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2010年04月04日

『白の闇』ジョゼ・サラマーゴ(NHK出版)

白の闇 →bookwebで購入

「盲人の世界と小説の親和性」

初めてノーベル文学賞を受賞したポルトガル人、それがジョゼ・サラマーゴである。今大会に参加した彼の作品『白の闇』は「ブラインドネス」のタイトルで映画化されたことから、知っている方も多いだろう。目の前が真っ白になる病気が伝染し、世界中の人たちが失明する、という話だ。パンデミックという言葉を用いればカミュの『ペスト』とも並べることができるが、この作品は是非ともストーリーよりもその描き方に注目して読んでもらいたいものである。

ページを開いて最初に目に飛び込んでくるのは、びっしりと敷き詰められた文字の海。改行もほとんどなく、ちょうどガルシア=マルケスの一部の小説を開いたときのような威圧感に圧倒されることだろう。しかし読み進めてみると、ページを繰るスピードが存外速いことに気付く。サラマーゴはメルヘンのように小説を書くのである。つまり心理描写や風景描写など、意味を捉えるのに時間を要する箇所は極力排除されていて、あるものはひたすら動作、動作、動作。さながらシャルル・ペローやグリム兄弟の童話を読んでいるかのような疾走感がある。改行が少ないのは、会話文が括弧で括られていないからだ。ある者が発言しある者がそれに反応する、その応酬が途切れることなく連続するため、ここにもただならぬ速度が生まれる。つまり、これは読みやすくするための工夫が随所に凝らされた作品で、文字の海はその結果として生まれたものなのだ。さらに、『白の闇』のストーリーならではの文体的特徴として、登場人物たちが名前を持たないことも挙げられる。誰もが視覚を失った世界では、名前など何の意味も持たない。医者、医者の妻、最初に失明した男、サングラスの娘といった言葉がそのまま固有名詞となる。『白の闇』はこれほどまでに技巧的な文体をもって練り上げられた作品なのであり、そしてこれらの文体的特徴とは絶対に映像化できないものなのである。

目が見えないということがどれほど我々の生活を破壊するものなのか、サラマーゴはそれを執拗に追い求めた。感染症としての失明は世界から忌避され、隔離された患者たちは使われなくなった精神病院に収容される。そして、誰も見ていないという確信は、ここにいる人びとを野性の世界へと連れ去ってしまうのだ。ここで起こる凄惨な出来事の数々はグロテスクとしか言いようがなく、サラマーゴの執拗さはそのまま寓話性とも読むことができる。なぜならそこには、一人だけ目の見えるものがいるのだ。読者はその存在に強く惹きつけられていくことだろう。

視覚を失った世界では音だけが我々の指標となる。会話文と地の文が溶け合うこの特異な文体も、それを計算した上で編み出されたものに違いない。そこまで辿り着くと、一つの疑問が浮かび上がることに気付くだろう。つまり、盲人にとって世界は小説のようなものなのではないか、ということである。視覚的に閉ざされた空間において、我々を導いてくれるものは取捨選択され発せられた言葉だけなのだ。小説に描かれなかったものは想像することしかできないのと同じなのである。思えばホメロスもボルヘスも目が見えなかったのではなかったか。盲人の世界と小説の親和性を、考えさせられる一冊である。


(紀伊國屋書店ピクウィック・クラブ 蜷川美峻)


■ワールド文学カップ参戦中!
  『白の闇』と合わせて読みたい本■

・ギルバート・アデア『閉じた本』創元推理文庫
眼球を失った作家が執筆のために助手を雇い入れるものの、助手を通じて語られる世界の姿がだんだん信じられなくなる、という話。ほとんど会話文だけで構成された奇妙な小説。
・H・G・ウェルズ「盲人国」『タイム・マシン』岩波文庫
失明する伝染病(!)の流行から何年も経ち、先祖代々目の見えない人びとが暮らす閉ざされた国に、目の見える男が迷い込むという話。視覚を使わないことに慣れきった人びとの新たなる常識を描いた傑作短編。


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