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2011年12月27日

『生命はなぜ生まれたのか―地球生物の起源の謎に迫る』高井 研(幻冬舎新書)

生命はなぜ生まれたのか―地球生物の起源の謎に迫る →bookwebで購入

 昔から恐竜や生き物が好きだった。
 与えられた図鑑や絵本の影響が大きかったのだと思うけれど、まあでも男の子としてはごくまっとうな趣味として虫捕りやトカゲ(うちの近所ではカナヘビが主流でした)に凝った。
 中学に行って友だちの範囲が広がると、天文少年たちに初めて会った。『ヤマト』や『999』の影響があったからか、生き物よりも高尚な趣味に思えた。でも道具が複雑で面倒くさそうで、結局は敬遠してしまった。

 小学校の高学年頃だったか、図鑑の後ろのほうの字ばかりのページに、近代以前の西欧世界で考えられていた生物の発生過程として、沼のほとりの石が次第に蛙に変化していく4コマ漫画みたいな図があって、すごく印象に残った。昔の人はこういう迷信が“常識”だったんだと妙に感心し納得したのだが、でもまああの頃の自分の生物誕生のイメージって結局は『妖怪人間ベム』(もちろんアニメ版)のオープニングのような、得体の知れないドロドロからいつのまにか…といった程度でしかなかったように思う。

 高校、大学、社会人と長ずるにつれて、太古の生物のことはなんとなく後回しになっていったが、高校でも大学の教養でも生物を選択したし、勤めてからも恐竜博なんかにはときどき足を運んだ。個人的な“常識”が小学校で親しんだ図鑑類と高校の生物の授業なので、その後の科学の発展による“常識”のコペルニクス的大転換には、ときどきすごい衝撃を受けた。
 なかでも衝撃度で2トップなのが、現在の生物の細胞は大昔にいろんな単細胞生物が共生した結果としてできたという説(たしか雑誌『ニュートン』で最初に読んだ)と、鳥類は恐竜の子孫であり中国辺りで近年ザクザク出てくる羽毛恐竜の化石が動かぬ証拠だというのの2つだった。特に恐竜のほうは、幼心に刻み込まれた恐竜絶滅の哀しみがずいぶん緩和され、スズメやカラスの見えかたが根底から変わった気がする。

 今回縁あって読んだ『生命はなぜ生まれたのか―地球生物の起源の謎に迫る』は、生命の起源が深海底の熱水活動にあり、その具体的なプロセスが世界中の科学者によって着実に解き明かされつつある(しかもそのトップランナーは日本人研究者=本書の著者なのだ!)ということを、素人にもわかりやすく説明してくれる啓蒙書だ。

 暗黒の深海底、特に地殻プレートが湧きあがってくる海嶺付近には熱水が噴き出すところがあって、周囲には変な生物がたくさん生息して独特の生態系を成している、というのも個人的には『ニュートン』だったかで昔出会った“常識”の大転換だった。細胞や恐竜のときのように世界観が変わるほどの衝撃はなかったにせよ、ジャイアントチューブワームの奇天烈な姿は一瞬で記憶に刻み込まれた。

 前置きばかり長くなったが、もちろん本書を読み進めるなかでも、いくつも自分の“常識”がひっくり返っていった。世界観レベルの転換としては、たとえばこんなところだ。

しかし、もはや地質学、地球化学、生物学が渾然一体になってとろとろになってしまった私は、「生命の定義? あんまり最近は気にしてないねぇ。近頃は生命を生命だけで考えたことないしねぇ。生命が生命のみで存在することはあり得ないしねぇ。生命を取り囲み、生命を含んだ環境(生命圏)の在り方やその中のエネルギーとか物質の流れがむしろ重要なんじゃないかと思うしねぇ。…」(92p)

 確かに考えてみると“生命が誕生する”ということは“生命が生命以外のものから誕生する”ということなのだ。だから生命の誕生を探るということは、岩石とか水とかガスとか宇宙線とか、およそ素人の直感では生き物そのものとは根本的に違っていそうな無機物やエネルギーが生命を創り出す、その過程を探るということにほかならない。高校の理科でいうところの、生物、地学、化学、物理の垣根なんかとっぱらわないと、そんな研究はそもそも成立しないのだ。
 先に書いた西欧中世の「石が蛙に」にも、子どもの未熟な頭でせせら笑ったよりははるかに深い含蓄がありえたのかも、などと疑ったことのなかった自分の世界観が揺らぎだす。

