« 文芸評論 | メイン | 歴史 »

2014年04月19日

『穴』小山田浩子(新潮社)

穴 →紀伊國屋ウェブストアで購入

「現実への深い理解が生み出す幻想譚」

日本中にうんざりするほど均一な風景が広がっている。全国展開のスーパーやチェーン店やコンビニ、その店頭に立っている原色の幟、同一規格の建材で造られた注文住宅やビル。目立つことを意識したそれらは、色も形も似通って差がわからないけれど、ああ、知っている、と思わせるのがポイントだから、それでいいわけだ。

小山田浩子の芥川賞受賞作『穴』」は、そのような視覚情報により均一化された現実界、名前で納得した気にさせられる記号的世界の裏側を示して見せる。

夫の転勤先が彼の実家のある街に決まり、うちの借家に住めばいいと姑に言われて若夫婦はその家に引っ越す。同じ県内だがかなりので田舎で、前の職場を辞めた妻の「私」は当面何もすることがない。あるとき、実家の裏手の小屋に夫の義兄と称する男が暮らしているのを発見する。夫は一人っ子の長男で、兄がいる話は聞いたことがないが、男はその小屋にもう20年も暮らしているという。
 
いまの言葉だと「引きこもり」になるが、その義兄には長く隠棲していた陰気さはない。自分自身の見極めがついて弁舌さわやかで、家を出た理由も「家族と合わなかったんだなあ!」と実にふるっている。

「親父やおふくろがやろうとしていることは、ただ一つ、ぼくという子孫をどうにかして次の世代に生きて残そうとしているわけです。それが僕には気味が悪いです。悪かったんです。わかりますか? わかるわけないか。はは、わかっちゃ困る、ね、謀反を起こすのは一族に一人で充分だ。ね、僕はそれにいたたまらなくなって、逃げた」

家族や、共同体や、それが作りだす人間関係に自分を合わせられない人間は、いつの時代にも存在する。血がつながっているからといってウマが合うとは限らず、猿山の離れ猿のように群れから距離を置いて生きようとする者は必ず現れる。それが可視化されているか、見えないところに隠されているか。時代の差があるとすればそこだろう。

義兄に「私」を引き会わせたのは得体のしれない黒い獣である。「私」は数日前、用足しに近所に出たときにこれを見かけ、何だろうと追っていくと、穴に落ちてしまう。隣の奥さんの手を借りてようやく脱出するが、後日、それと同じ生き物が実家の門をすたすたと入っていくのを見て、あとをついて行き、義兄に遭遇したのだった。

近所に怪しげな家があって、素性のわからない人が住んでいて、その人が意外と子どもに人気があるというようなことは、これまでも物語や映画によく描かれてきたし、実生活でも経験している。その意味で義兄は古典的な人物と言えるし、親しみを抱きやすい。不可視の彼と「私」をつなぐのが、古井戸の穴が好きでやってくる黒い獣だというアイデアも、めずらしくはないかもしれない。むしろこの作品の新しさは、そうしたモチーフよりもそれらを組み立て、物語る手法のほうにあるように思われる。

導入から現実を浮遊した視座にすれば、非現実に移行するのはたやすい。そういう方法はこれまでもよく採られてきたが、作者が選んだのはそうではなく、ドキュメンタリーのように冷静で淡々とした文体である。外界で起きている事柄を徹底して観察し、自分の内部すらも他者のもののように眺める視点が、現実と非現実のバランスをとる役目をしている。非現実のほうに比重がいって「お話」に傾かないよう、視覚の力で現実を手元に引き寄せながら、見えない世界へとゆっくりと移行していく。

生理感覚や皮膚感覚だけではこうした離れ業はできない。物語を立脚させる現実社会と、そこに生きる人間のメカニズムへの骨太な理解がなくてはならない。幻想的な内容に深いリアリティーをもたらしているのは、いまという時代を見据えるたしかな視線なのだ。

著者は広島在住だが、地方をベースに、地方限定のネタではなく、都市にも共通するテーマが取り上げられていることも興味深い。そういう時代に、私たちが生きているということだ。

 


→紀伊國屋ウェブストアで購入

2013年08月30日

『爪と目』藤野可織(新潮社)

爪と目 →紀伊國屋ウェブストアで購入

「「あなた」とは何者か?」

小説の最初の一行は重要である。即座に二行目に目が移るような自然な書き出しにするか。それとも考え込ませるようなフックをつけるか。『爪と目』は後者の典型だろう。このようにはじまる。

「はじめてあなたと関係を持った日、帰り際になって父は「きみとは結婚できない」と言った。」

読み進めば「あなた」と「父」の関係がわかってくる。だが、この一行に遭遇したときの最初の奇妙さはいつまでも消えない。途中で何度も「あなた」ってだれだっけ?と問い返さずにいられなかった。私の頭の働きが鈍かったり、血縁関係を把握するのが苦手だったりするせいだろうか。

読み終えたいま、どうやらそうではないらしいと気づく。従来の人称とは意味するものがちがうのだ。それがボデイーブローのようにきいて三半規管をおかしくする。小説という形式への新しい挑戦である。

語り手はだれか。「あなた」と関係をもつことになった相手を「父」と呼ぶ立場にある人である。すなわち「わたし」である。「父」の前に「わたしの」が略されている。ほかの人の父なら、「一郎の父」というように父の前に名を冠するはずで、なにもなければ必然的に「わたし」の父となる。それならば、「わたし」と「あなた」はどのような関係にあるのか……。一行目から迷宮に引き込まれるような感覚になる。

説明すれば簡単なことだ。「父」は前妻が亡くなったあとに当時三歳だった「わたし」を連れて「あなた」と再婚した。つまり「あなた」と「わたし」は義母と娘という関係だ。小説は「父」と「あなた」の出会いや、一緒に暮らすことになった「あなた」と「わたし」の関係などを、人物の内面に立ち入らずに表面的な動きだけを写実していく。語り手は三歳から大人になった「わたし」だが、ふつうなら知るはずがないような「父」と「あなた」とのやりとりのディテールやひだを知り尽くしている。

たとえば冒頭の文章のあとはこのようにつづく。

「あなたは驚いて「はあ」と返した。父は心底すまなそうに、自分には妻子がいることを明かした。あなたはまた「はあ」と言った。そんなことはあなたにはどうでもいいことだった。ちょうど、睫毛から落ちたマスカラの粉が目に入り込み、コンタクトレンズに接触したところだった。あなたはぐっとまぶたに力を入れて目を見開いてから、うつむいて何度もまばたきをした」

語り手が第三者ならば通常の形式の範囲内である。だが、「あなた」にとって義理の娘である「わたし」が、これほど物事の詳細を明らかにすることは、これまでの小説ではあまり例がないのではないか。論理的におかしいと言う人もいるかもしれない。ところが、読んでいるとそうは感じないどころか、頭が辻褄あわせに興味を失い、ただ語りの力に引っ張られていく。

小説のなかに「父」がでてくれば、ふつうは「わたし」との関係がどのようなものであるかが明らかにされる。そのために「父」という言葉が使われると言ってもよい。少なくとも従来の小説ではそうだった(と思う)。「母」にしてもしかり。ところが、この作品の「父」や「母」は戸籍上の記号のように無機質で、「父」に父らしい振る舞いはなく、「母」には母らしい感情が欠け、夫婦同士にもその子供にも密接な結びつきがない。

語り手の「わたし」の「あなた」への呼びかけもまた形式的なものだ。「あなた」と「わたし」という人称は、英語のyou & Iのように、対峙する関係を強調するのに有効だが、この小説ではそのような使い方はされていない。

ここに描かれる「わたし」の実存には、「わたし」という一人称が本来もつべき自我が希薄なのだ。「父」や「母」も、そのように呼ばれる役割への認識が欠けている。相手と向きあい、関係を担うという意志や、相手を対象化し、自分を客体化するという視点が、だれからも欠落している。

それならば彼らは何よって行動しているのか。物事への反応、判断や思考を介さないリアクションである。「父」は後妻である「あなた」との性交がうまくいかず、自分の能力を確かめるためにほかの女性と寝る。「あなた」は押し入れの本を処分するのに呼んだ古本屋と関係する。または生前に前妻が書いていたブログを見つけて熱中する。

反応体と化した人間の姿を、「父」「母」「わたし」「あなた」という、本来なら関係をベースとした呼び名や人称を使って淡々と描いていく。このねじれこそがこの小説の新しさだ。読んでいると三半規管がおかしくなる原因もそこにある。

