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2012年11月23日

『BOOKS ON JAPAN 1931-1972 日本の対外宣伝グラフ誌』森岡督行 (ビー・エヌ・エヌ新社)

BOOKS ON JAPAN 1931-1972 日本の対外宣伝グラフ誌 →bookwebで購入

「"日本の対外宣伝グラフ誌"の、美しい宣伝グラフ誌」

タイトルにある1931年から1972年は満州事変から札幌オリンピックに重なる。東京・茅場町で古書店を営む森岡督行さんが、この間に刊行された"日本の対外宣伝グラフ誌"から106点を選んで、時代の流れに対応させながらそれぞれの表紙と中ページの写真を載せてコメントを添えた。

"対外宣伝グラフ誌"と聞けば、日本工房の『NIPPON』(1934-1944)や東方社の『FRONT』(1942-1945)など戦時下に国策で編まれた雑誌ばかりが頭に浮かぶが、鉄道省国際局発行の観光案内や、国の主要輸出品としての羊毛、真珠、自転車、ミシンなどの業界団体が作るカタログ、今では版元の所在がわからないが不思議な国ニッポンを伝えた雑誌まである。戦前、国際観光局で対外宣伝を担当していた井上万寿蔵が残した言葉、「露骨な外交工作や政治宣伝がなんらの効果をもたらさぬ場合でも、婉曲な観光宣伝だけは大手をふって外国にはいっていけるのである。そこに観光事業の弾力性があるのであり、いかなる時局にもめげぬ強みがあるのである」をひいて、〈このことは、観光宣伝に限らず、輸出商品カタログ、博覧会カタログ、オリンピック案内の類にも通じると考えました〉として、"対外宣伝グラフ誌"という言葉に弾力性を与えた。「対外」に、そのつど美しい印刷物で「宣伝」された日本のさまざまな側面が、弾力性を持って本誌から浮かび上がってくる。

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コメントには、制作者についての端的な紹介もある。『戦争のグラフィズム』『焼跡のグラフィズム』などの著書で『FRONT』と東方社について明らかにした多川精一さん(1923-)は『FRONT』で原弘(1903-1986)の助手を若くしてつとめていたし、『ファーブル昆虫記』などの細密画で知られる熊田千佳慕(1911-2009)は『折本・日本 NIPPON』(1938)のデザインをしていたことなどが記される。『FRONT』で中心となっていた原弘、木村伊兵衛(1901-1974)をはじめ制作に携わっていた人の多くが戦後も仕事を続け、グラフィックや写真の世界を牽引してきた。戦前戦中の対外宣伝物は特別な誰かが作っていたわけではなく、グラフィックデザイナーや写真家としてのそれぞれの人生が、その時代に重なったのだった。宣伝せんとする日本のありかたが大きく変わり、復興と成長を伝え、記録することになっても、美しい印刷物のために変わらぬ情熱が注がれた。本書に並ぶ美しいグラフ誌をながめていると、なぜかそうしたことに思いが強く移っていく。

『戦争のグラフィズム』にあった木村伊兵衛の逸話を思い出す。東方社の写真部長だった木村は1942年、薄い紙に刷られた米国国家宣伝雑誌を手にして「いや参った。負けたな」と大声で言う。ロシアの『USSR』を範として重厚な作りで邁進していた『FRONT』誌が、その重さが災いして輸送に支障をきたしていた時分に、米国では既に航空輸送を想定した薄く軽い紙、しかも両面印刷に耐える紙が開発されていたことを思い知った瞬間だった。戦地になくても、宣伝という持ち場での戦いがあった。それぞれが、吹きっさらしの最前線を生きていた。

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あとがきに、〈木村伊兵衛はたとえ請負仕事でも、自作のサインのようにして「手」をイメージにおとしこんでいたように思う〉と書いている。本書には、表紙カバーを含めて3カ所に「手」が写されている。古書店を営む著者にとって、古今東西の書物のページをめくる「手」というのは自家発電のタイムマシンのようなものでもあろう。その「手」を自著にまとわせ世に問うというのは、木村伊兵衛に包み込まれた者であると告白したようなものではないか。カバーにある冊子の写真を改めて見ると、告白の歓びと恥じらいを唇にたたえた微笑が、浮かび上がってくるようだ。

