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2010年06月25日

『大学論――いかに教え、いかに学ぶか』大塚英志(講談社現代新書)

大学論――いかに教え、いかに学ぶか →bookwebで購入

 仕事柄なるべく目を通しておいたほうが良い類の本があって、大学や出版や電子書籍といったテーマの本は、どうしても手にとってしまいがちだ。で、今回はまさにその名の通りの『大学論』。大塚英志氏が神戸の大学でまんがを教えていることは知っていたが、オビの煽り文句が「大学全入時代だからこそ改めて問う体験的エッセイ/いま、大学でいかに学ぶのか」。なんとなく大学という制度の問題とかかくあるべき姿とかが書かれているのかと思って読み始めたら、止まらなくなった。

 もちろん、冒頭の体験的エピソードの直後には、たとえばこんな件が出てくる。

 さて、大学生や大学をめぐっては「学力低下」で今の大学生は九九さえできない的な言い方が大学の教師の側からされて久しい。そういう人たちはたいてい戦前の旧制高校的な「教養」を「教養」の定義としているのだが、「まんがを教える大学」の登場はそういう人たちからすれば末期的現象なのかもしれない。

なかほど、「下流大学論」なる節では、

 例えば九〇年代のどこか、ぼくがまだ「論壇」に身を置いていた頃、『世界』でその種のテーマの座談会に出てキレた記憶がある。(中略)出席した大学の先生たちは大学生の教養のなさを憂え嘆きつつ、暗に自分たちの頭の良さを自賛しているような感じがして、そこがみっともないと思った

と、ほんとうの問題は大学生ではなく教員の質のほうにあるのではないか、との主張がなされもする。文科省の浅薄で行き当たりばったりな政策への強い反発も、あちこちで目につく。


 でも、本書の大部分はそういうよくある教養論や制度批判の枠組みを大きくはみ出た体験的エピソードの数々で、「まんがを教える大学」が実際に学生たちに何をいかに教えているのか、学生たちはその教えをいかに四苦八苦して学んでいくのか、が克明に綴られていく。

 印象に残る場面は多々あるが、例えば、「二年の後期、映画撮影の実習が半強制的に課せられる」「まんが構成論」の授業。手塚治虫がまんがの近代化を夢見て持ち込んだ「映画的手法」を体系立てたとされる石森章太郎の、『竜神沼』という小品を「逐語訳的」に映画化するのが課題だ。
 まんがの一コマ一コマが映画の一カットというルールで、石森が意図としてこめただろうカメラワークやカットつなぎといった映画的演出を、学生たちは追体験していく。

 そして学生のうち何人かは実のところ少しだけ気づいてはいるのである。「実習」だからカットごとに監督役は変わるのだが、それを編集すると一連なりの映画になる。それを不思議がる者がいる。「映画」はあるのにそこには本当の意味での「監督」は不在だからだ。
 しかし、それではこの映画の監督は誰なのか。絵コンテが石森作品の逐語訳である以上、答えは明らかだ。
 ぼくたちはロケ現場どころかこの世にいない石森章太郎の「監督作品」を作ったのである。

 あるいは、三年生夏休みの「合作」の授業。監督、脚本、絵コンテ、レイアウト、作画、背景といった担当に分かれて、一編のまんが作品が合作される。「大学の課題としてまんがを描」いてきた二年半が終わり、「「プロとしての作品づくり」へのギアチェンジ」がこんなふうに強要されていく。

 今度はシナリオを絵コンテ担当の学生に振る。絵コンテにいつも手間取る学生を敢えて選んである。つまり、どの役割もその学生の長所ではなく短所に応じて振っているのである。(中略)ようやく絵コンテが完成すると、同じようにメルアドと新幹線代が渡される。
 大幅な直しを命じられ、ぐだぐだになって戻ってくる。

