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2010年10月27日

『「明星」50年 601枚の写真』明星編集部編(集英社新書)

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「『明星』の図像から読み解くアイドルと社会の変遷」


「『明星』だけは読むな」

 個人的な体験から始めたい。評者は少年時代(ほぼ1980年代)に、母親からこのように言われて育った。男性週刊誌や少年漫画の性表現や暴力描写の方がはるかに有害だと思われていそうだが、それ以上に芸能文化に対する親の忌避は強かった。
 この場合、「『明星』だけは」というのは、「明星」をあげつらいながら他の雑誌も含めた芸能(特にアイドル)文化全般を指している。それくらい、「明星」は芸能文化の代名詞的存在だったのだ。しかし、妹がそのようなことを言われた場面を見た記憶がない。つまり、「女はいいが、男がアイドルなどにうつつをぬかすな」という、ジェンダーに基づく二重の規範が適用されていたのである。
 評者の経験が必ずしも同世代を代表するものでないことは留意する必要があるにせよ、1980年代、アイドルファンというものは、多くの場合、揶揄を込めた否定的な意味合いで「ミーハー」と呼ばれていたし、「明星」のようなファン雑誌(ファンジン)にもそのようなまなざしが強かったように思う。

 本書は、1952年10月号から2002年10月号までの601枚の表紙をカラーで採録しており、実に壮観である。それは同時に資料的価値の高いものでもある。巻末には表紙登場人物の索引も収録されている。作家の橋本治による解題を追いつつ、これらの図像から浮かび上がるものを考えてみたい。
 なぜ、創刊号が映画スターの津島惠子だったのか。美空ひばりや原節子ではなくて、津島なのか。橋本によれば、原や高峰秀子が戦前の記憶をひきずったスターだったのに対して、津島は戦後デビューであったこと、「自分の生き方を探す女性スター」のはしりと位置づけられること、この2点が大きい。そのような津島の生き方が「夢と希望の娯楽雑誌」を謳う「明星」のコンセプトと合致したのである。
 同時代を知らない世代にとって「戦後のスター」といえば、美空や原、笠置シズ子であるが、これらは定番の映像が繰り返し用いられることで、われわれの集合的な記憶として編制されているという側面を少なからず含んでいる。歴史を振り返るテレビ番組で「戦後」が語られる際、必ずモノクロの焦土の映像に「リンゴの唄」が被せられるように。しかし、「明星」が津島を起用したことが物語っているのは、そのような集合的記憶の背後に、いまだ掬い取られていない様々な事象が埋もれているということだろう。

 1950年代=映画スターの時代というように。アイドルの歴史が、その時代に影響力のあるメディアと関連付けて論じられることが多い。本書もそのような構成となっている。
 1950年代には、ほとんど男性が登場しない。男性は鶴田浩二と佐田啓二だけである。そのほとんどは、香川京子、若尾文子、南田洋子、山本富士子・・・といったように女性であり、それも歌手ではなく映画女優なのである。

「しかしどういうわけか、その表紙の印象はみな似通っています。赤いバックの中で動きを止めて微笑んでいる女優たち――1950年代の「明星の表紙は聖画(イコン)のようです」」(20ページ)

というように、まさにそれは憧れの対象であった。皆一様に赤い背景の中で白い歯を見せて微笑んでいるのである。当時の技術から、写真ではなく絵画であることも「聖画」であり、遠い憧れの存在であることを際立たせている。

 1960年代には、吉永小百合、小柳ルミ子、いしだあゆみ、西郷輝彦、舟木一夫などが登場している。ここで橋本が、『明星』の表紙は世相を反映などしてないと断言しているのが興味深い。評論であれ、社会史研究であれ、安易に図像と世相=社会とを接続しがちであるからだ。60年代後半からは全国に広がった若者による社会への抵抗があったし、グループサウンズといううねりもあったにもかかわらず、ここにはそれらは反映されていない。「明星」にとって焦点だったのは「アイドルが健在かどうか」だけだったのである。

 さて、70年代は写真家、篠山紀信の時代と言っていい。71年9月号から81年9月号までは彼が表紙写真を担当している。それにより、それまでの見合い写真のようなものから、多様なシチュエーションやアイテムによって装飾された写真へと大きく変化している。水着やスキーウェアなどのコスプレ的なものや、凝ったカメラアングルやレイアウトが登場する。メディア論的には、テレビの時代であり、スターという呼称からアイドルへの移行期でもある。なお、この時期は「明星の黄金時代」と位置づけられているが、同時に高度経済成長期という時代を反映してか、スキーやジャンボジェット機、スポーツカーなど、モノの輝き、モノへの欲望が見いだせる。

