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2010年07月05日

『眠れない一族――食人の痕跡と殺人タンパクの謎』ダニエル.T.マックス著/柴田裕之訳(紀伊國屋書店)

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「まだしゃべり足りません――プリオンの黒い秘密」

 [二〇〇八年]二月三日放送のNHK「週刊ブックレビュー」出演の際に一押しで紹介した『眠れない一族』はプリオン病について書かれたすばらしいノンフィクションです。いろいろあって、候補にあげた本が二冊もダメになった事で、あわてて本屋をすみずみまで歩き回り、八重洲ブックセンターの畜産農学コーナーの平台の隅っこにあったこの本に出会えたのですが、久しぶりの大収穫でした。番組に心から感謝いたします。

 この本、黒いんですよ。

 著者がプリオン病の親戚筋にあたるタンパク質変異からくる難病を患っているため、視点が病人なんですね。決定的な治療法がない致死性の病気にかかっているということではまあ広く言えば私も癌なので同類です。しかし癌は大衆病です。患者はゴマンといますので、新しい治療法なぞ試さなくてもいいっすと言ったところで引き止められることはありません。

 一方彼らの場合は家畜間では大量に発病しているとはいえ、感染性のプリオン病が人に発病する例はまだそれほど多くない。でもこのまま放っておいたら増えるかもしれないからなんとかして究明したい、そのためには大枚はたきますぜと、世界中がギンギラしてる。

 てことは、自分のボディが希少な標本になりうるということ。医者の目がねちっこく自分の身体の奥をみているのを、思いついた治療法をこの身体で試してみたがっているのを、場合によっては自分の死体をほしがっているのを、感じてしまう。この“病気の正体を知りたい”という気持ちと、そして“名声を得たい”という気持ちとが、入り混ざって、人命を助けるためという美名の下にたぎらせているわけですね。黒いなあー。

 お気に入りのエピソードをいくつか紹介。

 ある遺伝性のプリオン病にかかった人を見ていた医師が、患者の死期が「聖母被昇天祭」の夏休みシーズンにぶつかりそうになり、どうやって「新鮮な脳」をとりだせるか迷い、ポケットマネーで自分の夏休み期間に待機する医師を雇うところ。

 プリオン病のうちの一つ、クールー病解明のために、人間に近い生物での実験が必要となり、千頭(千は誇張と著者は疑っている)というチンパンジーをかき集めてその脳にクールー病で死んだ患者の新鮮な脳の組織を接種。しかし遅発性の病気のため、発病まで年単位で飼育しなければならず、そのあいだに飼育員や研究者の中にチンパンジーに情が移ってしまったりする例があったこと……。情がしっかり移った頃に発病。

 念のため言えば、かような動物実験の結果があって、この病気の正体が少しずつわかってきたのですからね。原因不明のまま致死性の病を放っておくことが果たしてあなたにできますか、ということです。

 プリオン病の解明に道筋をつけた事でノーベル賞をとった二人の科学者のうち、一番目にとったガイジュシェックは、パプアニューギニアの食人習慣を持つ部族に発生したプリオン病(当時は原因不明の奇病)クールーの研究をしながら、自分の趣味である少年愛を炸裂。たまたま男性間でのオーラルセックスをたしなみとする部族があったため、強制せずにことを運べるパラダイス状態に溺れ、アメリカの自宅に何人もの少年をおもちかえり。その部分の結びの文がこれです。著者の黒い視線が冴えてます。

 「オカパなら、クールー患者の脳が新たに調達できる。新鮮であればあるほどよい。だからガイジュシェックは、ポール・ブラウン(部下と思って読んでください)に液体窒素をもたせてオカパに差し向けさえした。これで、死亡した患者の頭蓋骨から取り出した脳をすぐさま冷凍でき、脳内の感染性病原体が死滅する前に、パタクセントの研究者がチンパンジーに接種する可能性を、最大限にまで高められる。その一方で、ガイジュシェック自身はニューギニアへでもどこへでも、自由気ままに飛んでゆき、アンガ族など小児性愛の伝統を持つ部族のところにしばしば立ち寄っていた。彼はアンガ族の十二歳の少年を養子にまでしている。一九六三年、ワシントン郊外のダレス国際空港に降り立ったその少年は、裸足で、鼻には骨が通してあったという。」

 で、結局ガイジュシェックはたれ込みなどいろいろあって、逮捕されて牢獄に入れられます。しかもまさに彼が檻の中にいるあいだに、ライバルの、これまた頭も良くて金を集める政治力もあって実行力もあるけれど、人の手柄も自分のものとしたがる、性格がネジ曲がった化学者プルジナーが、感染性タンパク質に自分の名前から「プリオン」という名前をつけて、ノーベル賞をとっちまうわけです。ガイジュシェックは檻の中で悔しさのあまりデブに。ドラマのようですが、実話です。

 ガイジュシェックに会いたいなー。出獄してからアムステルダムにいるらしい(笑)。彼の膨大な日記の翻訳がでたらいいのに(無理か)。

 優秀な科学者がかならずしも人格者とは限らない。このあたりまえのことが世間では混同されがちです。

 あとがきにさりげなく書かれている「私たちは生まれつき病める生き物」という言葉は、わたしごときが言うのもおこがましいですが、病んだ者には特に心地よく響きます。

 そして常にあきらめながら、今日も画期的な治療法が開発されるのを待つのである。著者も、私も、そしてプリオン病患者たちも。

 最後に蛇足ながら、膨大な注を削らずに訳して載せてくださった訳者そして版元の心意気に感謝します。ま、出典がないと、フィクションと間違えられるかもしれないもんね。あまりにもおもしろすぎて。恐すぎて。


*「scripta」第8号(2008年6月)より転載/ブログ「内澤旬子・空礫日記」(2008 年1月31日)より


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