ここに登場する「あなた」と「わたし」は、自我を根拠とした一人称と二人称とは異なる、新種の「あなた」や「わたし」である。「わたし」が呼びかけている「あなた」は、「わたし」の相手としての「あなた」ではなく、だれでもなくて同時にだれでもあるような「あなた」だ。おなじように「わたし」は唯一無二の「わたし」ではなく、どこにでもいて、だれでもありうる「わたし」なのである。

特定の個人に光を当てたり、その心の内側を明らかするという意図で書かれてないためか、神話の語りにちかいような印象がある。とはいっても従来のように上空から見下ろす神の視線ではなく、反応体と化した人間のディテールをからだの反応に沿って語るという、新しいミッションをになった神=「わたし」の誕生である。

この小説でもうひとつ興味を引くのは視覚へのアプローチだ。見ること、見えることについての小説、とみなすことも可能で、『爪と目』という絶妙なタイトルもそのテーマと深く関わっている。それについては11月号の『新潮』に書く予定なので、そちらに場を譲ろう。


→紀伊國屋ウェブストアで購入

2013年06月28日

『真夜中のセロリの茎』片岡義男(左右社)

真夜中のセロリの茎 →紀伊國屋ウェブストアで購入

「抽出したエキスを具体的な光景に構成する」

片岡義男の小説が話題になることがまわりで増えている。わたしは最近読むようになったにわか読者だが、前回はエッセイ集『ことばを生きる』を取り上げたので、今回はかねてから宿題である小説について考えてみたい。

片岡の小説がほかのだれにも似ていないというのは、だれもが思うことだ。エンターテイメント系・純文学という区分けは当てはまらないし、翻訳小説のようだと形容しても何の説明にもならない。ことばと小説の関係させ方に独自のスタイルがある。いったいどのように独特なのか。

短編7本が入っている。どれも再会の物語である。かつて知っていた友人や恋人や同僚に、偶然に、あるいは意志をもって会う。そのときの状況や引き起こされる出来事が、男の側から描かれていく。

再会する相手は女性である。ほかの小説に登場する女性と同様に、みなスタイルのよい颯爽とした美女で、「あんな女なんていないよ」と男性読者が不服を言いそうなほど完璧だ。ここで確認すべきなのは、そういう女性が現実にいるかどうかという視点では書かれていないということだ。女たちは、女性性のエキスを抽出して固めた存在として登場する。エキスの抽出は女性の描写ばかりでなく、小説の端々に認められる。片岡にとって小説を書くことは、エキスを抽出し、構成することだ、とも言えるかもしれない。そのためか、抽象絵画のような、直線的が交錯するモンドリアンの絵を目の当たりにしているような印象がある。

以下は、「かき氷で酔ってみろ」に出てくる、ラジオ局につとめる木島という男が、おなじ局内の赤坂という若い女性に街でばったり会ったときの会話だ。

「赤坂は独身だったけな」
「そうですよ」
「俺も。歳はいくつだ」
「二十八」
「ちょうど俺の半分じゃねえか。この俺をまんなかから半分に切ると、どっちも二十八だよ」
赤坂は笑った。
「どっちがいい?」
「どういう意味ですか?」
「この俺をまん中からふたつに切って、上半身と下半身、どっちも二十八歳だ、どっちがいいか、という話さ」

体をまっぷたつに切るというたとえがもつ直線的な味わい。だが、抽象化なのとおなじくらい具体的な印象も強い。具体物がひんぱんに登場し、動作の描写も具体的で細かい。モンドリアンの絵にスーパーリアリズムの手法で日用品が描こまれているような感じを受ける。

「片手に真夏のジャケットを握るように持ち、地下鉄を降りて改札へと上がり、改札を出てかれは地下をのびる通路を歩き、そのいきどまりで隣接している建物の地下一階に入った。エスカレーターで地上の一階へ、そして三階までエスカレーターの上を歩いた。この建物はぜんたいが書店だ。フロアごとに分野が分れていた。洋書売り場のある三階で彼はエスカレーターを降りた」

これは「三種類の桃のデザート」の冒頭だが、短い文章のなかにエスカレーターが三度繰り返され、「エスカレーターの上を歩いた」と表現されているのに注目しよう。「エスカレーターに乗った」では立ったまま乗っているように感じられるから、「上を歩いた」と表現して移動するステップを上がったことを印象づけているわけだ。

具体物のイメージと体の動きを読者の意識に埋め込む一方で、会話は余計なものを削ぎ落とし、ことばのあやとりのようなものにする。虚構性が強いのにファンタジーのにおいがしないのは、紙の上に置かれたひとつのことばが、次のことばと手を結んで世界を構築していく気配が濃厚だからだろう。ほかならぬことばのつながりによってできあがるのが小説である、ということをありありと実感させるに充分だ。ことばの背後を当てにしないから、積み上げたものが崩れればなにもない更地となる。それゆえに蜃気楼を見ているような感覚もある。

再会が語られるが、失われた時間を追憶することがテーマではないことも特徴だ。「駐車場で捨てた男」では親友の男ふたりが、バイクでツーリングの最中に台風に見舞われ、知り合いの女友達が所有する空き家になっている別荘に退避する。食べ物はコンビーフ缶とパスタがあるのみ。コンビーフをまるごと缶からとりだし、その厚みの真ん中からまっぷたつに切り、フライパンで炒めるというのが、最後のシーンだ。「引っくり返すのはいいけれど、崩さない」。「パスタと和えたりするな」。このことばにもう一方の男は「言っている意味はよくわかる」と返す。

どの作品でも、登場人物たちは過去を引きあいにだすが、崩したり、かき混ぜたりしない。一方の峰からもういっぽうを睥睨したり、過去を現在から切断して懐古の対象にはしない。対等な視線で両方から抽出したものが等記号で結ばれていく。

「駐車場で捨てた男」のはじまりのシーンでは、張り出した軒が突風や強風をまっぷたつに切り裂き、上半分が屋根のスロープに反転し、下半分は窓ガラスが受け止める。最後ではそれがふたつに割られたコンビーフの屹立感と重なる。メタ小説的な性格があることも含めて、7編のなかでもっとも片岡ワールドを象徴している作品かもしれない。


→紀伊國屋ウェブストアで購入

2012年06月30日

『言葉を生きる』片岡義男(岩波書店)

言葉を生きる →bookwebで購入

片岡義男は実に不思議な作家だ。言葉の操り出し方、思考の進め方に独特のスタンスがある。その視野の広がりといい、どこにも帰属しない孤高性といい、既存のジャンルにとらわれない書き方といい、ほかに例を見ない。

とはいうものの、最初からそうとわかったわけではなく、長いこと自分には遠い作家だと思っていた。オートバイ、クルマ、美女、海、サーフィン、ハワイなど、彼の小説がもたらすイメージが障壁になり、愚かにも読もうさえしなかったのだ。

ところが、あるときふと、相当に変わった作家なのではないか、と思いはじめた。ほかの作家ならやらないようなことをたくさんおこなっている。まず驚くのは興味の範囲の広さで、それを自在に文章に表している。自分の書いた小説に解説をつけたり、自分で自分にインタビューしたりもしている。写真も撮り、東京をスナップした写真でいくつもの写真集を編んでいるし、蔵書や文房具をブツ撮りした本も出している。だれもやらなかったことを、何のためらいもなくつぎつぎと実行していく片岡義男とは、いったいどういう人物なのか、と気になり出したのだ。

自分を発動させる原理のようなものが彼のなかにあるようだ。その原理とアイデアが組み合わさると即実行となる。その原理とは何なのか、それはどのように生成されてきたのか、そうした疑問への回答として、『言葉を生きる』は実に興味深い読書だった。

ハワイ生まれの日系二世を父に、近江八幡生まれの母とのあいだに生まれた少年が、ものを書く人になる過程が描かれていく。ジャンルに分けるなら評論とかエッセイとなるのだろうが、読んでいるときの感覚は小説に近い。片岡義男の小説は小説についての評論であり、評論こそが小説である、と看破したのは堀江敏幸だが、まったくそのとおりで、私小説的な奥行きが感じられた。

日系二世の父親は英語を話し、母は終生関西弁で通したが、赤ん坊のときについた若い乳母は彼に東京弁で語りかけた。戦争が激しくなると父の故郷の岩国に疎開し、戦後もしばらく留まったが、そこでは瀬戸内の言葉が飛び交うなかで暮らした。

