドバイスする。

第二章「脳の特性と不思議を知る」は、本書のもっとも長い章だが、著者の科学者としての視野の広さに目をみはる。まず、現代を代表する言語学者ノーム・チョムスキーの考えが紹介される。チョムスキーは言語を通して「人間の本質を科学的に解明」しようとした。そのチョムスキーがあらゆる言語の構造に共通する特徴として注目したのが「再帰性」であった。言語の構文はどこまでも入れ子状に積み重ねることができる、すなわち(理論的には)無限に生成可能である。「再帰性」は、言語に限らず、(フラクタルなど)数学から工芸、音楽、文化慣習まで、いたるところに見られる。この「再帰性」こそは「人間の脳の持つ想像力の核心」にあると著者は主張する。数学や音楽の具体例から、想像力と再帰的構造の高め合う関係を論じ、脳が感じる「美」の三要素(「単純性」「対称性」「意外性」)の分野を超えた普遍性を示す。一方で、言語に見るように、しばしば脳は「複雑さ」をも好む。不足する情報を「先読み」する脳の不思議は汲めども尽きない。

第三章「書く力・読む力はどうすれば鍛えられるか」では、いよいよ電子書籍の問題に分け入っていく。前章の「複雑さを好む脳」の話を受けて、例えば日本語が「難しい言語」だという言い方に疑問を呈する。どの言語も音・文字・意味の組み合わせからいうと複雑性に大差があるとは言えない。日本語を国際化するために「できるだけ少ない文字で画一的に表現した方が「効率的」で「経済的」だと考える発想や価値観は、日本のこれまでの出版文化と逆行する恐れがある」と直言する。夏目漱石は作品中で「子供」と「小供」の表記を使い分けたが、そこにはたしかにニュアンスの違いがある。作家が高度な言語能力を駆使して真意を伝えようとした表現を、わたしたちもまた脳の想像力を駆使して読み取ることで、自らの言語能力が磨かれていく。電子書籍になったからといって、その点が軽視されてはいけないのだ。

第四章「紙の本と電子書籍は何がどうちがうか」では、いよいよ議論の核心に入る。「電子化」は避けられない趨勢だし、スペースの節約や検索といった利便性も期待できる。しかし、「過渡期」の今のうちに、「問題点」をはっきりさせておきたい、「紙の本」が死んでからでは遅いからだ、と著者は訴える。現状の電子書籍は、まず「量的手がかり」が希薄だ。「本の厚みが与えるページの量的な感覚」は、読書のリズム感や記憶の定着とも大きくかかわっている。電子辞書だけで済ませてしまう弊害はよく指摘されている。ページ送りやレイアウトといった紙の本の読書を支えていた「様式感」(「先読みする」脳の特性に関連する)の再現にもまだまだ課題を抱えている。一点一点に個性があり、豊かな想像力に訴える紙の本をかんたんに捨て去ってしまっては、人類のかけがえのない財産を失うことになる。近年「電子化」の時代に逆行するように、初版本の復刻や自筆原稿本の出版が人気を呼んでいる。「このまま紙の本と電子書籍が共存し続けることが、未来の出版文化の最も理想的な姿だと考える」と結論する。

第五章「紙の本と電子書籍の使い分けが大切」では、著者の教育者としての持論が前面に出てくる。最近になって議論を呼んでいる「電子教科書」については、利便性を認めつつも、根本的な問題点を指摘する。「わかる」という感覚は、脳の最高次のプロセスによって生じるもので、まだ謎が多い。たとえ双方向的な学習支援プログラムを導入しても、「わかる」ための教育にはほど遠い。第一、教育は教師と生徒のコミュニケーションによって成り立つものだ。自学自習であっても、「生徒は自問自答というコミュニケーションを通して自ら意識的に学ぶ」以上、コンピュータに教師の代わりが務まるわけではない。人間の脳は何万年も基本的なデザインは変わっていない、すなわち「電子化で脳が進化する」ことなどありえない。これからも人間が「考える」という行為をやめない限り、本やラジオなど映像に頼らないメディアは必要とされ続ける。それが「脳を創る」ために必要だからだ。ただ「電子化」の波に流されるのでなく、どのように使い分けられるかによって、人間の賢さが試されている。

このように本書の主張は「紙の本と電子書籍の共存」というところに力点が置かれているが、メディアの新旧交替といった皮相的な議論を超えて、「わかる」とは何か、真に「考える」ために何が必要か、ということを突き詰めた読書論であることが出色であると思う。また織り込まれている事例が科学と芸術のさまざまな分野にわたるにもかかわらず、少しもテクニカルな近寄りがたさを感じさせず知的好奇心を快く刺激してくれる書き方もすばらしい。例えば「直線や円を描くにも想像力が必要」といった指摘にははっとさせられるが、音楽の「ロング・トーン」の比喩で説明されると実によくわかる。著者自身の趣味が生かされているのだが、それが人間と自然/人工物の関係という深い話に無理なくつながり、さらに電子書籍/電子教科書といった人工物とそれを使う人間の側の心理についての鋭い考察に結びつく。このようにアートとサイエンスを自在に行き来しながら人間と本の関係を深く思考する本書は、その読書体験そのものを通して、読むこと考えることの意味を認識させてくれる。わたしたち自身が「考える」読書をできているかどうか、問われているのだ。

はたして紙の本は消え去るのか。電子書籍はどこまで進化するのか。テクノロジーと産業の未来は実に見通しがたい。ただ少なくとも、しなやかな知性を育むためのメディアはどうあるべきか、将来世代のために長い目で「考える」ことが大事だ。本書はそのための思考の糧が詰まった、コンパクトにして大きな問題提起の書だ。


(洋書部 野間健司)



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