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2011年07月17日

『住まいの手帖』植田実(みすず書房)

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「私の家の姿は私が覚えている」

解体前の友人の家の掃除を手伝った。もの作りの好きな三世代が暮らした一軒家で、そこかしこに手作りの気配がある。「必要なものはすべて運び出したから、欲しいものがあったらどうぞ」と言うので、なにかの端材で作った小箱だとか流木を磨いた小物掛けだとかを持ち帰った。「こんなもの、どうするの?」と友人。使い込んだ本人にはわからないテカリやヌメリに、なぜか他人は惹かれるものなのだ。掃除を終え、庭にたっぷり水を撒き、雨戸をしめた。数日後、更地となって間もなく、いつものように庭に咲いた水仙を隣の人が鉢に植え替え届けてくれたそうである。植田実さんが月刊「みすず」に「住まいの手帖」として連載しているエッセイから60篇をまとめた本書を読みながら、この日のことを思い出した。

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建築関係の雑誌や書籍を長らく編集され関連著書も多い植田さんが、特定の建築物や施主、建築家にふれるおりにも名前を記さず、建築家の作品でも施主にとっての見本でもない誰にでもある住まいとしての家と、それぞれの構造物に漂う気配を描く。〈気まぐれに近い記憶を追いながら、ただ自分なりにたしかと思える住まいというものの感触だけを探ってきたつもり〉と、生まれ育った東京・下北沢の家や疎開先での思い出を繰り返し語っているのが印象深い。その口ぶりは懐かしむというよりも、なにかを確認しているようだ。戦災で失った生家の近くを訪ねたようすには、土地や近隣のひとびとの気配を感じることで自身の記憶を強固にしているようにみえる。疎開先の家を思い出すところでは、住まいとしての記憶が欠落している理由を後年聞かされ納得する。猫と暮らした土地のことは、猫が歩く塀の上や生垣のあいだを当時追っていた目線で再現している。かつて無性に蚊帳が欲しくなり譲ってもらったという逸話では、蚊帳という実物がなくなって思い出だけが残るような恐れがあったからかもしれないと書いている。

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思えば記憶はいつも断片的で、思い出とはその限られた記憶を駆使することで、おおよそ好ましいものになる。植田さんは最後にこう書いている。
私の家の姿は私が覚えている。

自分の家やそこで過ごした時間のことは、覚えているようでいて忘れていることのほうがよっぽど多い。家がなくなればさらに思い出すきっかけが減り、忘れてゆくことだろう。それでも、自分の家の姿は誰より自分がいちばん良く覚えていると強く思うと、失った建物やそこで暮らした家族、訪ねてきた友人知人、そしてもとから記憶されなかったことも忘れたこともすべてひっくるめて、自分のこころに引き受けられるような気がする。ひとが住まう「家」という構造物は、そのためのよすがとさえ思われる。冒頭に記した友人にこの本を送った。生家が物理的に残っている私には想像することしかできないが、いつかやってくるその日のために、自分の胸にもこの言葉を送った。

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表紙写真は植田さんが撮影したもの。「空き地の絵葉書」とタイトルしてある。「植田実写真展―空地の絵葉書」として2010年のはじめに「ギャラリー ときの忘れもの」(東京)で展示された写真の1枚で、記録によると「1933年フランスのアインホア、バイヨンヌ近く」とある。植田さんは本書と同時に、ファンタジーや児童文学の読書案内をする『真夜中の庭——絵本空間論』(みすず書房)も刊行しているが、こちらの表紙写真もこのとき発表したものだ。長年建築物を訪ね旅してきたあいだ中、ときおりフレームから建物を消して周囲の気配をそっと記憶してきたのだろう。写真はその気まぐれな記録でもある。

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2011年07月04日

『色へのことばをのこしたい』伊原昭(笠間書院)

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「超絶文系日本色見本帳」

広島の厳島神社を訪ねた昨秋、ちょうど引き潮で大鳥居まで歩いた。夕焼けに映え、暮れゆく闇に沈む鳥居は美しく、鹿にいたずらされながら石垣に腰掛けてずっと見ていた。鳥居の色は神社仏閣でよく見る朱色だが、夕陽に向かってそれと等しい色を発することで生まれる無色の域が大鳥居のシルエットを描いているようで、神社仏閣で見るどの朱色もみなこのような瞬間のためのように思われた。

