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2010年02月15日

『逝かない身体―ALS的日常を生きる』川口 有美子(医学書院)

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「技術は人を救う、難病や末期であればなおのこと」

辛い?苦しい?が繰り返されるなかでさまざまな工夫や智恵が生み出される末期の看病と、そこにたしかに存在する希望とを私は描いてみかったのですが……。そう思うとなおさら、今の医療は希望と祈りの時間を手放して、法の力で彼らを死に廃棄しようとしているような気がしてなりません。(あとがき・p. 263)

この本の持つ豊かな可能性と著者の魅力は書評空間で既に紹介されているので(注1)、ここでは、少し違った観点からアプローチしてみたい。それは技術(テクノロジーとアート)が人を救う、ということ、そこに希望があるということ、だ。

これは、あらためて強調するまでもないことのはずだが、しかし、難病や末期を巡る言説・思想・実践はこのことを忘れ、死へ、「自然な死」へ傾斜しがちなのだ。だから、生きているあいだは、なるべく安楽に、そう技術によって安楽に、生きればよい、と言い切ってしまおう。そのことをよく知る著者による本書はそのための絶好のテキストでもある。

「ALS的日常」を微視的に描写した第2章「湿った身体の記録」が特に圧巻だ。身体と様々な装置のスイッチの接触(もっとも有効な位置の探索)、身体の移動(巨大なリフト)、入浴(つるべ)、トイレ(おむつは「受容」ではない、「自立」だ)、瞼(サランラップ)、顎関節(開けておくか閉めておくか)、唾液(自動吸引装置)、水分(自己決定より水分補給)、食事(胃ろうをつくろう)といった問題にどのように対処したか、した方がよいか、ある意味「実用的に」詳述されている。人工呼吸器などのテクノロジーや

……私はアルミホイル、銅線、ベニヤ板、かまぼこ板、カセットテープの箱、ガムテープ、園芸用ワイヤー、軍手などを集めて、それらを切ったり貼ったり組み合わせたりして、ナースコールやスイッチ板、蛇管の固定などを工夫してきた。(p. 141)

といったアートによって患者もケアする側も救われるのである。楽しそう、などというとさすがに怒られるかもしれないが。とまれ、あとがきにあるような「希望」が存在することが、よくわかる。

難病や末期を思想的にあるいは心理的に語る本は多い。生命倫理と呼ばれる学問もある。しかし、本書に含まれる「即物的なこと」はあまり語られてこなかったのではないか。店頭には並びにくいかもしれない本だが(注2)、もっと知られてよい、と思った。


(注1)石井政之氏・2009年12月24日伊藤智樹氏・2010年1月29日
(注2)本書は医学書院の刊行。医書の流通は他と多少異なるため、一般書店の店頭にないこともある。またあるとしても医書・看護書の棚に纏まっていることがほとんどで、この本(あるいはシリーズ「ケアをひらく」)だけ人文書の棚にあることは少ないかもしれない。同業・同志諸君の蛮勇を期待したい。


(洋書部 松野享一)



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『キリストの身体―血と肉と愛の傷』岡田 温司(中公新書)

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ドーバーを渡ってメッス経由でコルマールまで車で行き、通名グリュネバルトの「イーゼンハイム祭壇画」を見たことがある。特に考えなどなく、ただ人口に膾炙した傑作をこの目で見てみたかっただけなのだ。しかしこの祭壇画は全く違っていた。救世主の身体は激しく傷付き、ウジが湧き、腐敗が始まっている。惨めに汚れたキリストの死。岡本太郎はこの絵を「西洋の傷口」と呼んだ。
本書は、キリスト身体の表現という、その重要さにもかかわらず正面切って語られることの少ないテーマを取り上げることで、西洋思想の屋台骨に触れようとするものである。単なるウェハース(=パン)がどうして聖体となり得るのか、キリストの傷口はなぜ右胸部にあるのか、美しいキリスト/醜いキリストとは何か、ワインがキリストの血であるというのはどういうことか、など。ちょうど晩酌をやりながら各テーマを手繰るのも良いだろう。

誰もが気づくことだが、ナザレのイエスにまつわる諸伝承は、それが四大福音書であろうが使徒言行録であろうが、少年から青年への思春期についての記述を欠いている。どの伝承もこの驚嘆すべき人物の青春の悩みを詳らかにしない。説話的な道具立て(十字架や、マグダラのマリアや、泣き崩れる聖母や、十二使徒といった)のない生ける単体キリスト像は稀なのだが、キリスト教徒にとって決定的なアイコンの単体像/画が存在しないのもおかしなことだ。そうした単体像が、もししかし現実に存在したら、それは激しく異端性を感じさせるのではないか。

ローマのサンタ・マリア・キアーヴェ教会にある「十字架を持ったキリスト」とはそうした想起につながる作品だ。 作品の出来自体は、しかしながら、さほど圧倒的なものとは言えない。ミケランジェロ作と伝えられるが、人心を打つ力の強弱においては、この超人の傑作群にかなり引けをとるだろう。けれども、このキリスト像には類を見ない重大な特徴がある。このような異様な作品が、ローマのど真ん中のキアーヴェ(=鍵)教会に置かれていても良いのか?

陰茎を晒した救世主。この超人芸術家はご丁寧なことに、解剖学的な特徴(左側下位)も忠実に、タブーに属するこの作品を仕上げている。学説上はアトリビュートであって真作と完全に同定されないものだが、このテーマを彫る大胆さと勇気は弟子に求めるべくもない。よって、ミケランジェロ真作と言って差し支えなかろうとの意見だ(「解剖学者がみたミケランジェロ」篠原治道、金沢医科大学出版局)。

こうしたテーマとなれば、岡田温司「フロイトのイタリア」(平凡社)が解答を与えてくれるかも知れない。フロイトは大変なイタリアファンであった。旅先から妻に宛てた手紙はこの精神分析の始祖のイメージからは拍子抜けするくらい素朴で通俗的な内容であって、ブルクハルト的なカテゴリーによるイタリア美術史の傑作をご丁寧に(と、いうことはこの国への旅行では各都市巡りを意味するのだが)訪れている。ユダヤ人であるが故に当然ローマへの訪問を長年躊躇った。ミケランジェロの傑作「瀕死の奴隷」については詳細な分析を行っているこの性の専門家が、Santa Maria Chiave教会の奇怪な作品に言及していないのは残念であるが、フロイトは傑作が収蔵されている教会しか基本的には足を踏み入れないし、この時代にはattribute作品が人口に膾炙していなかったのかも知れない。著者の次の著作に期待することにしよう。

著者あとがきにもある通り、本書は既刊の「処女懐胎」「マグダラのマリア」と合わせて三部作を構成しており、興味のある向きには合わせてお勧めする。


(官公庁営業部 林茂)


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