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2007年11月16日

『続・建築家が建てた幸福な家』 松井晴子 写真・村角創一 (エクスナレッジ)

続・建築家が建てた幸福な家 →bookwebで購入

幸せな「家」たちにこの本を贈ろう

年月を経た住宅地を何の目的もなく歩くのが、私は好きだ。

パラパラとページをめくり目に飛び込んできた一文で、この本を開く準備は瞬時に整った。年月を経た住宅地を何の目的もなく歩くのがなぜ好きなのかなにが面白いのか、自分のことながら説明ができず、わたしはただ「素敵な家!」とひとりごちてたたずんできた。松井晴子さんはたたずまず、垣根や塀越しに素材やデザインを眺め竣工年代を推測し、そこに住む人の暮らしを想像しては、「時間仕上げ」された家の幸せを思う。そうした家々のなかから、現在も住宅を設計している建築家の20年以上経過した住宅であること、自邸は外すこと、住人が家にまつわる家族の歴史を語ってくれること、その条件を満たした24軒を訪ね、建てた人と住む人を追ったのがこの本だ。同じようにして3年前にまとめた『建築家が建てた幸福な家』の続編である。

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印象的な話がいくつもある。たとえば山本理顕さんが27年前につくった「STUDIO STEPS」という家。ドアを開けると巨大な階段と白い塔、トラス天井。21年暮らした初代(いわゆる施主)の知人が、今は暮らしている。自ら乞うて引き継いだほどだから全体としては申し分ないのだが、たとえばドアの幅が60センチしかないのは不便だと、その住人は感じている。著者はその言葉を理顕さんに伝える。理顕さんは応える。
あの頃は住む人の生活を具体的にイメージしないで、頭のなかで構築したコンセプトで設計していたようにも思う。お盆をもってドアを開けることまで考えていない。自分の身体感覚だけで寸法を決めていたんだと思う。

「便利」というものさしの目盛りを打つのは使う人それぞれだ。理顕さんは、どんな大きな建物をつくるときでも、自分の原点の一つとしてのこの住宅に立ち戻るのだという。松井さんはいう。建築家が設計した家は個性的であるがゆえに、最初の住人が手放したら生き残れないんじゃないかと思っていた、と。そういえば著者は、「施主」という言い方をしない。「最初の住人」なんて、「施主」といえばよかったはずだ。しかしことごとく「住人」と呼び、家と時間をともにしてきた人だけに向き合う。たとえば理顕さんも、建てた家それぞれと時間をともにしてきた建築家だから先のような発言が出てくるのだろうし、それをていねいに引用する著者の想いを感じてしまう。そうした言葉の一つ一つを、読む人であるわたしが今つぶやくことも、もしかしてその「家」を幸せにしているのかもよ、という悦びに満たしてくれるのだ。

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著者が取材の打診をして実際に受けてもらえたのは、3割くらいだったという。確かに、さかのぼること20年の家族構成の変化を語ることになるだろうし、白アリにやられたとか火事にあったとか周囲の環境が激変したとか、思い出したくもないことがあるかもしれない、それに、竣工当時いくら話題になった家だとしても、その後なにか「不便」が生じて、それをきっかけに住人と建築家の関係がすっかり変わってしまったかもしれず、取材を断る理由はいくらでも予想できる。
それでも、豪華さも奇抜さもないのに幸せな気分を発していたり、豪華で奇抜すぎるのに穏やかな幸せを発し続けている家があるのは、「家」、それ自体が幸福に満ちているからであり、それは住む人と建てた人と時間のシワザであると著者には確信があったのだろう。取り上げられた24軒はいずれも「名作住宅」だが、20年以上在る「家」のどれもが抱えているはずの幸せのようにも思えてくる。ともあれ、人が家で幸せをはぐくんだり、家で幸せを感じるように、家は人によって幸せをはくぐまれ、人によって幸せを感じるらしい。今度またどこかで「素敵な家!」とひとりごちるときには、幸せな気分をいただいたお礼に、その家にこの本を捧げたいと思うのだ。

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松井さんが暮らす家も、そうとうに幸福だと思われる。リビングルームだったろうか、大きなワンルームを、時に寄り添い自在に彩ってきた変遷が、数年前に雑誌で紹介されていた。ページを拡げて、やはりわたしはひとりごちていた、「素敵な家!」と。
この11月、著者はもう1冊の本をまとめている。『住宅の手触り』(扶桑社 写真・山田新治郎)というタイトルで、12人の建築家による24軒の、「手触りのいい家」を紹介している。この2冊が揃って店頭に並ぶ書店もあるだろう。わたしの今の気分では、だんぜん『続・建築家が建てた幸福な家』に手が伸びる。なぜだろう。「家」は、建てる人と住む人と時をあやつるダレかによって、幸せをつむがれるようである。だが素敵な建築家より素敵な施主より、ただ素敵な家の前にたたずむことが、わたしにとってはその物語へ足を踏み入れる大切なゲートであるからだろう。2冊とも、装丁は丹羽朋子さん。

