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2009年07月29日

『モラル・ハラスメント―人を傷つけずにはいられない』マリ-・フランス・イルゴイエンヌ/高野 優 訳(紀伊國屋書店)

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「「モラルハラスメント」と翻訳者の社会的責任」

                      高野 優(=翻訳家)

 翻訳者は社会的な存在ではない。と、長い間、思っていた。もちろん冷静に考えれば、それがまちがいだとすぐわかる。なんらかの職業についていて、社会と関わりを持たないということはないからだ。それなのに、「社会と関わっている実感」がないのはどうしてだろう? その理由はおそらく、本が実用品ではなく、たとえ読者に感動を与えても、その感動が個人的で、訳者のところまで返ってくることがほとんどないからだろう。あるいはこれには私自身のトラウマも関係しているのかもしれない。翻訳者を目指して、仕事もなく、原書ばかり読んでいた頃、サラリーマンでも店屋さんでも職人さんでも、汗水流して働いている人が羨ましく思えた。「この人たちは社会に貢献している。それにひきかえ……」というわけである。そうなのだ。「社会的な存在ではない」というのは、「社会に貢献している実感が乏しい」ということなのだ。

 しかし、それは一冊の本を訳したことによって変わった。その本とは一九九九年に紀伊國屋書店から刊行された『モラル・ハラスメント - 人を傷つけずにはいられない』(マリー=フランス・イルゴイエンヌ著)である。この本はその前年にフランスで出版された「精神的暴力=いじめ」の本で、発売以来、フランス国内で大反響を呼び、大ベストセラーになった。ちなみに、「モラル・ハラスメント」というのは著者の造語で、フランス語の「モラル」という言葉には「精神的な」という意味があるから、直訳すると「精神的な嫌がらせ」ということになる。だが、実は著者自身が書いているように、「モラル」という言葉が本来持っている「倫理的な」という意味も、この造語に重要なニュアンスを与えている。著者の定義によると、「モラル・ハラスメント」というのは「歪んだ自己愛を持っている人間が、ただ相手を貶めることを目的として精神的な暴力をふるう」というもので、それはまさしく倫理にもとる行為だからである。著者はこの概念をもとに、まず一作目で夫婦や親子など家族の間の「精神的暴力」を解説し、その続編の『モラル・ハラスメントが人も会社もダメにする』では話を「職場」にかぎって、その状況をつぶさに分析した。

 では、どうしてこの本を訳したことによって、私は翻訳者として社会的な存在になれたと感じたのか? つまり「社会に貢献した」という実感を持つことができたのか? それはなんといっても、モラル・ハラスメントの被害者の方々からの反応である。その反応はまず編集部に寄せられた読者の手紙という形で表れた。それからインターネットの読者による書評、そして被害者の方が立ちあげたホームページ、あるいはこの本を紹介した友人の社会保険労務士のもとに相談に訪れた人の話……。そういった被害者の方の反応をひと言でいうならば、「『モラル・ハラスメント』という言葉を知ったことによって、自分が受けていた不当な仕打ちの意味がわかった」、「この本によって救われた」というものである。訳者にとって、これほど心強い反応はない。私はこの本を訳したことによって、世の中のためになったのだ。社会に貢献したのである。

 その後、「モラル・ハラスメント」が新聞や雑誌で取りあげられるようになり、また本のほうも増刷を重ねて、少しずつ世間に浸透していくようになると、「世の中に貢献してよかった」という私の気持ちには、また別の変化が表れた。今度は「訳者の社会的責任として、『モラル・ハラスメント』という言葉を世間に広めていきたい」と思うようになったのである。続編の『モラル・ハラスメントが人も会社もダメにする』のなかで、著者は「この暴力を防ぐには当事者だけではなく、精神科医や弁護士などの専門家、そしてメディアなどが積極的に立ちあがっていかなければならない」と述べている。幸い、精神科医や弁護士の方々のなかにはこの問題を重大なものとして考え、モラル・ハラスメントと戦おうという気運が高まってきている(そういった方々のご尽力により、今年の二月には著者の来日講演会が行われた。また、最近ではモラル・ハラスメント防止の法制化を求めようという動きも出てきている)。

