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2013年09月03日

『山里に描き暮らす』渡辺隆次(みすず書房)

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「そもそもが居候、キタリモンをきめこんだ絵描き屋の庭はアジールとなる」

《なんにしても、群れるのはイヤ》。東京で絵を教えながら画家として過ごしていた渡辺隆次さんは36年前、38歳でひとり八ヶ岳南麓に土地を得てアトリエをかまえる。「キタリモン」(土地の言葉で、よそもののこと)ながら地元のキノコ採り名人にも種類を尋ねられるほどのキノコハカセとなり、『きのこの絵本』(ちくま文庫 絶版)というエッセイ集もある。本業では、キノコの胞子で文様をつける「胞子紋」を考案して連作を続け、武田神社(甲府市)菱和殿に奉納した天井画にもキノコを多数描いている。


暮らしぶりはどうだろう。真夜中にバイクで道なき道を行くのはキノコをはじめとした山麓の生き物たちに逢うため。近頃の散歩は《雄大な風景のなかにクルマごと》。《なに、さみしい人間は、おおかたが道には詳しいのである》。プールでは果てしなく泳ぎ、喫茶店でコーヒーを飲み、八ヶ岳を眺める。ノラ猫にゃーごとは《深い仲に近づきつつあるが、絆は餌》。群れず点在する画家たちとの晩餐。夜ごと庭に立ち空を見上げるのは《自分がいまいる惑星の、宇宙での位置を確かめる必要から》で、《この地で生きつづける日々を、穏やかにしずめ気を取り直すための儀式》。リコーダー。草刈り、薪割り、霜焼け、買い物、食事の準備。
絵筆を折らないためには、一匹の虫のように呼吸のできる営為(それが私にとっての描くということだが)と、ほんの少しの才能に加え、貧乏上手という粘り腰的能力が必要だ。文字通り、霞を食って生きつなぐこともある。

絵を描き続けるための毎日なのだ。

     ※

「絵描き屋さん」が山麓で暮らすための智慧はみな村の古老たちが教えてくれたそうである。食事に費やす時間にいらだったときには、「一丁前の男なら、自分のめしぐれぇ作れるのが当たり前ズラ!」「人間は死ぬまでな、自分の力でめしを食いつづけるのさ。そうすりゃあ、お迎えが来ても、あいよって自分の両の手の平を見ながら、おさらばできるっつうこんさね」。

絵描き屋は食事を日に2度とした。しかし最低7品は欲しい、梅干しを1品と数えるにしても、という。厨房では指揮者となる。梅干しはシンバルか。《厨房に入れば、ゴールの見えぬ現実上の惨めさも多少は霧散していく。ウマいマズいはともかく、炊事作業は無事に終楽章までたどり着ける可能性が高いからだろう。それでずいぶんと癒された》。快活饒舌にふるまう姿を想像する。もしかして、絵を描くこと以外のすべてが儀式なのだろうか。衣食住を整えるひとつひとつが。何のための?

群れることを必要としない魂が地球におりる。もとから居候ながら、しかし留まるための塊が必要――。人の肉体は格好の塊だろう。地球さん、いっときお邪魔いたします、少しの食べ物と少しの場所を、この塊に分けてくれ。渡辺さんの暮らしぶりを見ていると、そういう魂と塊が見えてきた。

     ※

神樹(ニワウルシ)について書いた一節がある。農地整備で一帯が伐採される十月前、根株からおびただしい新芽が生えたという。
それはさながら、四季を通して小宇宙を見るような、狭い林地に繁茂していたすべてのものにいえることだ。世界が在るためには、一米四方で充分。一万年といえども、彼らは暫時、仮眠中。山野が地中に貯えるいのちは計り知れない。私にはそう見えた。
 だとすれば、いのちの豊潤さは、私たちがいま立っている地表の種々(くさぐさ)にあるのではなく、むしろ暗い地中にこそ、と思えてくる。

そしてキタリモンの画家の庭は、開発の手を逃れてアジールとなった。今日も草むしりをしながら、画家は棲みついた草花を数える。シュンラン、スズラン、ギンラン、アヤメ……、最後にエカキヤ(絵描き屋)と言い添える。これもまた儀式のように見えてくる。

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2013年02月24日

『S先生のこと』尾崎俊介(新宿書房)

