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2010年07月22日

『ミラーニューロン』ジャコモ・リゾラッティ&コラド・シニガリア著(紀伊國屋書店)

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「自身の姿を映し出す鏡」

                     茂木健一郎(脳科学者)

 科学上の発見は、それが画期的なものであるほど予想されないかたちで起こる。たとえば、一九〇一年、第一回ノーベル賞の対象となったヴィルヘルム・レントゲンによる「X線」の発見。この新しい放射波が人間の肉体を通過して内部の骨をくっきりと浮かび上がらせるという事実は、偶然発見された。レントゲンの妻は、自分の手の骨が透けて写っているのを見て驚愕したという。

 目に見えない、短波長の電磁波の発見。それは、私たちの世界観を根底からくつがえすものだった。科学史、科学哲学上の重要な著作『科学革命の構造』で知られるトーマス・クーンの言うところの「パラダイム」の変革をもたらすような発見は、私たち人類を不意打ちするかたちで訪れる。不意打ちこそが、科学の歴史を推進してきた原動力なのである。

 宇宙の成り立ちについての理解を飛躍的に高めた「背景輻射(ふくしゃ) 」の発見もまた、不意打ちだった。背景輻射は、一九六四年に、アンテナの雑音について研究していたベル研究所のアーノ・ペンジアスとロバート・ウィルソンによって偶然発見された。二人は、最初はベル研究所のあるニュージャージー州に近いニューヨーク市から発せられているノイズが原因であると考えたが、それではうまく説明できなかった。次に、アンテナにたくさん付着しているハトのふんのせいではないかとも考えたが、その可能性も否定された。二人は、最終的に、空のあらゆる方向からそのようなノイズが来ているという事実を認めざるを得なかった。

 ペンジアスとウィルソンの発見したシグナルこそは、宇宙を満たしている「絶対温度3度」の背景輻射であった。宇宙がかつて巨大な「爆発」から生まれたとする「ビッグ・バン」の理論を裏付ける重要な発見。ペンジアスとウィルソンは、この発見によって一九七八年のノーベル物理学賞を受ける。

 画期的な科学上の発見が容易には予想できないのは、考えてみれば当然のことである。過去の経験の延長線上にあるようなことは、たとえ発見されても画期的な新知見とは言えない。予想できるようなデータは、従来の世界観に新たな詳細を付け加えるに過ぎない。誰もが予想だにしないからこそ、それは重大な新発見となるのである。

 その分野の専門家でさえ、そのようなものがあると夢想だにしないような事実。偉大な発見は、それ以前とは全く違った世界の風景の中に私たちを誘う。一度見つかってしまえば、あまりにも自然で、何故もっと早く見つからなかったのかとさえ思う。世界の見え方がすっかり変わってしまう。その発見が行われる前には世界はどのように見えていたのか、そのことを忘れさせるような発見。そんな新知見との出会いという「事件」が、私たちの世界の理解を深化させる。そのような発見こそが、クーンの言うところの「パラダイム」の変化を私たちにもたらす。

 「ミラーニューロン」の発見も、まさにそのような「事件」であった。本書の著者であるイタリア、パルマ大学のジャコモ・リゾラッティ博士らのグループが、猿の脳の神経細胞の活動を計測中に、偶然見い出したのである。

 ミラーニューロンの性質については、本文中に詳しく述べられている。自分がある行為をしていても、他者がその行為をするのを見ていても、まるで鏡に映したように同じように活動する神経細胞。エサに向かって手を伸ばすなど、ある意志を持って特定のものに向けられた行動において高い活動が見られる。この細胞が発見されたことで、脳科学は新時代を迎えることとなった。

 偶然の幸運に出会うことを、「セレンディピティ」と呼ぶ。ミラーニューロンの発見は、まさに「セレンディピティ」であった。神経細胞の電気的活動を計測する「電気生理」の実験中には、活動をずっと音声でモニターしていることが多い。活動を「バリバリバリ」という音に変換することで、その活動の変化が継続的に実験者の意識に上るのである。