 では、そうしたなかで訳者として自分は何をなすべきなのだろうか? これまで自分のしてきたことをふり返ってみると、まずは訳者と同様「出版人の社会的責任」としてこの問題に関わる担当の編集者藤﨑寛之氏と力を合わせ、被害者の窓口になる諸機関への本の紹介などを行ってきた。だが、それだけではまだ十分とは言えない。そこで、今は全国の書店をまわって、本の紹介を兼ねた簡単なセミナーができないかとも考えている。それはまだ実現できるかどうかはわからない。しかし、そういった活動を地道に続けていくことが、この本を訳して世の中に送りだした「翻訳者の社会的責任」ではないだろうかと考えるのである。


*「scripta」第1号(2006年9月)より転載



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2009年07月16日

『資本主義に徳はあるか』アンドレ・コント=スポンヴィル/小須田健&コリーヌ・カンタン訳(紀伊國屋書店)

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「経済と倫理のあいだ」


                小須田健(中央大学ほか講師=訳者)

 最近では、店頭まで行かなくともインターネットで商品が購入できる。たいがい品物は宅配便でくる。近年急成長のこのサービスは質の向上が著しい。配送日時指定やクール便はいまやあたりまえだが、このきめこまやかさは、日本の過密な道路事情次第ではおおきなリスクともなる。じっさい先日、午前着のクール便で頼んだワインが一向にとどかなかった。業を煮やして問い合わせても、先方も事情が把握できていない。確認して連絡しなおすと言いながら、なしのつぶてである。おそらく先方では、運送なり所在確認に尽力していたとは思うが、この時点でこちらが求めていた「いつ届くか」の情報は最後まで得られなかった。私がその不誠実な対応に腹をたてていると、 家人はそれは担当者以前に企業内部のシステムの問題ではないかと言う。会社勤めをしている彼女は企業内部の組織の欠陥に眼が向き、一消費者にすぎない私は窓口の担当者の人間的対応が気になる。この二面性はそのまま『資本主義に徳はあるか』の指摘につながる。

 『資本主義に徳はあるか』は、フランスでは広く名を知られる現代の哲学者・モラリストであるアンドレ・コント= スポンヴィルの著作である。縁あって私は、本国で彼の名を一躍知らしめることになった『ささやかながら、徳について』(一九九九年、以下すべて紀伊國屋書店)にはじまり、『愛の哲学、孤独の哲学』(二〇〇〇年)、『哲学はこんなふうに』(二〇〇二年)、『幸福は絶望のうえに』(二〇〇四年)を経て、今回の『資本主義に徳はあるか』で五冊目になるその翻訳のすべてに携わっている。

 基本的に彼の思想は、処女作『絶望と至福についての試論』(未訳)以来一貫している。その要は、絶望することが真の幸福への入り口だという考えである。なぜ絶望が幸福につうじるのか。それは、希望するとはいまの自分に欠けるものが未来に実現されることを願う行為だが、この欠けるものに眼が奪われると、いまの現実をありのままに認めるという、生きるうえで肝心な作業が滞りかねないからである。生きるとはつねにいまを生きることであって、希望にすがることはしばしば現実逃避にしかならない。
 
 『資本主義に徳はあるか』では、これまでになかった方面へ踏みこんだ議論がられる。倫理にかかわる最近流行のトピックスに「企業倫理」がある。ライブドア問題に象徴されるように、このところビジネスがらみの事件・問題が頻出している。それを、ビジネスに携わる人びとのモラル=倫理意識の欠如という観点から糾そうというのがその狙いである。これは一見もっともに思われるが、コント= スポンヴィルに言わせれば根本的な誤解をはらんでいる。

