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2009年08月27日

『ディオニュソスの労働―国家形態批判』アントニオ・ネグリ/マイケル・ハート(人文書院)

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 神は、ディオニュソスに対して、山頂に石を積み上げる永遠の労働を命じた。石は頂上に積むたびに崩れ、山麓まで転げ落ち、いつまでたっても苦役は終わらない。同じように、「長い目で見ればわれわれはみんな死んでいるだろう」(J.M.ケインズ)から、不死である道徳体=政府国家は基礎的慣習を保証する機能を持たなければならない、と結論するに至る。ケインズ主義において国家が自ら生産的な主体とならなければいけないことを自認する瞬間であって、このミッション遂行においては、最高に効率的な遂行形態=戦争、と、曖昧で平和的な遂行形態=公共投資、は、徳のありようとしては本質的な違いはないのである。金融危機解決のための財政主導が各国で叫ばれたとき、われわれは戦争の到来を触覚すべきであって「100年に一度の危機」を連呼する政治家に対しての免罪手形など容易に与えるべきでないということを、今一度ケインズを読むことから認識する必要がある。

 同僚の誰かが協働の呼びかけをしたときに受ける感覚は、嫉妬や引け目のようであってはいけない。われわれ一人一人が学習できることなど限られているのだから、聡明な人間ほど耳と心を大きく開いて、まるで他人が自分のために働いてくれているように―それはきっとただの思い違いなのだが―錯覚できる確信犯の才能を有している。処世術としてのそうした真実。フラットな組織に属している人びとが、日々をどう感じて暮らしているのか。<フラット>とはホームレスと金持ちが共にいるミクロコスム、つまり明白な差異の別名であって、学校教育のせいにはしたくないけれど、そうした手解きは受けていない、と叫びたくなるはずだ、と思っていたら、どうもそうでもないらしい。

 そうしたことに気付くための本だ。楽に生きたい人は読まない方がいい。ミクロコスムとしての世界は自分の手である程度は決められる。時間はあなたを待ってはくれないが、それは今のあなたにはどうでもよいことだ。


(官公庁営業部 林茂)


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2009年08月20日

『NPOと観光振興』清水一憲(あさを社)

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「若者の強き言挙げ」

 新世紀を迎え9年。今も尚、日本を取り巻く環境は大きな転換期を迎えている。
 その大きな転換の流れの1つが地方分権問題である。

 従来、我が国の体制は中央集権であり、それが確立した時代には当時の必然性があったのだと多くの識者が指摘する通り、時代の要請と言うものであったと考える。
 確かに、安全保障問題を中核としたであろうその要請は、必然性そのものが無くなった訳では無いもののかつて程の必然性は薄らいだのが現状であり、国の財政難による地方交付金見直しの論議を含め、今や地方の自立こそが時代の求めるものになって来ている。
 しかし、地域は国家の構成単位であり地域の衰退は国家の衰退に連動する事を考えると、現状の寄生意識が存在する中での地方分権社会への移行は、国家の衰退をもたらす事になりかねない。

 著者はこの様な地方の時代が叫ばれる現在、産業構造の転換やライフスタイルの変化によって文化や観光の振興が地域活性化の大きな軸になりつつある事を予言し、群馬県藤岡市において「地域づくり」と「地域活性化」を旗印に「特定非営利法人(NPO法人)ヒューマンコミュニケーション」を20代の若者で結成した。
 そして、藤岡市制施行50周年記念市民自主企画事業に選定された「LOVEフェスタ3」と言うイベントを平成16年8月に400人のスタッフで開催し、5000人を集客し成功させた。
 特記すべきは先にも述べたが、設立当時、構成メンバーが20代だった事である。これは正に若い力が集結した事を意味し、自ら企画運営し成果を出したものの中では、史上最もメンバーの平均年齢が若い。

 著者である「NPO法人ヒューマンコミュニケーション」会長兼理事長の清水一憲氏は言う、「これからは、NPOが社会を形成して行く。行政や企業への依存から脱却し、各地域の市民自らが企画し、実践し、提言して特色をアピールして行く真の意味での市民による地域形成が必要である。それは、市民としてのネットワーカー達が集積するアソシエーションの可能性を意味している。そう、アソシエーションの可能性は始まったのだ。」と・・・。