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2007年11月10日

『遊歩のグラフィスム』平出隆(岩波書店)

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グラフィックな快感に御褒美のあめ玉を

整理整頓ができない理由を、自身の「極端な秩序志向、まっすぐな整調的思考」にあると思い至ったところから、この遊歩ははじまる。散らかった机を今片づけてもまたすぐに散らかるのだからそこに時は費やさず、もっと大きな「理想的な整理のための器、構造、システムの設置」に心を急がせるべき——その最初の実験が、5×6=30の小箱を重ねた名刺整理用の箱で、著者は日本人の姓のイニシャルにはKが多いということを、20年前から体験で知ることになる。
共通の頭文字を持つ人の名刺を入れる箱も、一日の終わりに記された日記も、一日一通と決めて出す葉書それ自体もその行為も、原稿用紙の升目や地図、そこに記された場所・家・小屋も、学校の教育制度も科目も、階段の一段ずつも。それぞれすべてなんらかのくくりを持って、広い広い世界に断片として在る。断片や断章とは「他のどのひとつにつながってもいいしつながらくてもいいという自由」によって著者を魅了し続け、この本のための原稿も、時間と分量を定めた連載(「図書」2004.9〜2007.2)という書法で著され、その断片を一冊にして俯瞰したときに、「原型としての知り合い」たる断片がいずれつながり現れてくるかもしれない自身の「わが生涯の図式」を浮かび上がらせることへの期待と愉しみにより編んだのだと、あとがきにある。

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日本の近代文学の中で「断章という形式の半形式性にもっとも自然に寄り添うことができた」と著者が考える正岡子規と、なによりヴァルター・ベンヤミンに多くのページがさかれているが、断片・断章を明確に伝える形状である罫線や升目へのどうしようもない執着や偏愛ぶり、そしてそれを執着や偏愛で片づけてはならぬ詩人・作家としての筆に惹かれる。数寄者か好きものか。そのふたつの狭間にまず迷い込むに違いない著者は、「機械的な、またはグラフィックな快感」を起動力に、あらかじめ用意されたものとは別の座標軸を言葉によって示し、数寄者と好きものをなんら矛盾なく配置するグリットを仕上げてしまう。
そして「人間という生命体は、ほぼ一律な日記帖にわずかな変化を刻み付けるほかない。それでも、日記帖や年表の罫線の立てかたにも、幾種類かがないわけではないだろう」と旅先で様々な日記帳を買い集めたり、快適な感覚を得た階段に鉛筆と紙を持って立ち戻りサイズを測ったことを発端に、遊歩のための素直な階段の設計公式(60<踏面+0.135×蹴上の二乗<70)を作ってしまうあたりは、「理想的な整理のための器、構造、システムの設置」を求めるために必要な、最小の断片を身のうちに得るための実験の原初であると思わせる。やがてそれらは著者によって揺さぶられて打ち重なり出し、混沌のなかにもっとも生き生きとした時間を迎える。それは著者が「過渡期にあらわれる古代」と名づけた時間で、その記録をわたしたちは読むことになる。

     ※

この本に多く引用された正岡子規の『墨汁一滴』を読み直すと、平出さんが感じる「機械的な、またはグラフィックな快感」、それを、『遊歩のグラフィスム』で追体験して得るこちらの快感と同じような快感が改めて残る。3月14日。相変らず苦痛に耐える毎日に閉口する子規が6歳の少女の画に目を留める。支那風の城の窓を横に3等分して「オ、シ、ロ」の文字、「実に奇想だ」と、絵の細部を日記に記す。「うれしくてたまらぬ。そこで乾菓子や西洋菓子の美しいのをこの画に添えて、御褒美だといふて隣へ持たせてやつた」。よろこび。それを書き留めねばおれないひとたち。平出さんはそのことを以下のように著したが、わたしはそれを「平出隆は」と読みかえて、御褒美のあめ玉を上にのせ、菊地信義さんによるシルバーの升目の美しい表紙のこの本を閉じるのです。
子規は自分の中から瀼々と湧いてくるものを実感したとき、ためらわずにそれを排出しようとした。しかし、同時にそこに一定の書法を、いわばグラフィスムを与えようとした。


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2007年11月04日

『宝物』平田俊子(書肆山田)

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水、水を! 言葉の粒で目詰まりした詩人の身体

平田さんの詩をはじめて知ったのは『(お)もろい夫婦』で、六本木の青山ブックセンター、向かって右、階段の横にあった詩の棚だったと思う。可笑しいのに嫌みがなくてスタイリッシュ、それが共存するなんて考えたこともなかったし、ましてそれが“詩集”として、しかも奇妙なタイトルを背負って神妙な詩集コーナーに燦然と輝いていたのは衝撃的だった。その後、平田さんの朗読を数回聞いたが、格別(お)もろい演出はなく、いつもサングラスをして淡々と、嫌みなくスタイリッシュなのであった。詩人、劇作家、作家として多くの著書を発表してきた平田さんの、詩集としては3年ぶりになるのが『宝物』である。