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「愛弟子の独り語りを夜中に聞く」

本格的にアメリカ文学を学ぶ意欲に燃えた大学3年生の尾崎俊介さんは、ゼミの教授のすすめで宮口精二似のハンサムでスリムだがとっつきにくいS先生こと須山静夫先生(1925-2011)の授業を受けることになる。非常勤の先生のお手並み拝見とばかりに始めたが、古武士然とした風貌から振り下ろされた刀のごときひとことをきっかけに真っ向から向き合うようになり、やがて自宅にも訪ねるようになる。本棚や地下室を自作したり庭の草花の種類を数えたり、本を読むときには必ずノートをつけるといった徹底ぶりは仕事でも同じで、訳す作家の全作品を読んで言葉の好みや癖、考え方までつかむものだから、作家についての論文もいつも必ず書き上げてしまう。ある言葉の解釈に迷ったら「この言い回しを別の作品で○回、こういう意味で使っている」といった分析をし、〈作者の頭の中に浮かんだ言葉の順序を、翻訳者が勝手に変えてはならない〉と、原文の語順にも忠実であろうとしたそうである。


オコナー、メルヴィル、『ヨブ記』を下敷きにした戯曲など課題が難解であるほど、自分たちへ投げられたチャレンジと思ったと尾崎さんは書いている。最初の妻を病気で失い息子を車の事故で亡くしたご自身の境遇を重ね読んでいることなど、学生に知らせる由もない。先生にとって〈文学作品を読むことは人生を賭けた一大事だった〉が、あるときから授業でアメリカ文学作品を読むことをきっぱりとやめ、聖書を講読し、還暦を前にして原書で『ヨブ記』を読むためにヘブライ語を独学し、エルサレムに巡礼にもでかけたという。愛する人に先立たれた自分を生きるために、須山静夫さんは文学と信仰を携えた。

     ※

ウィリアム・スタイロン『闇の中に横たわりて』(白水社)、フラナリー・オコナー『賢い血』(筑摩書房)、ハーマン・メルヴィル『クラレルーー聖地における詩と巡礼』(南雲堂)など優れた訳業を残したアメリカ文学研究者の、ストイックな精神をあらわにする人物伝である。しかし、読み終えてのこの穏やかさは何だろう。恩師の訃報を受けて1週間あまり、途方に暮れた愛弟子が声高に誰かに聞かせるでもなく思いつくまま恩師について独り語りしているのを、盗み聞きしたようである。夜ごとの楽しみのようにしてついにすべてを聞き終えたとき、すぐにそれを誰かに言いたいとは思わなかったし、この本の頁さえすぐにはめくり返したくなかった。しばらくほおっておいてもらいたいーー。読後の余韻を今度は自分が独り語りしたかった。

なぜだろうと考える。抑揚のない丁寧な言葉遣い。誰かに語りかけるような、それでいて相手を感じさせない。ときおりの長い引用。若き日の意気がり、そのときの精一杯。同じ研究者となった今だからわかること、戸惑い、憧れ、笑い。よどみのない語りはこのお二人のよどみない関係そのものである。前後する時間は筆者のこころに浮かんだ順番そのままのようで、それぞれの人生のうちの30年を親しく過ごしたお二人の、30年以外の長い時間を感じさせる。よどみなく語られた30年以外の時間はこのあとどんどん長くなる。長く、前後に深くなり、穏やかになる。

そうだ、これは尾崎さんが、ご自分の30年に重なった須山先生の30年を、恩師の翻訳哲学を踏襲して”翻訳”してみせたのだ。フォークナーの『八月の光』を訳しながら登場人物のリーナ・グローヴの涙にいっしょに泣いた恩師のように、恩師の小説「ボイジャー二号に乗って」(短編集『腰に帯して、男らしくせよ』所収)を読みながら尾崎さんは泣いた。本書にはその一部が引用されており、尾崎さんが読みながら泣いてしまったと書いたところを読む前に、そして私も泣いていた。訳書を読み誰もが直に泣いている。

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2011年07月17日

『住まいの手帖』植田実(みすず書房)

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「私の家の姿は私が覚えている」

解体前の友人の家の掃除を手伝った。もの作りの好きな三世代が暮らした一軒家で、そこかしこに手作りの気配がある。「必要なものはすべて運び出したから、欲しいものがあったらどうぞ」と言うので、なにかの端材で作った小箱だとか流木を磨いた小物掛けだとかを持ち帰った。「こんなもの、どうするの?」と友人。使い込んだ本人にはわからないテカリやヌメリに、なぜか他人は惹かれるものなのだ。掃除を終え、庭にたっぷり水を撒き、雨戸をしめた。数日後、更地となって間もなく、いつものように庭に咲いた水仙を隣の人が鉢に植え替え届けてくれたそうである。植田実さんが月刊「みすず」に「住まいの手帖」として連載しているエッセイから60篇をまとめた本書を読みながら、この日のことを思い出した。

