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2010年03月22日

『四十日と四十夜のメルヘン』青木淳悟(新潮社)

四十日と四十夜のメルヘン →bookwebで購入

「記録が記憶となるまで」

 青木淳悟は2003年に新潮新人賞を表題作で受賞した現代日本作家である。現代を生きながら同時にその現代を掴むというのはなかなか難しいことだが、小説を同時代的に読むということは、読みながらその時代性を身体で感じることができるかもしれないという可能性を含んだ、地味に見えて実は結構スリリングな愉しみがあると思う。

 「四十日と四十夜のメルヘン」にはページをめくるとまず、野口悠紀雄著『「超」整理法』から引用されたエピグラフがある。

必要なことは、日付を絶対忘れずに記入しておくことだ。

 この一節がこれから始まる小説と一体何の関係があるのか、そもそも文学とは何のつながりもなさそうな本から引っ張ってくる意図は何なのか、1ページ目からつまずいてしまう。そして本編では語り手のものと思わしきある一定の期間の日付入り日記が、順不同で淡々と繰り返し書かれていく。この小説の構造は読み手に混乱を起こさせ、空気が膨張するような錯覚をもたらす。

 さらに日記と日記の間には日記以外のエピソードのようなものがこれもまた一見整理なく散りばめられているのだが、そのなかに語り手が通っていた文芸創作教室の講義の先生が書いたという小説に関する記述がある。

ところが修道院の生活には一日を特徴づけるような出来事があまりにも少なかった。修道士たちは昨日と今日の区別なく院内の菜園で働き、あいもかわらず種なしパンを焼き、一日七回の祈祷礼拝を行った。日々の活動は聖務日課書によって規定され、季節ごとの日照時間に合わせて寝起きされ、年間を通じてそのサイクルは遵守された。そんな十年一日という修道生活の記録を前にして、彼はきっと困難をおぼえたはずなのだ。

 これを読むと、毎日毎日を家と職場の往復に費やし、家に帰れば帰ったで日々同じようなことを繰り返す「現代人」の象徴のようにも思えてくる。そのことに抗うように、いまの世の中では「小さな幸せ」という、単調な生活のスパイスになるようなものを探し求めがちだ。

 後半になってくると、語り手が書いている架空のフランスを舞台とした童話の記述が増えてくる。そして語り手は自分の住むアパートを指し、何号室という区切りがなくなってしまい、漠然と「ここにいる夢」を頻繁に見る、ともいう。メルヘンチックな童話や夢物語には「いつ・どこで」という記録としての正確な情報が抜け落ちているものだ。そして、読む人によっては「つまらない」と感じてしまうような、ある意味で表面的な、情緒のない、意味の取り払われたむきだしの言葉で語られる。それは装飾だらけの言葉で語られるものよりもむしろリアルさは強烈で、強烈すぎるがゆえに逆にふわふわとした「夢のような」地に足がついていない不思議な感じを受ける。日付入りの日記の羅列として始められたこの小説もさいごには日付が消え、唐突な情景や整理のついていないキーワードだけが残る。この感覚は夢を見ている感覚と少し似ていて、ただの日付入りの記録だったはずが、気がつけば記憶の底にある印象的な風景を見たときのような余韻だけが残っている。

 「四十日と四十夜のメルヘン」は、“たった一回の生を生きる”ということを感じにくい現代において、何も起こらずただ過ぎていくばかりの日々のなかの「小さな幸せ」を見つけるという方法以外のやり方で、その生を感じさせ、拡張させ、循環させている。このことは小説という言語表現にまだまだ可能性があるからだと改めて思わせてくれるのだ。

 青木淳悟はこの作品で「日本代表選抜会」、そして別の作品でも「Road to 2014現代日本」と、どちらにもエントリーされているが、まさに「現代」の空気を小説という言語表現によって掴み、小説という言語表現によってその停滞した空気を自由に広げようという意志をもった、注目すべき「現代」日本作家だ。


(紀伊國屋書店新宿本店ピクウィック・クラブ 梅崎実奈)


■ワールド文学カップ参戦中!
  『四十日と四十夜のメルヘン』と合わせて読みたい本■

・青木淳悟『このあいだ東京でね』新潮社
この作品で「Road to 2014現代日本」にも同時エントリー。
・庄野潤三『プールサイド小景・静物』新潮文庫
・正岡子規『子規句集』岩波文庫
淡々と日々を切り取っていく手法にはこんなものも。方法は違うが同じように「生」が感じられる。
・トマス・ピンチョン『スロー・ラーナー』ちくま文庫
保坂和志は青木淳悟が受賞した時の新潮新人賞において「ピンチョンが現れた!」という題で選評を書いている。


→『四十日と四十夜のメルヘン』をbookwebで購入

2010年03月16日

『バレエ・メカニック』津原泰水(早川書房)

バレエ・メカニック →bookwebで購入

「日本の正統派幻想耽美小説にしてハードSF小説」

 ここ最近、津原泰水の青春ものの文庫化が相次ぎ、つい『ペニス』とか『妖都』のような耽美怪奇を忘れてしまっていた。本当にごめんなさい。『バレエ・メカニック』を読んではっきりと悟った。やっぱり彼の書く日本語は素晴らしいと。津原泰水はぼくの最も好みな作家の一人であり、生きている日本人作家ではベスト3に入る。今回は日本代表で戦ってもらいます。