 リゾラッティたちは、猿の前頭葉の神経細胞の活動を計測中、休み時間になってジェラートを食べ始めたのだという。ジェラートを手に持ち、口に運ぶたびに、「バリバリバリ」と神経細胞が活動する音が聞こえた。それは、もともとは猿自身が手にエサを持って口に持っていくときに活動する「運動性」のニューロンであった。運動を表しているニューロンが、他人の動作を見るという「視覚性」の活動も行っているということが明らかになったのである。
 
 ミラーニューロンの発見は、脳科学の世界に新しい視点をもたらした。ある高名な研究者は、「ミラーニューロンの発見は、分子生物学におけるDNAの二重らせん構造の発見に相当する」と述べ、その意義を強調した。

 ミラーニューロンの発見は、なぜ、そこまで大きなインパクトを与えたのだろうか? 

 科学者たちは、長年にわたって、人間の「知性」の起源がどこにあるのかについて考えてきた。未だに、私たち人間がいかにしてこれほど発達した知能を獲得し、文明を築くことができたのかはわかっていない。しかし、いずれにせよ、人間の「知性」の根本には、他者とのコミュニケーションという「社会性」があることだけはわかってきた。人間の知性とは、徹頭徹尾「社会的知性」なのである。

 人間の脳と比較されることの多いコンピュータだが、「知性」という視点からは未だに脳の足元にも及ばない。単純な記憶力や、インターネットに代表されるように多くのノードがつながって力を発揮するような性質においては、コンピュータは素晴らしい能力を持っている。一方で、新しいものを生み出す創造性や、状況に応じて適切な選択をする判断力においては、コンピュータは脳に比べて貧弱である。

 脳の驚くべき力の背後には、人間の社会性がある。創造性や判断力のように、一見ひとりの能力として閉じているかに見える時にも、潜在的には他者とのコミュニケーションが関係している。人間は、他人とのコミュニケーション能力に長けているからこそ、単独で発揮するさまざまな能力も発展させることができたのである。

 コミュニケーションこそが知性の本質であるということは、現代のコンピュータの理論的モデルを作ったイギリスの数学者、アラン・チューリングがすでに見抜いていた。一九五〇年に発表された古典的な論文の中で、チューリングは、「コンピュータが人間と同じように考える能力があると認められるのはどのような時か」という問題を論じた。そして、次のような試験を考案した。

 モニターを通して文字で会話をする。一方では人間が向こうにいて、返事を打ち返す。他方ではコンピュータのプログラムが会話を分析して、言葉を吐き出す。そのようなセッティングでしばらく会話をした後で、どちらが人間で、どちらがコンピュータなのか区別がつかないようなプログラムができた時に、そのコンピュータは人間と同等の思考能力を持つと認めようというのである。

 考案者の名前をとって「チューリング・テスト」と名付けられたこの試験は、今日でも、人工知能の能力を測る方法として広く認められている。毎年、チューリング・テストに合格できるかどうかを競うコンテストも行われている。そして、今までのところ、チューリング・テストに合格できるようなコンピュータは出現していない。人間と区別がつかないような会話を交わすということは、きわめて高度な能力なのである。

 会話を交わすためには、相手の心を読み取らなければならない。相手がどのようなことを考えているのか、把握しなければならない。このような能力を「心の理論」と呼ぶ。心の理論は大変高度な脳の働きで、現在のところ人間にしか備わっていないと考えられている。チューリング・テストに合格するようなコンピュータ・プログラムを作るためには、「心の理論」をなんとかして実装しなければならないだろう。

 ミラーニューロンの発見が注目を集めたのは、それが、人間の社会的知性の本質を理解する一つの手がかりになるのではないかと期待されたからである。自分の行為と他人の行為を鏡に映したように表現する神経細胞。このような細胞を中心とする「ミラーシステム」があることによって、他人の行動を自分の行動になぞらえることができ、それを通して他人の心を推定する働きが構築されているのかもしれない。自分の体験に照らし合わせて他人の心を推定する。そのような人間の社会的知性の中心に、ミラーニューロンが位置している可能性がある。

