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2009年07月08日

『脳のなかの水分子―意識が創られるとき』中田 力 (紀伊國屋書店)

脳のなかの水分子―意識が創られるとき →bookwebで購入

「三丁目で見た夕日」

          (中田 力・新潟大学統合脳機能研究センター長=著者)

 秋晴れがきれいな日だった。

 図書館の地下食堂から裏庭を抜けて北病棟に戻ろうと思っていた私は、垣根を越えたところで踵を返した。三四郎池を横目に見ながら、道場脇の石階段を早足で駆け上がると、赤門に抜けるロータリーで同級生と鉢合せになった。

 「病棟実習行かないの?」

 「水だってさ」

 「……?」

 怪訝な顔で私を見ると、明らかに避けるように走り去った。

 御茶ノ水まで丸の内線で出て中央線各駅に乗り換える。その頃、明治通り沿いに住んでいた私が大学に通うための最寄りの駅は、千駄ヶ谷だった。

 家に帰ろうと決めていたわけではないのだが、なんとなく、いつもの道に足が向いた。赤門前の信号を渡り、本郷通りを南に歩き、最初に目に付いた喫茶店に入った。

 大学街の店には、混んだり空いたりの差があまりない。昼休みはとっくに過ぎた時間なのに、中はまだ、ごった返していた。奥の小さなテーブルにやっとのことで席を見つけた私は、コーヒーを注文するや否や、手に持った論文を、何度も、読み返していた。

 「全身麻酔は、どのようにして意識をとるのですか?」

 そう尋ねた私に、麻酔科の教授は答えた。

 「脂肪に溶けやすく、脳に入りやすいからだ」

 「脳に入りやすい麻酔薬がより強い効果があるのはわかります。でも、脳に入った後、どうやって意識をとるのですか?」

 「だから、脂肪に溶けやすいからだ」

 教授は、不機嫌に言い放つと、その場を去った。見送る私に、若い助手が近づいてくる。

 「ライナス・ポーリングの論文を探してごらん」

 子供の頃から人間が好きだった。どんな人にでも、必ず素晴らしいところがあることに感動していた。そのおかげで、哲学にはまった。駒場時代もほとんどの授業をサボりながら、仲間と議論を重ねていた。それでも、医者として、心の科学を追いかけるつもりは、全くなかった。医者になろうと思ったのは、それより、ずっと前のことである。十歳のころには、もう、決めていた。親はもちろんのこと、親戚にも医者はいなかった。ただ、職業としては、人々の中にいることのできる医者をやることを決めていた。そして、医学部に入った瞬間から、心臓外科をやろうと思っていた。その決心が揺れることがあるなどとは、夢にも思っていなかった。

 意識があることが、脳が心を作り上げる出発点である。そして、意識を操作できる唯一のものが、全身麻酔なのである。ところが、意識をとる程度の軽い全身麻酔では、大脳皮質ニューロンの電気生理学的活動には大きな変化が見られない。全身麻酔薬は、神経伝達をブロックすることによって痛みを取る局所麻酔薬とか、特異的な受容体に結びつくことによって効果を出す精神神経薬とは全くちがった形で効果を発揮するのである。

 では、どうやって、意識をとるのか?

 それがわかれば、脳がどのようにして心を作り上げるかへの道筋が見えてくる。

 ほとんど足を踏み入れたことのなかった薄暗い論文書庫で、私は、その論文を見つけてしまった。それは、自分の人生の中でもっとも衝撃的な一瞬だった。

 ポーリングによれば、全身麻酔効果のある薬剤すべてが水のクラスター形成を安定化し、小さな結晶のようなものを作り出すという。つまり、水分子と水分子とがお互いにくっつき易い状態を作ることが、全身麻酔効果の分子機序だというのである。

 脳の水分子の活動が意識をつくり、その活動を変えることで、全身麻酔がかかる。

 そのときの私には、何が何だがわからなかった。それでも、人間が好きで哲学を始め、人々といることが好きで医者になることを決めていた私が、心の原点となる意識の科学的根拠を知ってしまったのである。目をつむって通り抜けるわけにはいかなかった。

 外に出ると、もう、辺りは薄暗くなっていた。私は家路を急いだ。

 本郷通りから赤い地下鉄の看板がかかった路地に入った瞬間、夕日が私の眼をさした。一瞬、立ち止まった私は、そのとき、「水分子の脳科学」を追いかける決心を固めていた。

 昭和四十八年のことである。

*「scripta」第1号(2006年9月)より転載


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