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2011年09月27日

『「見る」とはどういうことか---脳と心の関係を探る』藤田一郎(化学同人)

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「脳と心の研究の魅力を垣間見る」

 言語理論に関心を持ち始めて少し経った頃、ことばの研究はことばの世界を超えて広く心や脳の問題とつながっていることを知った。その広がりを知ったとき、手にしたのが、Ulric NeisserのCognitive PsychologyとRichard L. GregoryのEye and Brain: the Psychology of Seeingであった。前者は認知心理学の(おそらく初めての)本格的概説書で、むさぼるように読んだ。後者は視覚をテーマに心と脳の問題について解説した本で、読みやすかった。特徴の一つは図版が豊富なことで、収められたカラー写真を眺めながら、何時間も過ごしたこともある。この本はその後も版を重ねているが、わたくし自身はやはり最初に接した初版を忘れることができない。

 Gregoryの本は名著だと思うが、ちょっと教科書っぽさがあって、その意味でのとっつきにくさがある。もちろん、もっととっつきやすいものも結構出版されてはいるが、今度はそのとっつきやすさばかりが目立って、重厚感がない。と、まあ、典型的な読者ないものねだりを決め込んでいたところ、目に留まったのが、藤田一郎の『「見る」とはどういうことか---脳と心の関係を探る』であった。

 この本は化学同人のDOJIN選書の、たしか最初期の一冊として刊行されたものであるが、藤田さんが阪大に着任した折、学部2年生を対象に、「動物の行動やヒトの心のふしぎさや面白さを知り、脳科学に惹かれるようになるような授業」(「あとがき」)をという求めに応じて開講した講義の一部がもとになっている。

 藤田さんは(とくに視覚関係の)認知神経科学において重要な仕事をなさっている研究者であるが、この本はその藤田さんが書き下ろした絶好の認知神経科学入門になっている。外の世界から取り込んだ視覚情報に心/脳がどのように働きかけ、それを処理をしていくかを抽象的な心の世界と物質的な脳の世界をいったりきたりしながら探っていく。認知神経科学の醍醐味である。

 この本がGregoryの本と決定的に違うのは教科書臭さがない点である。でも、臭さはある。藤田一郎臭さである。「脳、心、脳科学と私」と題された最終章は言うに及ばず、本全体が藤田さんの考え方の枠組みで、きちんと構成されており、それがこの本の大きな魅力になっている。さらには「コラム」などから藤田さんの人柄を垣間見ることもできる。

 この本の弱みと言ったら、カラー図版が少ないことであろう。口絵数葉が用意されているが、やはり、本全体に色が欲しい。また、この本が出てから利用可能となった錯視現象などを実体験できるウェブサイトの情報も欲しい。でも、いずれ、藤田さんはそうした本を書いてくれるものと思う。

* * *

 藤田一郎さんの最新刊が『脳の風景---「かたち」を読む脳科学』である。そこでは、前著『「見る」とは』よりも、もっと自由に、(「はたらき」からではなく)かたちから脳の神秘へ迫る。そこには、かたちとはたらきを結びつけることができなければ、脳研究のスタートラインに立ったことにはならないと考える藤田さんの考えが明確に見てとれる。前著より藤田一郎臭さがより鮮明であると言ってもよい。読者にとって、とくに研究者を目指す若い読者にとって重要なのは、この本を読んでいると、一流の研究者だけに許されるわくわく感の一端を疑似体験できることである。

 同時に、この本は藤田さんにとっては、日常の研究実践をメタ的に眺めた時見えてくる脳の景色を書き留めた「覚え書き」のようなものであるのだろう。そして、著者自身、その「覚え書き」を辿りながら、これまでの研究を振り返り、これから向かう先を模索する。ところどころに出てくる藤田さんの写真(若い時から現在まで)を眺めながら、ふとそんなことを思った。

 藤田一郎さんの(一般向け)書物で、もう一冊加えておかなくてはならないのが、『脳ブームの迷信』である。100ページにも満たないブックレットであるが、脳の研究者として、「脳ブーム」について、だれでも理解できる語り口で警鐘を与える。一時は先行きどうなることかと思われた「脳ブーム」も、専門家による一般向けの良質の解説が世に出始めたことなどで沈静化しつつあるが、藤田さんのこの本は脳の性質とそれに関連する研究成果で抑えるべき点を簡潔に整理することから始める。この部分だけでも、有益な脳科学入門になる。

 そして、この本でとても大切だと思うのは、多くの人たちがうさん臭さを感じ始めた「脳科学者」たちをその流れに乗って切り捨てるのではなく、相手に対する敬意を忘れずに、あくまで冷静に論じる。これはだれにでもできることではない。研究者としての良心と藤田さんの人柄を感じさせる。


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