 ほかにも、名前だけは耳にしたことがあってその内容は皆目見当がつかなかったアストロバイオロジー(宇宙生物学)という学問の何たるかがちょこっと理解できたり、全生物進化系統樹に化学合成エネルギー代謝の種類を重ね合わせた考察になんだかとても感心したりと、私のような文系デバガメにとって、科学の進歩と最新知見の手触りが臨場感をもって味わえるワクワクの一冊なのだ。
 ところどころ、ご丁寧に「さあここからの説明は難しいよ。(97p)」などと前置きされて難しい議論や化学式も出てくるものの、適宜挿入される親切な図や、それにもまして著者のこんな口調に助けられて(乗せられて?)、なんとなーくついていけてしまうのである。

 水素と酸素が反応したと考えてみよう。ものすごい右下がりの坂になるのがわかるだろう。(※別に図があります=評者注)すごいエネルギーが余るわけだ。だから爆発するんだよ。水素と酸素を混ぜると、ボンとな。逆に右上がりになるのはエネルギー放出量が少なくてエネルギー受入量が大きいので、「おかみぃー酒がたらんぞ酒が」状態で、エネルギーが足りないわけだ(吸熱反応)。(172p)


 こんなふうにまっとうな科学啓蒙書として十二分に楽しめる本書には、ほかにもふたつばかり大きな魅力がある。

 ひとつは、“科学者列伝”とも呼ぶべき、著者がこれまでの研究者人生のなかで直接間接に知り合った世界中の一流科学者たちへの実感のこもったコメントの数々だ。

ちなみにこのカール・シュテッターは、カール・ウーズに並ぶマイ・スーパースターなのだが、シュテッターにはあまりトキメキを感じず普通に会話できるのは、多分、「彼がほんまもんの変人だから」。そう変人です。(145p)
「大島泰郎恐るべし、さすが学会でいつも女子学生に囲まれて優しく笑っているのに、男子には鋭い眼光で近寄んなビームを出す超大物は違う」と思わざるを得ない。(146p)
ウーズ、ヴェヒターショイザー、ミラー、ド・デューブと言えば、まさしく「生命の起源」論争を、ネイチャー誌上やサイエンス誌上で激しくやり合っていた巨人達であるが、直接話したのはド・デューブだけとは。しかも、その時は「ノーベル賞受賞者かなんか知らんが、もうちっとましな話をしろや」と超ナマイキモードであった。サインもらっておけばよかったと後悔している。(185p)
ラッセルとはある論文を巡って、激しい論争が続いたのだが、一向に聞く耳を持たないおじいさんである。今や、NASAのジェット推進研究所のフェローであり、もう大物になったんだから、広い心を持ってほしいものだ。「ものすごく尊敬していると同時に、はよ引退してくれや」というのが、私の正直な気持ちである。(189p)

なんだか現場感覚があふれまくっていて、とても楽しい。

 もうひとつの魅力が言葉に関するもので、乱暴とも思える端々の言葉づかいもさることながら、研究そのものにおけるネーミングの様子が、これまたとても印象に残る。「ハイパースライム」「ウルトラエッチキューブリンケージ」といった本書の“肝”になる固有名がいかに名づけられていったかは、ぜひ、実際に読んで確かめてみてください。「ハイパースライム」を発見するところは、文句なく感動的です。


(仕入開発部 今井太郎)



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2011年12月26日

『革新幻想の戦後史』竹内洋(中央公論新社)

革新幻想の戦後史 →bookwebで購入

「新しい「教養」のために必読の書」

一気に読み終えた。もう十年近く前の大晦日、小熊英二氏の名著『<民主>と<愛国>』を読んで徹夜したのを思い出すが、それ以来の知的興奮。こちらも500頁を超える大著だが、文字通り「厚み」のある「戦後史」だった。

かつて「革新」の輝ける時代があった。といっても、三十代の筆者には実感がない。その残滓をキャンパスで垣間見た程度。しかし、「幻想」だとしても、当時は「現実」を変え得る「理想」として、大きな力を持ったことは想像に難くない。そのとき学生だったら、どうしていただろうかと考えることがある。

