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2010年04月14日

『青い野を歩く』クレア・キーガン(白水社)

青い野を歩く →bookwebで購入

「寒い日に読みたい憂愁のアイルランド・バラッド短篇集」

 読むだけでこれが北の国であることがわかる。色彩はそう豊かではなく、干し草やナナカマドなど南ではあまり見られない植物が風景の中によく出てくる。装丁の風景が静かなように、小説も静かだった。冬に読んだのが良かった。この寒い時期とアイルランドの風土がマッチしていて通勤時間が豊かになった。

 憂愁のアイリッシュ・バラード短篇集。アイルランドの作家はフランク・オコナー、ジョイス、マグガハン、トレヴァーなどを読んだが、どれも憂愁漂う作品だったように思う。この物語もどこか憂愁漂う孤独な物語が多いのだけれど、最後の最後で毎回救われる気持ちになる。特に表題作「青い野を歩く」のラストシーンは秀逸。

神はどこにいるのか、と彼は問うた。今夜、神はその問いに答える。あたりの空気は、野生のアカスグリの茂みの独特の香りに満ちている。一頭の子羊が深い眠りから目覚め、青い野を横切る。頭上では、星が転がって位置におさまる。神は、この自然だ。(P.50)

 ここでも静かな北の風景が見える。子羊が青い野を横切る。青い野というのがまた良い。夜明けが来て子羊が横切り、神父が救われ、読者も救われる気持ちになる。
それが削ぎ落としたような簡潔な文体で作られている。解説にもあるが、書かれているものよりも書かれていないものが行間から浮かび上がってくる。登場人物は決して多くは語らないのだが、ある瞬間に堰を切ったように過去や思いを語り始める。沈黙があるからこそ、その思いが強く印象づけられるのだろう。「青い野を歩く」でこういう場面がある。

彼女は、語りつくしてはじめて、人は自分を知ることができると言った。会話の目的は、ひとつには、自分はすでになにを知っているのかを発見することにある。(P.48)

 黙っていても己を知ることができないということ。キーガンにとって書くというのは己を知るための読者との会話なのかなと思った。ならば読者は気合いを入れなければ。言葉が少ない中でこんなことを言われると、そうだなあと思ってしまう。
ところどころでキーガン本人が垣間見えるときがある。小説は虚構のものだが、そこにキーガンが実際に見たであろう瞬間を見つける楽しみがこの小説にはあると思う。美しい描写を探すのも良い。ほとんどがそれだ。けれど、くだらないというか、この場面を抜かしても小説として成り立つのだけれど、この場面は見てないと体験してないと書けないのではないかと思える場面がいくつかある。そこにキーガンの素があるのでは。

彼女は帽子を脱ぐが、どこに置けばいいかわからなくて、また頭にかぶる。(P.29)
体をかがめて探すと、フライドポテトと卵が二個載った大きなほうろうの皿が、オーブンのなかで干からびていた。(P.92)
若者はサーモンの身を骨からほんの少しはがす。(P.146)

 細かいところまで行き届いたキーガンの眼には脱帽。蛇足と感じられないのは語りの妙だと思う。こういう箇所がキーガンの素を垣間見る瞬間じゃないかなと思った。こういう箇所が出てくると、こっちも無防備になりキーガンとの会話がぐいぐい進んでいくような気がした。

 ベスト短篇は「波打ち際」。人生の波打ち際という話である。青年の祖母は若い頃に「どうしても海が見たい」と冷酷無比な祖父に頼む。そこで一時間で戻ってこなければ祖父は先に車で帰るという。祖母は祖父に置き去りにされそうになりながら、どうにか車に乗り込んで、自分を置き去りにしようとした男と一生添い遂げることになる。それが人生の波打ち際だったのだ、と祖母は青年に語る。短篇としてびしっと決めてきやがった。そして、青年も今、人生の分岐点に身を置いている。

 こんな末恐ろしい祖父なんてやめとけと思うが、ずっと一緒にいなければならない。大きな強制力のような力に突き動かされる瞬間ってある。なぜか、自分がこうしたいわけではないのに、そうせざるを得ないときがある。祖母の憂愁が青年の未来をより憂愁にさせてしまう暗い話だ。好きだ。

 「クイックン・ツリーの夜は」はもはや呪術。ヤギが大好きな男スタックと火のような女マーガレットのラブストーリー。

あたしたちを突き動かすのは、心じゃなくて、胃袋なのね(P.194)

 これ名言だと思いました。対して、スタックは異常なほどヤギを愛していて、かわいく思えてくる。ケルト民話をからませたアイリッシュ・マジック・リアリスモのような作品。

 生まれた場所がその文学の世界観を決定づけることがよくわかる名作だった。語ること、言葉、会話、沈黙がこの短篇小説のキーワードになると思った。


(紀伊國屋書店ピクウィック・クラブ 榎本周平)


■ワールド文学カップ参戦中!
  『青い野を歩く』と合わせて読みたい本■

・アリステア・マクラウド『冬の犬』新潮クレストブックス
カナダ作家。極寒、厳冬の地に生きる人々の話。冬に読みたい小説ベスト1。
・ウィリアム・トレヴァー『聖母の贈り物』国書刊行会短篇小説の快楽
アイルランドの短篇作家。トレヴァーは登場人物を盛り上げといて、最後に彼らを打ち落とす恐ろしきスナイパー。
・ガブリエル・ガルシア=マルケス『エレンディラ』ちくま文庫
実は一番最初にこの小説が思い浮かんだ。キーガンを読むとすぐに北の物語だとわかるように、『エレンディラ』を読むとすぐに南だとわかる。キーガンにはケルト民話、マルケスにはマジックリアリズムという幻想性もある。共通項は土地に根付いた話。

※『青い野を歩く』は立川読書倶楽部の第一回課題図書でもあり、倶楽部メンバーの方々の他の書評は立川読書倶楽部WEB会報からも見ることが出来ます。非常に楽しいホームページです。(蜷川)


→『青い野を歩く』をbookwebで購入

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