     ※

“檸檬”の二文字に“レモン”の音をどう割り振ればいいのかわからない、とはじまる「れもん」、新聞にめだつ“真相”の文字はよく見たら“首相”、日めくりカレンダーが目めくりに見えてくる「朝の錯覚」、似ているようで似ていない母娘、母が嫌いで娘が好きなのは“しじみ、豚肉、オートバイ……”という「豚肉オートバイ」。言葉の見た目や響きの可笑しさを愉快に残酷にちりばめた作品には、やっぱりまず大笑いしてしまう。「のど・か」は、こうはじまる。
 ワシントン とドアが開く

初めて訪れたどこかの国で地下鉄のドアが開くときに鳴る音が、ものすごく早く“ワシントン”と言ったように聞こえたことがあったかもしれない——ただそんなことが浮かんでこの一行を声にしてまず笑う。作品はこう続く。地下鉄にはそのあと女の首が乗り込んで、ジェノサイドとドアが閉まり、咽喉かな午後にかみ殺すあ首、日比谷戦や南北戦、停まる駅は麻布十BAHG……。笑わせて、ほんとうに無防備に笑わせておいて、のどちんこ丸出しの大口に平田さんは細い刃を突きつける。「れもん」にはこうある。
間違えた人をわたしたちは笑えない
よその国の
言葉と初めて会うとき
混乱はつきものだ

よその国の言葉でなくても、わたしたちは間違える。聞き間違えたり、見間違えたり。間違えたつもりはなくても、伝わらなかったり伝えられなかったり。平田さんの言葉に笑うのはだからその“言葉”に初めて会ったからであり、知ったつもりが実は何も知らなくて混乱して笑うしかないのである。そんなことで笑ってんじゃないわよと、平田さんは言うわけないが、そんな声が聞こえてくるようでもある。

     ※

平田さん自身が言葉を生む瞬間をかいま見る作品がある。「水」。壇上のラスコーリニコフとポルフィーリイとマルメラードフには水が用意されていて、客席のソーニャやドゥーニャやラズミーヒンには水がない。
飲んだ水を言葉にしないと
人はトイレに走りたくなる

誰だって、水を飲まずにいられない。トイレに走ってしゃーっとやれば、身も心も晴れるというものだ。腎盂腎炎をおこしがちなわたしとしては、疲れたときほどたくさん水を飲んで、何度も何度もトイレに行く。だが詩人は飲んでも飲んでも、駆け込むことができない。
水は体内をパトロールして言葉をさがす
水を飲んだ罰として
言葉はいつも苦しく吐き出される

身体の汁を水で薄めて墨汁代わりに、“言葉”を書き留める。トイレに行ってしまえばいいものを、詩人の身体という管の細胞にはことごとく言葉の粒が詰まっていて、それをなんとか水を飲んで“言葉”にして押し出さなくちゃいられないのだと思う。
無言でいると薪はよく燃えるね
空気が言葉で汚れないからね
 (「山小屋」より)

大切なものを捨て去るために
私は秘密を打ち明けた
この言葉もあなたのことも
忘れるために
 (「宝物」より)

平田さんの態度や詩集にはしゃぎや大袈裟を感じないのは、たとえば犬が上目遣いでウンチする自分のお尻を振り返っている姿を見たときの好ましさに似ている。どうしようもないぎりぎりの営みは、生み出す本人にとってはきっと恥ずかしものではないかと思うのだ。

     ※

この詩集をわたしは元旭屋書店があった場所に先頃移ったブックファースト渋谷店で求めた。店内高くはられた棚とやや狭い通路はこれだけのスペースだから仕方あるまいが、旭屋書店のあのゆったりした店内を懐かしく思う。さてその棚から『宝物』を抜いて手に持つと、表紙が柔らかくて妙な感じがする。見ると、大きさと色の異なる紙2枚と帯(の役割をするちっちゃい紙)を重ねて、少し厚めのパラフィン紙で3つ折りにして包んだものを表紙カバーとしている。カバーの文字は全て金箔押しされており、パラフィン紙の上からでもよく見える。自宅の書棚に並べた本にパラフィン紙をかけ、タイトルが見にくいから上からマジックでなぞるのも楽しい、と書いていたのは荒川洋治さんだったか。さらに、丸背上製本なのだが途中4カ所、ふんどしみたいに白いきらびきの紙がはさみこまれている。文字はなし。一枚目は3cm×2cmくらい、それが徐々に大きくなる。9.10、69.70、87.88、115.116の各ページに該当し、構造からすれば別丁扉、もくじに「*」と記されたところだ。まあなんて手間のかかることを! この装幀に手を尽くしたすべての人に届くのなら、2800円はちっとも高くない。装幀:菊地信義、印刷:内外文字印刷、石塚印刷、製本:山本製本所。

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