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2007年09月24日

『日本ロボット戦争記 1939~1945 』井上晴樹 (NTT出版)

日本ロボット戦争記 1939~1945 →bookwebで購入

「ロボット」に希望をつないだのは子ども

ロボット体験の最初の記憶は、古田足日と堀内誠一版の絵本『ロボット・カミイ』だった。空き箱を集めては、作った作った、わたしのカミイ。かまぼこ型の目をしたかぶりもの系で、動力はもちろん自分。装着して動くためには肘や膝の部分を空けねばならず、それに気づいたときのあの「喜び」は今でもよく憶えている。アポロ11号の宇宙飛行士のぎこちない動きはカミイに重なって見えていた。小学校入学祝いにもらった『なぜなに月と宇宙のふしぎ』(小学館)に「あと三十年もしたら、独りが三百六十万円くらいのお金で月りょこうができるでしょう」とあって、小さな双眼鏡で眺めるあの月に、大人になったらロボットみたいなかっこうをして行くのだと本気で思っていた。カミイがビー玉で動いたように、メルモちゃんがキャンデーで変身するように——なにかを思い描いてなめる桃色のアポロチョコは特別なお菓子だった。昭和40年代(1965年〜)に生まれたごく普通の子どもが、ロボットや宇宙にこれほど憧れたそのまばゆいばかりの世界を描いた大人たちは、どんな「ロボット」を見ていたのだろう。

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『日本ロボット戦争記 1939~1945』は、著者の井上晴樹さんがロボットについての前著『日本ロボット創世記』(1993)で1920年から45年までのロボットを網羅しようと構想するも、第二次世界大戦および太平洋戦争の時代とそれ以前とを同時に記述することに無理を感じて38年までとし、以後調査に時間を費やして、39年以降を扱うこの大著を完成させたのだという。ロボットどころではなかったはずのその時代、実際の開発や製作はままならず、子ども向けの漫画や読み物にロボットはその世界を移す。また戦局にありながらも科学こそ国家の振興と、40年ころからは科学雑誌の創刊があいつぐ。現実には、多数の人々が国家によりロボット化され、自らの命を動力源としていた時代であったが、当時の子どもたちは漫画や読み物のなかに、それでも科学の未来を感じていたはずだ。その子どもたちが次の世代に伝えたロボットのひとつに、ロボット・カミイもいるのだと思う。「ロボット」という言葉は確かに戦争の世紀から産み落とされたが、そこに希望をつないできたのは、それぞれの時代の子どもたちだったのだろう。

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井上さんはあとがきで、「戦争と科学の振興とは日本人というものを窺い知る手がかりを与えてくれた」とし、政府の科学振興が当時から現在にいたりいかに後手に回っているか、それが、戦時下に国民がロボット化され(あるいはし)たのは日本人の「普通」「中庸」への偏重とともに大きな要因であったと記す。そしてルイス・ヤブロンスキーの『ロボット症人間』(1972)からひいて、「『ロボットは機械で出来た人間の模造品である』が、『ロボット症人間は、チャペックの書き著したような、(中略)ロボットとは反対に、むしろ機械を模して出来た人間』で、『彼らの実在そのものが、人間ではない』」のであって、日本人あるいはその社会が自覚症状もなくロボット症となったとき、あの忌まわしい時代を繰り返す危険性に触れている。ここだけ読めば言い古された言説だけれど、年代を追って井上さんが記したこの本のページを開けば、いつどんな時代でも生命新しいところに無邪気は宿り、反復を危惧する単純さには反発したくなる。それが希望というものだ。

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装幀にも触れておきたい。年代を追って439ページ(索引を含まず)にまとめられたこの本は、ページ下3分の2あたりに配されたノンブルの横にその年代が記されており、海外のこと日本のこと、戦争最前線のこと子どもの漫画のこと、映画、小説あらゆるものを、縦割りにすることなく時代下の関わりを示す。写真版150点余、図版270点余という膨大な資料は、関連する文章があるページの下3分の1弱スペースにおもに配され、本文中には合い番号がふられていない。全てのページにおいてこの構成が踏襲されており、重いこの本をひっくりかえしたりページをいったりきたりすることなく読み続けることができる。糸綴じのために机にもよく開く。分厚さをマイナスとしないこのみごとな装幀は、祖父江慎さんによる。引用文献への説明も細やかだ。1941年、海野十三の「特許多腕人間方式」のカットについては、かつて1934年には海野自身が漫画風に描いたが「この度は三芳悌吉(1910~2000)がより本物らしく描いた」とか、1945年、ニューヨークのダイム・ノヴェル・クラブが会員のために過去のダイム・ノヴェルの複製を1ドルで頒布していたというくだりでは、「複製は折り丁を針金で綴じたアンカット仕立てに仕上げられ、アンカットのところはその当時の雰囲気をそのまま伝えていた」とある。資料を撫で、読み尽くす著者の姿がうかがえてうれしい。



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2007年09月08日

『HENRY DARGER’S ROOM 851 WEBSTER』 小出由紀子/都築響一(編) (インペリアルプレス)