そうした複雑な言語経験と、彼の物の考え方や文章を書く態度や方法論は緊密に絡み合っている。欧米ではそういう背景をもった作家はよくいるが、日本では珍しく、その意味でも希有な作家だと改めて思った。言語が影響した例としてこんな一節がある。

「「拾った」という日本語のひと言を、自分の日本語のなかで、じつは僕は使うことが出来ない」。

えっ、と声をあげてしまうほど思いがけなくも新鮮な指摘だが、その理由について、彼は明晰に語る。「拾う」というのは、拾う人の感情や心理と密接な関係にある日本語だ。「拾う」ためには「落ちている」という認識がそれに先立つものとしてあり、そのことが「拾う」という言葉に単なる行為以上の意味を背負わせている。「どうせ拾った恋だもの」「思わぬ拾いもの」「拾いものにろくなものなし」「いまの会社に拾われた」などの表現がそうだ。

それならば、小説のなかでひとりの女性が海岸で貝殻を拾うとき、片岡義男はどのように書くのだろうか。

「なにも束縛されることなく、ほとんど自動的に書いているようなときにこそ、彼女はしゃがんで片手をのばし、その貝殻を指先でつまみ取った、というような書きかたを僕はするにきまっている」

つまり「拾う」と書く代わりに、英語のpick upに当たる言葉を体の動きに分解して使うのだ。日本語に距離を保とうとする意志がそうさせる。その意志は英語から来ている。英語の原理が彼の日本語を監視し、安易に一体化することをゆるさないからだ。

「僕の日本語のすぐかたわらにあり続けながら、その日本語によって僕が漂流しないよう明確につなぎとめておく機能を、英語という言葉は僕に対して発揮することになった」。

チェコ語と英語で育った人が、英語を使うときにチェコ語の監視を受けるということはあるだろうか。まったくないとは思わないが、ヨーロッパの言語間では監視力はそれほど強くないように思う。日本語と英語が異なる論理をもつからそうなるのだ。

さらに言うなら、生まれ落ちた瞬間にその複雑な言語体系のなかにいたことも大きいだろう。ひとつの言葉に安住できる環境ではなかったのだ。「拾う」という言葉について、彼の逆のケースとして、日本語のうまいアメリカ人の場合はどうかと考えてみる。アメリカ人の彼が「わたし、彼女に拾われたんです」と日本語で言いながら、日本人の奥さんを紹介する場面というのは容易に想像できる。それを聞いた日本人は笑いながら、彼が日本語にいかになじんでいるかに感心するだろう。

大人になって自分の意志で日本語を学んだのならば、そういう軽みを実演することは、キャラクターにもよるがさほどむずかしくはない。日本語の論理に身を浸すことに、むしろゲーム感覚的なおもしろさを見いだすかもしれない。彼のなかに英語というたしかな陣地があるから、他者の陣地に出向くのにためらいがないのだ。

だが、幼いときから二重言語を体験してきたなら事情はちがってくる。陣地は最初からないも同然だった。ないなら作るしかないと、彼はどちらの言語からも距離をとり、その外側に独自の言語空間を作り出す道をとったのだった。

片岡義男の文章につきまとう日本語としての「こなれの悪さ」は、そこから来ているのだろう。私は浅はかにも単なるスタイルだと思っていたし、しかもそれをまねた文章が横行していたから余計に距離をとろうとして敬遠したのだったが、スタイル以前の必然がそこにはあったのである。

彼には『日本語の外へ』という分厚い大著があるが、「外へ」というのは片岡義男を貫いている態度である。内側に留まる居心地悪さには耐えられない。外に立って自分との位置をはからずにはいられない。どこかに帰属することなどもってのほかで、何事においても外から観察し測定しようとする意志が発揮される

外から観察すると言ったが、境界線に立ってただ物事を眺めているような傍観者とはちがう。諦観は強いと思うが、「いま現在」に情熱を注ぐ行動の人であることは、多岐にわたる彼の著作を見ればすぐにわかることだ。

片岡がはじめて夢中になって読み通したペーパー・バックはベス・ストリータ・オルドリッチというアメリカの女性作家の書いた『彼女は角灯を手に』という小説だったという。この小説との出会いそのものが、まさしく小説的におもしろいのだが、それについては読んでいただくとして、その小説の女主人公アビー・マッケンジーについて触れている箇所を書き出してみたい。

「自分自身への尽きることのない驚き、そしてその自分がいつのまにか作り出す新たな挑戦の対象などに対して、彼女は最後まで驚き続けた。いったいなにが自分なのかという問いを、アビー・マッケンジーは最後の最後まで、真剣に追いかけた。波瀾万丈のパイオニア物語をその裏で支えたのは、いったいなにが自分なのか、という永遠の問いかけだった」

この言葉はそのまま片岡義男という作家にあてはまる。いったいなにが自分なのか、という問いが彼のなかにも潜んでいる。どこかにあるはずの自分を探すのではない。いったいなにが自分なのかという、「自分」という概念そのものへの探求。それが彼の執筆活動を前へ前へと押し進めている。若いころに英語の言語空間で学びとった問いかけの態度に、それはつながっている。


→bookwebで購入

2011年02月26日

『きことわ』朝吹真理子(新潮社)

きことわ →bookwebで購入

「緻密な思考と言葉への信頼の高さが圧倒する」

『きことわ』というタイトルがまず気になった。音の響きにもひらがなの文字にも、こちらの心をかすかに揺らすものがある。聞こえているようで聞こえない声、見えるようで見えない影、気配だけがたしかなような状態。太古のことばのようにも感じる。いったい「きことは」とはなんだろうと思いつつページを開き、最初の2行でその答えがわかった。貴子(きこ)と永遠子(とわこ)というふたりの女性の名前がひとつになって「きことわ」なのだった。

物語の主人公は貴子と永遠子である。それはまちがいないのだが、読みすすむにつれて本当の主人公は別にいると主張したい気になった。彼女らはその主人公の姿を顕現させるために身を貸しているという思うがひたひたと押し寄せてきたのだった。

物語の設定はとてもシンプルである。貴子は葉山に別荘をもつ家の娘で、永遠子はそこの管理人の娘。7歳の年齢差にもかかわらずとても気が合っていたが、ある年を境に貴子の家族が来なくなって会わなくなり、25年がすぎて別荘が人手に渡ることになって所持品の整理のためにふたりはその家で再会する。15歳だった永遠子は40代、8歳だった貴子は30を過ぎている。

こう解説すると、過去の記憶をたぐりよせながら、会わなかったあいだのそれぞれの人生を語り合うというような内容が思い浮かぶかもしれない。丘の上の古い別荘、再会する幼なじみのふたり、とくればそんな想像を生んでもふしぎはないし、最近、こういうシチュエーションの映画が少なくないのもたしかである。だが、作品のもっているニュアンスはそれとはまったく異なる。本当の主人公はだれかということもそこに関わっている。


「午睡からめざめると草木を透かして永遠子の髪と畳みに流れていた暮れ方のひかり、明け方、緻密につむぎだされた蜘蛛の巣の露に濡れたのを惚けるようにしてみあげたこと、一瞬一刻ごとに深まるノシランの実の藍の重さ。そのときどきの季節の推移にそったように、照り、曇り、あるいは雨や雪が垂直に落下して音が撥ねる。時間のむこうから過去というのが、いまが流れるようによぎる。ふたたびその記憶を呼び起こそうとしても、つねになにかが変わっていた。おなじように思い起こすことはできなかった。いつのことかと、記憶の周囲をみようとするが、外は存在しないとでもいうように周縁はすべてたたれている。かたちがうすうすと消えてゆくというよりは、不断にはじまり不断に途切れる。それがかさなりつづいていた。映画の回想シーンのような溶明溶暗はとられなかった。もはやそれが伝聞であるのか、自分の目の記憶なのか、判別できない」


25年ぶりに別荘に足を踏み入れた貴子の目に映った庭の眺めと、彼女のなかに湧きおこる思いを描写した部分である。幼いときに見ていた庭を前にして記憶が目覚め、深い感慨をもたらすというのはだれにもあるだろう。だが、ここで心に留めておきたいのは、それを感じている心がいっときもとまらずに動いていることをも、彼女が感じとっている点である。「ふたたびその記憶を呼び起こそうとしても、つねになにかが変わっていた」という言葉がそれを示している。