 ビジネスすなわち商取引は資本主義経済下で合法的に認められている営為である。個人の自由な利潤追求を容認する資本主義社会で、各人が自分の利害からいとなむ行為が経済活動である。しかるに倫理の本領は、利害を離れた観点からなされる点にある。商人が適正な価格で商うのは道徳心の発露ではなく、あこぎな商売をすると顧客を失い捕まる危険が高いという計算にもとづく。だからといって私たちは彼を責めはしない。その商品が必要なもので適正な価格なら私たちは買う。そこには倫理をもちだす余地はない。企業は法や常識に違反しないかぎりでより効率的な利潤追求をめざしてかまわないのである。

 冒頭の話にもどるなら、組織としての企業はつねにより効率的なシステムの構築をめざせば良いのだし、その一方で企業内の個々人にはその立場に応じた誠実さが求められる。ポイントは、この二つを混同しないことである。まずはさまざまな秩序を区別して、問題を整理することが肝要である。と、ここまで紹介したのは本書で展開されている啓発的な議論のごく一部にすぎない。

 こうしたコント= スポンヴィルの議論は、私たちが生きていくうえで看過できない基本的な問いについて最低限の指針を与えるものだと言ってよい。だからこそ、専門的に見るならその議論にしばしば性急さや論証の不十分さが見られようとも、彼の著作は世代や職種を問わず読まれているのだろう。私には、『ソフィーの世界』以来の哲学入門の試みのひとつの到達点がコント= スポンヴィルだと思えてならないのだがどうであろうか。

 さきにシステムとしての資本主義に倫理は無縁だと述べたが、だからといって企業が倫理と無縁なわけではない。その好例がさきのノーベル平和賞の受賞者ムハマド・ユヌス氏の活動である。氏が総裁を務めるグラミン銀行は、一九八三年以来バングラデシュの農村で女性たちに無担保融資をつづけてきた。これまで六六〇万人(九七%が女性)に総額五〇億ドルを貸しつけ、九八%が返済されているという実績からして、この銀行が資本主義の論理にのっとって運営されていることは言うまでもない。その一方で、ノーベル平和賞受賞という事実が示すように、そのベースにある理念ないし倫理観のすばらしさも言うまでもない。


*「scripta」第2号(2006年12月)より転載


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2009年07月08日

『脳のなかの水分子―意識が創られるとき』中田 力 (紀伊國屋書店)

脳のなかの水分子―意識が創られるとき →bookwebで購入

「三丁目で見た夕日」

          (中田 力・新潟大学統合脳機能研究センター長=著者)

 秋晴れがきれいな日だった。

 図書館の地下食堂から裏庭を抜けて北病棟に戻ろうと思っていた私は、垣根を越えたところで踵を返した。三四郎池を横目に見ながら、道場脇の石階段を早足で駆け上がると、赤門に抜けるロータリーで同級生と鉢合せになった。

 「病棟実習行かないの?」

 「水だってさ」

 「……?」

 怪訝な顔で私を見ると、明らかに避けるように走り去った。

 御茶ノ水まで丸の内線で出て中央線各駅に乗り換える。その頃、明治通り沿いに住んでいた私が大学に通うための最寄りの駅は、千駄ヶ谷だった。

 家に帰ろうと決めていたわけではないのだが、なんとなく、いつもの道に足が向いた。赤門前の信号を渡り、本郷通りを南に歩き、最初に目に付いた喫茶店に入った。

 大学街の店には、混んだり空いたりの差があまりない。昼休みはとっくに過ぎた時間なのに、中はまだ、ごった返していた。奥の小さなテーブルにやっとのことで席を見つけた私は、コーヒーを注文するや否や、手に持った論文を、何度も、読み返していた。

