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2011年07月21日

『Short Stories in Japanese (New Penguin Parallel Text)』(Penguin Books)

Short Stories in Japanese (New Penguin Parallel Text) →bookwebで購入

「タテとヨコの出会い」

ペンギン・ブックスから、「日本語の短編小説」アンソロジーが出た。左側の頁に英訳、右側の頁に原文を配した対訳だ。本を開いて驚くのは…日本語がタテ書き!今まで見たことのない洋書のすがたにワクワクする。

この英語対訳シリーズは、これまでフランス語やロシア語はあったらしいが、もちろんヨコ書き同士。タテ書きの言語は日本語が初めてらしい。そのことが編者の序文にやや興奮気味に語られている。タテからヨコへ、ヨコからタテへ、英語を読む日本人、日本語を読む外国人が、お互いに行ったり来たりする。本書を開くと、そんな出会いが思い浮かんで、楽しくなる。

全部で八つの短編が採られているが、この選択もユニークだ。村上春樹、よしもとばなな、阿部和重、川上弘美…などと並ぶと、いかにも「J文学」的だが、津島祐子なども入っている。吉田スエ子は知らなかったが、『嘉間良心中』はまさにオキナワ文学としか言いようのない生々しい哀しみがこもった作品で、最後に置かれた重みを感じる。

大半の作品が初めて英語に訳されたものとのこと。恥ずかしながら文芸書を読みつけない筆者には、すべて初見の作品だった。それでも、まず英訳で読むことにした。気になったところや、惹かれた作品は日本語でも味わってみる。タテとヨコを自分なりの仕方で結びつけるのが、本書にふさわしい楽しみ方だと思った。

冒頭を飾る、村上春樹の「夜中の汽笛について」は、たった二ページ。少年と少女の夢の中みたいな対話。物語のほんの序章のような、プロローグにふさわしい掌編。よく村上春樹について「翻訳文体」と言われるが、この短いテクストを対訳で読むと頷けるような気はする。ただし、最近『神の子どもたちはみな踊る』の英訳("After the Quake")を読んだが、一見そうだから浮かび上がる日本的要素がエキゾチックというのはある。それは今秋刊行予定の『1Q84』英訳にもありそうだ。

エキゾチックといえば、本書の注記(Notes on Japanese Texts)は、日本語学習者のためのもの。英語で説明されると、本文では流してしまっていた日本語がずいぶんエキゾチックなものに思える。例えば、「朝顔 usually means "morning glory", but here it is slang for "urinal."」 というのは、たしかに注記がないときびしい(いくぶん「昭和」な語彙だし)。これは川上弘美の「うごろもち」への注だが、この題名(モグラのことだ)の漢字がむずかしい(変換できない)。注記には、この漢字を覚える必要はない、一般の日本語話者も知らないから(作者自身も辞書でたまたま見つけた言葉らしい)と書かれていて、そりゃそうだ。注のつくところは、解釈しにくいところや日本人でもよく知らない表現(「使い捨てカイロ」の源流として、江戸時代の「懐炉」に言及したり)に限られる。これを読むのは、日本人にとってもエキゾチックな体験。

小池昌代「げんじつ荘」が特に気に入った。収録されている『感光生活』(筑摩書房)を求めて読んだが、作者の詩人らしい言語感覚とエッセイのような気軽さが同居して、そんな軽やかに深淵を覗いてしまっていいのという感じの、ちょっと不気味で心地よい短編集。「げんじつ荘」というのは、千歳船橋のわびしい単身者用アパート。そこに暮らす元同僚「よりこさん」は四十四歳でシングルマザーになった。一年ぶりの再会、赤ん坊を抱きながら、妊娠中の特別な感覚について語る「よりこさん」には、「現実」を突き抜けた幸福感が漂う。会話に出てくる「テーオーセッカイ」の訳し方も興味深いが、赤ん坊の発する「あっ」という音も「世界を切開する」。現実と異界の裂け目が、書いている世界は控えめなのに、日本語でも英語でも生々しい作品。

短編というのは、何かひとつ感じるところがそれでいいと思うが、このアンソロジーは粒よりだった。英語で何か読んでみたいという人から、近頃の日本文学が気になるが何を読んでいいかわからないというまで、ぜひお求めいただきたい。


(洋書部 野間健司)


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2011年07月17日

『博士漂流時代―「余った博士」はどうなるか?』榎木英介(ディスカヴァー・トゥエンティワン)

博士漂流時代―「余った博士」はどうなるか? →bookwebで購入

「博士課程と科学技術振興」

 1950年代以降、科学技術振興政策によって大量に生まれた「博士」は、不安定な任期付きの職で研究を続ける若手研究者として「ポストドクター」(ポスドク)と呼ばれ、大きな問題を起こしている。増えすぎた博士はその価値を下落させ、「高学歴ワーキングプア」と言うべき現象を引き起こし、本当に優秀な人材が科学技術を研究する道を閉ざしてしまった。

 それは、不安定で低収入、しかも将来的に考えて研究機関や企業での就職が保証されていない事からも博士の就職難により大学院進学者も減少し、「高学歴ワーキングプア」への道は日本の科学技術が崩壊する事、そして、人材が最大の宝である日本の将来をも危機にさらす事を意味する。なぜならば日本の科学技術を政策的に考えた場合、常勤の研究職に就けずに常に任期付きの仕事をやり続ける高齢ポスドクの増加は、その政策上最大の課題となるからである。

 本書は上記の事を指摘し、博士余剰の実態と原因、問題点などを多くの緻密なデータを用いて鋭く分析し、今後どうすべきかを考え著者なりの解決策を提言している。これに関しては、著者が同じ経験をしている関係上、その考察は流石であると言わざるを得ないと感服している。

 また、「結局、「適材適所」の問題だ。」とも指摘し、博士の生きる道を模索している。この博士の生きる道を模索する事は大学や研究職だけに固執するのではなく、アメリカの博士号取得者の多彩なキャリアを例に「博士+X」として、中小企業や地域活動などで専門知識を生かす道をも考察するものである。

 これらを鑑みても、著者である榎木英介氏が本書の中での「今こそ社会全体で博士を活用しよう!」との言葉は尊敬に値する。私自信、この事を踏まえ本書を通じて、「博士」がただの学位、研究職としてのただの雇用問題と言う一側面に限らず、博士が「夢を持つ事の大切さ」をライフスタイルの1つとして提案し実現して行く上で大切な職業であると感じずにいられない。

 最後になるが、本書「博士漂流時代―「余った博士」はどうなるか?」に付随し、文中にも紹介されていた「高学歴ワーキングプア―「フリーター生産工場」としての大学院」(9784334034238/水月昭道/光文社)も合わせてご一読頂ければと考えている。


(新宿南店 西山純一)



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