 今年、日本文学館・出版大賞の特別賞を受賞した本書は、「若者の強き言挙げ」であると共に、研究と実践を地で行く清水氏が著した全てのNPO関係者に贈る究極のNPO理論書である。


(新宿南店仕入課 西山純一)


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2009年08月13日

『マッカーサー』増田弘(中公新書)

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「目からウロコの日米戦争史」

 マッカーサーといえば、コーンパイプをくわえて厚木飛行場へ降り立つ姿が有名だろう。余裕にあふれた勝利者の姿だ。しかしその行動はチャーチルに言わせれば「戦争中の数々の驚きの中で、もっとも勇敢なものである」というのだ。日本の降伏から二週間。米軍が占領しているわけでもない敵地だ。しかも厚木は徹底抗戦を唱えた海軍航空隊の根拠地であった。そこへ先発隊がいるとはいえ、数十人で降り立った。マッカーサーはとてつもなく勇敢で決断力に富み、また演出力に長けた軍人だったのである。マッカーサーの人物を象徴していて、「なるほど」と膝を打ちたくなる話である。

 そのマッカーサーとは、米陸軍士官学校をかつてない最高成績で卒業した最高級エリートである。父親も米陸軍高官だった。しかし彼は、見知らぬ者との会食を嫌う、自己意識過剰の非社交的な人物だったという。彼の医務官によれば「当惑し、恥ずかしかったから」らしい。マッカーサーは他人とはすぐに打ち解けない内向的な人物だった。これもまた驚くような話であろう。


 本書の功績は、マッカーサーの取り巻きグループ「バターンボーイズ」を初めて詳細に考察したことにある。そこで明らかにされるマッカーサーをめぐる人間模様、上司へ取り入る組織人の姿は興味深い。しかしそれ以上に本書の功績は、日本占領以前の「知られざるマッカーサー」を掘り起こしたことにある。読者は、米国軍人のリアルな人物像、また戦争への取り組み姿勢を知り、太平洋戦争史を米軍の視点から捉え直すことができると思う。

 例えば「玉砕」について。日米開戦後、米フィリピン軍はバターン半島とコレヒドール島へ追い詰められる。弾薬と食糧を欠き、その様相は戦争後期の日本軍の数々の島嶼戦を思わせる。マッカーサーは部下に最後まで戦うことを命じ、自身も一兵となってまで戦うことを決意した。まさに玉砕戦である。しかしルーズベルト大統領は、マッカーサーへの脱出命令と、現場での降伏の許可を下す。日本軍とは違い、米軍は玉砕しなかった。どちらが歴史的に正当だったか、明白であろう。

 それから「油断」。命令を受けたマッカーサーはどうやってコレヒドール島を脱け出したのか。航空機か潜水艦か。いずれも否。マッカーサーたちはPTボート(魚雷艇)四隻に分乗してフィリピンを離脱した。大胆で危険な選択だった。快速とはいえ、戦闘力に乏しい小艇である。日本軍に見つかったら、ひとたまりもなかったはずだ。実際、日本の巡洋艦に遭遇し、息を潜める事態になった。ところが日本軍はボートを見つけることはなかった。奇跡的な脱出劇だった。日本軍は完全に裏をかかれたのだ。この緒戦の油断が、やがて全体の綻びへ繋がっていくことは、歴史が語る通りである。

 そして再度「勇気と決断」。戦争後期のレイテ海戦。マッカーサーは米軍が上陸中のレイテ湾へ日本の戦艦が一隻でも侵入すれば作戦が失敗に終わることを悟っていた。だが日本の栗田艦隊はレイテ湾へ突入せず、反転した。多くの人が知る史実だが、マッカーサーの視点から眺め、また彼の圧倒的な決断力を知ることで、我々日本人はあらためて嘆息することとなる。


 本書『マッカーサー』は五百頁に迫る大冊だが、鏡の向こうの世界を知るようで飽きさせない。目からウロコの思いがしばしばだった。アジア近代史・太平洋戦争史、そして危機下の人間の行動について関心のある方に、おすすめの一冊である。


(営業企画部 佐藤高廣)


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2009年08月07日

『本は世につれ―ベストセラーはこうして生まれた』植田康夫(水曜社)

本は世につれ : ベストセラーはこうして生まれた →bookwebで購入

「本は世につれ?」

ベストセラーというと、どういうイメージだろうか?
書店の目立つところに、やたらと積まれている。あれがコワくて書店に行けないという人がいる。気持ちはわかる。自分もベストセラーはめったに読まない方だ。