この色を、「丹(に/たん)色」と呼ぶと本書にある。『万葉集』では「さ丹つらふ妹」や「さ丹つらふ君」のように若々しく美しい容貌を讃えることも多いようだが、これは「朱」も同じそうである。丹と朱について、丹は黄味を帯びた赤、朱(そほ)は黄味を含んだ赤、ともある。鳥居を丹色として朱色の代表を朱肉に見たとすると、二つの色の違いは明らかだ。DICの色見本帳でそれぞれ近い色の番号とそれにつけられた名前を記すこともできるが、丹は光を帯び朱は光を含む赤、大鳥居の記憶がある間はそんな風に断言してみたくなる。

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本書は、2006年に『日本文学色彩用語集成』全5巻(笠間書院)をまとめた伊原昭さんの、色にまつわるエッセイやインタビューを集めたものである。『日本文学色彩用語集成』は古典文学にある色を集め、上代一・上代二・中古・中世・近世と大別している。『万葉集』から江戸後期の『浮世風呂』などまで、色が描かれた原文を三十有余年かけて書き写した15万枚のカードが元になっている。

本書のタイトルの「色へのことばを残したい」は、2008年にNHKラジオ第2の「私の日本語辞典」に出演したときに伊原さんが用意した題名だそうである。「色のことば」ではなく「色へのことば」。色の呼び名に限らずもっと広く、時代時代に人々が色に対して感じ記した文学作品にみられることばをさしている。色に興味を持ったきかっけは、幼少時に疎開先の図書館で『万葉集』の原文の漢字によみがなのついた『万葉集古義』(全17冊)を1冊ずつ借り、空襲警報が鳴るたびに抱いて防空壕に入り、17冊すべて、一字一句ノートに書き写したことにあるそうだ。
写していると、読むよりはずっと体で覚えるというのでしょうか、(略)なんとなく覚えていきまして。それで作品の中に、色がよみこまれていると非常に風景が美しかったり、登場人物が素晴らしく美人だったりしますので、色に興味を持ちまして。

伊原さんは、書き写したノートの中の色の表記にしるしをつけるようになる。その数が増えるにしたがって、たとえば『万葉集』には白が多いことに気づく。子どものころから算術が好きだったそうで、数値化してその根拠を得る。ほんとに多い。なぜなのか——。白は、波や雲、雪など自然に関するものが多く、白波を"きよし"、雪を"さやけし"というように清らかさを感じていたようである。面白くなる。とりつかれる。少女・昭さんは成長し、大学で学び仕事についても研究が続く。国会図書館に勤務中は通勤電車でも資料を読み、用済みの図書カードの裏に記録を続けた。カードは15万枚になり、色の名前は近世に限ってもおよそ300種となった。

本書の巻末には『日本文学色彩用語集成』に集められた「色へのことば」が、かなと漢字で一覧されている。草木や鳥、土などを由来とするものが多いので漢字表記されたものの多くは想像のしようがあるが、「山吹のいはぬ色」「天川の玉」「陸奥紙」などおよそ検討のつかないものも多い。考えてみれば、白から黒にいたる灰色ひとつをとってもグラデーションは無限で、その色を歌に詠んだり日記に書くなら、コーポレート・アイデンティティのために限定するわけではないのだからどう言ってみてもいいはずだ。でもせいぜい濃い灰色薄い灰色、はたして灰色以外にことばが浮かばない。だが必要なのは色の名称ではないだろう。たとえば夕暮れといえば茜色、その色が失せれば"夜"とばかりに目の前から色を遠ざけるが、いよいよ暗くなるそのころを「雀色時」と呼ぶそうだ。今も外で雀が鳴く。雀の色はよくわかる。私たちはあまりにことば遊びを置き忘れている。

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こうしたことばがのこされることは、時代時代で風土に色を見、それをことばにしてきた日本人の感受性が伝えられることである。伊原さんがまとめられたのは言ってみれば"超絶文系日本色見本帳"。さあ誰もが書き加えていいのよ。伊原さんの声がする。



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