 本書でも詳しく解説されているように、ミラーニューロンの活動には、相手がどのような目的をもって行動しているかという「主体性」や「意図」の認知が反映されている。相手の身体の動きを見て、そこから心的状態を推定する。私たち人間の持っているすばらしい能力の解明の突破口が、ミラーニューロンにあるのかもしれない。

 脳科学は日進月歩。脳と心の関係についての探求が深まる中、ミラーニューロンとその関連する研究トピックにはますます関心が集まっている。あと何十年後に振り返ってみれば、ミラーニューロンが、心の謎を解明する上での「ロゼッタ・ストーン」だったということがわかるかもしれない。その第一歩は、すでに記された。

 ミラーニューロンという、脳科学におけるまさに「世紀の発見」を、その立役者であるジャコモ・リゾラッティ博士と、哲学の俊英コラド・シニガリア博士が解説した本書は、この重要なトピックに関する概説書としてかけがえのない価値を持っている。人間とは何か。私たちの心の本性はどこにあるのか? これらの問いに関心を持つ全ての人によって長く読み継がれるべき、「古典」がここに誕生した。

 人間存在のミステリーは深い。「科学」という自身の姿を映し出す鏡を、科学者たちは少しずつ磨き上げている。そこにやがて現れる人間存在の真実に、私たちはどう向き合うことになるのだろうか。


*「scripta」第12号(2009年6月)より転載/『ミラーニューロン』解説より


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2010年07月08日

『中世の覚醒――アリストテレス再発見から知の革命へ』R.E.ルーベンスタイン著/小沢千重子訳(紀伊國屋書店)

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「12世紀ルネサンスに始まる思想史エンターテインメント」

        池内 恵(イスラーム政治思想史・中東地域研究
              ・国際日本文化研究センター准教授)

 歴史好きは多い。歴史ものの本もよく売れる。戦国武将や幕末維新の志士たちの物語は幾度となく紡ぎ直され、享受される。しかし具体的な人物ではなく、理念が主人公となる歴史物語は、日本ではどうも居場所がない。イスラーム諸国を対象に、現実の政治社会の動きの底に流れる思想史の展開を見続けている者としては実に残念である。

 欧米の読書人には、理念の歴史というジャンルがかなり確立されていて、一般向けの読み物として広く流通する。『中世の覚醒』はそのよい例だろう。著者のルーベンスタインは哲学そのものを専門にしているわけではない。国際紛争の研究を専門にしつつ、哲学や宗教が社会と政治に影響を与えてきた歴史を一般向けに書いている。各地の紛争に宗教が絡む現在、その根底にある「啓示と理性」の対立という思想的課題の重要性を気づかされて当然だろう。

 『中世の覚醒』は近代思想に関する支配的な通念を覆してみせる。覆されるのは啓蒙主義的な近代主義史観である。ガリレオに対する異端審問や、ダーウィンの進化論を否定する天地創造説などを筆頭例として、世俗の科学的合理思想が、それを阻もうとする頑迷固陋な教会権力や神学者と戦いながら勝利していく過程として、通俗的な近代西洋の思想史は描かれがちだ。ローマ・カソリック教会を「敵役」に、一六世紀のルネサンスに人間主義や合理主義が花開くことで近代が幕を開けたとする歴史観である。しかし近代をもたらした思想変革が実はずっと早く、暗黒の中世とされてきた時代の真っ只中に行われていた。このことへの「発見」が、近代史の理解と、今われわれが生きる現代の理解をも大きく変えるような意味を持っているということを著者は示そうとする。

 「一二世紀ルネサンス」と呼ばれるこの知的変革は、ヨーロッパの知識人がアリストテレス哲学をアラビア語訳を通して再発見したことに起因する。思想史の転換点は往々にして数々の逆説に彩られている。神の啓示の絶対性と優位性を揺るがすことになるアリストテレスの合理主義思想を再発見して取り入れたのは、意外にもローマ・カトリック教会の神学者たちだったのである。啓示に対する理性の勝利に彩られる近代思想のイメージは、教会権力と敵対し、宗教規範の束縛から人間理性を解き放つという課題を前面に掲げた啓蒙思想に影響されたものであって、一二~一三世紀のギリシア哲学の合理主義的思想の探求は、啓示と理性の困難な調和を切実に求める神学者たちの苦闘の歴史だった。

