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2010年07月22日

『ミラーニューロン』ジャコモ・リゾラッティ&コラド・シニガリア著(紀伊國屋書店)

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「自身の姿を映し出す鏡」

                     茂木健一郎(脳科学者)

 科学上の発見は、それが画期的なものであるほど予想されないかたちで起こる。たとえば、一九〇一年、第一回ノーベル賞の対象となったヴィルヘルム・レントゲンによる「X線」の発見。この新しい放射波が人間の肉体を通過して内部の骨をくっきりと浮かび上がらせるという事実は、偶然発見された。レントゲンの妻は、自分の手の骨が透けて写っているのを見て驚愕したという。

 目に見えない、短波長の電磁波の発見。それは、私たちの世界観を根底からくつがえすものだった。科学史、科学哲学上の重要な著作『科学革命の構造』で知られるトーマス・クーンの言うところの「パラダイム」の変革をもたらすような発見は、私たち人類を不意打ちするかたちで訪れる。不意打ちこそが、科学の歴史を推進してきた原動力なのである。

 宇宙の成り立ちについての理解を飛躍的に高めた「背景輻射(ふくしゃ) 」の発見もまた、不意打ちだった。背景輻射は、一九六四年に、アンテナの雑音について研究していたベル研究所のアーノ・ペンジアスとロバート・ウィルソンによって偶然発見された。二人は、最初はベル研究所のあるニュージャージー州に近いニューヨーク市から発せられているノイズが原因であると考えたが、それではうまく説明できなかった。次に、アンテナにたくさん付着しているハトのふんのせいではないかとも考えたが、その可能性も否定された。二人は、最終的に、空のあらゆる方向からそのようなノイズが来ているという事実を認めざるを得なかった。

 ペンジアスとウィルソンの発見したシグナルこそは、宇宙を満たしている「絶対温度3度」の背景輻射であった。宇宙がかつて巨大な「爆発」から生まれたとする「ビッグ・バン」の理論を裏付ける重要な発見。ペンジアスとウィルソンは、この発見によって一九七八年のノーベル物理学賞を受ける。

 画期的な科学上の発見が容易には予想できないのは、考えてみれば当然のことである。過去の経験の延長線上にあるようなことは、たとえ発見されても画期的な新知見とは言えない。予想できるようなデータは、従来の世界観に新たな詳細を付け加えるに過ぎない。誰もが予想だにしないからこそ、それは重大な新発見となるのである。

 その分野の専門家でさえ、そのようなものがあると夢想だにしないような事実。偉大な発見は、それ以前とは全く違った世界の風景の中に私たちを誘う。一度見つかってしまえば、あまりにも自然で、何故もっと早く見つからなかったのかとさえ思う。世界の見え方がすっかり変わってしまう。その発見が行われる前には世界はどのように見えていたのか、そのことを忘れさせるような発見。そんな新知見との出会いという「事件」が、私たちの世界の理解を深化させる。そのような発見こそが、クーンの言うところの「パラダイム」の変化を私たちにもたらす。

 「ミラーニューロン」の発見も、まさにそのような「事件」であった。本書の著者であるイタリア、パルマ大学のジャコモ・リゾラッティ博士らのグループが、猿の脳の神経細胞の活動を計測中に、偶然見い出したのである。

 ミラーニューロンの性質については、本文中に詳しく述べられている。自分がある行為をしていても、他者がその行為をするのを見ていても、まるで鏡に映したように同じように活動する神経細胞。エサに向かって手を伸ばすなど、ある意志を持って特定のものに向けられた行動において高い活動が見られる。この細胞が発見されたことで、脳科学は新時代を迎えることとなった。

 偶然の幸運に出会うことを、「セレンディピティ」と呼ぶ。ミラーニューロンの発見は、まさに「セレンディピティ」であった。神経細胞の電気的活動を計測する「電気生理」の実験中には、活動をずっと音声でモニターしていることが多い。活動を「バリバリバリ」という音に変換することで、その活動の変化が継続的に実験者の意識に上るのである。

 リゾラッティたちは、猿の前頭葉の神経細胞の活動を計測中、休み時間になってジェラートを食べ始めたのだという。ジェラートを手に持ち、口に運ぶたびに、「バリバリバリ」と神経細胞が活動する音が聞こえた。それは、もともとは猿自身が手にエサを持って口に持っていくときに活動する「運動性」のニューロンであった。運動を表しているニューロンが、他人の動作を見るという「視覚性」の活動も行っているということが明らかになったのである。
 
 ミラーニューロンの発見は、脳科学の世界に新しい視点をもたらした。ある高名な研究者は、「ミラーニューロンの発見は、分子生物学におけるDNAの二重らせん構造の発見に相当する」と述べ、その意義を強調した。

 ミラーニューロンの発見は、なぜ、そこまで大きなインパクトを与えたのだろうか? 