「過去」が「いま」という時点に呼び出されたとき、その過去は概して固定的なものとしてとらえられ、それすらもが動いているという指摘はあまりなされない。とくに物語のなかで呼び出された過去は筆者の目的のために使役されることが多い。「いま」に流れこんできた「過去」がいまと同様に流れているということ、しかもその「過去」が体験だけでなく、伝聞によっても培養されるという認識に、著者の感覚する力のたしかさ、書くことの誠実さ感じた。

また人の意識には過去をよみがえらせるだけではなく、未来を先取りする力もある。永遠子の背丈は15歳のときと変わってないが、食器棚の整理をしながら、ガラスに映った自分の姿を見て「このひとをむかしもたしかにみた」と彼女は思う。「ちいさいころ、この食器棚の前を通ると、いまみている自分のすがたとおなじような、年をとった大人のすがたが映りこんでいるように思えた」ことが思い出されたのだった。40歳の姿は過去の自分にすでに見られていたのである。

こうした緻密な思考の軌跡をたどっていくうちに、主人公は永遠子でも貴子でもない、時間そのものがこの物語の主なのだ、と言ってみたくなったのだ。三浦海岸の地層の話や、永遠子の好きな化石や海洋生物のことなど、人間が誕生する以前の時間も巧みに挿入しながら、いっときも留まらずに流れつづけてきた時間が強調される。その時間は不可逆的なものであり人の身体を老いさせたり、生を終えさせたりする。

と同時に人の内部にはいっときも止らずに流れている別の時間があるのだ。これは物理的な時間とはちがって、前にすすんだり、逆行したりと自由に移ろうことができる。夢とはその時間が映像をともなって脳裏に現われたときのかたちなのだ。

冒頭に「永遠子は夢をみる。貴子は夢をみない」という言葉がある。貴子は幼くして母を亡くしており、その母とおなじ年齢になったいま彼女は思う。母親に会えないのは、自分が母親にみられている夢の人だからではないかと。母親が起きているあいだ貴子は眠り、貴子が起きているあいだは母親が夢をみている。「自分は夢にみられた人なのだから、夢をいつまでも見ないのではないか」と考えるのだ。死者となった母の時間のなかにいる自分、そこで母に見られているゆえに夢をみない自分。物理的時間や生きている人の内部を流れる時間とは別の次元の死者の時間がここで語られている。死者の時間と生者の時間とはすれちがい、交わることがない。

豊穰なイメージをたくみに重ねあわせているだけのようでいて、そうではない。その裏に論理的な思考と認識力と現実を把握するたしかな力がひそんでおり、むずかしい言葉をひとつも使わず、わかりやすいやわらかな言葉でそれを刻んでいく。なににも仮託せずに言葉だけで立っている潔さ、五感の伝えるものに等しく発言の機会を与える公正さがとてもすがすがしい。映像的な想像を刺激するエピソードや小道具がたくさん出てくるので一見映画化しやすそうだが、安易な映像化を退ける矜持がみなぎっている。言葉の力を心から信じている人の文章なのである。


→bookwebで購入

2010年12月24日

百年文庫30『影』 ロレンス 内田百閒 永井龍男(ポプラ社)

『影』(百年文庫30) →bookwebで購入

「アンソロジーは名作を掘り起こすスコップである。」

好きな曲をセレクトして自作のコンピレーション・アルバムを作ることは音楽の世界ではよくおこなわれてきたが、それと同じことが文学の世界でも起きつつあるらしい。気に入った短編小説を集めて私的なアンソロジーを組むのである。電子書籍のリーダーの登場が大きいだろう。紙の書籍をばらしてスキャンしリーダーに入れれば簡単に編める。そのために書籍の背を裁断する商売が繁盛しているらしい。
 

紙の本が好きな私は、長旅でたくさんの本を持っていけないような状況にでもならないかぎり、電子書籍で文学を読むことはないと思うが、アンソロジーという考え方には惹かれる。編み直すことで埋もれていたものがよみがえったり、別の読み方が可能になったりということが、たしかにあるからだ。

本書もそうしたアンソロジーのひとつである。 D.H.ロレンス「菊の香り」、内田百閒「とおぼえ」、永井龍男「冬の日」の3つが『影』というタイトルのもとに集められている。いちばん長いのはロレンスの「菊の香り」だが、手入りにくい点でもこれがいちばんだろう。あとの2編はいまも入手可能な文庫で読むことができるけれど、ロレンスの「菊の香り」が入っていた文庫は絶版になっている。

「菊の香り」は、しっくりいっていなかった夫婦の夫のほうが死んでしまうという話だ。家に運び込まれてきた夫の遺体を見たとき、妻の中に湧いてきたモノローグがすごい。夫婦はもともと他人でしかない、というのはよく言われることだが、そういう世間一般の共通認識をこのように描いてみせるのが短編の凄みなのだと圧倒された。

「菊の香り」はタイトルとしては地味である。また日本の読者には和風すぎてイギリスの炭鉱町とイメージがつながりにくいし、また筋にも直接関係がない。だがこれが登場するのとしないのとでは作品の奥行きはまったくちがってくる。近距離で描かれていた事柄が、このタイトルを付けたことで普遍性を獲得している。短編には小道具が必要だが、どこにも咲いていそうな茶色い小菊のつんとくる香りが心憎いばかりに決まっている。

内田百閒の「とおぼえ」はいかにも百閒らしい怪談だ。最後の数行でするっと主客が入れ替わる。まだ夏の名残で生暖かな風の吹いている秋の宵、一休みしようと坂上の氷屋に入る。中はがらんとしてかき氷はなくて代わりにラムネを勧められ、それを飲みながら主人と話をする。知っている店ではない。見知らぬ町を訪ねた帰りに立ち寄っただけなのだ。会話がちぐはぐで、その亀裂がしだいに開いて異界へ誘う。低周波の電波がピタッと合ってしまったような、めったにないけれど身に覚えのある状況である。そう感じさせるところが百閒の真骨頂なのだろう。

永井龍男の「冬の日」は年末になると無性に読みたくなる作品である。庭で仕事する畳屋親子、張替えた畳のにおい、砂糖醤油をつけて焼いた切り餅、年越し蕎麦……。年の瀬独特の風情が描き込まれ、乾いた空気のにおいすら漂ってくる。その大晦日の慌ただしさをまとめ上げているのが元旦の夕陽である。朝陽ではなく冬枯れの枝越しに見える夕陽であるのにふいをつかれてページから目をあげる。煮えたぎるような夕陽の赤に引き寄せられる主人公の登利の姿が瞼を離れない。情欲を夕陽に重ねて生命力として表現しているのが見事だ。

アンソロジーの魅力は、こんな作家がいたのか、この人がこういう作品も書いていたのか、という驚きを与えてくれることだろう。たとえばロレンスといえばだれもが思い浮かべるのは『チャタレー夫人の恋人』で、それを読んでいる人は多いと思うが、短編にまで手を伸ばしている人は少ないだろう。事実、私は今回はじめて読んでちょっと衝撃を受け、もっと読みたいという気になっている。

内田百閒は現代でもファンは多いし、読み継がれている作家だと思うが、永井龍男はどうだろう。あまり知られていないのではないか。ロレンスの『チャタレー夫人の恋人』のように、あの作家と言えばこれというような代表作がない場合、いい作品を書いていても人の記憶に残りにくいのである。アンソロジーはそうした名作を掘り起こすスコップのような役割を果たしてくれるだろう。本の出版点数が増えて巨大な森と化している昨今、好きな作家に出会うための道しるべとしても機能する。

『影』は「百年文庫」という短編のアンソロジー・シリーズのなかの1冊で、漢字一文字のタイトルの付いた100冊から成っている。2010年秋から刊行がはじまり、いま半分ほどが出版されたところだ。通勤電車のなかで一冊読めるほどの薄手の本だが、手にしっくりと馴染む装丁が美しい。思わず人に贈りたくなるような雰囲気もあって、だれにどれをプレゼントしようと考えるのもなかなか愉しいのである。


→bookwebで購入

2010年11月30日

『昔日の客』関口良雄(夏葉社)

昔日の客 →bookwebで購入

これを読んで励まされない書き手はいない

用事がなくて自由に時間が使える週末があれば、なによりもしたいのは都内の散策である。どこでも構わない。だが構わないとなるとかえって迷うもので、さて、どこに行こうと腕を組んで考え込む。気持ちのいい散歩にするには、その日の気分と場所がうまくチューニングされなければならず、地図を広げてとりつく島を探すことになる。