     ※

建築関係の雑誌や書籍を長らく編集され関連著書も多い植田さんが、特定の建築物や施主、建築家にふれるおりにも名前を記さず、建築家の作品でも施主にとっての見本でもない誰にでもある住まいとしての家と、それぞれの構造物に漂う気配を描く。〈気まぐれに近い記憶を追いながら、ただ自分なりにたしかと思える住まいというものの感触だけを探ってきたつもり〉と、生まれ育った東京・下北沢の家や疎開先での思い出を繰り返し語っているのが印象深い。その口ぶりは懐かしむというよりも、なにかを確認しているようだ。戦災で失った生家の近くを訪ねたようすには、土地や近隣のひとびとの気配を感じることで自身の記憶を強固にしているようにみえる。疎開先の家を思い出すところでは、住まいとしての記憶が欠落している理由を後年聞かされ納得する。猫と暮らした土地のことは、猫が歩く塀の上や生垣のあいだを当時追っていた目線で再現している。かつて無性に蚊帳が欲しくなり譲ってもらったという逸話では、蚊帳という実物がなくなって思い出だけが残るような恐れがあったからかもしれないと書いている。

     ※

思えば記憶はいつも断片的で、思い出とはその限られた記憶を駆使することで、おおよそ好ましいものになる。植田さんは最後にこう書いている。
私の家の姿は私が覚えている。

自分の家やそこで過ごした時間のことは、覚えているようでいて忘れていることのほうがよっぽど多い。家がなくなればさらに思い出すきっかけが減り、忘れてゆくことだろう。それでも、自分の家の姿は誰より自分がいちばん良く覚えていると強く思うと、失った建物やそこで暮らした家族、訪ねてきた友人知人、そしてもとから記憶されなかったことも忘れたこともすべてひっくるめて、自分のこころに引き受けられるような気がする。ひとが住まう「家」という構造物は、そのためのよすがとさえ思われる。冒頭に記した友人にこの本を送った。生家が物理的に残っている私には想像することしかできないが、いつかやってくるその日のために、自分の胸にもこの言葉を送った。

     ※

表紙写真は植田さんが撮影したもの。「空き地の絵葉書」とタイトルしてある。「植田実写真展―空地の絵葉書」として2010年のはじめに「ギャラリー ときの忘れもの」(東京)で展示された写真の1枚で、記録によると「1933年フランスのアインホア、バイヨンヌ近く」とある。植田さんは本書と同時に、ファンタジーや児童文学の読書案内をする『真夜中の庭——絵本空間論』(みすず書房)も刊行しているが、こちらの表紙写真もこのとき発表したものだ。長年建築物を訪ね旅してきたあいだ中、ときおりフレームから建物を消して周囲の気配をそっと記憶してきたのだろう。写真はその気まぐれな記録でもある。

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2010年08月11日

『朝日のあたる川 赤貧にっぽん釣りの旅二万三千キロ』真柄慎一(フライの雑誌社)

朝日のあたる川 赤貧にっぽん釣りの旅二万三千キロ →bookwebで購入

「体だけは丈夫でな」と津々浦々でじいちゃんばあちゃんが言っている

ミュージシャンをめざして上京して3年。実力を思い知り早々に最初の夢を断った「僕」。手持ち無沙汰に、ふと釣りをしてみたくなる。子どものころ毎日のように遊んでいた川で見て憧れた「大人の遊び」、フライフィッシングを思い出したのである。まもなくフライフィッシングのための生活が始まる。趣味を通した友人が増える。働く目的がはっきりしているからバイトも順調。27歳になってバイト先の先輩から週に一日店をやってみないかと声がかかる。うれしいけど不安、なにより釣りから遠ざかってしまうのではないかという心配。悩んだすえにこう告げる。「釣りをしながら日本一周の旅がしたい」。つきましてはこういう気持ちで働くのは中途半端で苦しいからすぐに辞めさせてほしいと言う。なんとも義理がたい「僕」なのである。