木村伊兵衛のみならず先人への敬意と美への信頼に満ちた『BOOKS ON JAPAN 1931-1972 日本の対外宣伝グラフ誌』は、"日本の対外宣伝グラフ誌"の、美しい宣伝グラフ誌なのだと思う。

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2012年11月04日

『わたしは菊人形バンザイ研究者』川井ゆう(新宿書房)

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「菊人形は日本人共有の秋のガーデン」

菊人形、あったあった。遊園地か公園に入ってすぐの右か左に並んでいた。菊の衣装がきれいというより、白々とした顔や手足が怖かった。NHK大河ドラマの一シーンかなにかだったのだろう。祖父母か誰かが足を止めて眺めていたから、手をひかれた子どもの私の記憶にも残った。本書の表紙カバーの色とりどりの菊人形に、思い出の中の怖さが可笑しみに変わってよみがえりページをめくる。巻頭カラーに「菊師」さんがいる。衣装である菊を「着付け」している。マネキン人形のようなものに花をはりつけているのではないのはわかるが、いったいどんな構造の胴体にどう花を活けているのだろう。続いて「着せ替え」と題された写真が数枚。生きた菊を「着て」いる菊人形は、時間の経過とともに衣装の色が変わるという。なるほど。

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菊人形のとりこになって20年、著者の川井ゆうさんは日本でただひとりの菊人形研究者だそうである。秋の季語に「菊人形」があり、日本では150年以上の歴史があるというのに、活字として残っているのは江戸時代の「江戸」でのことと、見世物として確立した明治時代の東京のことくらい。二葉亭四迷の『浮き雲』や夏目漱石の『三四郎』では東京の団子坂で楽しそうに菊人形を見ているようすが記されているが、あとは断片的に俳句やエッセイに残るだけという。全国各地の菊人形展をたずねては職人の話を聞いて作り方や興行を記録し、集めた資料から日本初の菊人形や私鉄開業との関わりを明らかにする。「見立て」「娯楽」のキーワードで菊人形を読み、菊=葬式花を決定づけたできごとも記す。〈活字に残された歴史と、残されていない現状を、活字に残して〉むすばねばとの意気込みだ。

菊人形の本体を作るのは、顔手足を作る人形師と、その他すべてを担当する菊師。人形師は江戸の時代から、山車の人形や人体模型、仏像、博物館の展示人形、のちのディスプレイ用のマネキン人形などさまざまなものを作ってきた。幕末から明治にかけては複数の人形を場面構成して舞台で見せる「生き人形」として、興行化にも成功している。いっぽう菊師は、まず菊を飾る胴体部分を竹などで組み(古くは専門とする胴殻師がいた)、「人形菊」の根を水苔でまいて胴体の内側に差し込み、枝をUの字型に曲げて花びらが上を向くようにして形を整える。日に一、二度根元へ水をやるなどの管理も行う。年に一度、今年の菊で彩る衣装を一手に握る、いわば菊人形というガーデンのプランナー。つまり菊人形は、日本人が共有できる秋の移動ガーデンなのだ。

これを知って今秋、湯島天神の菊人形を下からあおって見てみた。U字型の菊の枝の流れが見えて、袖口などの細工の微妙にも気づいた。蕾があるのはまだ始まったばかりだからで、これからどう変わるのかを想像する楽しみも知った。なにしろ衣装に初めて目がいった。もう菊人形は怖くない。

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冒頭に長い弁解がある。ときどき出てくる自虐的なものいいも、菊人形に向かって読み進めているときに邪魔になる。〈本書は研究論文ではないからね。そのつもりで読んでください〉と言われても、普段研究論文を読まない者には無用の宣言。ほんとうに〈ひろく読者のかたに読んでいただきたい〉のなら、ひたすらおおらかにバンザイして整理してくれたらもっとよかった。

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