もし30年前のある日にこの本を手にしたら、行き先はすぐに決まったことだろう。大森駅で降りて、駅のそばにある古本屋に立ち寄り、棚を眺めながら店主と客のやりとりに耳を傾ける。これから歩くのに重くない程度の本を何冊か買って店を出れば、もう気持ちのスイッチが入り心のなかでは散策がはじまっている。あとは足のむくまま、気のむくまま、馬込の起伏ある地形をたどっていけば最高の一日になるのはまちがいない。

大森にかつてあったこの店は「山王書房」という。古本好きのあいだではつと有名だったが、それは品揃えもさることながら店主の人柄だった。本にまったく関心のない人が本を商うことはないにせよ、物としての価値が中心で中身にはさほど興味はないケースも少なくないが、そんななかで店主の関口良雄は本を書いた作家に深い尊敬の念を抱く希有な人物だったのである。

話好きで、話上手だったから、短編小説のような味わいのある彼の話を楽しみにくる客もいた。文章を書く機会も多く、それを本にまとめるように勧める人もいた。彼はその考えを長らくあたため、還暦を前についに決意し作業にとりかかったのだが、その途上で癌に倒れ、本の完成を目前にして他界した。1977年のことである。

翌年、世に出た『昔日の客』は、本好きや古本屋ファンのあいだで愛読され、人気となったが、近年、古書の値段が上がって入手が困難になっていた。それをオリジナルとほぼ同じ装丁で復刊したのが本書である。オリジナルを知らなかった私は、千駄木の古書店でこの復刻版を見せられ、本のたたずまいに惹かれてその場で買い求めた。帰ってすぐに開いて数ページ読むと、丁寧につくられた食事を口にしたときのように細胞のひとつひとつに滋味が染み渡っていった。飾り気のない素朴な文章で、その素朴さゆえに素材の味が際立っている。こういうものをひさしく読んでいなかった気がした。

尾崎一雄の『虫のいろいろ』の初版本を探して欲しいという依頼を受け、それが入っていると思って300円もの大金をかけて市場で一山競り落とし、意気揚々と店にもどって改めて本を手にとってよく見ると『虫のいどころ』という民謡の本だったという「虫のいどころ」。よその町の古本屋で店主に作家の伊藤整とまちがえられ、そのまま訂正せずに話を合わせたところ、再び行ったときにまた声を掛けられ、しかたなく要らない本を5、6冊買ったら、重いから家にお届けしましょうと言われて慌てた「伊藤整氏になりすました話」。これには文壇の会合でホンモノの伊藤整に挨拶されるというオチがつく。デビュー前の野呂邦暢が欲しかった本をまけてもらった恩を忘れず、芥川賞の授賞式に招待してくれ、後日「昔日の客より感謝をもって」と書いた自著をおみやげにもって訪ねてきた表題作も、しみじみとした味わいがある。

しかしもっとも心惹かれた1篇をあげるならば、冒頭の「正宗白鳥先生訪問記」になるだろう。この作家の作品を読むようになった理由というのがまず素敵だ。新聞配達をしていたころ、配達区域に正宗先生の家があったので興味を持ったというのである。生い茂った林のなかに建っている赤い屋根の洋館で、どんなロマンチックな小説を書いているのだろうと思って読みはじめたが、さっぱり面白くない。それでも芽生えたロマンの火は消えず、諦めずに読みつづけ、ついには正宗白鳥の初版本二十数冊を落札し、それをかついで赤い屋根の洋館を訪ねるのである。どうしてもお会いして集めた本をお目にかけたいという一心で。

ご本人には会えず、代わりに台所から出てきた「非常に粗末ななりをした老婆」と話をする。それが正宗夫人なのだが、この夫人とのやりとりが最高におもしろく、また身につまされた。夫人は最初「夫は自分の本には関心がない」とけんもほろろだったにもかかわらず、話すうちに「それでは私が一寸見ましょう」と言って彼を庭の鶏小屋に連れていく。屋根の上のガラクタを払いのけたスペースに蔵書を広げると、夫人は感心して手にとりながら、夫の本がいかに売れないかを話すのである。

荷風さんはあんなに全集が出ているのに……、とか、夫が『楢山節考』を書評で褒めたので本が売れて深沢さんは儲かったけど、うちは少しも儲からなかったなどという話を、寒風に吹かれながら語る夫人の顔が目に浮かぶようだ。愚痴にはちがいないが、その口調にうらみがましいところがないばかりか、凛とした空気感さえ伝わってきて、夫は長く生きてきたけれど、悪い事は少しもしていない、という言葉には、そこに一緒にいて話を聞いたように勇気づけられたのである。

ご子息の関口直人氏は「復刊に際して」という巻末の文章のなかで、子供のころ、父が客にこう話しているのを聞いたことがある、とその言葉を書き留めている。

「古本屋というのは、確かに古本という物の売買を生業としているんですが、私は常々こう思っているんです。古本屋という職業は、一冊に込められた作家、詩人の魂を扱う仕事なんだって。ですから私が敬愛する作家の本達は、たとえ何年も売れなかろうが、棚にいつまでもおいておきたいと思うんですよ」

そんな悠長なことは言ってられない時代になったのは重々承知している。それでもこの本を読んでいるあいだ、日本のどこかにそういう店主がいまもいるような気持ちになってとても励まされた。本の力とはこれだ、と思った。


→bookwebで購入

2010年10月05日

『一〇〇年前の女の子』船曳由美(講談社)

一〇〇年前の女の子 →bookwebで購入

「少女の目で描いた一〇〇年前の村落共同体の暮らし」

この本のことはある編集者の方から贈っていただいて知った。著者・船曳由美さんは自分の先輩格に当たる方でその仕事ぶりを常日ごろ尊敬している、その彼女がこのたびこのような本を出した、自分の母の時代と思い合わせて興味深く読んだのでお送りした、という私信が添えられていた。ふだんわたしが手にとる本とは少し雰囲気がちがうので、贈られなければ気づかなかったかもしれない。

一読していい本に出会えたことを感謝した。と同時にこれをだれかに読んでもらいたくなって年長の友人に推薦した。読書好きの彼女は即座に読み終え、亡くなった母とこの本の話しをしたかった、まわりにもこの本のことを触れまわった、と伝えてきた。心強くなってつぎはうちの母に勧めてみた。歳とってなかなか読書が思うように進まないと日頃嘆いているので、負担を増やしてはと躊躇していたのだが、思いがけない早さで読み終え、「あの本、とてもおもしろかった!」と連絡してきた。本はいま母の妹のところをまわっているらしい。

物語の主人公、寺崎テイは著者の母である。明治四十二年生まれで百歳になる。母の思い出をつづるのでなく、母から聞き出した少女時代の記憶を母に成り代わって語っているところに、本書が成功している秘訣があると思う。それによって、明治から大正を生きた少女が普遍的な人物像になるのに必要な距離が作られている。読んでいるとしきりと自分のそばにいたあの人、この人のことが思いだされてくるのはそのためだ。

雷鳴とともに生まれたテイはカミナリさまの申し子と言われた。顔は男の子のようでかわいさには程遠く、しかも強情だった。小言を言われても歯をくいしばり、涙をいっぱいためて上目遣いで見る。生まれついての性格もあるが、生い立ちがさらにそれを鍛え上げたのだった。テイは生みの親を知らずに育った。姑ヤスと小姑があまりになんでも出来る人だったのに怖じ気づいた母は、出産後に赤ん坊だけを寺崎家に送り届けて自分はそのまま実家に留まってしまったのである。テイは寺崎のヤスばあさんにおぶわれてもらい乳をして生きのび、5歳のときに養女にやられた。

その後、父のはからいで寺崎家に帰してもらったが、養女に出された寂しさはテイに一生ついてまわった。泣き言をいわない我慢強い子に育ったのも、また養女に出されては大変だという気遣いがあったからだった。父がもらった後妻とのあいだに子供が生まれて新しい一家が出来ており、テイは家のなかでどこか宙ぶらりんの存在だった。

そのテイを気にかけかわいがってくれたのは、ヤスばあさんである。嫁がおそれをなすほど見事になんでもこなす才女の彼女は、夫を亡くし家族の重鎮として一家を切り盛りしていた。ヤスばあさんのふるまいや語り口は生き生きして読みごたえがある。気丈なだけではない心の広い人で、農村の暮らしを健全に保っていたのはこういう人物だったのだろうと思わせる。

