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2010年10月10日

『海を渡った柔術と柔道―日本武道のダイナミズム』坂上康博(青弓社)

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「柔術/柔道のグローバルな展開と還流」


「柔術/柔道はいったいいつ頃、どのようにして国境を越え、海外に根付いていったのだろうか。その国際化の道のりとはどのようなものだったのか」

 本書はこのような問題意識を出発点としており、言及される国は実に米国、英国、フランス、ドイツ、ロシア、グルジア、アルゼンチン、パラグアイ、ブラジルの9カ国にも及んでいる。柔道の国際化の文脈において、巷間で頻繁に語られるのは、「コンデ・コマ」こと前田光世のエピソードである。近年の格闘技ブームと相まって、「グレイシー柔術」として有名なブラジリアン柔術の祖、カーロス・グレイシーの弟エリオ・グレイシーとの死闘がテレビ番組や雑誌、漫画などさまざまなメディアで語られている。しかし、それらのほとんどが史資料に基づかない英雄譚となっており、梶原一騎原作の漫画『プロレススーパースター列伝』さながらの、虚構や誇張にまみれた構成・スタイルとなっている。
 それに対して、本書の特徴は大学におけるスポーツ史、スポーツ社会学の研究者や在野の研究者が、当時の、しかも現地の言語で書かれた新聞や雑誌、書籍、プロパガンダ映画といったテクストを丹念に渉猟して記述している点にある。全章をフォローするのは難しいため、以下では評者の問題関心に基づいて第1章、第4章、第7章を中心に読み進めてみたい。

 第1章「柔道vs. レスリング―変容する柔術と継承される“Jiu-Jitsu”」では、米国での受容過程が描かれている。セオドア・ルーズベルト大統領は柔道/柔術の信奉者であり良き理解者であった。しかし、一方で彼はボクシングやレスリングといった西洋の伝統的格闘技への情熱を持ち続けていた。それらが米国の開拓者精神のシンボルだったからである。

「柔道vs. レスリングという『異種』格闘技試合とは、単に『異競技種』の優劣を見定める試合ではなく、やや大げさにいえば、まさに日本人とアメリカ人という『異人種』間の戦いだったといえるだろう」

 ここで、来るべき太平洋上での両国の戦闘が意識されていることは想像に難くない。米国は、民衆向けには日本人を動物以下とするプロパガンダを流布しつつも、為政者は当時の日本を決して侮っていないのである。パーソンズやベネディクトといった社会学者や人類学者が徹底的に日本人の意識構造を分析していたように、政治家も柔道を通じて日本人の意識構造や行動原理を分析し、さらに取り込んでいたのである。

 第4章「ドイツの柔術・柔道」へと話を移そう。講道館柔道の創始者、嘉納治五郎は1889年から90年にかけてベルリンに滞在し、柔道を紹介した。だが、ヨーロッパに広く伝わったのは柔道ではなく柔術だった。第1章で詳しく触れられているが、定着していくきっかけは日露戦争における日本の勝利とそれによる「ジャポニズム」であった。その後、ナチ・オリンピックといわれる36年のベルリン五輪以降、ドイツでの柔道熱は急速に高まる。格闘技としての柔道が、第二次世界大戦へと向かう情勢のなかで「強兵」と親和性を持っていたためとされる。

 第7章「還流するJiu-jitsu――『移民』とブラジリアン柔術」は、柔道の団体戦でいえば「大将戦」にあたる。単にトリを務めているという意味においてではない。それはブラジリアン柔術という、最も日本から離れた地で独自の進化を遂げながら、現在の日本の格闘技に最も影響をもたらしている対象を扱っているからにほかならない。つまり、これまでの章が拡張という一方向的なフローであったのに対して、ブラジリアン柔術は日本へとの還流・循環という側面を持っているのである。
 本章著者の川越和人によれば、ブラジルで柔道が講道館柔道から独自の発展を遂げたのは、前田光世のパーソナリティによるところが多い。ただし、それが前田による影響なのかグレイシーによる新たな展開なのか、あるいは、一族のなかでもカーロスによるものか、エリオによるものかは、それぞれの立場によって見解が異なるため立証が難しい。
 その後、エリオの長男のホイラーが米国でグレイシー・アカデミーという道場を創設し、四男のホイスがUFC大会で活躍するなかで、グレイシー柔術は米国での知名度を獲得していく。ここでは、日本でも94、95年に開催されたバーリ・トゥード・ジャパン・オープンによってその知名度を拡大させていったとされている。だが、さらに付け加えるなら、日本におけるグレイシー柔術の知名度は,マスメディアによるヒクソンの無敗神話と野性性といった誇張された言説や、桜庭和志とホイス・グレイシーの好勝負とそのメディア表象を抜きには語れないのではないだろうか。

 筆者が、こういったメディア・イベントの影響力を指摘しながらも、それとは異なる日系ブラジル人移民の草の根の実践に着目している点が興味深い。ここでは、一人一人の生活史から柔術とその文化、移民同士の関係、移民と日本人との関係などが描かれ、そこから「日常の生活のなかで出会い、ネットワークが作られた、というこの事例こそがメディアに依存するだけではない日系ブラジル人移民によるブラジリアン柔術の拡大経路と見ることができるだろう」と述べられている。
 マスメディアはテレビニュースを通じて、移民を犯罪者として、あるいは犯罪者予備軍として描く。一方で、日本人の多くも彼らを脱人称化した単なる労働力、「デカセギ」と見ている。しかし、ここにはブラジリアン柔術を媒介としてそういったステレオタイプや固定化された日本人との関係性を覆すような実践が見られるのである。

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