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2011年11月16日

『文化・メディアが生み出す排除と解放』荻野昌弘編(明石書店)

文化・メディアが生み出す排除と解放 →bookwebで購入

「文化・メディアの両義性をかすりとる」


 文化やメディアの排除性を否定的にとらえた書物は数多くある。しかし、読者は本書が一方的にメディアの差別性や差別用語を批判しようとするものではないことにすぐに気がつくだろう。その特徴は、文化やメディアの解放的な側面も含めた両義性に注目し、いわばそれを丹念にかすりとろうとしている点にあるのだ。編者は述べる。「安易に『良い文化』と『悪い文化』に文化を色分けし、良い文化だけを増やせばいいというわけではない。単純に排除する文化を『排除』して、そうでないものにすればいいというわけではない」。排除する営み自体を考察の対象にし、編者が「ユートピア」と呼ぶ、差別を超えたさらなる次元を探ろうとするのだ。そのような視点は、(濃淡はあるにせよ)全章にわたって意識されている。


 第1章「食とマイノリティ」(角岡伸彦)は食と差別をテーマとする。何を好んで食べるか、何を絶対に食べないかによって仲間意識がつくられたり、あるいは敵がつくられたりするという。大阪市内の沖縄出身者、在日朝鮮人、被差別部落の住民が多い街での聞き取りからは、食文化にまつわる差別や葛藤が描き出される。そのなかで、稀有な例だとしても、ホルモン料理を通じたあるカップルの相互理解のエピソードは、上記の解放の契機と言えるのかもしれない。

 第2章「蘇り、妖怪化する歌、『お富さん』をめぐって」(本山謙二)は「歌謡曲は時代を食って色づき、育つ。時代を腹に入れて巨大化し、妖怪化する」という阿久悠の言葉から始まる。春日八郎による『お富さん』(1954)は長い間、宴会やカラオケで歌われた曲で、青江三奈(1970)や都はるみ(1971)がカバーし、近年にはソウル・フラワー・ユニオンの中川敬(2006)も別ユニットでカバーしている。本山によれば『お富さん』は「ゾンビのような歌」であり、その傍らには常に「弱い者」たちが存在したのだという。『お富さん』から見られる排除と解放とは一体何か。本山は歌舞伎にルーツを持つその歌詞、沖縄民謡を基調としたそのサウンド、蘇って歌われる「現場」の記述などからそこに迫ろうとする。

 第3章「スポーツと差別」(水野英莉)は、2009年のベルリン世界陸上選手権女子800mで金メダルを獲得したキャスター・セメンヤ選手を例に、スポーツにおけるインターセックス(両性具有)の排除が指摘される。水野は「ドーピングを禁止して『自然な身体』を保つことを要求するIAAF(筆者注、国際陸上連盟)やIOCが、なぜインターセックスに対しては外科的な手術による『自然な身体』の人工的な加工を求めるのか」と疑問を投げかける。平等を掲げてきた近代スポーツがその追求において、逆に新たな排除を生み出したという事例といえよう。

 第4章「差別・排除を助長する/回避するインターネット」(前田至剛)はネットの匿名性をテーマにしている。前田は負の側面が取り上げられることが多いネットであるがゆえに、その両義性に重点を置こうとする。精神疾患をもつ人たちが集うウェブサイトの分析やそこで知り合った人たちへの聞き取りからは、彼らが対面的な状況で「健常者」のまなざしを内面化することで症状を悪化させていることが指摘される。前田は、ネットが差別や排除を助長している現状にも目配りしたうえで、匿名的なネットから生まれる自助活動やそれらを通じた繋がりを描き出している。

 第5章「障害者表象をめぐり“新たな自然さ”を獲得するために」(好井裕明)は、メディアのなかでの障害者の描かれ方をテーマにする。好井の議論は、メディアでの障害者の表象がどう変わったか、それが良いか悪いかというものではない。そこで注目するのが「フィクション/ファンタジーとしての障害者表象」である。好井によれば、これらは安定した解釈枠組みに収めた「健全な」障害者表象に対して、「私たちの『あたりまえ』に亀裂をいれ、最終的にそれを壊して、新たな『あたりまえ』をつくりかえていくという意味での『不安』『不安定』」なのである。いくつもの映画やドラマでの描き方を検討したうえで、「不安」「不安定」からつくりだされる思いや感動、それを通じた新たな文化を構想する。

 第6章「<マンガと差別>を考えるために」(山中千恵)も、好井同様、単にマンガで描かれる差別表象を問題にするものではない。山中は次のような問いから出発する。①なにを指してマンガというのか。②マンガの登場人物の図像はなにを反映しているのか。③マンガ読者はいかにしてマンガの世界に入り込むのか。④そもそも、マンガは本当にわかりやすいのか。2010年の東京都青少年育成条例改正をめぐってマンガが議論の中心になったことも示しているように、マンガはほかのメディアと比べても社会的な感情の沸騰を引き起こすことが多い。しかしながら、そこでマンガの何が論じられたのだろうかという疑問が生じる。個々の表象ではなく、マンガのメディア性や商品としての側面に関心を向ける山中の視点はこのようなことをとらえていくための土台となるものだろう。


 本書は、どうしても差別を固定した理解の範囲でとらえたい人にとっては、向き合いたくないものかもしれない。だがその両義性、好井の言葉でいえば「不安定さ」から差別や排除を考え直したい人にとっては好書であるし、それ以上に、固定的な理解自体がまだ形成されていない若い人たちにこそ手に取ってもらいたい一冊だ。

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