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2011年10月11日

『民俗学とは何か―柳田・折口・渋沢に学び直す』新谷 尚紀(吉川弘文館)

民俗学とは何か―柳田・折口・渋沢に学び直す →bookwebで購入

「柳田国男による新しい歴史学」

 本書は民俗学の素晴らしい解説書である。評者は長年にわたり、民俗学周辺の著作を食い散らかしながら、民俗学とは何か、はっきりと分からないままできた。民俗学と文化人類学・民族学とはどう違うのか、歴史学との関係はどう考えるのか、柳田国男と折口信夫、また渋沢敬三や宮本常一、その後に出てくる宮田登氏や福田アジオ氏ら、数多の民俗学者はどういう関係にあるのか。本書を読むことで長らくの疑問が氷解し、満足感で一杯になった。著者の新谷尚紀氏に、深く感謝したい気持ちである。

 著者は語る。──日本民俗学はフォークロア(民間伝承学)でもないし、文化人類学でもない。柳田は昭和10(1935)年8月、民俗学の研究組織として「民間伝承の会」を創設し、学会誌として『民間伝承』を発刊した。この命名がとても紛らわしいのだが、民俗学は伝説や昔話の研究を行う学問というわけではない。柳田は民間伝承の研究によって、国史の中で跡をとどめることのなかった、名もなき民の姿を復原し、歴史の中に位置づけ、今日の生活に対する反省と、未来への判断のよりどころとすることを願い、新たな学問を作り出した。
 つまりこれは、文化人類学ではなく、歴史学である。狭義の歴史学はいわゆる文献史学であるが、そのアンチテーゼとして現れたのが柳田国男の民俗学であった。遺物資料を扱う考古学、民俗資料を用いる民俗学、そして文献史学、この三者が連携協業して開拓し、再構成していく歴史学が広義の歴史学となる。柳田による新しい歴史学、それは民俗を歴史資料として読む解く生活文化の変遷論であり伝承論である。列島規模での比較研究に基づき見えてくる地域差・階層差・時差をとらえる立体的な歴史学であり、さらに「ハレとケ」「常世とまれびと」等の分析概念を抽出する学問世界は、社会学や文化人類学にも通じあう世界となった。──実に、明解である。

 本書には具体的なエピソードも豊富である。──柳田国男は、民俗学を「象牙の塔」である大学の中に閉じ込めるのでなく、国民が広く研究に参画でき、広く共有された学問知識となっていくことを願い、あえて「民間伝承」と名乗った。しかし、他の学問との交流を行うにしても、科学研究費の申請にしても、「民間伝承の会」という名前では不都合である。「日本民俗学」への名称変更は避けらない事態となった。だが、畏れ多くて誰も柳田に言い出せない。女婿の堀一郎も説得できない中、期待に応えざるを得なかったのが折口信夫であった。
 昭和24(1949)年3月、折口は柳田の肖像画を届けに訪れ、談笑後、おもむろに名称変更のことを懇願した。それを聞いた柳田は烈火の如く怒り、テーブルにあった本を叩きつけ、「折口君、僕がどんな思いでこの民間伝承の会を作ってきたか、君なんかに分かってたまるか」と語気鋭く迫った。誰も見たことのない恐ろしい顔だった。折口は間をおいて静かな低い声で「一番よく分かっております。誰よりも一番よく分かっておりまます」と心にしみる返事をした。柳田は憮然としてその場を立ち去ったが、これは儀式であった。その後、別室の柳田はニコニコしながら「折口君はもう帰りましたか」と語ったという。柳田と折口には誰も入っていけない深い信頼と師弟の愛情友情があった。
 
 柳田国男は折口信夫のことを大変高く評価していた。柳田が73歳のとき、折口と自分との「智恵の開きの二十何年の差は情けない」「最初から信用しきつて居た方がよかつたと、思ひ当ることが毎度あつた」と語っている。柳田は折口のことを常に厳しく批判したが、それは折口の方法では一般の研究者には真似ができない、学習できない、という点につきたからだ。折口の文献や民俗への着眼と分析、立論は正確であったが、とても一般の人間にはできない、民俗学の後継者が育たない、巨大な国史学に立ち向かうためには、質的にも量的にも豊富な事例蒐集と、その帰納論的な分析の手続きが不可欠であった。聡明な折口はそのことを十分に承知し、柳田の独創性に啓発され、学恩への深い感謝の念を抱いていたという。──なるほど。