著者の竹内洋氏は、『教養主義の没落』(中公新書)の記憶が鮮やかだ。「読まなければならない本というものがあった」時代から、なぜこうなってしまったのか。「教養」の崩壊の背景には、高等教育をめぐる社会構造の変化があった。その手堅い実証的分析には、目を見開かされた。恥ずかしながら、「教育社会学」という学問があることを初めて知った。続く著作『大学の下流化』なども追いかけて読んだ。

その竹内氏が書いた『革新幻想の戦後史』だから、ある期待があった。というのは、「教養」の輝ける時代は、「革新」の輝ける時代でもなかったか。「全共闘世代」を最後に、学生が本を読まなくなったという言挙げをしばしば目にする。今でも「教養」の復活が議論されると、「そうだ、マルクスを読もう」といったアプローチになりがちだ。「教養」論が学生運動へのノスタルジーに落ち着くのはどうにかならないか。過去を知らない若者ほど、無根拠な憧れを抱きやすい。この著者なら、もっと別の議論の道筋を示してくれるだろう。

例えば、本書のⅥ章三節「歴史のなかで見る全共闘」は目からウロコだ。竹内氏によれば、数多ある「全共闘本」が「まったくふれていないことがある」。「1968」を含む1960年代の学生運動には、1930代前後の学校騒動と類似する点が多いというのだ。端緒には、マスプロ化する大学における学費値上げの問題がある。急激な近代化とともに、農村から都市への流入人口が雪崩を打って増加し、高等教育市場のマス化が起こる。その第一の波が1930年前後で、大量に生み出された学生たちは、就職にも希望を持てず、経済的負担と劣悪な教育環境を強いる大学に牙をむく。「私大株式会社」という用語は昭和初期からあった。大学と大学教授への批判の高まりは、のちの全共闘の「大学解体」論を思わせるものがあった。

1960年代の学生運動は、比較的エリート層に限定された1930年代のそれと比べて、より大衆化が進み何倍か拡大強化されたものだが、その再演ともいえるものだった。彼らの行動は、彼らが信じて叫んでいた主義主張よりも、人口動態学的変化によって説明しやすい。小熊氏の大著『1968』が指摘した若者たちの「現代的不幸」なるものも、小津安二郎の映画「大学は出たけれど」(1929年)に漂う憂鬱と何がちがうか。当時すでに、戦後の「サラリーマン」社会の原型ができあがっていた。…といった卓見に接すると、あれこれと得心がいく。かねてから、戦前と戦後のモダニズムの共通性が気になっていた。歴史は繰り返すのだ。

上記の部分などは、竹内氏の教育社会学的分析の切れ味がよく出ているところだ。本書は、いわゆる「進歩的知識人」たちや岩波書店の『世界』をはじめとする総合誌が抜群の影響力を誇っていた時代の「空気」を読み解く。取り上げる対象が一見バラバラで遠回りにも思えるが、そこに慧眼がある。ちょうどパズルの失われていたピースがピタリとはまって、思いもしなかった全体像が浮かび上がるように、知的発見の魅力が全編に埋め込まれているので、最後まで引き込まれるのだ。

戦後の「革新」の栄光は、戦争に対する反省から始まっている。「過ちを二度と繰り返さない」という「悔恨」の心情である。本書でも取り上げられる石坂洋次郎の小説(とその映画化、特に『青い山脈』)が、大衆レベルで「戦後民主主義」の明るさを謳いあげたとすれば(川本三郎『今ひとたびの戦後日本映画』岩波書店を参照)、その暗い基層低音として知識人では丸山眞男が体現していたような「悔恨」も広く共有されていた。もっとも、それと同じぐらい、「あの戦争はやむを得えなかった」から「今度こそうまくやろう」まで、言うに言われぬ「無念」の心情を抱く人々も、たしかに多く存在していた。この「悔恨共同体」と「無念共同体」の対立は、本書のⅠ章で佐渡島出身の二人の対照的な政治家の生き方を通じて論じられている。実際のところ、この二人の戦前と戦後でねじれていく軌跡は、「右」とか「左」とかの一筋縄では行かないもので、それが全編を貫くトーンとなっている。「進歩的知識人」たちの問題は、「無念共同体」の実在をあえて無視して、「悔恨共同体」こそ唯一の道だとした「偏向」にあった。あくまで冷静な本書の叙述を読んでいると、一方を見て他方を見ようとしない病弊は、今ならどちらのことかと問いたくもなる。

