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2011年12月22日

『柳田国男と今和次郎―災害に向き合う民俗学』畑中章宏(平凡社新書)

柳田国男と今和次郎―災害に向き合う民俗学 →bookwebで購入

「震災と向き合った二人の民俗学者」



 震災後、今和次郎(こん・わじろう、1888-1973)をめぐる書籍が相次いで出版された(本書の他に、今和次郎『今和次郎採集講義』青幻舎)。今和次郎は主に大正から昭和初期にかけて活躍した民俗学者である。民俗学研究としては民家や服飾の分野で業績を挙げたが、現在でも広く知られているのは、主として今が提唱した「考現学」(モデルノロヂオ)によるものだろう。 今の考現学とその後の系譜についてはここでは触れないが、なぜいま今和次郎なのか。その理由は、彼の災害に対するまなざしと実践にある。

   本書はⅡ部構成となっており、Ⅰ部で柳田国男(やなぎた・くにお、1875-1962)を、Ⅱ部で今和次郎について論じている。この二人は柳田らが発起人となった研究会「白茅会」(はくぼうかい)を通じて師弟関係にあったといわれる。だが、著者が今和次郎を括弧つきで柳田の「弟子」としているように、その関係は今が後に考現学を始めることで緊張関係を孕んだものになっていく。
 「あとがき」によれば、本書は当初「地震と民俗学者たち」というテーマだったという。だが今よりも13歳年上で、すでに日本民俗学の祖としての地位を築いていた柳田とこれまでの学問に収まらない今との相克と、その二人の災害のとらえ方をパラレルに描くという本書の絞り方はまさに妙技だ。

 冒頭で紹介される柳田国男のエピソードは非常に印象深い。柳田は、1923年9月1日に起きた関東大震災の報を滞在先のロンドンで受けたが、そのとき同席していた年長議員が「神の罰だ」という旨の発言をしたという(約90年後の東日本大震災でも同じような発言があったことは記憶に新しい)。この一言に対して、柳田は激しく反論したのである。
 その背景には『遠野物語』(1910)の資料収集で柳田が見聞きしたことがある。それは百十九話からなる同書の九九話に反映されているが、1896年に発生した明治三陸地震とその大津波によるあまりに甚大で凄惨な被害の様相である。その後、柳田は25年後にもう一度被災地を訪れている。

 さて、東京美術学校(現・東京芸術大学)の図按科を卒業した今和次郎は、民家のスケッチをしていたときも、豪農などの古民家に限らず庶民の住居も対象にしていたという。そのことからは今の興味関心の所在がうかがい知れる。
 関東大震災とその火災により東京市の6割強が罹災した際、驚くべきことにその3週間後には今は震災後に林立したバラック群の記録を始めるのである。今自身も被災していたにもかかわらず。そして、今の活動はバラック建築を装飾するという、より実践的なものへと移行していく。さまざまな批判に対して今はこういう。

「すなわち田舎家の研究は、主として無装飾の態度の生活者の工作そのものを見つめる仕事であり、無装飾の裸の工芸ということを考えていることになるのである」(179-180頁)

 今のまなざしは常に生活者に向けられ、その関心は完成された芸術的な建築物ではなく生活のなかから住居が生成されていくプロセスにこそあったのだ。柳田が「本筋の学問」(そのころ確立した民俗学)として、震災から8年も経過した後に都市の文化を扱うのとは対照的だ。

 アプローチは異なるが、繰り返し災害に襲われる日本の民衆に寄り添い、自らも災害と向き合い続けた二人の思想、実践から学ぶべきことはあまりにも多い。


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