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2008年02月11日

『ノアーレ 野荒れ』野坂昭如/言葉 荒木経惟/写真 黒田征太郎/画(講談社)

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未来や過去や現在のすべての14歳に贈りたい

庭に出した椅子に下駄履きで腰掛け、口を真一文字にしてサングラスの奥からこちらをキィと見つめる男。足もとには、蚊取り線香。左手に杖をつき、立ちあがる。足もとにはやはり、蚊取り線香。下駄を脱いで和室にあがる。革張りの椅子に腰掛けて、手もとにはバランタイン——。
シャツを替え、場所を替え。17枚のモノクロの、一人の老齢の男の写真。間違い探しを強いられているかのように表情はわずかに変わるだけだが、この緊張感と和らぎ、というよりやさしさはなんだろう。野坂昭如。5年前に脳梗塞で倒れ、以来、画廊を経営しシャンソン歌手でもある妻の暘子さんとともにリハビリを続けている。「多少自虐的になるのも無理はありませんが、一緒になって落ち込んだりはしません。『治りたいの? 治りたくないの?』と聞いたら、小声で『治りたい』。じゃあリハビリ、リハビリ。二人三脚の毎日です。」読売新聞に、暘子さんはそう書いていた(2006.4.6)。

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2007年6月、野坂さんの自宅を、黒田征太郎さんが5年ぶりに訪れる。「最悪のシーン」も考えたというが、顔を見てとたんに「そろそろ、ノサカさんのイマを発表しませんか?」と問う。即快諾、まもなく、荒木経惟さんと再び訪れることになる。
昭和40年代はじめ、新聞社の紹介で初めて野坂さんに会った黒田さんは、門下生のように慕うようになる。野坂さんの『戦争童話集』をできるだけたくさんの人に読んで欲しいと、絵や映像をつけて公開した「忘れてはイケナイ物語り」プロジェクトをはじめ、同・童話集の沖縄篇として『ウミガメと少年』(絵・黒田征太郎)を新たに書くきっかけを作ったり、移住先で体験した「9.11」のあとには、「忘れてはイケナイ物語り」のひとつとして「PIKADON(ピカドン)」プロジェクトも立ち上げた。黒田さんの活動は常に、野坂さんと一緒にあったといえるだろう。
そんな黒田さんが求めた「ノサカさんのイマ」は、まずアラーキーによる写真、それに、撮影現場で思わず描いていたという黒田征太郎の絵が加わり、デザインの井上嗣也がアラーキーにタイトル文字を依頼し、そして最後に野坂昭如の言葉を待って、「右へ左へ、タテ、ヨコへ、ギリギリで一冊が出来」たと黒田さんは書く。そんな経緯を知らなければ、はじめから用意周到に準備された本に思える。だがこういう清冽さは「準備」からは生まれえないものにも思え、わざわざその経緯をここに記すのは、黒田さんがその役割を自らに課してのことと感じられる。

     ※

有名人の、熱い友情本である。なりたちはそうだしまた帯にあるように、「野坂さんのように戦闘中の人々」への励ましが第一義かもしれない。だがそういうことよりもむしろ、世の中のすべての14歳を懐にするあまりにやさしい本である。なかほどにあらわれたこの「言葉」にある少年を思い出して、涙が出た。14歳、彼は今、苦しみを抱えている。

逢いたいと思う人
十四歳の昭如少年
励ましてやりたい

野坂さんの14歳は、神戸の空襲で養父を失い、妹を失い、ひとりになって、大人になったときである。比べるものではないけれど、ひとそれぞれに、それぞれの、苦しみがある。
ノサカもクロダもアラーキーもきっと知らない彼に、この本を贈りたいと思った。年寄りの写真に落書きみたいな絵がついた薄っぺらな本に呆れて彼は「いらない」と言うだろう。私は待ってましたとばかりにこの本を開いて、そしてこの「言葉」を読むのだ。「逢いたいと思う人/十四歳の昭如少年/励ましてやりたい」
思いつくすべての未来や過去や現在の14歳に、この本を贈りたい。

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2008年02月03日

『絵はがきのなかの彦根』細馬宏通 (サンライズ出版)