 本書では、ピエール・アベラールが恋愛以外に頭を悩ませていたこと、異端カタリ派の思想はなぜ現れたのか、パリ大学での百家争鳴、ダンテの『神曲』に登場する忘れられた思想家ブラバンのシゲルスといった例を取り上げて、アリストテレス哲学の再発見によって引き金を引かれた啓示と理性の関係をめぐる知的緊張が、しばしば生々しい権謀術数と暴力沙汰を伴いながら展開する様子が生き生きと描かれている。

 トマス・アクィナスからドゥンス・スコトゥスを経て、ウィリアム・オッカムのいわゆる「オッカムの剃刀」によって、自然科学と神学が分離され、それぞれが別個の道を歩むようになる。ここで始めてアリストテレス主義者は科学的な発見を神学的に解釈しなければならないという重圧から開放されることになる。

 中世哲学史の専門家にとってはこういった思想史の展開は驚きではないかもしれない。「一二世紀ルネサンス」については、専門的な思想史研究ではすでに一九七〇年代初頭に数々の成果が出版され、八〇年代から九〇年代に日本にも紹介された。しかし広く読書人の間で的確に理解されてきたとはいえない。宗教的信念が国際社会を動かす要因として浮かび上がることによって、一二世紀における理性と啓示の調和をめぐる知的苦闘の意味が理解できるような状況が今やっと整ったといえるのではないか。

 西洋中世の神学者たちのアリストテレス哲学との格闘を読んでいくと、彼らにきっかけを与えたイスラーム世界で思想史がまったく異なる道のりを辿ったことが浮かび上がってくる。なぜイスラーム世界では、九世紀を頂点にしたギリシア哲学の活発な導入と解釈が、啓蒙主義に行き着く知の大転換にも、科学革命にもつながらなかったのか。イスラーム哲学は一一世紀以降、著しく影響力を低下させていった。重要な画期となったのが神学者ガザーリー(一〇五八– 一一一一)の『哲学者の矛盾』による批判である。その後のイスラーム哲学の関心は特定の領域に留まり、ペルシア文化圏を中心に著しく神秘主義化した宗教思想の傍流に結合していった。ギリシア哲学の中に含まれていた科学的探究が西洋のように発達することはなかった。合理的哲学と啓示をめぐる神学の弁別を主張したイブン・ルシュドの議論は「オッカムの剃刀」のように思想史の画期となることはなく、イスラーム世界では周辺化された。もっぱら西洋中世のキリスト教神学者たちにアヴェロエスというラテン語読みで受容されていく。

 西洋近代に至る過程で生じた、人間主義や合理主義の追求や科学的探究だけが普遍的で唯一の知的発展の道ではない。しかしイスラーム哲学がイスラーム世界の知的システムの片隅に埋没し、広く社会に影響を与えることを停止したということは、現代のイスラーム世界の知的状況を理解するためにも重要な意味を持つ。イスラーム世界がなぜそのような知的展開を辿ったのかは本書の主たるテーマではないが、著者は西洋中世との比較からもう一つの「逆説」を示すことで、ヒントを与えてくれる。教会の神学者であり、それがゆえの制約を受けていたキリスト教徒の学者とは異なり、アラブ圏の哲学者は世俗の知識人で権力者の庇護を受け法律家や医師といった職を持っていた。自由に哲学的思弁の道を歩むことのできたイスラーム哲学者たちは、宗教指導者の領域に足を踏み入れた場合には危険視され発展を阻止された。逆に、ローマ帝国崩壊後の社会の混乱の中で、知的活動の唯一の拠り所となったカトリック教会の中で、異端として処罰される危険を恐れながら、神学者たちが自ら啓示と理性の対立を突き詰めていった先に、近代思想は生まれたのである。


