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2012年02月16日

『メディアとジェンダー』国広陽子+東京女子大学女性学研究所(勁草書房)

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「『メディアとジェンダー研究』の最前線」



 「メディアとジェンダー」。両者は相互に密接に関わり合っている。メディア研究、ジェンダー研究の双方で多くの蓄積と広がりもある。だが、深く関係しつつも一筋縄ではいかない両者の関係を正面から果敢に論じようとした本はそう多くない。その意味で、まだまだこれから探究されるべきフィールドだろう。

 まず冒頭で「メディアにおけるジェンダーの問題の全てを本書が網羅することは難しい」(ⅴ頁)と共著者の李と有馬が述べている。確かに、「メディア」あるいは「ジェンダー」という広範な概念を掛け合わせた場合、その対象となる領域はあまりに広い。

 「マス・メディア」といった場合、テレビ番組や新聞・雑誌の記事のようなコンテンツ、メディアの制度や組織、あるいはオーディエンスなどその研究対象は多岐にわたる。また、コンテンツといった場合にも、その媒体ごとの特性やジャンルによる違いなど検討すべき課題は計り知れない。したがって、本書で触れられているものもその一部でしかない。しかし、読み進めていくにつれ、こういった対象領域の限定性が本書の価値を損なうものではないことが、腑に落ちてくる。なぜなら、例えば後述するように、多くの章でその狙いが非常に大きく設定されており、さまざまな対象に応用したり広げたりできるものとなっているからだ。

 序章「メディアとジェンダー研究」(国広・斉藤)に課されているのは、本書全体を俯瞰する役割だけではなくて、この難点をフォローすることといえるだろう。評者自身が取り組んできたことを省みるなら、個別具体的な問題関心から出発した場合、往々にして番組論のような表象レベルの議論に偏ってしまいがちだ。しかし、ここではメディアの利用行動など種々のマクロなデータを伴った考察がそれを補完している。

 第Ⅰ部「マス・メディアとジェンダー」では、ニュース、ドラマ、スポーツ、広告が対象にされている。第1章「ニュース報道とジェンダー研究」(斉藤)も上記の難点を克服しようとするものだ。オーソドックスなメディア研究の精緻な整理から指摘されるのは、ジェンダーをめぐるメディア産業の構造的な問題であり、社会的な不平等の問題だ。

 第2章「テレビ娯楽の変遷と女性――テレビドラマを中心に」(国広)も広い視座を持つもので、ここでは社会におけるマス・メディアの広範な影響を問おうとする。そこで争点となるのは、ドラマの変遷を通じて女性がどのようにジェンダー化された主体として取り込まれてきたかという論点だ。ドラマでの個々のステレオタイプな表現をことさら強調するのではなく、また作品論に落とし込むのでもなく、社会の変容との関係からとらえようとするものといえる。

 第Ⅱ部「パーソナル・メディアとジェンダー」では、ブログやソーシャル・メディアなどのCMC(computer mediated communication)とメディアとして身体表現が対象とされる。もちろん個人的な感想だが、「メディアとジェンダー研究」は批判的なアプローチをとることが多い。第5章「電子メディアとコミュニケーション」(加藤)が一際ユニークだと感じるのは、女性にとっての電子メディアの有用性という視点から論を進めているためだ。

 特に興味深いのが、出産期・育児期の女性によるツイッターやブログの利用への注目だ。評者の周辺にも出産期・育児の女性は多くいるが、とりわけ東日本大震災と福島原発事故の際の「ママ友」による情報の共有・伝播は目を見張るものがあった。その規則性や個別性を検証するのは重要なテーマになるだろう。

 本書の目次を開いたとき、「マス・メディアとパーソナル・メディア」という区分の仕方にいささか古臭さを感じた。多様なメディアが存在し、またそれぞれが絡み合っている時代に、二分法でとらえるのはどうなのだろうと。

 だが、第6章「身体表現・メディア・ジェンダー」(曽我)によって、この二分法は(意図的かどうかは不明だが)内側から風穴をあけられている。身体こそ原初的なメディアであり、マス/パーソナル、パブリック/プライベートを往来するメディアでもあるからだ。

 ここでは、身体表現をマス・メディア、運動会、近代舞踊といったさまざまなメディアとの関係からとらえようとする。そして女性の身体表現の抑圧性と解放性が検討されるが、そこで著者が今日の問題として強調するのは、女性が「見られる」ことに常に晒されていることから生じる過剰な痩身願望だ。

 現代の女性の身体の有り様について著者が提案するのは「あるがままの自己や他者の身体を受け入れる」(241頁)ことである。だとすれば、評者にはメディアへの批判と同時にオーディエンスの読解過程や身体を通じた日常的な表現ややりとりのなかでそのような傾向を拾い上げていくような作業も重要になってくるように思えた。

 本書は大学での講義をベースにしているため、「メディアとジェンダー」ついて学びたい初学者には大変親切なものとなっている。だがそれだけではなく、すでに見てきたように各テーマの今後の課題が明確にされているし、挑戦的な議論も随所に盛り込まれている。本書はメディアとジェンダー研究の最前線ともいえるものだ。


【本書の構成】
序章 メディアとジェンダー研究(国広陽子・斉藤慎一)
 第Ⅰ部 マス・メディアとジェンダー
第1章 ニュース報道とジェンダー研究(斉藤慎一)
第2章 テレビ娯楽の変遷と女性――テレビドラマを中心に(国広陽子)
第3章 メディアとスポーツ(有馬明恵)
第4章 広告・消費・ジェンダー(李津娥)
 第Ⅱ部 パーソナル・メディアとジェンダー
第5章 電子メディアとコミュニケーション(加藤尚吾)
第6章 身体表現・メディア・ジェンダー(曽我芳枝)
終章 メディア社会を生きる女性たち(有馬明恵)

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