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「大人」による「風景探偵調書」

すでに絵はがきについての著書『絵はがきの時代』(2006青土社)があり、明治時代の塔の研究をまとめた『浅草十二階』(2001青土社)の資料として集めたのが絵はがき収集の始まりという著者の細馬宏通さんは、「かえるさん」であり「かえる目」であり、デジオことポッドキャスティング番組の「ラジオ 沼」の発信者であり……。「細馬宏通研究室」のウェブサイトに記されるのは活動と興味のほんの一部と知りつつ、それにしても追いようのない広さや深さ、ただそれが圧倒を強いるだけではなくて、なんて世の中は、この先生が満喫しているように実は楽しめることで溢れていることか、自分は気づいていないだけなのだなあという、なにか穏やかな、限りない明るさをいつも抱いてしまうことが、なにもの?と感じさせる一番の理由ではないかと思っている。脳みそを開いて裏返したら、一個づつの細胞がことごとく別々の面白みを待ち受けてワクワク震えているのだろう。もちろん、お仕事はきちんとなさっている。滋賀県立大学人間文化学部人間関係専攻准教授、彦根に住んで12年になるそうだ。

     ※

絵はがきを集めているうちに、地元・彦根のものも、だんだん集まってきたという。いつしか鞄に絵はがき、ノート、カメラ。絵はがきにあった現場にふらりとでかけては、探しものが見つからなければ人に聞く、聞く。だんだんと、絵はがきの拡大コピーを持ち歩くようになったという。お年寄りにもよく見てもらえるし、なるほど書き込むのも楽だろう。やがてこうしてあちこち歩く試みに、「彦根風景探偵」なる名称がつけられた(by 上田洋平さん)。探偵とはいえ依頼者はおらず、「あえて言えば、絵はがきからの依頼を受けているようなもの」。すなわちこの本は、「彦根風景探偵調書」というわけである。強力な地元の先達こと「紙モノ」蒐集家・野瀬正雄さんにも、その探偵先で出会ったのかもしれない。
絵はがきを撮影された現場にようやく到着しても、景色を確認するのみならず、写真師の立ち位置をしつこく追う姿がいい。「景色とそれを写す人との間にある空気に、少し触れることができ」る気がするという。ただしそうすることで、周囲の土地の変化や写真の合成やトリミングのことまで、またさらに探偵の域が広がってゆくのだ。折しも彦根は国宝・彦根城築城400年でわいており、帯にはもへろんさんによる2007年開催の同祭のキャラクター・ひこにゃんが笑い、「国宝・彦根城築城400年記念出版」とある。挟み込まれた版元のサンライズ出版の目録「湖国の本」からは、丁寧に誇らかにこの地域の古今を本のかたちで伝えようとしていることが伝わってくる。

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さて絵はがきは、もちろん彦根だけのものではない。観光地を中心に、世界中にその舞台がある。たまたま手にした絵はがきを見て、ちょっとここに行ってみようか、と思うこともある。ただ気紛れに、訪れるのもいい。でもちょっとこの本を開いて、絵はがきを読み解くヒントをまとめたコラム「絵はがきの時代推定いろいろ」「古い絵はがきは質がよい」「片目をつぶって絵はがきを見る」「古いパンフレットを読み解く」を読めば、もっと楽しくなるに違いない。でもコラムなんていってわざわざ分けて書く必要は、なかったんじゃないかなあ。タイトルや帯で地域が限定されるけど、読めば一地域に向けたものでないことはわかるのだし。と言いながら、彦根以外の人にもたくさん読んで欲しくて、コラムのタイトルをわざわざ書き出してみる次第です。 
とにかく、この本を持って彦根を旅するもよし。また、暮らす土地で生まれた土地で、知らない土地を架空の土地を、風景探偵団を名乗り旅するもよし。ひとりもよし、集うもよし。実に、広い本なのですから。細馬宏通さんは、自分が知るより世の中には全然多くの楽しみがあることを感じさせてくれる、究極の「大人」でしょう。いったどこのオトナが、絵はがきから探偵を依頼されて調書をまとめます?



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