 1980年代はスターの時代から完全にアイドルの時代へと転換した時代とされる。女性では松田聖子、河合奈保子、中森明菜、伊藤つかさ、男性では、沖田浩之、たのきんトリオ、シブがき隊など多数のアイドルが登場するが、50年代や60年代にあったスター性や写真家 の個性は消失し、どの表紙を見ても完全に同質的なものとなっている。田原俊彦の笑顔など、どの写真を見ても表情といい角度といい、ほぼ同じように演出されている。サザンオールスターズやラッツ&スター、聖鬼魔Ⅱなど、アイドルとは呼びがたいグループがときおり登場していたのも特徴だった。
 「男だけの明星」と評されているように、1990年代以降 少年アイドル誌へと変貌を遂げた。牧瀬理穂や一色紗英、内田有紀、広末涼子なども散見されるとはいえ、少年アイドル、それもほぼジャニーズの寡占状態と言っていい。この時期を橋本は「苦闘する明星」と評している。
 だが評者はここで二つの特徴を挙げておきたい。ひとつの特徴は「メイル・ヌードの時代」である。度々、少年アイドルの上半身のヌードが掲載されている。それらヌードは筋肉も体毛もない、まさに少年のものである。96年7月号のタイトルは「ジュニアの素肌にタッチ」であった。これが示唆しているのは、男性の裸を鑑賞するような見方が定着しているということである。男性の裸はかつての「明星」では加山雄三やにしきのあきらにのみ与えられた特権だったのが、広く一般化している。
 もうひとつは、スタジオ空間から出て海や公園、都市空間といった屋外で撮影されることが多くなったということと、ファッションやアイテムへのヒップホップやストリート文化の流入である。『明星』は一貫して「ミーハー」路線であったが、それは決して「ヤンキー」「不良」的ではなかった。しかし、90年代後半から大きな地位を得ることになったストリート文化をいとも簡単に受け入れてしまったのである。しかも、それを薄めて飼いならしてしまっているといえる。

 最後に、本書のような資料から表象と社会との関係を読み解くことはどういうことなのか考えてみたい。これまで見てきたように、いくつかの局面でアイドルや社会の変容が大きな変化を捉えることは可能だろう。だが、橋本が指摘したように、そこには必ずしも社会的現実が反映されているわけではない。また、圧倒的な資料の厚みは、単純な図式化を戒めている。変化したものと変化しないもの、社会やメディアの変容と接続が可能なものと不可能なものを見極める必要があると言えよう。
 アイドルの変容に限定しても、例えば50年代~80年代はアイドルシーンをある程度反映しているといえるが、90年代以降についていえは、アイドル誌やティーンを対象にした雑誌が多数発行され、インターネットによるファンサイトなども存在する。そのなかで、『明星』のみからアイドルの変容を読み解くことはいまや困難である。とすれば、他誌や多メディアとの関係のなかで捉えていく視点が求められている。

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2010年10月13日

『日本人の行動パターン』ルース・ベネディクト(NHK出版)

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「戦時日本へのまなざしを知るための貴重な資料」


 本書『日本人の行動パターンは、ルース・ベネディクトの代表作『菊と刀』が発表される前に書かれた論文、「Japanese Behavior Patterns」(1945年)とそれ以前に書かれた「What shall be done about the Emperor」(不明)を、1997年に福井七子氏が翻訳して出版したものである。評者も出版されていたことは知っていたが、『菊と刀』との関係が不明だったため、手にしていなかった。だが、それ以前の、しかも戦中に書かれた(発表されたのは終戦後の45年9月だが、完成したのはその約一カ前とされる)ことを知り、読んでおきたくなったのである。

 有名な研究は批判さられることも多い。

「歴史の無視、資料操作の恣意的変更、『罪の文化』(西欧)と『恥の文化』(日本)というあまりにもナイーブすぎる二元論」(213ページ)

「そこで著者(ダグラス・ラミス=評者注)は、『菊と刀』は一人のすぐれた詩人によってかかれた『政治文学』であり、人類学研究の著作というよりほとんど一個の『政治論文』であると、一刀両断に切り捨てている」(217ページ)

 本書の解説欄で、哲学者の山折哲雄氏が批判のバリエーションを広く紹介しているように、ベネディクトの研究やその手法に対してはこういったラディカルな批判も多い。
 確かに、ベネディクトは人類学者を自任しながら、人類学者が用いるべき手法を取っていない。その意味では上記のような批判があるのは致し方ない。有名な話ではあるが、彼女は一度も日本に来たことがないのである。福井氏の解説によると、それには彼女が難聴という病気を持っていたことが原因としてあったとされるし、彼女が本論文を執筆する際、日米両国が既に戦争へと突入していたこともあるだろう。

