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2011年08月04日

『バターン 死の行進』ノーマン,マイケル ノーマン,エリザベス・M.【著】 浅岡政子 中島由華【訳】(河出書房新社)

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「日米戦争を交互の視点から捉える」

 アジア太平洋戦争におけるフィリピンでの日本人戦没者は50万人超であるという。凄まじい数字である。ただ、日本人は忘れがちだが、フィリピン人の犠牲はさらに上回り、当時の人口の7%に当る110万人の死者が出たという。他人の土地である。とんでもない数字と言うしかない。
 フィリピンでの日米戦争は、1941-2年の日本軍がフィリピン諸島を占領する前期と、1944-5年に米軍が反攻し、日本軍が殲滅される後期とに分けられる。後期については、大岡昇平『レイテ戦記』等の記録文学や、山本七平『私の中の日本軍』等の体験に基づく論考など、数多くの記録や小説が残されている。余りにも凄惨な戦いだったからである。学徒兵も多数動員された。しかし前期の戦いに関するものは、目にすることが少ない。先日、集英社から刊行が始まった『コレクション 戦争×文学』の第1回配本『アジア太平洋戦争』で、野間宏の短編「バターン・白昼の戦」が収められているが珍しい。前期の戦いも変わらず凄惨であった、とりわけアメリカ・フィリピン軍にとって。

 「バターン」とはマニラ南部にある半島であり、太平洋戦争初期、フィリピンへ進攻した日本軍と米比軍との間で激戦が交わされた地である。戦闘後、日本軍が「死の行進」を惹き起こしたことで「バターン 死の行進」とセットで呼ばれ、本書の和訳タイトルにもなっている(原題は"Tears in the Darkness"「暗涙」である)。日本軍は投降した米比軍兵士たちを、酷暑の炎天下、捕虜収容所まで約100キロの道程を徒歩での移動を強い、多数の死者を出した。本書では「戦争史上もっとも悪名高い」事件と記されている。
 本書『バターン 死の行進』は、アメリカ人ジャーナリストと歴史学者の夫妻が、十年以上の歳月をかけ、「死の行進」とそれに至るまでのフィリピンでの日米戦争、また行進以後の捕虜収容所の真相に迫ったノンフィクションである。日本人にとっては糾弾調の内容を恐れるが、至って公平に冷静に書かれている。「行進する」側と「させる」側、双方の視点で検証しようとしており、アメリカとフィリピンだけでなく日本人にもインタビューを行っている。その数は400人以上になったという。

 簡単に一行で済まされることが多いが、日本軍は楽々とフィリピンを占領したわけではない。1941年12月、本間雅晴を司令官とする第14軍はルソン島のリンガエン湾へ上陸、マニラへ進攻し、バターン半島での戦闘に至る。米比軍は首都マニラを無血開城したが、バターン半島には7万人以上が撤退し、豊富な物量で頑強な抵抗を示した。一方の第14軍は、大部分が蘭印・ビルマ作戦に抽出されてしまい、残存部隊と新たに派遣された老兵からなる旅団が当らざるを得なかった。日本軍は米比軍に包囲され全滅する部隊が出るなど、夥しい死傷者を出している。その様子が日本軍の兵士の視点からも描き出されていて、貴重である。
 1942年4月、米比軍は降伏するが、45日で攻略する大本営の目算のところ150日を要し、この不首尾から司令官の本間雅晴は更迭され、予備役へと編入されてしまう。この苦戦が日本軍の兵士たちの中に怨恨を生み、「死の行進」の原因の一つともなった。

 「死の行進」は、米比軍の食糧不足による栄養失調とマラリア等の疾病が蔓延する中で、日本軍による徒歩移動と虐待が追い打ちをかけたものであった。ここでも陰で立ち回っていたのが、悪名高い辻政信である。当時は参謀本部作戦班長であった。辻はバターン半島各地の野戦司令部を訪ね、戦場の連隊長に対し、捕虜を「情け容赦なく扱う」よう指示し脅していた。「情け容赦なく扱う」とは「殺す」ことである。このときは連隊の側から「正式命令ではない」と拒絶にあったというが。
 もちろん「死の行進」は辻一人に起因するものではない。日本軍の中に人命軽視や捕虜を侮蔑する発想があり、士官・将官にも国際条約への無理解・無関心があった。本書では当時の日本人たちを「地球上でもっとも視野の狭い人々」と記している。これに関して、日本軍の兵士たちが、なぜ殴ったのか、虐待したのか、その証言はなかなか聞くことができない。加害証言を得ることは難しく、BC級戦犯裁判の問題にも関わってくるからだろう(その点において、飯田進『魂鎮への道―BC級戦犯が問い続ける戦争』は稀有な記録である)

 加害者側の証言は、本書も同様にほとんど記載がないが、唯一、日本国内の炭鉱で捕虜を使役していた監視役の話が載せられている。当時、17-8歳であった彼の話では、イギリス人捕虜は規律的でよく働いたが、アメリカ人捕虜は一筋縄では行かず、彼を「小僧」扱いして「無視」した。一人前であることを示すために殴ったという。
 殴られる側の米軍兵士が本書の主役であるベン・スティールである。彼はモンタナ州のカウボーイだったが、生活のため陸軍航空隊に志願し、フィリピンへ赴任する。バターン戦を経て、日本軍の捕虜となり、「死の行進」を経験する。虐待の続く捕虜収容所と強制労働に耐え、遂には労働力として日本本土へ移送される。輸送船は人間がすし詰めにされた「地獄船」であった。日本では炭鉱労働を強いられ、広島のキノコ雲を目撃する。大変な体験だろう。戦後、彼は美術教師となり、日本人学生を教える機会があり葛藤するが、やがて憎悪の念が消えていることに気がつく。日本人としては、ホッとするエピソードである。

 本書の後段は「バターン 死の行進」の責任を問われた本間雅晴裁判の話となる。著者は、戦友を置き去りにしてフィリピンから逃走したマッカーサーに厳しく、道義的、政治的な責任はあっても法的な責任のない本間雅晴の方に優しいといえよう。マニラ軍事法廷をマッカーサーの「報復裁判」であると批判し、教養のあった本間の人となりと、その夫人を詳しく紹介する。本間の評伝である角田房子『いっさい夢にござ候―本間雅晴中将伝』が品切れとなって久しいので、現在、本間雅晴について読める著作は本書程度になる。ただ、戦犯裁判が本間裁判だけで終わり、一般のBC級戦犯に何も触れられていない点は不足の感がする。戦犯問題まで踏み込むと、一冊の範囲を大きく超えることは確かだろうが(BC級戦犯裁判について、最近の書籍では、中田整一『最後の戦犯死刑囚―西村琢磨中将とある教誨師の記録』が手に取りやすい。真摯に書かれているが、当書評空間では早瀬晋三氏から「戦争を知らない世代に推薦できるような本ではない」と手厳しい批判が寄せられている。併読をお薦めする。)

 アジア太平洋戦争は、とにかく膨大な犠牲者を出し、この地域に大きな傷跡を残した。本書を読んで、その一部を知るだけに過ぎないが、それでも知ることには意味がある。米比軍と日本軍、双方の視点から公平に捉えようとした本書は好著であり、足掛かりとして、ぜひトライしてみてほしい。


(カタロギングサービス部 佐藤高廣)


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