シナリオ、絵コンテ、レイアウトと出来上がったものはその都度、担当学生が単独でわざわざ関西から上京し、本物の出版社の本物の編集者から直接チェックを受けるわけだ。

 次に絵コンテはレイアウト担当に回る。作画用の構図の決定とシナリオの微修正である。
 しかし困ったことに絵コンテでOKの出た演出にこの時点で大幅な「修正」が命じられる。(中略)
 だから学生の中には、リテイクの内容そのものに疑問を持ち出す者もいる。しかし、それでも編集者の言う通り「直す」必要が新人にはある。その理不尽さの経験は今回の裏メニューのようなものだ。

なんとも周到なカリキュラムだと思う。

 学生たちは、こんなふうに次々繰り出される「ムチャ振り」なカリキュラムを時に精根尽き果てながらこなしていき、いつのまにかプロデビューに手が届く水準に、腕前においても気構えにおいても達していく。(感動的な場面もいくつか出てくるのですが、その辺はぜひ実際に読んでみてください。)


 本書には伏流として、大塚氏の大学の恩師・千葉徳爾およびそのまた恩師である柳田國男の話が何度も出てくる。大塚氏自身の大学での専攻はもちろんまんがではなく、民俗学だ。自分は民俗学の研究者にならなかったわけだが、恩師から学んだものは大きいという。

 柳田から千葉が受け継いだ「方法」が、歴史の微細な変節点から歴史を観ていくぼくの批評の方法の基本になっていることは既に書いたが、それ以外にも民俗学はぼくの仕事の全てのベースにある。

 大塚氏は知識でも技術でもない「方法」を教えようと、まんがを教えるカリキュラムを一から創っていく。彼にとってその作業はこのうえない楽しみであり、二代にわたる恩師たちがそれぞれの学問を作り上げていく姿に重なるものだ。「教えることで学ぶということ」を千葉から学んだという彼は、「ぼくの学生たちもまたぼくの「弟子」などではないと」自分を戒めつつも、教え子のなかから次世代の教師が生まれることを夢見ている、というか確信している。

 「先生とわたし」であれ「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」であれ、あるいは「エ-スをねらえ!」であれ、やはり師弟モノは面白い。「教えること」「学ぶこと」は、大学とか教養といった狭い世界を超えて、人間の本性に根差したものなんだと改めて思う。

 数年前に大学の正規カリキュラムで「読書」という授業が設けられ一部で話題になったが、読書を教えたり学んだりする「方法」について、出版不況や活字離れが叫ばれてこの方なにか目覚ましい進歩があっただろうかと、すこし反省もこめて思ってみたりした。


(販売促進部 今井太郎)



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2010年06月16日

『ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争』デーヴィド・ハルバースタム(文藝春秋)

ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争〈上〉 ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争〈下〉
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 朝鮮戦争は、米国人にとって「忘れられた戦争」「歴史から見捨てられた戦争」であるという。米国と中国の参戦によって戦線は膠着状態となり、「Die for a tie」、引き分けるために死ぬ「二流」の戦争となった。しかし、著者ハルバースタムは、ベトナム戦争の取材時、関係者が漏らす朝鮮戦争に関心を持ち、長年の構想と調査の末、朝鮮戦争の記録と記憶を掘り起こし、歴史の中から拾い出した。著者のライフワークであり、「最高」と自認した作品であり、そして「最後」の著作となった。本書のゲラを校正した五日後、ハルバースタムは事故で急死してしまったからだ。

 朝鮮戦争は、日本人にとっては「ほとんど知らない戦争」である。歴史の教科書では半ページ程度で記載されるに過ぎない。──1950年、北朝鮮軍が38度線を越えて侵攻、韓国・米軍は釜山付近に追い込まれる。しかし、マッカーサーの起死回生の仁川上陸作戦が成功し、ソウルを回復、北朝鮮軍を中国国境付近に追い詰める。ところが、中国義勇軍の参戦により押し戻され、戦線は38度線付近で膠着、1953年、休戦し、現在に至る。