     ※

100万円の資金で旅が始まる。「赤貧の」とあるけれど、友だちから餞別にとずいぶん食料品や酒、竿なんかをもらったようだし、各地で友人知人の実家にお邪魔してるし、折々にカノジョや友だちが旅先に訪ねてくるしで、たくさんの人の夢を車に積んだ心にリッチな旅である。九州から北海道まで23000キロ、日本広しと言えどもどこでも日本語が通じ、一番の目的は釣りであるから川をめざすのでそこには美しい自然があり道路もあり、温泉があり水がある。いかにもひとなつっこくて礼儀正しそうな著者の前にはやはりひとなつっこくて礼儀正しそうな各地のひとがあらわれ、「僕」はすぐうれしくなったり寂しくなったり、圧倒されたり満足して釣りを続ける。

     ※

山形の実家にも立ち寄る。じいちゃんばあちゃんに今の自分を説明するが、仕事もしないで車に寝泊まりして釣りする毎日なんてわかってもらえない。お互いに疲れたころ、じいちゃんが言う。「まあよく分がらねげど、体だげ気をつけでな」。続いてばあちゃんが言う。「んだ。体だけ丈夫でな」。僕のじいちゃんばあちゃんだけじゃなく、こんなふうにひとの生き方をそのままうけいれて健康を願い、自分のできることを差し出してくれるひとがこの日本にはたくさんいます、僕はこの旅でそんなひとにたくさん会いました、ほら見てください、あなたの近くにもきっといるし、あなた自身がそうかもしれない。真柄さんという方はそういうことを書かないけれども、真柄さんの美しくしなやかに伸びたラインはそういう人々に届いていて、そしてそのことを、私たちはこの本を読んで知ることができるのである。

*版元のウェブサイトhttp://www.furainozasshi.com/で第一章と解説を無料公開中(8月11日現在)。

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2010年06月27日

『山人の話 ダムで沈んだ村「三面」を語り継ぐ』語り手・小池善茂、聞き手・伊藤憲秀 (はる書房)

山人の話 ダムで沈んだ村「三面」を語り継ぐ →bookwebで購入

見えないものへの思いをたぐりよせる「聴き語り」の力

新潟県北部。河口からたどると、松山、村上、千綱、岩崩、三面を流れる三面川の上流に作られた奥三面ダムのために、三面地区は昭和60年9月に閉鎖された。朝日連峰の山中にあって、一番近い隣の集落でも山形県小国町の入折戸までおよそ10キロ、新潟県朝日村岩崩までは20キロメートルと離れている。昭和58年にスーパー林道が開通するまではとにかく移動は歩くしかなく、それでも自給自足で37,8代、立ち退きをせまられるまで継がれた暮らしがある。昭和8年、その三面地区に生まれた小池善茂さんが、昭和15年〜20年代ころの暮らしを中心に「部外者に教えると不幸があるとされてきたことがらも、ここで残さなければそれまで大事に守られてきたものがわらなくなってしまいかねない」と、狩猟、焼畑、行事、建物や道具について語ったのがこの本だ。

     ※

三面地区では、圧倒的に長く孤立する冬に備えるためにそれ以外の季節の暮らしはある。春、一番にやるのは薪集めで、表面が堅くなった雪の上を歩いて薪を伐って川のそばに集める。川の流れをを利用して家まで運ぶのは8月になってからのこと。春の山菜も、乾燥させたり塩漬けにして冬に備える。冬には冬で、縄ないや機織り、そしてカモシカ狩りがある。冬のカモシカの毛皮は綿毛があって温かく、ここでの生活には必需品。寒中の狩りはことに危険だから、役割、言葉遣い、道具、装束、日にち、方角、山の神への祈りなど厳しいきまりを設けて自らの命を守る。「獲物である動物をどう見ていますか」、との問いに応えるかたちで小池さんは、「大きかろうが小さかろうがとにかく山の神様がそういうふうに授けてくれたということ」と語る。授けてもらうためにはやってはいけないことがたくさんあって、それを厳密に守ることが大前提なのだ。

     ※

山の神に授けてもらった動物は、そのまま集落の中に運び入れることはない。いくら小さくても、そのまま持ち帰って飼うことは決してなく、むしろ皮を剥ぐ最初の切れ目だけでも入れておく。仏様との区別をするのだと言う。たとえば、獲物を里に持ち帰る途中で休む場合は山側の道の傍らに少し高くなるように置くが、山で亡くなった人の場合には、集落の方に顔を向けて道に安置する。山で休むときに両手の指を組まず、両膝を抱えないのは、棺桶に入ったときに両手の指を組み両膝を抱えるからだと言う。男衆が山に行っている間、家族は寺に行かないし、家族に生死があれば男衆は山に行かない。神と仏、獲物と人、また、亡くなった人と生きている人を厳密に区別する。それぞれの域に踏み込むことをせず、誤解を招くことも控え、そして、一緒に暮らす。