一筋縄で行かないといえば、「革新」の代表的プレイヤーであった、政党でいえば社会党や共産党(分裂と盛衰のダイナミズム)、『世界』などのジャーナリズム(意外と売れていなかった)、キャンパスを牛耳った「進歩的教授」たち(日教組と一体となって東大教育学部を牙城とした)、左派学生たち(「民青」から「ノンセクト」まで)の相互の関係も、相当にねじれている。皮肉なことに、今では「左」の代表格のように言われる「ベ平連」や「全共闘」の時代は、党や教授たちの黄昏の時代でもあった。新しい市民運動「ベ平連」の代表を引き受けた当時の小田実は、「良心的」な「右」ぐらいの位置づけだった。なんと、当初は石原慎太郎の名も挙がっていたという。隔世の感とはこのことである。吉本隆明は石原を「戦後日本社会の高度化を象徴するラジカル・リベラリズムとしての資格を獲得している」と評価していた。石原は「1968」の前哨となる慶大闘争にも賛意を示していた。今となっては想像もつかないことではあるが。それはともかく、既成の運動と関係がない点を鶴見俊輔に見込まれてベ平連代表になった小田だったが、しだいにベストセラー『何でも見てやろう』出版当時の「自己批評とユーモアに溢れた」やわらかい部分を失っていく。「朝まで生テレビ」に出演していた晩年の「陰鬱で硬直した小田」が、筆者が初めて見た小田実だ。「左」のマイナスイメージの代表のようになってしまった小田実を再発見するために、竹内氏が高く評価する『日本の知識人』を読んでみたいと思う。なお、小田は東大院で西洋古典学を修め、晩年もロンギヌスの翻訳を発表する学究肌の人ではあった(沓掛良彦『文酒閑話』平凡社を参照)。

本書は、膨大な文献に当たり、当事者への聞き取り調査も怠らない知的誠実さが圧巻だが、さらに竹内氏は随所で当時の自分自身にも言及している。Ⅰ章の例は、竹内氏自身が佐渡島に生まれ育っただけに、学童としての実際の観察やじかに呼吸した「空気」になんともリアリティがある。1961年に京都大学に入学した竹内氏は、はじめはデモに参加するが、キャンパス全体を支配する「空気」に疑問を覚える。院生の集まりで「うっかり」と「吉本(隆明)もいいけど、福田恆存はもっといいぞ」と発言して、「ウヨク」(バカ)扱いされたというエピソードに、その「空気」がよく出ている。「反体制派」を気取る学内「体制派」とは、なんという矛盾であろうか。その中で、竹内青年は主体的に読書し、進むべき学問の道を模索する。「『世界』の時代」ではあったが、あえて『中央公論』に購読誌を変え、マイナーな保守論壇誌もチェックしている。「進歩的知識人」たちの戦前と戦後の言動の変化を暴露本で知る。反対の立場の本も含めて、こうした本と出会うエピソードも無類に面白く、学問の手触りが生々しく伝わってくる。竹内青年の行動の支えとなった社会学の古典が随所で引かれているが、生き方と結びついてこその学問という実感を新たにする。このように学び考えることは、まさに「教養」と言えるのではないだろうか。本書は、戦後史に「自分史」を織り込むことによって、「戦後史における封印された感情」を掘り起こすが、筆者にとっては「そのとき学生だったら、どうしていただろうか」と考える恰好の手引きとなった。ついでに言えば、竹内氏は父と同世代で、大学生だった父と対話するような気分もあった。

なお、本書は「戦後史」ではあるが、現在への問いかけでもある。「進歩的知識人」の威光は消え去ったかもしれないが、代わりに「進歩的大衆人」が跋扈している。何でも聞かれたことにぺらぺらと答える、テレビのコメンテーターが典型だ。福田恆存が喝破した知識人の「病」までもが「大衆化」したという皮肉。さらに、竹内氏に代わって補足すれば、ネット上の言論空間にも「劣化」の症状は蔓延している。「右」も「左」もわからない時代だからこそ、不穏な「空気」に付和雷同せず、自ら考えることができるか、各自が問われているのだ。まして何度目かの「敗戦」が言われる今、「戦後」に学ぶことはまだまだ多い。


(洋書部 野間健司)



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