 「全身麻酔は、どのようにして意識をとるのですか?」

 そう尋ねた私に、麻酔科の教授は答えた。

 「脂肪に溶けやすく、脳に入りやすいからだ」

 「脳に入りやすい麻酔薬がより強い効果があるのはわかります。でも、脳に入った後、どうやって意識をとるのですか?」

 「だから、脂肪に溶けやすいからだ」

 教授は、不機嫌に言い放つと、その場を去った。見送る私に、若い助手が近づいてくる。

 「ライナス・ポーリングの論文を探してごらん」

 子供の頃から人間が好きだった。どんな人にでも、必ず素晴らしいところがあることに感動していた。そのおかげで、哲学にはまった。駒場時代もほとんどの授業をサボりながら、仲間と議論を重ねていた。それでも、医者として、心の科学を追いかけるつもりは、全くなかった。医者になろうと思ったのは、それより、ずっと前のことである。十歳のころには、もう、決めていた。親はもちろんのこと、親戚にも医者はいなかった。ただ、職業としては、人々の中にいることのできる医者をやることを決めていた。そして、医学部に入った瞬間から、心臓外科をやろうと思っていた。その決心が揺れることがあるなどとは、夢にも思っていなかった。

 意識があることが、脳が心を作り上げる出発点である。そして、意識を操作できる唯一のものが、全身麻酔なのである。ところが、意識をとる程度の軽い全身麻酔では、大脳皮質ニューロンの電気生理学的活動には大きな変化が見られない。全身麻酔薬は、神経伝達をブロックすることによって痛みを取る局所麻酔薬とか、特異的な受容体に結びつくことによって効果を出す精神神経薬とは全くちがった形で効果を発揮するのである。

 では、どうやって、意識をとるのか?

 それがわかれば、脳がどのようにして心を作り上げるかへの道筋が見えてくる。

 ほとんど足を踏み入れたことのなかった薄暗い論文書庫で、私は、その論文を見つけてしまった。それは、自分の人生の中でもっとも衝撃的な一瞬だった。

 ポーリングによれば、全身麻酔効果のある薬剤すべてが水のクラスター形成を安定化し、小さな結晶のようなものを作り出すという。つまり、水分子と水分子とがお互いにくっつき易い状態を作ることが、全身麻酔効果の分子機序だというのである。

 脳の水分子の活動が意識をつくり、その活動を変えることで、全身麻酔がかかる。

 そのときの私には、何が何だがわからなかった。それでも、人間が好きで哲学を始め、人々といることが好きで医者になることを決めていた私が、心の原点となる意識の科学的根拠を知ってしまったのである。目をつむって通り抜けるわけにはいかなかった。

 外に出ると、もう、辺りは薄暗くなっていた。私は家路を急いだ。

 本郷通りから赤い地下鉄の看板がかかった路地に入った瞬間、夕日が私の眼をさした。一瞬、立ち止まった私は、そのとき、「水分子の脳科学」を追いかける決心を固めていた。

 昭和四十八年のことである。

*「scripta」第1号(2006年9月)より転載


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『眼の冒険―デザインの道具箱』松田行正(紀伊國屋書店)

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「『眼の冒険』のブックデザイン賞と次作について」

           (松田行正・グラフィックデザイナー=著者)

 成人になってから授賞式で賞状を受け取るなんてはじめて。賞を頂くということがこんなに気持ちのよいことなんて知らなかった、というのが偽りのない感想だ。賞状を頂くために自分の順番が回ってくるまで待たなければならないという苦痛もまたよし、である。

 少し大口を敲くと、現在のような仕事ぶりを続けている限りいずれなんらかの賞の対象になるかもしれないとはなんとなく思っていたが、あまたある本の中から一冊か二冊選ばれることも奇跡としか思えなかった。そして、日々の仕事に追われ、誰しも同じかと思うが、受賞という考えは念頭から去っていた。たぶん、そこが賞というもののよさだろう。突然やってくる。

