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2012年01月31日

『こども東北学』山内明美(イースト・プレス)

こども東北学 →bookwebで購入

「三陸沿岸の村で育った女性研究者の切実な問い」

私がそれまで無関心だった日本の風土や民俗について目を開かれたのは、80年代半ばにバリ島に行ったときだった。学生時代に国内を旅していた70年代にはなかった視野を、80年代のバリ島で与えられた。日本を再発見できたのはうれしかったが、同時にバリ島を合わせ鏡にしなければそれが出来なかったことに、一種のにがさを感じのもたしかだった。

近代化が達成され社会の価値観が大きく変貌した70年代、因習からいかに自由になるか、社会に迎合しない個をいかに確立するかに関心がむかった。そういう状況下では日本の根っこは見えにくかった。それは二代遡っても東京生まれで、田舎というものを持たない私の生い立ちとも関係していたのだろう。オクテにならざるを得なかったのだ。

ヒンズー教の島であるバリ島には、日本と似たところがたくさんあり、それが小さな島空間に凝縮されているので変化がわかりやすい。たとえば観光客が訪れて発展していくのは街道筋の町で、そこから一歩奥に入ったところでは昔どおり生活がつづけられているなど、首都から距離以上に、街道に近いかどうかが変化の分け目となる。また市場の存在も大きく、それが開かれる町はとりわけ変貌が激しく、人の心も早くすれる。旅人が求める素朴さは市場から遠くなるほど増していくのもわかった。

こうした島のなかのグラデーションを肌で感じとったことが、日本への視線を変えたのである。よく名前のあがる場所、人がよく旅する場所、その町の出身者によく出会う場所には、そうなる理由があるのを知った。そうした地名の集積によってほとんどの人の日本地図はできている。イメージのわかない場所は、地図に載っていても意識上には存在しないのだった。

さて、ここから『こども東北学』の話に移ろう。タイトルが想像させるものを大きく超えた深度のある本だった。読みながら私は大きな衝撃を受け、バリ島を旅していたころに引き戻されたようにノックアウトされた。著者の山内明美さんは1976年生まれである。私とおなじ1950年代の生まれであったらさほど驚かなかったかもしれないが、いま30半ばである女性がこのような環境で育ってきたことに、正直なところ驚愕した。

山内さんは宮城県の三陸沿岸部出身の女性研究者である。高校卒業後、実家の農業や自動車の部品工場の手伝い、村の民俗資料館の職員などをしたあと、東京の大学に入学、現在は博士課程に在籍して東北の研究をしている。

子供時代の体験に触れながら、彼女は中央が与えた「東北」という名称と、記憶の集積によってできている故郷がどう隔たっているかを語っていく。外からの名称はどうあれ違和感をともなうものだが、彼女の場合は「僻地」と呼ばれる場所に育ったゆえに、心理的な障壁は大きかった。

印象的な出来事がいくつも描かれている。
おばあさんは勉強ができて女学校に行くように学校から教材や学費をもらったが、子守をしながらだったので授業についていけず、二週間でやめたこと。

おじいさんは早くに父親を亡くして家長となり、戦前、借財を返すために働き、戦後はGHQの農地解放で手放した土地を取り返そうと寝ないで田畑を耕作した。晩年は酒浸りになって周囲に恥ずかしい思いをさせられたが、村の人は「アル中」と言わずに「狐に化かされた」と言い、その言葉に、じいちゃんが悪いのではない、狐が悪いんだ、と感じてほっとしたこと。

小学校は同級生が23人という小さな学校だったが、クラスメートにタケシ君という川魚釣りの名人がいたこと。彼は毎朝、登校前に川に行って手製の釣り竿でヤマメやイワナと釣り、そのまま学校に来る。竹串を作って魚に刺してフェンスに干し、家に帰れば夕方5時には寝てしまう。まるで「風の又三郎」に出てきそうな少年。

学校から帰れば決まって親の仕事を手伝うように言われた。「勉強しなさい」と言われた記憶はなく、「小さな大人」と見なされた。中学校に入るころには「自分の食べる米は自分で作れ」と親から田んぼをもらって耕作した。村にはそろばん塾しかなく、どこの子供も学習塾に通った経験がなかった。

以前にこの「書評空間」で『100年前の女の子』という本を取りあげたことがある。これらのエピソードは、上州の農家に育った女の子の視線で描いたあの本の内容を彷彿とさせるところがある。だが、あちらが100年前の経験なのに対し、ここに語られているのはほんの30年ほど前のことなのだ。ファミコンで遊んだり、テレビで都会の流行を知るなど、生活の外見は100年前より近代化しているものの、生活の基盤が都市とは大きくちがう。それが人々の肖像に出ている。