*「scripta」第9号(2008年9月)より転載


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2010年07月06日

『芝居半分、病気半分』山登敬之(紀伊國屋書店)

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「クリニックシアターの誘惑――演劇と私と、時々、ヤマダ」


                          山登敬之(精神科医)


 一昨年ノーベル文学賞を受賞した英国の劇作家、ハロルド・ピンターは、一九五九年に「レヴューのためのスケッチ」を十数編書いている。それぞれが、上演したら十分あるかないかの短いコントのような作品である。

 そのなかのひとつ『工場でのもめごと』に出てくる工員の役をやったことがある。大学一年生のときだった。演劇サークルの先輩たちが、同じ作家の『かすかな痛み』を上演するにあたって、新人二人に前座でやってみろと命じたのだ。

 相手役はヤマダ君という政治学を勉強している男だった。私たちは、学生寮の部屋で読み合わせをし、夜の教室で立ち稽古をした。公演は一回限り、入場無料。それでも客は十人ぐらいしか入らなかった。

 『工場でのもめごと』は男二人だけの芝居である。工員の私が社長のヤマダに、工場のみんながもうこんな製品は作りたくないって言ってるんですけど、と報告する。その製品が「高速先細軸螺旋形横笛型穴繰り具」とかなんとか、いちいちヘンな名前なのだ。困った社長が、じゃあ連中は何を作りたいっていうんだ?と問うと、工員の方が「あめ玉です」と答える。これがオチ。いや、オチといっていいのかどうか、作者の意図はわからない。なにしろ相手はピンターだから。

 さて、ヤマダと私が田舎大学で演劇を始めた頃、東京の劇場は「小劇場ブーム」に沸きかえっていた。野田秀樹、渡辺えり子、鴻上尚史らがあいついで劇団を旗揚げし、若者を中心に観客動員を増やしていた。つかこうへいの芝居が上演される新宿紀伊國屋ホールには、連日「満員御礼」の札が出た。

 私の所属したサークルも、中央の動きに反応したのか、代が替わったらつかこうへい一色になった。ヤマダはその前にやめて、べつのサークルの連中と芝居を続けた。バリー・コリンズの『審判』を一人で上演したこともあった。日本での上演は江守徹の次、加藤健一よりも先であった。

 ヤマダは卒業するとすぐに新劇系の劇団に入団した。私は医学部を卒業して精神科に進み大学に残った。ヤマダの劇団から公演の案内が届くたび東京まで見に行ったが、芝居がつまらないのでアンケートはいつもボロクソに書いて帰ってきた。いまにして思えば、芝居を続けているヤマダに対する嫉妬からしたことだが、あのときの演出家は、そんな事情を知るはずもないから、たいそう迷惑だったろう。失礼なことをした。

 大学を離れ東京に戻ってしばらくしてから、劇団東京乾電池が文芸部の研究生を募集しているのを知った。この劇団の公演には学生時代から足繁く通っていたし、憧れの役者や作家がいたので、オーディションを受けてみた。

 うまいこと合格し、研究生として一年間を過ごしたのち、私は晴れて劇団員になった。三十代も半ばに達する頃だった。ヤマダの方は何年か前に劇団を退団していた。

 私が自分の芝居を上演できるようになったのは、四十歳をすぎてからであった。だが、しょせんは演劇中年の狂い咲き、その花はわりと早くに散った。日本一時給の高いバイトをする劇団員は、ふつうの医者に戻って、恵比寿の町に精神科の診療所を開業した。

 診療所の名前は「東京えびすさまクリニック」とした。せっかく高い家賃を払うのだから、仕事場に使うだけではもったいない。経営が軌道に乗るようになってからは、待合室を利用し、週末などに友人、知人を集めてサロンを開いている。精神科関係の勉強会もあれば、演劇愛好家の集いもある。

 いちどヤマダを招いて、『工場でのもめごと』を読んでみたことがあった。二十七年ぶりの再演だったが、一度読んだきり二度は読まなかった。私たちの時は過ぎていた。それもしかたないことだ。

