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2009年01月25日

『新国誠一works 1952‐1977 』編集:国立国際美術館(思潮社)

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「新国誠一は〈伝説の〉詩人である」

生前ただ1冊の詩集を残した新国誠一(1925-1977)は、漢字を組み合わせたり分解して1篇の作品とした「象形詩/視る詩」と、仮名と数字を用いてさながら楽譜の役割を担わせたかのような紙片とその朗読で残した「象音詩/聴く詩」によって、世界のコンクリートポエトリー(具体詩)の動きに日本を代表して名を刻んだ詩人である。急逝するまでの25年間に制作された作品の展示を中心に、広い年代の多岐にわたる専門家によるパフォーマンスや講演、座談会が組まれた「新国誠一の《具体詩》——詩と美術のあいだに」展(2008.12.6〜2009.3.22 於:国立国際美術館、2009.6.8〜6.29 於:武蔵野美術大学美術資料図書館)に関連して出版されたのが『新国誠一works 1952‐1977』で、没後30年を経て初めてのまとまった作品集となった。詩集『0音(ぜろおん)』(1963)の再録をはさみその前後10年間に残した作品と著作一覧や年譜のほかに、新国誠一らによる全14作品の朗読をおさめたCDがつく。

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見た目の必然性を備えることで、美しさと、目に触れた瞬間に覚える解読のヒントを開いていく愉しみを与えてくれる視覚詩。日本においては1935年に北園克衛(1902-1978)が主宰した「VOU」と、64年に新国誠一が藤富保男とともに立ち上げた「ASA(芸術研究協会)」という二つのグループが先達で、ともにグループ名をタイトルとした機関誌を残している。
新国誠一というひとのこともコンクリートポエトリーの運動のことも知らないのに、『0音』を見ればなるほどこれが日本のコンクリートポエトリーの原点なのかと、あるいは「雨」や「州」や「林」という字のつくりを解体した作品を見ればなるほどこれが我ら日本の代表的なコンクリートポエトリーなのかと、思っていた。そして新国は『0音』という奇跡のような一冊を手に、疾風のように現れて疾風のように去っていった視覚詩界の月光仮面だと、思っていた。
だがもちろんひとは誰も彗星のようにあらわれないし疾風のように行き過ぎもしない。新国も、ごくあたりまえの52年という時間を生涯に過ごしたのだった。ということを、丹念な調査による年譜と、建畠晢、向井周太郎、松井茂、金澤一志各氏のそれぞれの解説から知ることができる。この本の最大の読みどころは、ここにある。「伝説の詩人」なんて言うその「伝説」とはこちらの無知を指すのであって、しかしそうとでも呼んで頬寄せていたいほどの引力にひかれてのことである。だが今後新国を語るのに「伝説の」と言うことはないだろうし、もし口にするひとがいたら迷わずこの本を読めよ聞けよと私は言う。
ただし、解説はいずれも難しい。具体詩、図形詩、象形詩、象音詩、視覚詩……それらの使い分けにも注意が求められる。だが、専門家はよもや「おもしろい」なんて書けまいが、新国の作品は間違いなくおもしろくて可笑しい。「よったるんキけれみったん/とれれあんぷさきりったい……(「作品キ」)」、「たかいたかーい たかーいたかい たかいたかーい たかいたかい ポ……(「作品ポ」)」なんて、可笑しいでしょう。日本語によるはじめてのコンクリートポエトリーとされる「[19]空間断面」(1955)などは、天、火、矢、錐、パスカル、海の文字がパラッと配置されていて、「福笑いか!」とつっこみそうになるのだが、「この詩のメトードについては追々理論的裏付をもって詳解することにしたい」などと新国自身に注釈されると、これまた可笑しいでしょう。こうしてさんざん笑った作品を、詩人本人や研究者がきわめて難解な解釈を与えてくれるなんて、うれしい。

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この本のデザインにも触れなければならない。縦横190mm×150mm、2mm厚のボール紙を表紙として見返しが張り合わされており、本文と続けて糸綴じされている。表1に丸くくぼみを作り、ここにCDをおさめる。背はデザインされた背票も美しく、表紙カバーで本全体とCDを保護する。本文紙は比較的厚手で、その加減もあるのだろう、どのページもよく開き、添える指を必要としない。詩を眺め、存分に読むことができる。

編集協力:武蔵野美術大学美術資料図書館

構成:金澤一志

CD構成:松井茂

造本デザイン:山口信博+佐久間年春+大野あかり


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