また『100年前の女の子』は少女時代の記憶なので共同体のやさしさが強調されている。しかもその記憶の持ち主は100歳近い年齢で過去を振り返っているから、苦しいことは昇華され、いい思い出だけが残っている。だが、本書はさまざまな悩みをくぐり抜けつつも、未だ惑いのただなかにある30代の女性によって書かれていのだ。自分の経てきた時間を讃美するのでも、否定するのでもなく、その陰影を描きだそうとする姿勢に切実さなものが感じられた。


「村の規範に縛られずに自由に生きてみたいと思いながら、田畑に囲まれていない暮らしというものがどういう生活なのか、わたしはうまく思い浮かべることができなかった。「家」に縛られない暮らしは自由だけど、いまでも、故郷を離れて暮らすことに、なにかとても大事なものを失いつづけているような喪失感がある。自由な生きかたを許してはくれない故郷へのやりきれない気持ちと、そこで育ててもらった感謝の気持ち。
 こうして、村で育った自分が描くことのできる将来には、つねに限界がつきまとった。何になりたいのか、と考えても、自分の世界にぴったりくるものはなかなかみつけられなかった。ただ、自分の世界の外側には、もっとずっと広い世界があって、自分はその広い世界を知らないんだ、ということがきにかかっていた。いつかは、村を出て、自由にものを考えてみたいと、漠然と思っていた。」


高校卒業後に働いた民俗資料館は入館者の数が少なく、赤字続きで、議会ではいつも批判の的だった。村の子供は減り、通っていた小中学校も統廃合で閉鎖になる。こうした事態を目前にして村の将来がどうにも気になった、と山内さんは書く。親に内緒で東京の大学を受験。無事合格して上京することになったとき、まわりは非難の嵐だった。「結婚もさせないで、あまやかせて遊ばせていいのか」と親までが咎められた。

かつて「女子大生亡国論」というのがあったのをご存じだろうか。女子は大学に行っても就職しない、結婚前の踏み台としか考えてない、行っても無駄だというもので、1960年代に大学教授が発言してはやった。当時に「流行語大賞」があったなら、確実に大賞をとっただろう。私が学生時代を過ごした70年代でも、女子は結婚して家庭を持つのが当たり前というのは、結構主流の考え方だった。ほとんどの人が「翔ばない生きかた」をしていたから、「翔んだ女」などという言葉が流行ったりした。

そういう時代を知っている身にとっては、著者が生きてきた現実には非常なリアリティーがある。20歳以上の年齢差があるにもかかわらず、感情的によくわかるのだ。彼女の同世代はどう感じるのか興味深いが、このタイムラグが富める場所とそうでない場所との空間差であり、南北に細長い日本列島のグラデーションなのだと改めて実感した。

『こども東北学』というタイトルについて触れると、「東北学」の名付け親は民俗学者の赤坂憲雄で、彼はこの名を冠した雑誌を創刊して東北と向き合う意志を表明し、同じ志を持つ者に呼びかけたのだが、彼女は民俗資料館でこの本を手にしたとき、「『東北』というものが、知としての存在を許可されること」を知って驚いたという。さまざまな試みが失敗に終わり、来たものは撤退していき、村には年寄りばかりが残されていた。そういう事態を目前にすれば、自分のいる場所が「知」と結びつくとは想像もできないだろう。見放された価値のない場所だ思い込んで当然だろう。

「共同体に比重をおく社会と、個人に比重をおく社会、双方に長所と短所があって、そのバランスがうまくとれた社会は、まだ実現されてはいない。自由競争の社会/競争を忌避する社会、ふたつの社会は、ほんとうに相容れない社会なのだろうか」。

彼女のこの問いかけは、私のなかにもある。学生時代からずっとつづいている疑問である。そして大地震を経験したいま、この問いの答えを探そうとしないなら、人間社会の未来はないのではないかとも感じている。著者の体験と自分の体験とのあいだに横たわる時空の差。想像力によってそれをどう埋めるのか。一方が卑下したり優位に立つことなく、その差をおもしろさに変えることができないだろうか。



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2008年08月12日

『ドット・コム・ラヴァーズ』吉原真里(中央公論新社)

ドット・コム・ラヴァーズ →bookwebで購入

「客観的記述から浮き彫りになるアメリカの男と女」

なんとも不思議な本の登場である。「ネットで出会うアメリカの女と男」というサブタイトルは、ある程度内容を伝えてはいるものの、本書を読んで感じとったものはもっと多様で豊かだ。著者はアメリカ文化研究を専門とするハワイ大学の教授である。そのようなアカデミックな立場にいる者が、こういう書き方をすることはかつてなかったのではないか。サブタイトルのもつ客観的な響きからあふれ出るものに、本書の魅力と特徴がある。

