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2012年10月09日

『老眼鏡』句・加藤静子 文・甘糟幸子、甘糟りり子(神無書房)

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「今日の日を、ため息をつくように詠んで眠りたい」

姉の加藤静子さんが詠む句に、忘れていた記憶をいくつも呼び起こされた甘糟幸子さんが、あるとき、アルバムの代わりに句集を作ってはどうかと思う。自分の楽しみで作っているだけ、ひと様に見せるものはないと拒絶されるが、幸子さんの文章を入れるならと話はすすみ、3冊の句文集『小抽出し』(1997)、『晩年』(2003)、『老眼鏡』(2009、いずれも藍書房)ができた。今度は「野の花司」のオーナーでもある神無書房の庄司さんが、この3冊を合本して出しませんかと静子さんに言うと、「ただの素人、公民館俳句です」。「だから面白い」と背中を押したそうである。


10〜20くらいの句と、原稿用紙6〜9枚くらいの文章が交互にあらわれる。順に読んでも、ばらばらに読んでも、単独で読んでもいい。句はどれもその人の暮らしの中にあることがわかって、そのことになにより強い憧れを持つ。海沿いで穏やかに暮らし亡き人や時間を思う句には、背景の具体的なできごとを知ることで増す鑑賞もある。

 亀鳴くや亡き友の文捨つるとき

詠まれた人を、幸子さんが書く。姉の親友で、月に一度長いおしゃべりをしていたこと、小さな諍いをしたこと。亡くなって、渡すはずだった雑誌を焼いた。預からねばならない訳があった。渡せない訳があった。見知った姉の姿を句に重ねて書くうちに、見知らぬ姉に会っていたように思える。

     ※

歳を重ねた自分への懐かしさが感じられて、面白かった。作者とは世代人格環境ともに共通しないのにそれでいて感じられた懐かしさというのは、そういうこととしか考えられない。一期一会に年齢は関係ないのに、二度と会えないかもしれないと目の前のできごとが妙にいとおしく感じる機会は歳を重ねるほど増え、決まった歳の差がある両親や姉兄に追いついたり追い抜いたりするのは歳をとるからできることだ。去りゆく親しい人を悼む気持ちのいっぽうでまた会える日が近づいていると思えるのも、歳を重ねるせいだろう。句を詠むにも年齢は関係ないけれど、“こころ”には年々言葉にできないものが溜まっていくから、言い当てられたときの喜びの機会は年々増えると考えていい。そんな喜びが、この句文集には満ちている、ということか。

幸子さんが、季語について言っている。〈季語という眼鏡を手に入れると、この世はもっと鮮明に見えるものらしい〉。〈季語という看板があると、平気で使っちゃうのって、ずるいじゃないの、などと乱暴な感想をいうことになってしまう〉。どちらの気分にも、うなづいた。俳句を詠みに祭やら雪見やらにでかける話を聞くと、歳時記をぬりつぶそうとか、季語をつかいきってやろうとか、そういう目的でないのはわかるが、私の中にもそんなような心根はあるものだから、あさましいと感じてしまう。歳時記で見つけた文字に沸く心を探すのではなく、沸いた心を言い当てる文字を歳時記に探す。おおまかな日付のつもりの季語を添えて、今日一日を詠んだ句をひとつ、ため息をつくように口にして、一日を終えることはできないものか。(いつの日か、できるかも)。さやけき声をこの句文集に勝手に聞いて、私はうれしい。

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