 ところで、こんなことを繰り返すうち、私の頭にクリニックシアターの構想が浮かんだ。診療が終わった後のクリニックを、丸ごと劇場化するたくらみである。

 客が待合室で待っていると、白衣のナースが出てきて、診察室に案内される。そこでは、男女二名の役者による『応募者』が上演されている。べつの客は談話室に案内され、ちゃぶ台をはさんで向き合う女優二人が演じる『それだけのこと』を見る。二組の客が互いに部屋を替わって二本の芝居を見たのち待合室に戻ると、二人の男が受付のカウンターにもたれて話をしている。そう、『最後の一枚』が始まるところだ。

 これらはいずれもピンターの「レヴューのためのスケッチ」にある作品である。ひとつの芝居が、二十歳の私とヤマダをつないだように、二十歳の私と現在の私をつないでいる。同じように、あの寒い冬の教室とこの診察室をつないでいる。クリニックシアターを夢想するとき、私は演劇の力がそんなふうに自分を生かしていることに気づくのだ。

*「scripta」第4号(2007年6月)より転載




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2010年07月05日

『眠れない一族――食人の痕跡と殺人タンパクの謎』ダニエル.T.マックス著/柴田裕之訳(紀伊國屋書店)

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「まだしゃべり足りません――プリオンの黒い秘密」

 [二〇〇八年]二月三日放送のNHK「週刊ブックレビュー」出演の際に一押しで紹介した『眠れない一族』はプリオン病について書かれたすばらしいノンフィクションです。いろいろあって、候補にあげた本が二冊もダメになった事で、あわてて本屋をすみずみまで歩き回り、八重洲ブックセンターの畜産農学コーナーの平台の隅っこにあったこの本に出会えたのですが、久しぶりの大収穫でした。番組に心から感謝いたします。

 この本、黒いんですよ。

 著者がプリオン病の親戚筋にあたるタンパク質変異からくる難病を患っているため、視点が病人なんですね。決定的な治療法がない致死性の病気にかかっているということではまあ広く言えば私も癌なので同類です。しかし癌は大衆病です。患者はゴマンといますので、新しい治療法なぞ試さなくてもいいっすと言ったところで引き止められることはありません。

 一方彼らの場合は家畜間では大量に発病しているとはいえ、感染性のプリオン病が人に発病する例はまだそれほど多くない。でもこのまま放っておいたら増えるかもしれないからなんとかして究明したい、そのためには大枚はたきますぜと、世界中がギンギラしてる。

 てことは、自分のボディが希少な標本になりうるということ。医者の目がねちっこく自分の身体の奥をみているのを、思いついた治療法をこの身体で試してみたがっているのを、場合によっては自分の死体をほしがっているのを、感じてしまう。この“病気の正体を知りたい”という気持ちと、そして“名声を得たい”という気持ちとが、入り混ざって、人命を助けるためという美名の下にたぎらせているわけですね。黒いなあー。

 お気に入りのエピソードをいくつか紹介。

 ある遺伝性のプリオン病にかかった人を見ていた医師が、患者の死期が「聖母被昇天祭」の夏休みシーズンにぶつかりそうになり、どうやって「新鮮な脳」をとりだせるか迷い、ポケットマネーで自分の夏休み期間に待機する医師を雇うところ。

 プリオン病のうちの一つ、クールー病解明のために、人間に近い生物での実験が必要となり、千頭(千は誇張と著者は疑っている)というチンパンジーをかき集めてその脳にクールー病で死んだ患者の新鮮な脳の組織を接種。しかし遅発性の病気のため、発病まで年単位で飼育しなければならず、そのあいだに飼育員や研究者の中にチンパンジーに情が移ってしまったりする例があったこと……。情がしっかり移った頃に発病。

 念のため言えば、かような動物実験の結果があって、この病気の正体が少しずつわかってきたのですからね。原因不明のまま致死性の病を放っておくことが果たしてあなたにできますか、ということです。