著者は勤務先のハワイ大学から一年間のサバティカル(学校業務から解放されて個人的な研究に従事する期間)をとってニューヨークに滞在中、インターネットでデート相手を探すサイトに登録し、さまざまなアメリカ男とデートする。ハワイにもどってもそれをつづけて、その体験を本書に著した。肝心なのは、本を書くためにオンライン・デーティングをしたのではない、ということだ。滞在の目的は「アジア人とクラシック音楽」という研究書のリサーチだった。それを行いながらオンライン・デーティングを重ねた結果、この本が出来あがった。

サイトに登録した理由についても正直に書いている。著者の元ボーイフレンドはその後つきあった女性にふられ、傷心をいやすために生まれてはじめて精神分析に通うようになった。アメリカのミドルクラス、とくに知識階級のあいだでは精神分析にかかるのはごく当たり前のことだが、これまでその人は意固地なほどに行くことを拒んでいた。その元カレが、精神分析に通わなければならないほど女性と深く関わったこと、またその出会いの場がオンライン・デーティングだったことに、著者は二重のショックを受ける。

「実は彼は、誰に対しても愛情を注ぐことができないのではなくて、たんに私のことを愛していなかったということか。納得いかないことこの上ない。しかしそこで、自分の魅力不足を嘆き反省するのではなく、彼がそんなに愛する相手を見つけたオンライン・デーティングというものを試してみなくちゃ、という方向に頭がいくのが私の性格である。(中略)これから一年間を過ごすニューヨークには、あまり知り合いもいないし、サバティカルというかなり優雅な時間が与えられたからには、普段仕事をしているときにはあまり知り合えないような人と友達になってみたい。ニューヨークのような大都会には面白い男性がいろいろといるに違いない」

この書きぷりのよさにたちまちこの著者を信用した。エリート研究者が、ここまで自分のことを突き放して書くのに感動する。自分のためにやった、と書いてはばからない。研究ネタを探して行動するさもしさもなければ、本心は出会いを求めているのに、研究という隠れ蓑をまとって防衛することもない。

ニューヨーク滞在中に10余人の男性とサイトを通じて知りあい、つきあう。広告代理店経営者、料理批評家、劇作家、メディア調査専門家、東洋医学士、テレビプロデューサーなど、さまざまな職業に就く男性との出会いとデートの顛末は、さながら小説を読むようなおもしろさがある。

もちろん、アメリカ社会に引きつけた分析がところどころに挟まれ、単純な告白記には終わってない。外国人の異性と付き合えば、必ず異文化交流の側面が出てくる。互いの育ってきた文化を知ることから関係がはじまり、相手とのちがいを、個人よりも文化のちがいとして認識する場面も少なくない。そもそも「ただの男女関係」などというのは存在しないもので、相手の「他者性」こそが男女関係の本質なのだが、異国人同士の関係においてはそれがより浮き彫りになるのだ。

オンライン・デーティングという媒体について論じるのではなく、インターネットで出会った男性との関係を介して、「私の主観以外のなにものでもない、現代アメリカの断片像を描くこと」が主眼だと著者は言う。たしかに「主観的」な記述だが、この「主観」の背後には自己との距離を厳格に保ち、最後までその緊張関係をくずさないストイシズムがひかえている。その手綱さばきの見事さがこの本を成立させ、客観的に分析されたオンラン・デーティングの実態調査などよりもずっと、このシステムについて多くのことを考えさせ、想像させるのだ。

登録者はカジュアルなデートの相手が欲しくてサイトを見るわけではないらしい。セックス目的のサイトはほかにあるからだろうと著者は言うが、いい人に出会えたら生活をともにしたいと願う真剣さが、どの人にもうかがえのが印象的だ。読みながら日本のお見合い制度を思いおこした。いまの日本でお見合い結婚がどのくらいあるのかかわからないが、オンライン・デーティングは、その徹底した合理主義において、お見合い制度と共通するものがある。

私の祖母は仲人が趣味で、手札のようにいろいろな人のお見合い写真を持っていて、ときおり友人と見せあっては、「この方とこの方はいかがかしら」などとやっていたものだ。その身も蓋もない実利主義が若いことはいやでたまらなかったが、いま振り返ると、そう悪いものではなかったように思う。