 また受賞作がカッコいい。なんと自著である。今回の賞の歴史の中で、著者自装本の受賞はおそらく初だろう。自著ということで思い入れもひときわ強い。なにしろ、隔月誌『デザインの現場』で七年間、苦闘して連載したものを纏めた本だからだ。連載のときもスペースの制約くらいで、大変なりに、自由に楽しんで執筆したが、幸運にも、単行本化にあたっても自由度が高く、著者であるとともに、デザイナーの二役という二倍の楽しみが許された本だった。そして、デザイナー兼著者なので、読みながらレイアウトし、レイアウトしながら読んだ。

 いちばん大変だったのは参考文献のチェックである。連載の初期の頃は参考文献を入れていなかったが、途中から明記するようになり、なんでも徹底したくなる質なので、本にするときにはすべての項目に参考文献をつけたくなった。もう一度思考の後をたどるのは至難とわかり、明らかに後半の連載と比べて前半は詳細さが足りなかった。本にするときは連載順ではないので、実際には明白にわかるものとはならなかったが。

 また、一番気になったことは売れ行き、担当編集者の方が言いたいこと(言うべきこと?)はちゃんと言うタイプだったので、もし、初版で売れ行きがあまり伸びなかったときは悲惨だな、と思っていた。そんなとき朝日新聞の読書欄に鷲田清一さんによる書評が載り、重版が決まった。『眼の冒険』はデザイン誌などからも取材を受けたり、ありがたくもいろいろと活躍してくれたが、この鷲田さんの書評と講談社のブックデザイン賞受賞の二つが活躍の頂点である。この重版決定により肩の荷が下りた。

 こうしたさまざまなことで気をよくして、担当編集者の方に今考えている次の本の話をし、企画が通った。その本とは『はじまりの物語(仮題)』である。

 「はじまり」といっても、いわゆる発明・発見物語ではない。各項目を列記してみても、わかるのと説明のいるものがある。抽象、螺旋、グリッド、速度、ライン、混合、封入、可読、シンプル、四角形、対(twin)、メリハリ、デフォルメ、レディメイド、反転、オブジェ、置換、奥行きなどだが、試しに「反転」を取り上げてみる。

 「反転」とは、今まで悪いイメージだったことがあることをきっかけによいイメージに「反転」するようなことのはじまりについて語っている。

 たとえば、ヨーロッパでのストライプ模様の立場について。ストライプは模様として目立つ。もともと砂漠民であるイスラム教徒は、視認性のよいことこそ砂漠で生死を分かつ重要な要因なので、目立つ模様としてストライプを常用していた。

 それが、砂漠地帯に住んでいたカトリック信者がストライプ模様の服を着てパリに流れてきた。十字軍の後ということもあり、ストライプ模様はカトリック教会によって異教徒の模様と断定され、一般の着用は禁止された。そして、社会の底辺にいる、娼婦や旅芸人、死刑執行人などに全身ストライプになることを強制した。ナチスがユダヤ人に黄色の腕章をつけさせたのと全く同じで、最低の職業だとすぐわかるようにしたのだった。

 ところが、布の供給が増えて、室内装飾にも布を使うようになり、ストライプ模様のカーテンが現れた。そこで今度は、部屋にいても目立たないように召し使いにストライプの服を着させた。なんとも勝手である。

 それが、アメリカが独立の際にイギリスにおもねって国旗に赤白のストライプを採用したが、後にイギリスに反抗したので、ストライプは逆に反体制の印となってしまい、フランス革命でも熱狂的にストライプを使った。

 こうして、ストライプは政治的な記号となり、ストライプである三色旗をみだりに使うと処刑される、恐怖政治のシンボルとなって大衆から恐れられた。そうこうするうちに、水夫が青白の横ストライプのシャツを着るようになって清潔のイメージとなり、今やおしゃれな模様となっている。

 同じようなことが明治の「ザンギリ頭」にも起きているが、詳細は刊行したときに読んでください。

*「scripta」第1号(2006年9月)より転載


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