しかし、歌の世界で、ある時代までは「流行歌」が世相を映す鏡であったように、ベストセラーを通して見えてくるものがある。

植田康夫『本は世につれ ベストセラーはこうして生まれた』(2009.03 水曜社)は、「東京新聞(中日新聞)」人気連載の単行本化である。過去にも『ベストセラーの社会史』などの著書があるが、「週刊読書人」編集主幹で業界通である著者は、戦後から現在までの「売れる本」をつくるために粉骨砕身した人間たちのドラマに焦点を当てて、さらりとした読み物に仕立てた。

昭和二十年、敗戦の年のベストセラーが『日米会話手帖』というのが凄い。占領軍がやって来れば、昨日まで敵性語とされた英語がたちまち必要とされる。そこに目をつけたのは、雑誌「子供の科学」などで知られる誠文堂新光社。早くも終戦一ヶ月後の9月15日に店頭に並び、360万部を売り上げた。社長が天皇の玉音放送を聴いて即座に企画したという伝説が生まれたほどの早業。この創業社長は、自らの人生にも鮮やかに幕を引く。どこまでもすばやかった。

このエピソードを筆頭に、出版屋という者は、果断に富むが、売れるためなら何でもやる、えげつないところがある。

昭和二十三年、「週刊朝日」の名物編集長・扇谷正蔵は、太宰治入水心中の報を聞くや、愛人の手記を何としても取って来いと編集部員に命じる。そして、『斜陽』は、この年のベストセラー第一位となる。

昭和二十一年のベストセラーだった尾崎秀実の獄中書簡集『愛情はふる星のごとく』も、このタイトルでなければ、あんなに売れたかどうか。「戦後」は今では驚くほどカタい本が売れたイメージがあるが、そのころの「売れる本」にもさまざまな演出者がいたことだ。

昭和三十年代は、カッパ・ブックスを興した神吉晴夫の時代。強烈な個性で時代の欲望をつかんだ人間のドラマは、何度読んでも飽きない。『欲望―その底にうごめくもの』はタイトルで売れたハシリ。しかし、また、その後の草思社まで、ベストセラーの「つくられた」感が見え透いてきたきらいはある。

映画最盛期に次いではテレビ時代の到来で、メディア・ミックスも盛んに。『愛と死をみつめて』は、ラジオ、テレビ、映画と順々にタイアップしてヒットする。それを徹底させたのが、ご存知、角川映画というわけ。

リアルタイムで記憶にあるのは、ようやく『積み木くずし』あたりから。あのころは不良少女のドラマがなぜか多かった。夕方、近所の子供たちが集まって、そういうドラマを観ていたという個人的記憶がある。今よりはるかにテレビ時代だった。

リアルタイムで知らないが、山口百恵が21歳で引退する時に出した自伝『蒼い時』は、全て自分で書いたものだと知って、ちょっと感激した。書くことがあることと文才とは別物で、タレント本にゴーストライターはつきものだ。だが、稀にそんなドラマが生まれる。アイドルに「本物」感があった最後の時代を本が映した。

知っている時代の話に、かえってドラマ感が希薄になっているのはなぜか。愛と死のテーマ、タイトルのつかみ、メディアミックスを活用した宣伝…これらは、時代を超えたベストセラーづくりの定石である。ただし、繰り返されるうちに、マンネリになっているとも感じる。どのチャンネルを回しても同じ映像を流しているテレビに近くなっていないか…という自戒が胸をよぎる。

本の最後には、ブログ発のベストセラーにも触れられている。しかし、それも飽和状態か。出版業界の先行きは暗い。十年連続の落ち込みの上に、この不況で広告激減、雑誌廃刊が相次ぐ。「出版敗戦」という言葉もささやかれるほどだ。用紙不足で印刷もままならなかった時代、行列して本を求める人がいた。今はその混乱期以来の危機的状況だというのだ。

このような回顧企画の裏には、どうしてよいかわからず、原点を見つめるしかない出版人の苦境がある。一つ言えるとすれば、いつの時代にも人間が求めるのは人間だろうという平凡なことである。ベストセラーを求めた人間たちのドラマにも薫る人間味があった。同著者による続編『雑誌は見ていた』も、近日の出版が予告されている。


(洋書部 野間健司)


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