おばあさんはお盆の墓参りのあとは決して後ろを振り返ってはいけないとテイにさとした。墓石のうしろには供えた食べ物をさらっていく者がいる。村人ではなく、貧しい女たちが団子や供え物を子どもに持っていくのである。顔を見られたくないだろうから振り返るな、というわけで、貧しき者や別の価値世界に生きる者への想像力をもっていた。

物ごいのことは「お乞食さま」と「お」のうえにさらに「さま」を付けて呼ばれた。何か理由があって神さまが身をやつして村をたずねているのかもしれない、どんなに汚い身なりをしている者でもバカにしてはいけない、そうヤスばあさんは教える。わたしの祖母や母も「お乞食さま」と呼んでいたから耳に懐かしい言葉だが、神さまの化身だという説明は聞かされたことはなく、子ども心に丁寧すぎて慇懃無礼な感じがしたものだ。これは言葉がひとり歩きする都市の宿命だろう。言葉の背景が消えてどのように発祥したのかわからなくなるのだ。

栗の山分けの話もヤスばあさんらしくていい。栗が実るとみんなで拾って大釜で茹で上げる。その栗をおばあさんが家族の人数分の山にわけ、じゃんけんで勝ったものから好きな山を選んでいく。後妻のイワかあさんが子ども思いで自分の分を少しやろうとすると、ヤスばあさんはだめだと遮る。おとなも子どもも、女も男も同じ量の栗をもらって楽しむのが栗わけの意味なのだ、だから自分で食べなさい。生活のなかでどうしても生じてしまう偏りはこのようにして是正されたのかと思った。

テイの目の高さで語られる季節の行事は描写が細かく具体的だ。ここに著者の考えがうかがえる。地方の民族博物館にいくといろいろな民具が展示されているが、いまとなってはどういうふうに使うのかまったくわからないものも多い。たとえば枠が鉄製で底に紙が貼ってある四角い箱が展示されていたとする。名札には「焙炉」とあり、茶葉を煎るのに使うと書かれている。ただそれだけで関心を抱くのはむずかしい。でももし以下のような文章を読んでいれば、たちどころに「あれだ!」と気がついて興味がわくのではないだろうか。

「カンカンに火を熾した炉の上に何本も細い鉄の棒をかけわたし、さらに台を置き、その上に焙炉をかける。炉よりも二回りほど小さな四角い箱で、枠が鉄で、底に紙が貼ってある。昔の大福帳の反古とか、破れた障子紙とや古い手紙などを何枚も何枚も貼り合わせたものだ。新聞紙はダメである。だから、和紙はどんな小さな切れっぱしでも大切に箱に入れて蔵にしまっておいたものだ」

茶畑で摘んできた茶っ葉は、蒸し上げたあとにその焙炉にざっとあける。熱々の葉っぱから甘い匂いが立ち上る。焙炉の紙が焦げれば和紙を貼り継ぐ。煎った葉は手で揉み上げてお茶に仕上げていく。この作業は男の仕事と決まっている。「熱さとの闘いがよいお茶をつくる」。できた新茶はまず親戚に届けられる。村の中でも茶畑のある家は少なく、心待ちにしている家も多く前々から空の茶筒を預かっている。近所の家には子どもたちが届けるが、「新しいお茶がデキマシタァ」と大声で言って戸口に立つのは晴れがましい気持ちだ。そしてすべてが終わるとヤスばあさんは座敷でひとりお茶をいれてゆっくりと味わう。「おお、今年もよく出来た……」。
茶摘みのシーンからここまでがひとつながりの映像のように描かれ、出来立てのお茶の香りすらもにおいたつようだ。

狭い人間関係のなかで物事が比較され価値づけられる村落共同体の暮らしはいいことづくめではないはずだ。噂が飛びかい、ねたみそねみが生じる。生まれ落ちた家や階級にも縛られ、それ以外の生き方は選べない。テイの生みの母親が里からもどってこなかったのも共同体のもつ窮屈さと無関係ではないだろう。だが、それはおとなの感じる苦労であり、子どもにとっては共同体はすべてのはじまりだ。人への接し方、しぐさ、礼儀、ものを判断する力、価値観、道具の扱い方、作業のこつなど、生きるのに必要なすべてことが白紙状態の心に染み込んでいく。世の中にいろいろな人間のいることも子どものうちから自然に悟っていく。

田畑を持たない人は手の欲しい家の農作業を手伝って食事と日銭を得ていた。日傭取りという。寺崎家に来るコウさんもそのひとりで、彼は河原に掘っ建て小屋をたてて住んでいた。そこしか住む場所がないからではなく、川の音を聞いて眠るのが好きなのだ。寺崎家はコウさんと奥さんの手に助けられ、彼らはそのおかげで好きな河辺の生活をできている。川辺で寝るのがいやな人もいるだろうし、みんなが川音に心落ち着くわけではないだろう。だが、そういう人もいるということだ。子供のころに「そんな人もいる」と感じるのが大切なのだ。

火の用心の照やんも別の価値世界に生きている人だ。12月から3月半ばまで照やんは一日もかかさず拍子木を打って村の一軒一軒夜回りする。嵐でも雪でも止めない。夜回りが終わる季節になると村では彼に渡す金を集める。一部は照やんの女房にとり分け、残りはぜんぶ彼に渡す。すると照やんはその金をもってなんと福居の遊廓に直行するのだ。しかも金が尽きるまでそこに居つづけるという徹底した遊び人になるのだ。

「この春の福居の廓があるから、一年間、働けるんだよゥ」とコウさんはいう。しかも宵越しの金は持たないとばかりにパッと使ってしまう夫を、毎晩炬燵を暖めて帰りを待っていた女房は一言も非難しないのである。照やんの夜回りを村人たちは「だれにも出来ることではない」と感謝しているが、この夫婦の生き方もだれもができるものではないし、またまねする必要もない。ただそういう夫婦もいるということだ。

人間にはいろいろな人がいて、ひとつの生き方でくくることはできない。それぞれが自分に合った生き方を選んでいい。このあたり前のことを実行しにくい世の中である。頭ではわかっていても、現実の場面になると動揺することも少なくない。家族のなかに世間が認める生き方のできない人が出たときの緊迫したムードにはだれもが覚えがあるだろう。はぐれ者を受け入れる寛大さは村落共同体のほうがあったのだろう。それにははぐれ者を認めてサポートする一族がいなければならなかった。ヤスばあさんはコウさんのごはんを炊くときに、「カマの底を見せてはならねえゾ」と嫁に言ったが、それは「オレが食いすぎた」と彼が要らぬ心配をせぬようにたっぷりととぎなさい、という意味だった。

細かい気配りのできる寺崎家のような家があって共同体はよきものとして存続したのではないかと感じた。そうした要となる一族がいる村といない村では、人心の安定に大きな差があっただろう。百歳のテイはヤスばあさんの公正な目が光っていたころの共同体の光景を物語っている。それは成長して村を出た彼女の少女時代の記憶でもあるのだ。


→bookwebで購入

2008年12月08日

『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』水村 美苗(筑摩書房)

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で →bookwebで購入

「翻訳を切り口に国語の成立をたどる」

東京育ちで、両親も、その親も東京の人で田舎というものを持ったことのない私には、方言で育った人が標準語をしゃべるときの違和感は実感としてわからない。でも英語を話しているときは、それに似たものを思いっきり味わう。

英語は何事もはっきり言い切ることを求める言語で、曖昧さをゆるさない。そう思わない部分が少しあったとしても、「そう思います」と答えることで相手とのコミュニケーションがころがっていく。言い切った直後は日本語で思い惑っていた自分を裏切ったような後ろめたさを感じるが、何度かそういう場面を繰り返すうちに、英語で話している人格が調子づいてきて、しれっと言い切れるようになる。ある言語を使うことは、その言葉がもっている論理や感情や感覚に入っていくことなのだ。

ビジネスが目的なら、割り切れる言葉で言うほうが商談がスムーズになるだろう。学問の世界においても同様に、論理的な言葉で考察や知見を説明すれば、頭で理解できるものになるから広まるだろう。
だが、文学の場合はどうなのか。
それがいま話題を集めている水村美苗著『日本語が亡びるとき』の問題提起である。

ヨーロッパの言語がラテン語とギリシャ語が元になっていることは、よく知られている。グーテンベルグの印刷機が発明されたとき、それで印刷された言葉はすべてラテン語だったという。学問する人はラテン語を知らなくてははじまらないというのが、長いこと彼の地での実情だったのだ。