 科学者たちは、長年にわたって、人間の「知性」の起源がどこにあるのかについて考えてきた。未だに、私たち人間がいかにしてこれほど発達した知能を獲得し、文明を築くことができたのかはわかっていない。しかし、いずれにせよ、人間の「知性」の根本には、他者とのコミュニケーションという「社会性」があることだけはわかってきた。人間の知性とは、徹頭徹尾「社会的知性」なのである。

 人間の脳と比較されることの多いコンピュータだが、「知性」という視点からは未だに脳の足元にも及ばない。単純な記憶力や、インターネットに代表されるように多くのノードがつながって力を発揮するような性質においては、コンピュータは素晴らしい能力を持っている。一方で、新しいものを生み出す創造性や、状況に応じて適切な選択をする判断力においては、コンピュータは脳に比べて貧弱である。

 脳の驚くべき力の背後には、人間の社会性がある。創造性や判断力のように、一見ひとりの能力として閉じているかに見える時にも、潜在的には他者とのコミュニケーションが関係している。人間は、他人とのコミュニケーション能力に長けているからこそ、単独で発揮するさまざまな能力も発展させることができたのである。

 コミュニケーションこそが知性の本質であるということは、現代のコンピュータの理論的モデルを作ったイギリスの数学者、アラン・チューリングがすでに見抜いていた。一九五〇年に発表された古典的な論文の中で、チューリングは、「コンピュータが人間と同じように考える能力があると認められるのはどのような時か」という問題を論じた。そして、次のような試験を考案した。

 モニターを通して文字で会話をする。一方では人間が向こうにいて、返事を打ち返す。他方ではコンピュータのプログラムが会話を分析して、言葉を吐き出す。そのようなセッティングでしばらく会話をした後で、どちらが人間で、どちらがコンピュータなのか区別がつかないようなプログラムができた時に、そのコンピュータは人間と同等の思考能力を持つと認めようというのである。

 考案者の名前をとって「チューリング・テスト」と名付けられたこの試験は、今日でも、人工知能の能力を測る方法として広く認められている。毎年、チューリング・テストに合格できるかどうかを競うコンテストも行われている。そして、今までのところ、チューリング・テストに合格できるようなコンピュータは出現していない。人間と区別がつかないような会話を交わすということは、きわめて高度な能力なのである。

 会話を交わすためには、相手の心を読み取らなければならない。相手がどのようなことを考えているのか、把握しなければならない。このような能力を「心の理論」と呼ぶ。心の理論は大変高度な脳の働きで、現在のところ人間にしか備わっていないと考えられている。チューリング・テストに合格するようなコンピュータ・プログラムを作るためには、「心の理論」をなんとかして実装しなければならないだろう。

 ミラーニューロンの発見が注目を集めたのは、それが、人間の社会的知性の本質を理解する一つの手がかりになるのではないかと期待されたからである。自分の行為と他人の行為を鏡に映したように表現する神経細胞。このような細胞を中心とする「ミラーシステム」があることによって、他人の行動を自分の行動になぞらえることができ、それを通して他人の心を推定する働きが構築されているのかもしれない。自分の体験に照らし合わせて他人の心を推定する。そのような人間の社会的知性の中心に、ミラーニューロンが位置している可能性がある。

 本書でも詳しく解説されているように、ミラーニューロンの活動には、相手がどのような目的をもって行動しているかという「主体性」や「意図」の認知が反映されている。相手の身体の動きを見て、そこから心的状態を推定する。私たち人間の持っているすばらしい能力の解明の突破口が、ミラーニューロンにあるのかもしれない。

 脳科学は日進月歩。脳と心の関係についての探求が深まる中、ミラーニューロンとその関連する研究トピックにはますます関心が集まっている。あと何十年後に振り返ってみれば、ミラーニューロンが、心の謎を解明する上での「ロゼッタ・ストーン」だったということがわかるかもしれない。その第一歩は、すでに記された。

 ミラーニューロンという、脳科学におけるまさに「世紀の発見」を、その立役者であるジャコモ・リゾラッティ博士と、哲学の俊英コラド・シニガリア博士が解説した本書は、この重要なトピックに関する概説書としてかけがえのない価値を持っている。人間とは何か。私たちの心の本性はどこにあるのか? これらの問いに関心を持つ全ての人によって長く読み継がれるべき、「古典」がここに誕生した。

 人間存在のミステリーは深い。「科学」という自身の姿を映し出す鏡を、科学者たちは少しずつ磨き上げている。そこにやがて現れる人間存在の真実に、私たちはどう向き合うことになるのだろうか。


*「scripta」第12号(2009年6月)より転載/『ミラーニューロン』解説より


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