 遠い過去の研究を現在からさかのぼって論難する研究や書評があるが、そういった批判の仕方はまったくナンセンスである。当時を俯瞰し相対化できる特権的立場からそのような論述をすることは卑怯な態度だと思うからである。それゆえ、そういった特権的な批評はできるだけ避けなければいけない。
 さて、彼女の仕事を現代でいうテクスト分析、言説分析と考えれば、まったくその評価は変わってくる。逆の言い方をすれば、彼女は日本に一度も来ることなく、優れた日本文化論を完成させてしまったのである。フィールドに行かずにテクストの分析から推論するというのは、テクスト分析の骨頂である(ただし、それはあくまでのテクストの傾向を示しているだけであり、実態を論じる際には仮説にすぎない。それを実証するためにはフィールド調査や客観的なデータとの組み合わせが必要となる)。
 西洋人から見れば矛盾しているように見える日本人の行動パターンを書物などの表現からここまで抜き出すことに成功しているのである。これは、何らかの理由でフィールド調査や参与観察ができない場合や、客観的なデータが得られない場合、テクスト分析という手法だけでここまで推論が可能なのだということを示している。

 内容の詳細には触れないが、第1章「日本人は宿命論者なのか?」、第2章「日本人の責任体系」、第3章「日本人の自己鍛錬」では、辞書、修身の教科書、雑誌、新聞、プロパガンダ映画から、『忠臣蔵』のような芝居や『坊っちゃん』などの小説まで実に様々な資料が用いられ、日本人の行動様式が説明されていく。
 そうは言っても、ここで用いられているテクストの偏りには触れておかなければならない。一つは二次文献に依存しすぎということである。日本の文献の翻訳やそれに基づく欧米人による日本文化論がベースになっている。つまり、日本の書物や大衆文化に直接当たったわけではないのである。もちろん現代のようなグローバルな世界ではない。時代背景を考えるとある程度仕方ないとしても、そういったテクストに対する日本人の位置づけや反応にも触れていないのだ。そのなかには、必ずしも一般的とはいえない雑誌なども含まれており、日本人の感覚からすると、それをもって日本人の一般的な性質と断定するのはどうかという疑問が随所でわく。
 第5章「危うい綱渡り」、覚書「天皇はいかに処遇されるべきか」では、「日本人の性格構造」の分析から、すでに「戦勝」後の戦後処理や天皇の処遇についての考察がなされていることに驚く。その主たる主張は「日本人を侮辱するな」というものである。これはまさにベネディクトの研究が「政治論文」といわれるゆえんであるが、彼女は米国の戦時情報局での研究を命じられており、政治過程にどっぷり漬かっている。なお、太平洋問題調査会(IPA)と呼ばれる会議では、著名な社会学者、タルコット・パーソンズらを前に報告を行っている。

 以上見てきたように、本書を読むに当たっては戦時という特殊な状況下で書かれたことや、当時の分析手法で行われたものであることを踏まえておくべきだが、米国が東洋の新興国、日本をどのようなまなざしで見ていたのか、ということを知るには非常に有用な書である。近代史に馴染みの薄い方は、欧米人が記録した『映像の世紀』(NHK)のような映像記録と併せて読み進めてみるとよいだろう。

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2010年10月10日

『海を渡った柔術と柔道―日本武道のダイナミズム』坂上康博(青弓社)

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「柔術/柔道のグローバルな展開と還流」


「柔術/柔道はいったいいつ頃、どのようにして国境を越え、海外に根付いていったのだろうか。その国際化の道のりとはどのようなものだったのか」

 本書はこのような問題意識を出発点としており、言及される国は実に米国、英国、フランス、ドイツ、ロシア、グルジア、アルゼンチン、パラグアイ、ブラジルの9カ国にも及んでいる。柔道の国際化の文脈において、巷間で頻繁に語られるのは、「コンデ・コマ」こと前田光世のエピソードである。近年の格闘技ブームと相まって、「グレイシー柔術」として有名なブラジリアン柔術の祖、カーロス・グレイシーの弟エリオ・グレイシーとの死闘がテレビ番組や雑誌、漫画などさまざまなメディアで語られている。しかし、それらのほとんどが史資料に基づかない英雄譚となっており、梶原一騎原作の漫画『プロレススーパースター列伝』さながらの、虚構や誇張にまみれた構成・スタイルとなっている。
 それに対して、本書の特徴は大学におけるスポーツ史、スポーツ社会学の研究者や在野の研究者が、当時の、しかも現地の言語で書かれた新聞や雑誌、書籍、プロパガンダ映画といったテクストを丹念に渉猟して記述している点にある。全章をフォローするのは難しいため、以下では評者の問題関心に基づいて第1章、第4章、第7章を中心に読み進めてみたい。