 プリオン病の解明に道筋をつけた事でノーベル賞をとった二人の科学者のうち、一番目にとったガイジュシェックは、パプアニューギニアの食人習慣を持つ部族に発生したプリオン病(当時は原因不明の奇病)クールーの研究をしながら、自分の趣味である少年愛を炸裂。たまたま男性間でのオーラルセックスをたしなみとする部族があったため、強制せずにことを運べるパラダイス状態に溺れ、アメリカの自宅に何人もの少年をおもちかえり。その部分の結びの文がこれです。著者の黒い視線が冴えてます。

 「オカパなら、クールー患者の脳が新たに調達できる。新鮮であればあるほどよい。だからガイジュシェックは、ポール・ブラウン(部下と思って読んでください)に液体窒素をもたせてオカパに差し向けさえした。これで、死亡した患者の頭蓋骨から取り出した脳をすぐさま冷凍でき、脳内の感染性病原体が死滅する前に、パタクセントの研究者がチンパンジーに接種する可能性を、最大限にまで高められる。その一方で、ガイジュシェック自身はニューギニアへでもどこへでも、自由気ままに飛んでゆき、アンガ族など小児性愛の伝統を持つ部族のところにしばしば立ち寄っていた。彼はアンガ族の十二歳の少年を養子にまでしている。一九六三年、ワシントン郊外のダレス国際空港に降り立ったその少年は、裸足で、鼻には骨が通してあったという。」

 で、結局ガイジュシェックはたれ込みなどいろいろあって、逮捕されて牢獄に入れられます。しかもまさに彼が檻の中にいるあいだに、ライバルの、これまた頭も良くて金を集める政治力もあって実行力もあるけれど、人の手柄も自分のものとしたがる、性格がネジ曲がった化学者プルジナーが、感染性タンパク質に自分の名前から「プリオン」という名前をつけて、ノーベル賞をとっちまうわけです。ガイジュシェックは檻の中で悔しさのあまりデブに。ドラマのようですが、実話です。

 ガイジュシェックに会いたいなー。出獄してからアムステルダムにいるらしい(笑)。彼の膨大な日記の翻訳がでたらいいのに(無理か)。

 優秀な科学者がかならずしも人格者とは限らない。このあたりまえのことが世間では混同されがちです。

 あとがきにさりげなく書かれている「私たちは生まれつき病める生き物」という言葉は、わたしごときが言うのもおこがましいですが、病んだ者には特に心地よく響きます。

 そして常にあきらめながら、今日も画期的な治療法が開発されるのを待つのである。著者も、私も、そしてプリオン病患者たちも。

 最後に蛇足ながら、膨大な注を削らずに訳して載せてくださった訳者そして版元の心意気に感謝します。ま、出典がないと、フィクションと間違えられるかもしれないもんね。あまりにもおもしろすぎて。恐すぎて。


*「scripta」第8号(2008年6月)より転載/ブログ「内澤旬子・空礫日記」(2008 年1月31日)より


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2010年07月02日

『アリスの不思議なお店』フレデリック・クレマン著/鈴村和成訳(紀伊國屋書店)

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「あの子だけのために物語ること。」

                  千野帽子(俳人・エッセイスト)

 フレデリック・クレマン『アリスの不思議なお店』(鈴村和成訳)を読みました。

 いわゆる「絵本」というより、もっと緩い。絵・コラージュ・オブジェ写真のかずかずが、タイポグラフィックな文字と絡んで配置されています。

 テクストの進行はきわめてシンプル。〈僕〉ことマッチ売りのフレデリックが、アリスという女の子に見せてあげたい、世界各地で集めてきたさまざまな貴重な商品(キュリオジテ)を紹介していく、というものです。

 〈魔法の杖のひとかけら〉、〈砂つぶほどの小さな象〉、〈ピノキオのこわれた鼻の先っぽ〉、〈長靴をはいたネコの口ひげ二本〉、〈シバの女王のまつげ一本〉、〈星の王子さまの影〉、ネモ船長が操縦する〈空飛ぶじゅうたんツアーの当たりくじ〉、〈写真家ロベール・ドワノー氏の/カメラから逃れ出〉た〈スズメ(モワノー)の羽根〉、〈セイレーンの一筋の髪〉、〈白雪姫の靴下留め〉、〈野生のピアノ狩りに使う塩入れ〉、〈シンデレラの七つの笑いのかけら〉と、どんどん列挙される品々、そのひとつひとつがオブジェとして製作され、オールカラーで掲載されています。