一九六〇年代までは日常的に繰り広げられていたお見合いも、祖母の世代が終わるとともに消え、それと入れ替わるように、非婚率が上がってきた。だが、それがシングルライフを意識的に選択する人が増えたことの結果だとは、どうしても思えない。生活のパートナーなどいらないと断言できる人は意外に少ないものだ。気の合う人がいれば一緒になりたいと、だれもが思っている。だが、仕事時間が長すぎたり、知り合える場が限られていたりして、自由な出会いは現実的にはあまりないのである。

アメリカではオンライン・デーティングがかなり普及しているらしい。著者はニューヨークに着いて間もないころ、「実はオンライン・デーティングに登録した」と恥じらいをまじえて友だちに話したところ、「そんなこと、告白調で言うことではない。今どきみんなやっている」とあっさり言われたいう。また滞在中に知り合った独身男女の半数近くは、オンライン・デーティングの経験者で、そのだれもが知的な職業に就く、魅力的な人たちだった。自分で探せないからオンラインに頼るというのではなく、選択肢のひとつになっているのだ。

ということは、簡単に人と出会えそうに見えるアメリカ社会においても、そうではないことを示している。波長のあう相手を探すというのは、どの文化圏においても大変な難問なのだ。出会いをサポートするシステムがあり、それを使って出会おうと努力する人がいて、またその意志を認める社会の眼があってはじめて、出会いの機会は豊富になる。

日本においてもオンライン・デーティングがひとつの文化となる日がすぐそこまで来ているのかもしれない、そんな予感を抱いた。




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2008年01月31日

『死刑』森達也(朝日出版社)

死刑 →bookwebで購入

「死刑を語るさまざまな声の記述」

これまで死刑についてまともに考えたことはなかった。本書を読み終えたいまはちがう。さまざまな想念が頭を過る。「死刑をめぐる三年間のロードムービー」と帯にある。死刑という言葉の重さと、ロードムービーのほのぼのした雰囲気は一見そぐわない。著書もその「軽薄さ」は認めている。それでもなお、こういう本があってもいいのではないかと思った。

死刑に関する法律や歴史をおさえつつ、死刑犯のケース、冤罪の問題、犯罪被害者の感情、死刑廃止運動の活動家、死刑囚の弁護人などを取材していく。多くの人が登場する。それぞれが肉声を発している印象がある。

著者の考えも述べられているが、素材のインパクトが大きい。もちろん著者によってセレクトされ、加工を経た素材であり、インターネット上の情報を切り張りしたものとはちがうが、それらを構成して結論を導き出すより、不可視の世界と社会とを仲立ちをしようとする意識が強い。

死刑囚の環境について教えられたことが多かった。彼らは刑務所にいるのではなくて、拘置所に入っているとは知らなかった。死刑囚に与えられる罰はただ一つ死刑の執行であり、それまでは務めるべき刑はないからだ。トイレ付きの四畳半ほどの個室にいて、死刑囚同士のコミュニケーションはない。面会は家族と弁護士以外は許されないし、手紙のやりとりも出来ない(昨年、少し緩和されたようだ)。

ところが、衣食にはある程度の自由がある。食事の制限はなくて、差し入れや自分で購入したものは好きに食べられる。拘置所内に売店のようなものがあって、そこで買えるのだ(その金はどうやって手にするだろうか?)。

服装もそれぞれに任せられる。お仕着せの囚人服があるわけではない。一定の制限はあるがラジオが聴けるし、ビデオを見ることも出来るし、本も読める。就寝時間は決められているものの、電気が消されるわけではないらしい。

これらの説明から、修行僧と入院患者の環境が混ぜ合わさったような状況が浮かび上がってくる。外部との接触は制限されているが、内部での選択はある。外とのコミュニケーションを遮断するのは、管理上の問題もあるだろうが、刑に至るまでの期間を修行のようにとらえる考えがどこかにあるからかもしれない。

刑の執行はその朝に当人に知らされる。伝えてから1時間から1時間40分くらいの間に執行されるというから、心の準備をする間はない。戦後しばらくは数日前に言い渡していたそうだが、告知後に自殺者がでてから、執行までの時間が短縮されたのだ。単に管理上の都合である。この点は改善されるべきだと強く感じた。

刑務官と教誡師を取材した部分は、もっとも読みごたえがあった。元刑務官で著書もある坂本敏夫氏は、拘置所長や処遇部長などと、日々死刑囚に接し、実際に刑も執行する刑務官とは、考え方、感じ方、傷つき方がちがうと語る。