 第1章「柔道vs. レスリング―変容する柔術と継承される“Jiu-Jitsu”」では、米国での受容過程が描かれている。セオドア・ルーズベルト大統領は柔道/柔術の信奉者であり良き理解者であった。しかし、一方で彼はボクシングやレスリングといった西洋の伝統的格闘技への情熱を持ち続けていた。それらが米国の開拓者精神のシンボルだったからである。

「柔道vs. レスリングという『異種』格闘技試合とは、単に『異競技種』の優劣を見定める試合ではなく、やや大げさにいえば、まさに日本人とアメリカ人という『異人種』間の戦いだったといえるだろう」

 ここで、来るべき太平洋上での両国の戦闘が意識されていることは想像に難くない。米国は、民衆向けには日本人を動物以下とするプロパガンダを流布しつつも、為政者は当時の日本を決して侮っていないのである。パーソンズやベネディクトといった社会学者や人類学者が徹底的に日本人の意識構造を分析していたように、政治家も柔道を通じて日本人の意識構造や行動原理を分析し、さらに取り込んでいたのである。

 第4章「ドイツの柔術・柔道」へと話を移そう。講道館柔道の創始者、嘉納治五郎は1889年から90年にかけてベルリンに滞在し、柔道を紹介した。だが、ヨーロッパに広く伝わったのは柔道ではなく柔術だった。第1章で詳しく触れられているが、定着していくきっかけは日露戦争における日本の勝利とそれによる「ジャポニズム」であった。その後、ナチ・オリンピックといわれる36年のベルリン五輪以降、ドイツでの柔道熱は急速に高まる。格闘技としての柔道が、第二次世界大戦へと向かう情勢のなかで「強兵」と親和性を持っていたためとされる。

 第7章「還流するJiu-jitsu――『移民』とブラジリアン柔術」は、柔道の団体戦でいえば「大将戦」にあたる。単にトリを務めているという意味においてではない。それはブラジリアン柔術という、最も日本から離れた地で独自の進化を遂げながら、現在の日本の格闘技に最も影響をもたらしている対象を扱っているからにほかならない。つまり、これまでの章が拡張という一方向的なフローであったのに対して、ブラジリアン柔術は日本へとの還流・循環という側面を持っているのである。
 本章著者の川越和人によれば、ブラジルで柔道が講道館柔道から独自の発展を遂げたのは、前田光世のパーソナリティによるところが多い。ただし、それが前田による影響なのかグレイシーによる新たな展開なのか、あるいは、一族のなかでもカーロスによるものか、エリオによるものかは、それぞれの立場によって見解が異なるため立証が難しい。
 その後、エリオの長男のホイラーが米国でグレイシー・アカデミーという道場を創設し、四男のホイスがUFC大会で活躍するなかで、グレイシー柔術は米国での知名度を獲得していく。ここでは、日本でも94、95年に開催されたバーリ・トゥード・ジャパン・オープンによってその知名度を拡大させていったとされている。だが、さらに付け加えるなら、日本におけるグレイシー柔術の知名度は,マスメディアによるヒクソンの無敗神話と野性性といった誇張された言説や、桜庭和志とホイス・グレイシーの好勝負とそのメディア表象を抜きには語れないのではないだろうか。

 筆者が、こういったメディア・イベントの影響力を指摘しながらも、それとは異なる日系ブラジル人移民の草の根の実践に着目している点が興味深い。ここでは、一人一人の生活史から柔術とその文化、移民同士の関係、移民と日本人との関係などが描かれ、そこから「日常の生活のなかで出会い、ネットワークが作られた、というこの事例こそがメディアに依存するだけではない日系ブラジル人移民によるブラジリアン柔術の拡大経路と見ることができるだろう」と述べられている。
 マスメディアはテレビニュースを通じて、移民を犯罪者として、あるいは犯罪者予備軍として描く。一方で、日本人の多くも彼らを脱人称化した単なる労働力、「デカセギ」と見ている。しかし、ここにはブラジリアン柔術を媒介としてそういったステレオタイプや固定化された日本人との関係性を覆すような実践が見られるのである。

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