それが十七世紀後半からラテン語ではなく、それぞれの国の言葉で書くようになる。つまりラテン語で物を考え書いてきた人たちが、その論考を自分の国のひとに広く伝えようとして、フランス語やドイツ語などに翻訳して書くようになったのだ。これが「国語」の誕生である。


「(国語とは)、もとは<現地語>でしかなかったある一つの言葉が、翻訳という行為を通じ、<普遍語>と同じように、美的にだけでなく、知的にも、倫理的にも、最高のものを目指す重荷を負わされるようになる。その言葉が、<国民国家>の誕生という歴史と絡み合い、<国民国家>の国民の言葉となる、それが<国語>なのである」


書き言葉の誕生を、このように翻訳の概念を通じて分析しているところが本書の特徴であり、目からウロコがおちるような指摘がたくさんある。

では日本における「国語」の誕生はいつかと言えば、明治以降である。
大陸との距離が近かったために、日本には早くから漢字が伝来し、無文字文化から文字文化に転じることがでできた。ヨーロッパにおけるラテン語と同じ役割を、日本では漢語が果たし、漢語を理解できない人のために、日本語の音に即した文字が作られたのだ。

日本では昔から識字率はとても高かったが、これは江戸時代に市場経済が発達し、市場に参加するために人々が文字を学ぼうとしたのと、印刷文化が日本独自の発達を遂げて本が普及していたことが大きい。

だが、この時点ではまだ統一された「国語」は出来ていない。地方によって書き方はばらばらだったのだ。いまわたしたちが知っている書き言葉ができたのは、明治以降のことで、ここにも翻訳が絡んでいる。西欧の制度や技術を採り入れるために、西洋語を日本の言葉に置き換える必要が出てきたからである。

「演説」「賛成」「討論」「版権」などの言葉は福沢諭吉が考え出したそうだが、漢字という表意文字があったゆえに新しい造語が速やかにつくれたという、日本語のすぐれて合理的な側面を、著者は強調する。表意文字と表音文字がミックスされた、音と概念の両方に対応できる言葉なのだ。


「福沢諭吉、西周、箕作麟祥、中江兆民、坪内逍遥------その他数え切れない二重言語者による翻訳を通じて、日本の言葉は、世界と同時性をもって、世界と同じことを考えられる言葉へと変身していったのである。
それだけではない。
<国語>へと変身していったことによって、日本近代文学-----とりわけ、小説を書ける言葉へと転身していったのである」。


なるほど、とうなづくことしきりであった。思えば、明治に移り変わるころから、あらゆる表現ジャンルに西欧の概念が入ってきた。大ざっぱに言えば絵画における遠近法、音楽における十二音階などがそれで、概念と同時に油絵具や西洋楽器なども入ってきて人々は悩み、奮闘した。「近代」と名のつく表現にはどれも、欧化と自意識との板挟みになった人々の、もがきと苦しみが刻まれているのがわかる。

考えてみると、絵画、音楽、演劇、舞踊などのジャンルでは、西欧とわたりあえるような創作活動が盛り上がってきたのは、明治よりずっとあとである。たとえば音楽家なら武満徹、舞踊なら土方巽を思い起こすなら、彼らは戦後の芸術家である。

かたや、文学シーンでは、夏目漱石をはじめとした作家が、早くも明治期に欧米のものを学びながらも独自のものを作りだしていた。イディッシュ文学を研究しているユダヤ系フランス人から、「日本文学のような主要な文学」と言われたことの意味を、著者はのちに感慨深く思い起こす。明治期にようやく成立した国語を使って世界の「主要な文学」が誕生したことの奇跡。その意義を著者は情熱を込めて語る。


文学がほかのジャンルに先駆けて世界的に「主要」なものになったのには、さまざまな要素が絡み合っていると思うが、著者は、明治の文学者が翻訳行為を通して、自らの国語に対して高い自意識をもって取り組んだこと、またそれをサポートする大学組織があったことなどが大きいと分析する。


「優れた文学の第一条件は言葉そのものに向かうことになる。「西洋の衝撃」を受けた日本の<現実>ーそして「西洋の衝撃」を通ったからこそ見えてきた日本の<現実>。日本近代文学の黎明期には、そのような日本の<現実>を描くため、詩人は当然のこと、小説家でさえ、しかもさほど才に恵まれなかった小説家でさえ、一人一人が言葉そのものに向かい合うのを強いられたのであった。そして小説家個人の資質をはるかに超えるおもしろい文学を生み出してきたのであった」


もともとヨーロッパでは、「文学」(literature)という言葉は書かれたもの一般を指し、「学問」と「文学」は分かれていなかった。「文学」が詩や、劇や、小説に限られて使われるようになったのは、十八世紀後半からだという。冒頭に私があげた例にもどってみるならば、そのとき以来、「割り切れない」気持ちを生み出す言葉そのものに、こだわり突っ込んでいくことが、「文学」の仕事になったのである。

ここまでが五章である。私たちがあたり前のように使っている言葉が、どのように成り立ってきたか、その状況論が外側から語られるので、とてもおもしろい。だが、最後の二章「インターネット時代の英語と<国語>」と「英語教育と日本語教育」はややわかりにくく、異論も多いだろうと思われる。それまでとちがって、現状を語っているからだ。

まずインターネットの普及により、世界が英語化してしまう懸念が述べられる。


「優れた文学が近代日本で生まれるのを可能にした歴史的条件ーそれが、今、目に見えて崩れつつある。学問にたずさわる二重言語者が、<普遍語>で書き、<読まれるべき言葉>の連鎖に入る可能性がでてきてしまったからである。しかも、もう、かれらが、新しい日本語で日本の<現実>を理解するため、そして日本の<現実>に形を与えるために、大学を飛び出す必要を感じたりする気運は日本にはない。黒船から百五十年たった日本は、近代化=西洋化することによって、西洋との緊張感も失っていき、それと同時に、日本語でも西洋語との緊張感を失っていった。かつて新しかった日本語は、今やその起源も忘れられ、巷ではほとんど自動的に流通している」


このあと、漱石ほどの人物が、いま大学を飛び出して日本語で小説を書こうとするであろうか、いま日本語で書かれている小説を読もうと思うだろうか、という問いがつづく。

まとめると、こういうことになると思う。

かつては言語についての意識の高い大学人が文学にたずさわってきた。だがインターネット時代になって、そのような知識人は軸足を英語に移しつつある。現代日本の書き手は、西欧文化を対象化する視点が乏しく、かつ言語に対する意識も低く、ゆえに現代文学は近代文学とおなじレベルを維持できてない。それが教養ある大学人を文学離れする方向に追いやるという、悪循環に結びついている。

つまりこの文章の基調となっているのは現代文学への不満である。いまの日本で、近代文学に比するものが書かれてないことの憂いが、本書を書かせたことを示唆している。にもかかわらず、どういう作品が憂えるべき作品なのかがはっきりしない。「日本語で流通している<文学>は、すでに<現地語>文学の兆しを呈している」とあるものの、そう考える具体的根拠が出てこないので、煙に巻かれたような感じになる。

たしかに、インターネットはどんな国の人ともつながれ、平等な立場でものが言えるツールのように思いがちである。だが実際、海外に出てみれば、無視されたり、ばかにされたり、相手の論理を押し切られたり、悔しい思いをすることはしょっちゅうである。日本人の大半はそういう経験に乏しく、ゆえに自意識をかき立てられることもなく生きている指摘は、たぶんまちがいではない。異質なものにぶち当たらないかぎり、自意識など芽生えようもないからだ。

著者は親の仕事の関係で十代でアメリカに渡り、英語嫌いになって父の書棚にある近代日本文学を心のよりどころとして生きてきた。漫画やアニメなど日本のポップカルチャーの体験がぽこっと抜けているから、日本でずっと育ってきた同世代とも、その下の世代とも意識にズレがある。だが、ズレているゆえに透視できるものがあって、五章までの記述にはそれがあふれている。近代日本文学をこれほど愛情を込めて語れる人もいないだろうとも思わせるほど、熱を帯びている。

だが、憂国のくだりは正直のところ説得力が乏しい。いまの日本文学が、もし仮に「現地語文学になり下がっている」としても、それゆえに欧米から注目される可能性があるかもしれないからだ。

日本は総じて「芸術」よりは「芸能」で力を発揮してきた文化圏で、大衆文化の影響が強い。その歴史のほうがずっと長く、明治以降の近代表現のほうがむしろ特殊な感じを受けるほどだ。その日本のポップカルチャーの厚みが、ここ二十年のくらいのあいだに表出してきているような印象がある。