 著者は、日本民俗学は柳田と折口という二人の巨人を軸として誕生した学問である、と捉える。それを背後から協力し、経済的にも支援したのが渋沢敬三であった。渋沢は大正15(1925)年、私的な研究所「アチック・ミュージアム」を設立し、民具類の資料の蒐集整理と水産史の研究に着手した。アチック・ミュージアムは、いくつかの変遷の後、現在は神奈川大学常民文化研究所として運営されているが、渋沢は自身の研究の一方、多くの有能な人材への支援を積極的に行っていた。
 その中でも、とりわけ有名な民俗学者が「旅する巨人」宮本常一だろう。渋沢は宮本の不安定な生活と世俗の誘惑に乗りやすい人生のほとんどを大きく支え、守り育てた。渋沢は宮本に「君を軟禁する。私の許可なしに旅もしてはいけないし、他からの仕事も引き受けてはならない」「私は君の防波堤だ。君は防波堤がなければすぐにこわれてしまう」と諭したという。そして「どのようなことがあっても命を大切にして戦後まで生きのびてほしい。敗戦ともなってきっと大きな混乱がおこるだろう。そのとき今日まで保たれてきた文化と秩序がどうなっていくかわからぬ。だが君が健全であれば戦前見聞したものを戦後へつなぐ一つのパイプにもなろう」という言葉を残した。──その通りとなった。

 著者は、現代日本の民俗学がもっとも取り組む必要のある課題の一つは、およそ1955年から1975年にかけて起こった日本の高度経済成長と、それによる生活の大変化に関する研究であり、それを同時代的に追跡し分析していくことにある、という。評者は深く共感する。柳田国男が昭和4(1929)年から5年にかけて『明治大正史世相編』に取り組んだ意図や、そもそも民俗学を創設した意図にも通じるものだろう。
 その実践例として1997年から98年にわたって行われた共同調査『死・葬送・葬制資料集成』や、2007年度から2009年にかけて実施された国立歴史民俗博物館の「高度経済成長と生活変化」が挙げられている。この課題への取り組みは途上にあろのだろうが、やはりこれでは物足りない感がする。毎年3万人を超える自殺者を生むような不安な社会がどうして生まれたのか、社会経済要因やメンタリティにも深く踏み込んだ学問研究を望みたい。都市生活やサブカルチャー研究の成果への参照も必要になるのではないだろうか。過剰な要求かもしれないが、本書を読んで、民俗学の今後の活動に大いに期待したくなったゆえである。


(カタロギングサービス部 佐藤高廣)



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2011年10月04日

『Why Mahler?: How One Man and Ten Symphonies Changed the World』Norman Lebrecht(Faber and Faber)

Why Mahler?: How One Man and Ten Symphonies Changed the World →bookwebで購入

「いま、なぜマーラーか?」

生誕150周年、没後100周年と、二年連続のマーラー・イヤーである。音楽界はさぞや盛り上がっただろうと思うが、あまりチェックしていない。日本でも公開された映画「マーラー 君のためのアダージョ」(原題は"Mahler auf der Couch")は観た。今はその程度の淡いおつきあいだが、マーラーの音楽は思春期のBGM的存在だった。マーラーで卒論を書くにいたった姉ともども、マーラーなくして生きられなかった時代があった。もうすぐ記念の年は終わるが、天邪鬼なので今頃になって聴き直してみようかと思う。その導きとして、昨年刊行されるや音楽書としては大きな話題を呼んだ本書「なぜマーラーか」を、ちょうどペーパーバックになったので読んでみた。

本当に、いま「なぜマーラーか」不思議ではある。どなたも寝る間も惜しんでネットのチェックに余念のないこの時代、なぜギネスブックに載るような長大な交響曲を聴く人がいるのか。それも、しばしばオシャレ感覚のクラシック音楽ビギナーを慄然とさせる、あの曲調で。筋金入りのクラシック・ファンには自明のことだろうが、二十一世紀の現在の視点で、わかりやすい絵を描いてくれる人がいてもいい。

著者ノーマン・レブレヒトは、英国の作家でジャーナリストだが、よく物議を醸している有名人のようだ。クラシック音楽界のおそろしいまでの事情通かつ辛辣な批評家であり、邦訳された著作に「巨匠神話」「だれがクラシックをだめにしたか」がある。以前に「クラシック音楽の生と死」という本を読んで、ゾクゾクした。レコードという複製技術とともに花開いたクラシック音楽産業100年の盛衰史。それを、今読むと夢のような「巨匠」たちや名プロデューサーたちの目くるめく人間群像、そしてレコード史上のベスト100(とワースト20も!)誕生のエピソードを通して語る。キャストも豪華なら、書いていいのか(読んでいいのか)怖くなるようなゴシップも満載で読ませるが、芯のところでは文化の現状を真剣に憂えていて、ためにする辛口批評とは一味ちがう好著だと感じ入った。