 物語は『妖都』の不安感と『ペニス』の退廃を香り高く仕立て上げた幻視的な物語である。と言っても伝わらないだろうから、あらましを少し。

 娘の理沙が水難事故で植物状態になってしまい、それ以降自分の人生を投げ捨ててしまっている造形家の木根原。芸術的作品を作ることもなく、お金になるものばかり作り、理沙の延命の費用に充てている。ある日のこと、東京がおかしなことに見舞われる。海もないのに津波が来たり、龍が飛んだり、でかい蜘蛛が街を闊歩したり。それがどうやら理沙の脳みそでの出来事らしい。理沙の脳みそと東京がどこかで繋がっていて、東京が理沙の脳みそになっている。

 第一章はこんな感じです。「君」という二人称で語られている。木根原とトキオのブラジャー問答とラブシーンも忘れてはいけない。第二章では理沙の主治医・龍神が主人公となり、東京での「理沙パニック」を経て、騒動も治まったあとの出来事を描いている。「理沙パニック」の謎をミステリ感覚ですいすい追っていく。そして、第三章では世界観が変貌している。ここらへんでなぜ第一章が二人称になっているのかわかってくると、感動してしまう。SFをあまり読んでないぼくは、第三章は前に戻って確認しながら読み進めていった。

 この小説の一番の愉楽は東京での「理沙パニック」だ。東京の幻想風景が美しかった。ぼくの家の近所を馬車が闊歩する。そしてその馬車が都庁の外壁を進んでいき、その後新宿公園から一帯を見回すシーンはたまらない。

龍神の言葉どおり、馬車は都庁舎の大理石風カーテンウォールと硝子が組み合わさった壁面を進んでいた。実際はそうではあるまいに壁材と硝子は平坦に合わさっている。路面と化した壁面を先へ先へと眺めていくと、そのまま遠方にある都庁の先端まで連続していた。(60ページ)
都庁や他の高層ビル群が、<現実>とは懸け離れた壮麗さに、多彩さに、奇怪な歪曲に満ちた、あたかも山脈状を呈しているのを確かめ、安堵する。(71ページ)

 ここだけでも買う価値があると思う。そもそも明治時代でもないのに、馬車で東京を移動するという発想自体が素敵ではないか。

 第三章になると、世界観が変わっているし、よくわからないところもあったけれど、要は現実を前にするとこれだけ人間は無力なのかと。うなだれてしまうが、反転、感動してしまった。はじめにも書いたが『ペニス』の退廃が翻って香気を漂わせているような印象だった。現実に幻想が入り込み、夢が現実を喰う。物語は錯綜するけれど、津原が描く世界のイメージを気持ち良く堪能できる。文章のうまさがなせるわざである。情緒と香りある美文は、日本文学の名文家の系譜ではないかと思った。

 この小説はハードSFと呼ばれる分類ではあるが、そのような文脈だけで読むのはもったいない。この作家は谷崎潤一郎や三島由紀夫、泉鏡花などの流麗美文を得意とする日本の耽美で幻想的な純文学作家の系譜にあると思う。幻想的東京の美しさは谷崎や鏡花の小説を彷彿とさせる。この小説ではないが輪廻転生と恋愛をからませた『赤い竪琴』は三島の『豊饒の海』を思わせるし、流麗で端正な文体も三島のそれの影響を窺わせる。先に引用した文章は、現実にぼくらが見たわけでもないのに的確だと思ってしまう文章の力を感じる。形容の美しさと日本語の選び方は読んでいて思わず背筋が正される。木根原とトキオのラブシーンはねっとりとしつこく嗚咽が出るほど耽美で、これも三島や谷崎、鏡花の描き方の系譜じゃないかと思った。つまり、匂ってくるのだ。言葉が香りを持つという比喩がこの四人にはぴったりだと思う。エロならエロい香り、グロならグロい香りがする。

 SFというくくりは難しい。ぼくは文学は元来SF的であると思っていて、未来を何かしら予見していないとおもしろくない。今起こっていることを描いても仕方がない。それを知りたいならニュースを読めば良い。現在の出来事を追っていても古びてしまわない未来的な何か、普遍性が必要だと思う。だから、文学は未来をはっきりと描かなければならないとまではいかないが、何かしら匂わせていないといけないと思う。絲山秋子がニートという言葉が生まれる前にニートを描いたように。実は文学は実用書よりもより未来に有効な何かが詰まっているSF的な小説と言っても大きな齟齬はない(はず)。津原さんはこの小説で未来のことを描いている。これを掬ってどう活用するかは読者次第だ。


(紀伊國屋書店ピクウィック・クラブ 榎本周平)


■ワールド文学カップ参戦中!
  『バレエ・メカニック』と合わせて読みたい本■

・泉鏡花『草迷宮』岩波文庫
手鞠唄を説明するくだりは思わずため息がでるほどの形容詞の嵐。
・フィリップ・K・ディック『ヴァリス』創元SF文庫
狂った哲学的迷路SF小説。何が現実で何が妄想か。

■ワールド文学カップ不参加!
  それでも合わせて読んで欲しい本■

・谷崎潤一郎『少将滋幹の母』中公文庫
理沙自身の描写が少ないのに中心に置かれてまわりが騒いでいるのと同様に、母の描写が少ないのに母が中心に置かれてまわりが狂喜乱舞するという大谷崎翁円熟期の母を恋ふる作品。
・三島由紀夫『豊饒の海』四部作、新潮文庫(リンクは第一巻『春の雪』)
津原泰水の現実侵食幻想世界に対するは『暁の寺』の観念美とエロスである。合わせて読むとおもしろいと思う。で、そのあと津原の『赤い竪琴』を。


→『バレエ・メカニック』をbookwebで購入