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2008年11月25日

『ある日の村野藤吾 建築家の日記と知人への手紙』村野敦子:編(六耀社)

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「手入れ人の記録」

2008年8月2日〜10月26日に東京・汐留の松下電工汐留ミュージアムで開かれた「村野藤吾——建築とインテリア」展は、「SECTION3 建築家の内的世界」に愛読書や日記、手帳も展示されていて印象的だった。ぼろぼろになった本のなかには経済関係のものが多くあり、手帳には罫線を無視して隙間を埋め尽くさんばかりの字や図やグラフがあふれ、文字は読むに難儀で独特だった。これほどの密度の日記や手帳、ノートのたぐいが膨大にあるのに、まとまった著作は一冊のみ(2008年9月現在)というのは意外なくらいだ。

この展に合わせて刊行されたのだろう。建築家・村野藤吾(1891-1984)が亡くなるまでの20年の間に綴った手紙や日記の中から、写真家である孫の村野敦子さんが編み、ゆかりの地を訪ねて撮った写真を添えたのが『ある日の村野藤吾 建築家の日記と知人への手紙』だ。
知人あての手紙に「一生の最後の日まで、鉛筆をはなさないでいたいものだと念願しております」と書き、そのとおりに生を全うした建築家は、70歳を過ぎてもカメラを下げて海外へ度々視察に出かけている。77歳でのパリ行きは赤坂離宮(迎賓館)の改修依頼を受けてのことで、「どうしてもベルサイユとトリアノンを見なければ、赤坂離宮に関係する資格がないし、またいろいろ研究する必要がある。このままでは不安の方がつのり、出掛ける決心をした」とある。この生真面目なまでの情熱は、先の展覧会で見た写真にも覚えがある。村野は、建物のみならず家具や照明にいたるまで立体的に検討するためには必ず油土の模型を作ったそうで、それは模型職人や事務所スタッフと交互にくらいつくようにして自ら手を入れている幾葉もの写真であった。

     ※

大阪の事務所と東京を忙しく往復しながら、たまの休日には宝塚の自宅で丹念に庭の手入れをしていたようだ。高齢をおして旅を続けたのは建築家としての自身の手入れを怠るまいとしていたように思えるし、いつも図面を余白なく美しく丹念に仕上げたのはその建物が末永く手入れを受けられるようにとの計らいに思える。長く手紙のやりとりをした知人の「建築とは何か」との問いに、村野は「建築は土地と材料と労働」と答えたそうである。『資本論』を愛読していた村野の真意はわからないが、「労働」のひとつを「手入れ」とわたしは読んでみる。ついでに「建築」を「ひと」、「土地」を「場所」、「材料」を「心身」と読みかえれば、にょろにょろの読みにくい字で丹念にこの日記を綴ってきた老人の姿が、庭を眺める小部屋にある座の低い椅子のうえに浮かんで見える。

     ※

「様式の上にあれ」。「様式」をはじめ、全てのこだわった考えかたはフィクションなのだと言い続けた村野にとって、人種もフィクションであったのだろう。アメリカへの旅日記には、日本料理店で「日本的には似ても似つかぬ日本」に不快を覚え、キング牧師の墓で妻に隠れ涙したことも書いている。同様に、人の名前もフィクションであれと願っただろう。しかし1969年、77歳の村野は40日の長きにわたり床に臥したが、その原因はストレスであったと言い、日記にこう記した。



すべての人を平等に見ることができる心境になったものと自分でも思い込んでいたところが、今度の最高裁のコンペの審査に当たって、見事にその予感は破られて、まだ人間としての邪念のようなものが、どうしようもなく胸を突き上げてくるのを抑えてはいるが、抑え切れない苦しみを感じた。……誰とも公平に付き合い、誰の作品も純粋な気持ちで見られるかと思いのほか、全くこの希望は空しかった。

魂の手入れが足らぬと、心を傷めるのである。それからさらに15年、鉛筆片手に手入れは続き、生涯現役のまま、村野は「永い休養にはいった」のであった。



造本:天野昌樹



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2008年11月04日

『もうひとつの国へ』森山大道(朝日新聞出版)

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シケた日にはこんなふうに日記を書けるようになりたい

「もうひとつの国へ」なんて、きざなタイトルで反吐が出る。帯にはもうひとつのきざ。

「火曜日、記すべきことなし、存在した。」というのは、ジャン・ポール・サルトル「嘔吐」のなかのワンフレーズである。

こう書き出して、次に寺山修司の「過ぎ行く一切は比喩である」を引き、ぼくにとっては今現在も比喩だと言い、古いマンションの一室の鉄パイプ製のベッドで目覚め頭痛薬やチョコや缶コーヒーや煙草を連れて大きなテーブルにゆき、足を投げ出してリビングの換気扇や彼方の高層ビルやキッチンのメモに目をやり、「冴えない朝の時間(ルビ:メニュー)の向こう」につながる「日常という名の迷路」へ「モードを切り替え」、「ぼくの仕方もない一日」の始まりを書いてみせる。きざなパーツの連鎖ながら写真家・森山大道の語り口がきざをぎざぎざにひきさいてしまうのは、写真と暇以外の全てに向かうけだるさが通低しているからだろう。

写真以外の用向きである文章を書くのも、けだるいに違いない。まして写真についてでなければ——。ジェームズ・ボールドウィンの「もう一つの国」を「パクって」タイトルにしたというこの本は、発表してきた文章のなかから写真に関わりのないものを選び、さらにいくつか書き足したものである。当然言い出したのは著者ではなく、しぶとい一人の編集者にもとめられて「脇の甘いぼく」が「負け」、ゴリッとしない文章にうんざりしつつ、そのかわりに最近撮った未発表の写真を中心にしてあわせることで「なんとかゴリッと」仕上げたという。

     ※

森山さんは「ことごとくファジーでレイジー」なナマコに日頃憧れていて、そのわけについてはちっともけだるくなくこのなかに書いている。主義という名の片寄りを嫌い、陽当たりの悪い場所にナマコは終日寝転がっている。正体不明と周囲には思われ、すなわち徹底的に個の個で在る。森山さんはいわば陸に上がったナマコであり、つまりカメラをさげたナマコなのだが、そうは言ってもナマコそのものではないので、写真と暇以外の全てをけだるくやりすごすことがかなり大事なことと思われる。けだるくやり過ごせていない時間のこともさもけだるく書いてみたりして、「オレの内部の純情」を隠すポーズや照れは、ちょっとおばさんみたいにすぼめる口元から感じてしまう。

究極の憧れをナマコとして、カメラをぶらさげたナマコこと森山大道のように私も○○したナマコになりたいが、○○が埋まらない。欲しい○○が見つからなければ○○でないことを消去してゆくしかなく、たとえばシケた一日が過ぎたとひとりごちる夜だか朝には、森山大道がシケた一日を書いたのを真似てみたくなる。いつか懐かしむための記録でも誰かを攻めて自分に言い訳する物語でもなく、救いようのない一日をただ書いて捨てる。日記でもブログでもなくきちんと求められることでいやいや書いたとしても、人目に触れること、それでこのひとは捨ててきたのだろう。私は2600円+税で、巨匠写真家森山大道が書き捨てたものをせいぜい買うのだが、たいした拾いものなのだった。本って馬鹿みたいに安くて驚く。

表紙カバーと帯は淡いクリーム色で、天地からちらりとみえる表紙の朱色が美しい。開くと見返しの灰色の三方からちらりと見える表紙の朱色がやはり美しい。装丁:坂川事務所。




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