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「日常」と「非日常」をつなぐ砂時計の首をみる愉しみ

花柄の、やや厚みのある紙でくるまれた表紙に、金色の手書き文字で描かれたタイトル。本文はごくシンプルにタイピングされている。なんども開閉されたのだろう、角という角はみな丸くなり、綴じ糸のようなものがあらわになって、ページがばらばらになった本たち――。シカゴに独り暮らしたヘンリー・ダーガーの部屋の中から見つけ出された全15巻(15,145ページ)の壮大なる小説『非現実の王国で』のうち、自らが装丁した7冊であると、その写真は説明されている。さらにその小説には数百点もの挿絵が用意されており、装丁前の8巻分はきれいにまとめて旅行鞄の中に整理されていた。長い時間をかけて紡いだ物語を自分自身が繰り返し読むためだけにタイピングして製本をして、そしてこれほどぼろぼろになるまで耽溺したひとは、死してのち、アウトサイダー・アーティストとして名前を残すことになる。

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ヘンリー・ダーガー(1892-1973)は、シカゴ市内のウェブスター通り851番地にある建物の3階の家具付き賃貸の小さな一室に人生の後半の40年を過ごし、大家に電球を替えてくれと頼む以外はろくに人と言葉を交わすこともなく、部屋を訪れるのは教会の牧師のみという特異な生き方をした。室内での暮らしぶりは誰にもわからなかったが、ときおり複数の声色で一人芝居をするような音が漏れ聞こえたようである。齢を重ね体調を壊したターガーが部屋を出ることになり、大家であるネイサン・ラーナー(1997没)が部屋の荷物の処分をあずかる。ドアを開けると、ゴミ、ゴミ、ゴミの山。だが片付けはじめてまもなく、ネイサンの手の動きが止まる。高名な工業デザイナーでもあった彼がそこで目にしたのが、『非現実の王国で』をはじめとしたダーガーの著書や挿絵、電話帳などを利用したスクラップブックや膨大な未整理の印刷物で、彼はその価値を即座に直感したのだった。 『HENRY DARGER’S ROOM 851 WEBSTER』は、ダーガーの部屋が初めて人の目にさらされたまさにその時に撮られた白黒写真と、この部屋の撤去が決まったあとの1999年に「朝日ジャーナル」の取材で訪れた四方田犬彦さんに同行した北島敬三さんが撮ったカラー写真、そして、生涯残されたたった3枚のダーガーの写真を中心にした、このひと部屋の写真集である。掲載された間取り図によるとバストイレはあるがキッチンらしきものはなく、4.12m×5.25mとあるから広さは20平米程度、不釣り合いに豪華な暖炉があるせいか、写真で見るとずっと広く感じられる。

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多くのひとがそうであるように私も1993年の東京・世田谷美術館で開かれた「パラレル・ビジョン」展がダーガー作品との出会いで、その後数点の作品を興味を持って観てきたが今年4~7月に東京・品川の原美術館で開催された「ヘンリー・ダーガー 少女たちの戦いの物語――夢の楽園」展へ足を運ぶことはなかった。作品を間近に大量に観たいとは思わなかったし、雑誌で特集が組まれても作品の羅列やその解説より制作課程あるいはダーガー自身の生き方に触れた文章に目がいくばかりであった。ダーガーが描いた小説は彼にとっての理想の世界で、本人にしてみればそれを「日常」と信じ時を過ごすしか生きようがなかったのだろう。「室内から複数の声色が聞こえた」というのはまさにその「日常」を生きていた証しだ。美術を学んだことのない彼がその世界を視覚化するためにしたことは、参考になる図版をとにかく集めることだった。「外の世界」は印刷や写真によってあらゆる物事が転写されかつそれがゴミとして打ち捨てられている。拾い集め大量に運び込んでは分類とスクラップを繰り返し、コラージュやトレースによってイメージを形にする。その全てが行われていた4.12m×5.25mのこの場所は、「日常」と「非日常」を抱える砂時計の首のようなものである。彼が描いた彼の「日常」をのぞき見ることよりも、この砂時計の首にまきついて行き交う砂を想うほうが、ブリリアントな悦びに満ちる。

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巻末に付された「所有物リスト」には、置かれていた場所とともに373点が示されている。北島さんの写真にはコーヒーカップやスプーン、ほうきなどもあるがそれら生活の匂いのあるものは記されていないから全所有物の一覧ではなさそうだが、それにしてもなにを食べどう寝ていたのだろう。手書き原稿を製本した本も撮られているがどんな方法で綴じてあるのか写真からはわからない。電話帳を利用したスクラップブックは何倍にも嵩み、いくたびも乾湿を繰り返したように見える。飽くことなくページをめくり写真に見入る私がいるのは20平米程度に区切られた部屋、この広さに、あれだけの物量、それも、40年間——。アウトサイダー・アートは、第三者の目にふれて評価を得られなければそのまま静かに消えてゆく。ネイサンの直観なくしてダーガー作品が世に出ることはなかったし、この本なくしてその部屋を静かに知る機会は与えられなかった。編集と発行は今年4月に小出由紀子さんと都築響一さんが設立した出版社(インペリアルプレス)で、この本の刊行がきっかけで設立したとも、またお二人ならではの第一弾がこの本ともいえるようだ。今後も楽しみでならない。

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