 次のような(初歩的な)疑問が思い浮かぶ。──第一に、第二次大戦でドイツ・日本軍を圧倒し、敗戦に追い込んだ米軍が、なぜ北朝鮮・中国軍に苦戦したのか。また、仁川上陸作戦は「マッカーサーの生涯に軍事的に天才だったといっていい一日」と言われるほど、奇跡的な成功をなぜおさめたのか。そして、「義勇軍」と名乗った中国軍の参戦とはどういうものであったのか。義勇軍とは「有志人民が自ら組織した戦闘部隊」(広辞苑)である。──本書を通じて疑問は明快になるが、それだけではなく、米軍兵士の視点、マッカーサーら軍司令官の視点、トルーマン・スターリン・毛沢東ら各国指導者の視点、多方向からアプローチされ、きわめてリアルに立体的に、朝鮮戦争を捉えることができる。

 米軍はなぜ苦戦したのか。──1950年当時、米軍は大規模な軍縮下にあった。韓国に派遣された師団は在日米軍中の「最弱」しかも戦備も最低だった。それでも米軍全員が「任務は短期で終わる」と楽観的に考えていたという。第二次大戦後の慢心と、アジア人に対する人種差別意識があった。開戦時、米軍の2.36インチバズーガ砲は、北朝鮮軍の旧式ソ連製のT-34戦車に歯が立たず、最初に接遇した部隊は壊滅、「第一級のマグニチュードをもった」大惨敗を喫した。加えて、マッカーサーとその幕僚たちの暴走や迷走。東京の米軍司令部は、中国軍の参戦後、その戦い方を研究せず、「東京の命令に戦場の現実をあわせる」事態となっていた。

 仁川上陸作戦はなぜ成功したのか。──今度は北朝鮮側の慢心であった。中国から軍事情報が提供され、危険が指摘されているにも関わらず、金日成は上陸作戦の検討を拒んでいた。仁川港には機雷敷設をせず、警戒をまったく怠っていた。仁川の成功は「金日成が切れ物の敵将ではなかった」ことが大きな要因だった。ところが、味を占めたマッカーサーは次に奇怪な作戦を実行する。上陸部隊の半分を引き上げ、朝鮮東海岸の元川への再上陸作戦を決行した。さすがに二度目はない。元川港には機雷が敷設され、上陸に手間取る間、船内待機の海兵隊員に赤痢が流行、屈辱的な「まぬけ作戦」に終わった。仁川作戦を頂点に、マッカーサーの凋落が始る。尚、本書には記載がないが、元川上陸では、日本に機雷除去の協力要請があり、旧海軍部隊から成る「特別掃海隊」が極秘活動を行っている(増田宏『マッカーサー』中公新書)。朝鮮海域での事実上の戦闘行為であり、看過しがたい史実がある。

 中国軍はなぜ参戦したのか。──毛沢東は冗談で「1.5人が決定した」と言ったという。毛沢東自身と半人分は周恩来である。大きな理由に台湾があった。マッカーサーは台湾を不沈空母といい、国民党軍へテコ入れしての大陸反攻をチラつかせていた。これでは中国内戦が終わらない。だが、空・海軍力のない中国は台湾に対して行動できない。そこで、毛沢東は兵站面で有利な朝鮮半島での対決を択んだ。また、朝鮮戦争を通じ、毛沢東の共産党支配を拡大でき、中国人民に世界での活躍をアピールできる。毛沢東の政治的読みから(事実、読みは当った)、米軍を怖れる林彪らの反対を押し切り、中国は36個師団70万人を超える大兵力を投入した。