 たとえば〈親指姫のゆりかご〉のばあい、胡桃の殻に菫のマットレスが敷いてあり、その上から薔薇の花びらのシーツがかかっている、といった具合なのです。

 そして、一品一品の縁起・来歴(プロヴナンス)も手短に紹介されています。たとえば、かつて、〈うつり気な帽子〉は、〈女の子たちの/いちばん高い巻き髪(シニョン)を見つけては/あちらこちらにとまっていったものなんだって〉。帽子は娘のシニョンのてっぺんに赤い卵を産みつけたのだというのです。

 この本は一九九五年にフランスで刊行され、翌々年に日本語訳が出ました。一九九七年は奇しくも、架空の商品オブジェを目録の形で発表するユニット「クラフト・エヴィング商會」の最初の本『どこかにいってしまったものたち』(筑摩書房)が刊行された年でもあります。

 ところで本書はもともと、娘の誕生日プレゼントとして作ったものを、一般の出版物として刊行したものだそうです。そういう来歴(プロヴナンス)の真偽はともかくとして、このような由来を持つ物語というものがときどき、児童文学の世界には訪れるものです。

 ルイス・キャロルが、勤務校の学生監の娘アリス・リデルのために『不思議の国のアリス』の原型を書いたのは、あまりに有名な話。ビアトリクス・ポターがむかしの家庭教師の幼い息子に宛てた絵手紙のなかから、ピーターラビットと仲間たちが生まれたといいます。中勘助は和辻哲郎の娘・京子のために連作『鳥の物語』を書き始めたそうです。トールキンも自分の子どもたちのために『サンタ・クロースからの手紙』を書き継ぎました。A・A・ミルンは『クマのプーさん』をひとり息子のクリストファー・ロビンのために書いたそうですし、その『クマのプーさん』を石井桃子が翻訳することになったきっかけは、石井を助手として雇った犬養毅の幼い孫たち(犬養道子・康彦姉弟)のために原書を訳読したことだそうです。石井はのちにピーターラビット絵本をも翻訳することになりました。

 子どもの本それ自体よりも、このような挿話が好きなのですが、その理由は、それらの作品が特定の相手に宛てて書かれたこと、つまり子ども一般や大人一般に向けて書かれなかったという事実を思わせるからです。

 子どものための本は、「世のすべての子どもたちのために」「かつて子どもだった大人たち一般のために」書かれた瞬間に、お説教臭が漂うものです。「子どものための本」を読む気がしないのは、その多くが、作者と読者とのあいだに「大人・子ども」という役割演技を成立させようとするのが、どうにも胡散臭いから。いまさら子どもになんか戻ってたまるものか。

 いっぽう、それぞれの物語を書いたときの、キャロルやポターやミルンや中勘助やトールキンやクレマンが、「あの子」たち「だけ」を愛していたとまで極論するつもりはありません。しかし、特定の相手のために物語を作って捧げるという行為――自分と妹が生き延びるために、『千一夜物語』のシャハラザードがおこなった行為――は、当然ですが、「あの子」とそれ以外の子たちとを選別することにほかなりません。この意地悪で正直な排除こそ、子どもの本に存在していてほしい潔さなのです。

 キャロルからクレマンにいたる著者たちは、あの子があの子だからそれを書いたのであって、あの子が子どもだから書いたのではない 。ですから『アリスの不思議なお店』は、そしてじつは先に挙げた『不思議の国のアリス』や『クマのプーさん』も、あくまで「あの子」たちのおこぼれ、あるいはお下がりである以上、私たち大人の読者に「子どもに戻る」ことを強要しない本なのです。

 「大人向けの本よりも子ども向けの本のほうを好んで読む大人」が大の苦手な私としては、このことをありがたく思って『アリスの不思議なお店』を読んだのでした。


*「scripta」第10号(2008年12月)より転載


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