本書「なぜマーラーか」も、期待に違わず刺激的だった。著者は長年のマーラー狂を自任するが、オタク的な博識よりも、音楽が人生を変えることもあると伝えたい情熱に駆られている。博引傍証ぶりも堂に入っているが、著者のアップテンポな筆致は、膨大な知識を最大限に圧縮し疾走するエピソードの渦をさばきながら、いま「なぜマーラーか」の核心へと読者をぐいぐい引っぱって行く。一冊の中にQ&Aあり、伝記あり、現地レポートあり、ディスコグラフィーあり、よくこれだけ詰め込んだと呆れるばかりのサービスぶりである。どういうわけか英米の新聞書評では(著者が出しゃばりすぎだとか)厳しい評価が目立つが、これだけ面白い本を書ける人には思い入れの過剰なところや論争を呼ぶ部分はつきものである。筆者は”I loved it!”と言いたい。

せっかくなので、著者の助けを借りて、いま「なぜマーラーか」をスケッチしてみよう。

初めてマーラーを聴く人がよく戸惑うのは、しばしば同じ曲の中に相矛盾する感情が同居していることだ。愛と絶望、悲愴と滑稽、静謐と乱痴気騒ぎ。文学でいえば、カフカ的なイロニー。わたしたちは厳粛な場で不謹慎なことを考えたりする。ふつうは自分の中にあるどうしようもなくネガティブな感情を抑圧してなんとかこの世を過ごしているが、マーラーの音楽はそんな現代人の心のバリアをとかしてしまう。

フロイトの精神分析のように、マーラーの交響曲は無意識に働きかける。孤独や悲しみ、言いようもなく恥ずかしい感情をむりやり何かに紛らわすのではなく、それとして認めること。そんなマーラーに共感する人もいれば、激しく反発する人もいる。どちらにしろ、聴き手は自分の何かをつかまれてしまっているのだ。

「私には三重の意味で故郷がない」とマーラーは言った。世紀末ヨーロッパにも蔓延していたユダヤ人差別を乗り越え、帝都ウィーン楽壇の頂点に立ったマーラーだが、その音楽は「永遠のユダヤ人」のごとく世界を彷徨わねばならない、漂流する魂の叫びである。いまや世界中に移民が溢れ、人々のアイデンティティはますます複雑化している。マーラーの音楽が欧米だけでなく世界各地で演奏されているのは、そうした寄る辺ない感覚の普遍性にもよるだろう。

大量虐殺の世紀を先取りしていたとも聴けるマーラー(スターリンとの絶望的な闘いを生き延びたショスタコーヴィチもその影響を受けている)の音楽は、現代史における惨禍の記憶ともよく結びつけられる。本書では、旧ソ連崩壊前夜にゴルバチョフ夫妻がマーラーの第五を聴いて思わず動揺したエピソードの他にも、二十一世紀に入っても「9・11」の直後に米国のラジオ局が次々とマーラーの音楽を流した例に触れられている。

もっとも、よくフロイトのいう死の欲動や東洋的厭世観が云々されるが、マーラー自身は死よりもむしろ生の側に立っていた。当時トップレベルの指揮者として多忙を極めた間にも、あれだけの作品を残した仕事ぶりはまさに超人的で死の影など無縁だ。未完に終わった第十交響曲でさえ「白鳥の歌」どころではなく、妻アルマの不倫が発覚した苦しみを創作のエネルギーに転化していた観がある(映画「マーラー 君のためのアダージョ」はこのエピソードに焦点を当てていて、「クラシックジャーナル」別冊であるオフィシャルブックにも多くを教えられる)。わが国でも今年、前島良雄氏による充実した研究書『マーラー―輝かしい日々と断ち切られた未来』が刊行され、死の影にとりつかれた晩年という「神話」は修正を迫られつつあるようだ。

癒しであれ暗い予言であれ、マーラーの音楽にあるメッセージを感じる人は多い。しかし、マーラー自身は現代のアーティストのようにコンセプトをあれこれ説明したりはしなかった。彼は「音楽で大事なことは楽譜の中にあるのではない」と言い、演奏者の自由を認めた。さまざまな解釈に開かれているマーラーの音楽は、一回一回の演奏のたびに、それぞれの指揮者、オーケストラ、ホール、そして、聴衆の一人一人によっても、意味を変える。レブレヒトの本でもっとも印象深かったのは、彼が半生を注ぎ込んだマーラー探訪の旅の途上で出会った人々の忘れがたいエピソードの数々だ。彼らの人生はマーラーを聴くことによって変わったかもしれないが、その出来事は他人に真似のできない彼らの一回限りの人生の中で起こったことだから尊いのだ。

それにしても、マーラーは「わたし」にとって何なのだろうか。その答えを探すには、聴くのが一番なのだろう。本書の充実したディスコグラフィー(わが国におけるパイオニア的な近衛秀麿による第四交響曲の録音(1930)まで言及している)が格好のガイドになる。批評家レブレヒト一流の辛口は「巨匠」たちをバッサバッサとメッタ斬りにし(バーンスタインに厳しすぎないか?)、幸いにして(?)推薦盤の方はほとんど聴けていない。「お楽しみはこれからだ」って感じ?


(洋書部 野間健司)



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