 しかし、本書は朝鮮戦争の通史というわけではない。米・中が対峙し膠着状態に陥った1951年の春以降はわずか一章で記されるに過ぎない。韓国軍の動静も記載がない。「韓国軍が全然役に立たず、いつも敗走していたばかりのように読めるが、それも事実ではない。むしろ、韓国軍の兵士が戦争の過程で北朝鮮に対する敵対意識を持たざるを得なくなり、分断後の政治・社会的基盤が作られることになる」といった指摘がある(石坂浩一「週刊読書人」2009年11月6日書評)。激戦下の韓国・朝鮮の一般市民の様子も語られない。戦火の中を逃げ惑い、大変な恐怖と混乱の下にあったはずだ。

 だが、そうした問題は他書に譲るべきかもしれない。本書は、米国人の見た朝鮮戦争であり、戦争がなぜ拡大するに至ったか、米国の視点から追及した書になる。それは、著者ハルバースタムが、まず自国=米国への批判を念頭に持っていたからにほかならないだろう。ハルバースタムは、朝鮮戦争とその後のベトナム、ボズニア、さらにイラク戦争等に同根の問題があると捉えていた。いずれも、政府指導者の「誤算」の連続によって多くの死者を生み、戦争は泥沼と化した。

 この点において、本書で特に告発の対象となるのがマッカーサーである。米軍中、最高の軍歴と人気を誇った司令官について、ハルバースタムは「母親によって彫刻されたモンスター」「必要以上の敵を作る偏執症の将軍」「この国でもっとも厚かましい部類に入る人物」として描き出す。もちろん、毛沢東・金日成・スターリンらの共産主義国家の独裁者と違って、マッカーサーが昨日までの盟友を死に追いやったり、反対者の粛清を命じたことはない。しかし、独走するマッカーサーは、トルーマン大統領を軽侮し、米政府の意向に従わず、文民統制から逸脱しつつあった。著者は、解任されたマッカーサーが上院聴聞会でその嘘が暴かれるまでを徹底的に追い詰め、ジャーナリズムの良心を読者に伝える。

 訳者の解説にもある通り、本書を本当に価値あるものにしているのは、米軍兵士への膨大なインタビューによって戦場の現実を再構成したことだ。「平凡な一般人の崇高さに敬意を抱く」ことを大事にしたハルバースタムが、十年以上の時間をかけ、ひとりひとりに聞き取り記録した。米軍兵士が如何に苦戦したか、かれらは苦渋を持って語る。──マッカーサーの誤算によって、兵士たちは朝鮮北部の厳冬下、夏服のまま進攻を命じられた。幕僚の愚策により、部隊は分散され、孤立状態にあった。そこにチャルメラの不気味な音を響かせ、中国の大軍が襲い掛かる。中国軍は軽装備だったが、国民党軍との内戦で鍛えられていた。白昼は姿を隠し、夜に音も立てず移動した。日米戦争で圧倒的な力を見せつけた米国の空軍力も決定的な効果を持たず、朝鮮の山岳地帯での戦車の移動は困難をきわめた。北部からの細い退却路は殺戮の「ゴーントレット(鞭打ち刑場)」となった──。歴史の解釈は、今後、変わるかもしれない。だが、兵士たちの肉声は不朽である。

 朝鮮戦争での米軍の死者は3万3千、負傷者が10万5千。韓国軍の死者が41万5千、負傷者が42万9千、そして中国・北朝鮮軍の死者は秘匿されているが、米国の当局者によれば、驚くことに150万人にのぼるという。この数字の持つ意味は重い。米軍以上に韓国軍に多くの死傷者が出ており、中国・北朝鮮軍ははるかに上回る。「人海戦術」のもと、物量で勝る米軍の集中砲火にさらされ「ゼリー状の死」を遂げた中国軍兵士たちが、如何に凄惨な状況に置かれていたのか。おそらくそれは記録に残されない。しかし過酷な日米戦争を経験したわれわれ日本人は、誰よりもよく知っている。このことも決して忘れてはならない、歴史から見捨ててはならないだろう。


(営業企画部 佐藤高廣)


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