役職にある人にとって、刑の執行は評価のポイントになる。だが、刑務官にとっては苦渋をともなう。彼らの仕事はいつ執行命令が来てもいいように死刑囚の生活を看ることであり、長く過すうちに親族や家族に近い感情が芽生えてくるという。情が移ればそれだけ執行のときが辛い。大変な仕事である。

教誡師をしているカトリック神父Tの発言も印象に残った。彼はこれまで自分が教誡した死刑囚4人の処刑に立ち会っている。みんな落ち着いた態度で感謝の言葉を述べて刑に望んだという。役職者は死亡を確認してハンコを付くと帰ってしまうが、刑務官はその後、精進落としのような会をする。先に上げた処刑への感じ方のちがいがよく出ている。また彼は最後に死刑囚を抱きしめて送るという。人の体温を感じて人生を終えて欲しいと思うからだ。

著者は会う人ごとに死刑を存置すべきか、廃止すべきだか意見を問うている。先の坂本氏は、死刑制度はあっていいが、死刑の執行はなくしたいと述べている。矛盾した言い方だが、私はそれにもっとも共感した。

死を身近に感じつつ生きる時間こそが、人を殺めた者への罰にふさわしいものだと感じられたからだ。それをわたしたちの自由な時間と比較して人権うんぬん言うことは不遜にすら思える。だから制度としては意義がある。ただし最後に訪れる執行については避けられたらいいと思ってしまう。

死刑をもっと生の側面からとらえる視点があってもいいのではないか。著者も取材された人々も、死刑の死の側面にのみこだわって是非を論じているように思えた。
人はだれも死をまぬがれられない。その意味で死刑囚も私たちも同じなのだ。末期癌の患者は、明朝、目が覚めたときに生きているだろうかと思いながら目を閉じるだろう。生まれてすぐに長く生きられないことを宣言された子供は、その恐怖と闘いながら過すだろう。

死刑囚は毎朝、死の瞬間をシュミレーションしている。死が来ることは同じでも、それが他者によって決定され、もたらされる点が私たちとちがう。処刑告知が行われる朝の時間帯は針が落ちてもわかるほどシーンと静まり返るという。そのあと運動の時間が来るが、だれもが顔をほころばせて出てくる。毎日がこんな生と死のせめぎ合いの連続なのだ。

このような極度の緊張と解放が繰り返される生活は、檻の外では到底ありえない。生きつづけるのに非常な精神力がいる。実際、精神に異常をきたす人も出るらしい。
つまり死刑囚は社会で自由に生きているわれわれとはちがう時間を生きているのだ。死が近くにあることで生が押し上げられている。そうした時間の中でこそ、殺された人の味わった恐怖や無念さが想像できるように思える。そこに償いの意味があるように感じる。

冤罪・誤判は必ずあると複数の人が答えている。ということは無実の人が殺される可能性があるということだ。これについてはどう考えたらいいのだろうか。冤罪はあってはならないが、冤罪を絶対的理由にして死刑廃止を主張するのも飛躍しすぎなような気がする。

冤罪の実情についてももう少し説明があってもよかったかもしれない。冤罪は昔は多かったが、いまはそれほどでもないはずだという漠然とした印象があるが、事実はちがうかもしれない。近年になって死刑が確定された死刑囚の中に、無実を主張している人はいるのだろうか。

また無期囚の取材はなされてないが、無期囚と確定死刑囚とでは生き方や生活態度がちがってくるものなのか、そんなことも知りたいと思った。無期囚の平均在所は25年1カ月で、仮釈放されない者もいる。彼らが服役中にどんなふうに心境を変化させていくかも、死刑を知る上で重要なことのように思える。

最後に著者は、死刑を論理的に突き詰めることを止めて情に向かう。死刑に対してどんな情緒を持つのかと自らに問いかける。死刑宣告を受けた若者に会いに行く。彼は9時に就寝だが、毎日布団の中で遅くまで本を読んでいると話す。そんなに本が好きなのと問うとニコニコ笑って、「だって、少しでも遅くまで起きていれば、そのぶん長く生きられますから」と答える。

著者は彼を死なせたくない、敢ていえば本能に近い、と述べ、情緒に溺れていることを自覚しつつ、その情を根拠に死刑廃止の立場を表明する。やや結論を急きすぎた印象があった。

だが、本当に価値があるのはこの結論ではなく、「少しでも起きていればその分長く生きられる」という若者の言葉が書き留められたことなのではないか。思わず沈黙するほどの重みを持っている。それは著者によって引き出され、記されたものである。非常にすぐれた記述者である証だ。彼が書かなければ、だれもこの若者がこんなふうに感じていることを知りえなかったのだから。そのことがなによりも素晴らしいと感じた。