     ※

小池さんの話を聞いている伊藤憲秀さんは三面生まれではない。まとめるために6年間、新潟に移り住んだそうだ。話を丹念に聞くほどに細分化して途方にくれたこともあっただろう。伊藤さんはそれを図にあらわすことで整理し、三面を立体的にとらえたようだ。その図の一部が、この本に付されている。狩り・行事・生態・栄養素の関係が図示された【三面の全体図】とカモシカとクマの【狩りの図】だ。伊藤さんはこの図を解説するという方法で、小池さんの語りに言葉を添える。

 三面の人々は、月の満ち欠け、山境のある道、神棚など目に見えるものから、目に見えないものを感じ、その見えないものの世界につながっていたのかもしれない。
……
 もし、目に見えないものとのやりとりが、人にとっての目に見えない部分——心や魂にとって必要な栄養分のようなものなら、それは世の中がさまざまに発展していっても、変わらずに大切なものと思われた。
……
 今の生活の中で、目に見えないものを感じ取る感性を思い出せたら、と思う。もともと人に備わる記憶のひとつと期待したい。語り手の話は、それをたぐる糸車なのである。



あとがきに伊藤さんご自身のことがある。右足を失っていて、「そこだけ、どこか先に行っているような、よく分らない感覚」があり、「ものすごく遠くにいったとは思」うが、「見えないものを意識するきっかけになった」と言う。この本が、失われた三面の暮らしの記録でありながら寂しさを感じさせないのは、伊藤さんの、見えないものを意識する感性によるところがとても大きいように思う。


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2010年04月18日

『ラジオ深夜便 母を語る』聞き手・遠藤ふき子(NHKサービスセンター)

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「すべての「母」に贈りたい」

NHKラジオの「ラジオ深夜便」は今年で20年をむかえたそうである。昭和天皇のご容体報道に備えてはじめた深夜の放送が、緊急報道を第一にして今も毎晩静かに流れており、人気のコーナーがいくつもある。なかで「母を語る」というおよそ1時間のインタビューは1995年から遠藤ふき子アンカー(隔週で番組を担当するアナウンサーをこの番組では「アンカー」と呼ぶ)が聞き手をつとめ、現在も月1回の放送が続く。これをまとめた3冊目の本が『ラジオ深夜便 母を語る』で、刊行時(2009年9月)までに放送で伝えてきた158人の「母」の中から、10人の姿を再録している。

もくじより


母を一人の人間として振り返るとき(谷川俊太郎・詩人)

スノビッシュな女性でした(山田洋次・映画監督)

母の第二ラウンドを戦う(林真理子・作家)

死の床で得た母との和解(山折哲雄・宗教学者)

平凡に生き、平凡に死んだ(新藤兼人・映画監督、シナリオライター)

ぼくの絵にはみな母の空気がある (中島潔・画家)

祖父と母、母と私(青木玉・随筆家)

母に捧げる子守唄(松永伍一・詩人、エッセイスト)

実の母と、育ての母と(やなせたかし・漫画家)

世話さしてもろうて、ありがとう(綾戸智恵・ジャズシンガー)


いずれの母子も苦難と喜びをともに過ごした逸話にあふれていて、成長した「子」が穏やかに振り返り、「母」の生きた時代の匂いまで感じさせてくれている。読みながら、私自身の母に思いが及ぶ。母と私には「語る」ほどの逸話はないが、母が生きた時間への単純な敬意を覚えて、母に、それは私の母に限らずすべての「母」に、この本を贈りたいと思った。生まれた限り誰にも「母」がいて、誰もが「母」を考えることができるというのはすごいことだと、そんな当たり前のことを強く思った。


あとがきに、遠藤ふき子さんが書いている。ご自身の母親としての悩みが、このインタビューをはじめたきっかけだそうである。自分の経験だけにとらわれて一喜一憂していたのが、いろいろなお母さんの話を聞いて、親子の関係も母親の生き方もさまざまあるという当たり前のことに気がついて、すっと楽になったそうである。今まさに子育てで悩んでいるお母さん方にも、この本を贈りたい。ご自身の中にある「母」をそのままに感じられるように、10組の母子と遠藤さんがきっと背中を包んでくれる。


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