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2008年01月06日

『小さな建築』富田玲子(みすず書房)

小さな建築 →bookwebで購入

建物はひとの気配をまとう

『小さな建築』というタイトルに、ル・コルビュジエが両親のために建てた「小さな家」や、立原道造が「窓がひとつ欲しい」と書いて構想していたヒアシンスハウス、増沢洵設計の最小限住居、それを現代に活かした小泉誠さんらによる9坪ハウスを連想する。「小さな」建築。その小ささとは、何なのだろう。

寸法が小さい建築ということではありません。……人間が小さな点になってしまったような孤立感や不安感を感じさせない建築のことだと言えばいいのでしょうか。

巨大な建物のなかに入っても、孤立とか不安に無縁なことがある。あるいは孤立や不安を感じることに、酔うこともある。小さいからこそ孤立や不安を覚えることもあるから、建物の寸法によるものでないことはわかる。富田さんはさらに続ける。ここはどこ、今はいつ、これは何、隣はだれ、私はだれ、という感覚がもてること、自然と人が親密になれる気持ちのいい場所であること、人間の身体能力を基準にすること……。
富田さんが所属する象設計集団は、U研究室(前身は吉阪隆正の研究室)でいっしょに働いていた大竹康市さん、樋口裕康さんとともに1971年に設立した事務所だ。「一本の線を共有」し「七つの原則」を共通言語に協働するスタイルで、建築のみならずランドスケープのデザインも行ってきた。あとがきには、「私の考えはまた象の考えであることも多い」とことわりがある。この事務所から独立した人は事務所の名前やマークに動物を付して、「チーム・ズー」としてゆるやかな共同体をとっているという。そうして協働で手掛けてきたプロジェクトの事例と、富田さんの建築にまつわる思い出を二つの柱として語られたであろう「富田玲子の千夜一夜物語」から、この本は生まれている。

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象設計集団の建築としてわたしが知っていたのは、東京・阿佐ヶ谷のドーモ・アラベスカと東京・用賀の用賀プロムナードだけ。どちらも有機的な曲線が印象的だが、ドーモ・アラベスカは富田さんが戦後暮らした家を建て替えた住宅で、第4章の「育った家のこと」に登場する。この建て替え前後の家に加えて、富田さんが生まれた家と疎開先の家が描かれるが、専門的な記述が続くことはなく、また、ある時代の特徴的なアイテムを手がかりに共感を招くようすもない。そこには、軍医となり戦死した父、「おかしな友達という感じ」の母(日本初の女性大使・高橋展子)、母のかわりに子育てと家事を担った祖母の思い出と、隣の家の琴の音を窓から顔を出して聞いていたら呼ばれて習い始めたとか、ピアノを弾いていたら谷川徹三さんの奥様がほめてくれたとか、通学路の途中の精神を病む人の家の前を通るときのことなど近所のできごとがつづられ、それがなぜかどんな地図よりも、「玲子ちゃん」が過ごした街や村、そして家の見取り図となって浮かび上がってくる。
住んだ家、街、村、出会った人たちを思い返してみると、その空間体験から大きく飛び出るようなものは、建築として計画してこなかったような気がします。私の「原風景」はそこにあるのでしょう。

「家」は「原風景」の、要なのだ。だから風のよく抜けるおおらかな家であるほど、「原風景」も豊かになるのだろう。建物はひとやものを守るために囲うが、その思いが過ぎるとバリアになってしまう。中のひとと外のひと、内と外、人と建物、部屋と部屋さえ。富田さんが言う「小ささ」とは、このことなのか。さえぎられることのない、近さ、近しさ、親しさを感じさせる距離、あるいはそれを育む距離感。

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本書に出てきた建築は、みなおおらかである。建物の構造自体や、象設計集団のやりとりの抜けのよさもあろうが、なんらかの建築物をきっかけに紡がれたひとつずつの物語がおおらかなのだと思う。建築家を前に失礼なことだけれども、きっかけとなったそれぞれの建築物は、単体としては時とともにどうでもよいものになっていくようにみえる。建築物が雫となって落ち水面に輪が広がるような、周囲に擬態してゆく生きもののような、細胞同士がくっついて間の壁をなくしてゆくような。どう言えばいいのだろう。建物自体は硬い物体に違いないのだが、思い返したときにひとやら緑やらとのかかわり合いで震えるようにみえ、もっと広い場所を感じさせる。鉛筆を人差し指と親指でつかんで上下に揺らすと、鉛筆が曲がってみえ、リボン状の空間が浮かび上がる、あの感じ、が近いだろうか。

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富田さんの現在の住まいは、1970年にご主人(都市計画家の林泰義さん)の実家を建て替えたプレファブ住宅である。プレファブと聞いたらわたしは物置小屋をイメージするしかないのだが、大野勝彦さん設計による「セキスイハイムM1」というタイプで、2003年にドコモモ100選に選ばれた、プレファブのなかでも突出して優れた住宅のようである。2005年に東京・汐留でみた「文化遺産としてのモダニズム建築 DOCOMOMO100選展」のカタログを開いてみると、ありました、137ページ。完成当時の写真だろうか。外観は2階建てプレファブ住宅そのもので、展覧会での印象は全く残っていない。
本書の第7章「街にひらかれた家」には、家族の変化に応じて繰り返された増改築のようすが描かれている。プレファブならではの「ユニット」という単位がブロック遊びを思い出させて、増改築のようすを勝手に想像しながら間取り図書き遊びをしてしまった。伸びた庭木が、カフェとなった一階に木陰をつくる写真もある。1970年のあれと2007年のこれ。2枚の写真を交互にみていると、この家を往来したたくさんのひとの「原風景」が幾重の紗にプリントされて風になびいて、目の前をかすめるようである。家とはつくづく、「建物」ではないことを思う。建物とはこんなにも、ひとの気配をまとうのかと思う。

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