その傾向は、近代の洗礼を受けてきた人には「逆戻り」に見えるだろう。だが、西欧経由ではなくて日本に元からあったものが伸びてきているから、将来、「現地語文学」が強みを発揮してこないとも限らないのだ。ということは、著者がここで述べている「憂い」は、近代日本文学という基準値から見た「憂い」、知識人にとっておもしろいと思える作品が日本語で書かれていないことへの「憂い」ということになるだろう。

この作品は、著者がアイオワ大学の作家プログラムに参加し、アイオワに長期滞在したときの体験からはじまっている。使用者の数が少ないマイナーな言語で書いている作家たちの姿が慈しみ深く描写され、彼らのぱっとしない見かけや節約家ぶりが、言語の「市場価値」や「ヒエラルキー」と無関係ではないことが暗示されている。これから展開されるテーマが生身の人間を通して感じ取れる、この作家の真骨頂とも言えるわくわくする部分だ。

そして最後はこういう文章で終わる。


「それでも、もし、日本語が「亡びる」運命にあるとすれば、私たちにできることは、その過程を正視することしかない。
 自分が死にゆくのを正視できるのが、人間の精勤の証であるように」


著者は評論家でなくて小説家なのだから、近代文学への愛を思いっきり述べて構わないし、むしろその思いのたけこそを聞きたいと、読者としては思うが、それを「私たち」ではなくて、「私」の立場に立って、社会に物申す的な視点ではなく、あの素晴らしい第一章のような書き方で書くことが、小説家の仕事なのではないだろうか。

この作家ならば、つぎの仕事は必ずやそういうものになるだろうという予感がある。実際、「新聞小説」というタイトルの小説がどこかではじまるらしいという噂を耳にして、大いに期待を寄せている。


→bookwebで購入

2008年11月11日

『星のしるし』柴崎友香(文藝春秋)

星のしるし →bookwebで購入

「写真集のような小説、または新しい記録文学」

『星のしるし』は原稿用紙にして250枚足らずの量で、レイアウトもゆったり組まれていて、目の負担も少なく、すらすらと読めそうな感じなのだが、読みはじめてみると意外にも時間がかかる。描写がとても緻密で繊細なのだ。読書というのは、文字の連なりから情景や感覚を頭の中に立ち上げる行為で、だから正確にそれをやろうとすると、結構時間がかかるし、脳の負担も大きい。

もっとも筋をたどっていくことが、そのまま読書行為となるような小説もある。そういう場合は文字を追っていけばドラマが展開され、それに誘われてどんどんページがめくれ、そのスポーティーな感覚が読者のカタルシスになる。柴崎友香の小説ではドラマチックなことはほとど起きず、早く読んでしまうと、文字を追っただけで何も残らない。読者が能動的になることを求める小説だと言える。

主人公の「わたし」は、今年三十になるOLで、ワンルームマンションに独り暮らしをしている。何年か前に同じ会社に勤めていた男と結婚寸前までいったが、ためらいを覚えて別れ、会社も変わった。いまは朝陽というボーイフレンドがいて、週末はたいがい彼のところで過ごしている。その家にはいろんな人が出入りしていて、現在はカツオという超能力を自認する若い学生が居候している。「わたし」の親友の皆子も、また面倒見のいいところを発揮して印象に残るが、はやりいちばん強烈なのは、図々しくて妙にハイなこのカツオという男だ。

とはいえ、上記のような事実関係は小説を読むにつれて少しずつわかってくることで、まとめて説明する個所があるわけではない。冒頭の場面は正月のファミリーレストランで、出てくるのはカツオと皆子と「わたし」の三人である。朝陽の帰省中に、皆子と高校時代の同級生を訪ねたら、カツオもついてきた。帰り道にカツオがお腹が空いたと言うので、ファミリーレストランに寄る。

ここで「わたし」の携帯電話が鳴り、この小説全体に通奏低音のように響き続ける出来事が起きる。介護施設に入っていた「わたし」の父方の祖父が亡くなった知らせが入るのだ。痴呆で施設に入っていて、会いに行くこともまれだったが、亡くなったとたんに、存在すら忘れていた祖父が水面に浮上して「わたし」の心を揺らす。

順風満帆の人生であれば、そうはならなかったかもしれない。仕事も結婚も曖昧で、これという確信のない人生であるゆえに、祖父の死をきっかけに現実をつなぎとめる綱が緩むのだ。こたつに入っているカツオに「わたし」は、祖父の死を巡る感情の動きをこんなふうに話す。

「……死ぬまでは一年に何回か意識することあるかないかみたいな感じやってんけど、今はしょっちゅう思い出す、っていうても葬式とか法事とかあるしうちに遺影やら位牌やらがあるせいもあるねんけど。今まで普段は忘れてて、それっておらへんも同然やん、ひどい言い方やけど。ほんで死んで会われへんようになっても、それまでとなにも変わらへんし、かえって考えるようになったから、おるときはおらへんかったのに、おらんようにんなったらおるっていうか」

他愛もないつぶやきが、大阪弁のゆったりしたリズムによって切実な自問に変わる。とりわけ最後のせりふは味わい深く、この部分を「いるときはいなかったのに、いないようになったらいるっていうか」と標準語に置き換えてしまうと、平たくなってニュアンスが消える。よく言えばおっとり、悪く言えばぼんやりと生きている「わたし」の日常感覚が、批判的ではなく、リアルなものとして読者の心に広がっていく重要な個所だ。

一万五千円も出してヒーリングにいったり、占いにいったり、「わたし」はいまどきの女性らしく、いろんなものを試し、霊的な世界に思いをはせる。だが、頭のどこかでそれによって何かが変わるわけではないのを知っているし、はまりもしない。そう、この小説にドラマチックな要素がないのは、「わたし」のこの遠くからモノを眺めるような淡々とした視線のためだ。ドラマをドラマとして受け止めずに、むしろ「ドラマ」と呼ばれるものを解体しようとする意識が強い。

もう一度冒頭にもどってみよう。ファミリーレストランの駐車場に車を停めたところで、帰省先の朝陽から電話がかかってきて、皆子とカツオは先に降り、「わたし」ひとりが車内に残って話していると、道路のむこうのアパートのベランダに若い男女がいて、その女のほうが鉄柵の上に立ち上がろうとするのが目に留まる。耳は電話の内容を追いながらも、視線は百メートル以上離れている場所で起きていることを見つめている。「わたし」と外界との関係は、こんなふうに見えたものによって自分を観察する作業で成り立っているのだ。

視覚描写が意味を伝えたり、筋を補助するためではなく、無意識が表出したり、意識が揺らいだりするのを記述しているのは、柴崎友香の小説の特徴であるように思われる。私は文章をいちいち映像に置き換えて読む癖があるために、このベランダのシーンもヴィジュアルに浮かんでくるのだが、その映像は「映画」ではなく「写真」に近い。

写真と映画のちがいは時間にある。映画では、見る側が作り手の時間に身を委ねるが、写真においては、見る者がそれを決める。つまり写真はいくら長く見ていても構わないのだ。おなじように小説では、ひとつの記述にどのくらい留まるかは読み手の自由であり、その時間の自在さと関係性が、写真との親和性をもたらす。

先に引用したせりふでわかるように、「わたし」は自分の心の動きを見つめているが、自意識がテーマではないし、それと格闘している様子もない。むしろ自意識すらも客観視しようとする視線があって、それもまた「写真的」と感じさせる要因になっているのかもしれない。写真は自意識を離れて、現実の側にでていくことで成立するものだから。

どんなタイプの写真も記録としての特性をもっているが、この小説も、自分の内部でおこることを外化して記述しようとする意志に、写真の記録性と相通じるものがある。つまり五十年後にこの小説を読んだ者は、2008年に若者たちが何を感じ、何を考えていたかを感覚することができるだろう。どんな時代の、どんな事象も受け止めていこうとする作家の姿勢が示されている。だからこの作品を「写真集のような小説」と言うことができるし、「新しい記録文学」と言ってもいいと思う。


→bookwebで購入

2008年07月15日

『隅田川のエジソン』坂口恭平(青山出版社)

隅田川のエジソン →bookwebで購入

「都心で狩猟採集生活をする」

私がニューヨークに暮らしていたころ、街中のいたるところにホームレス・ピープルがいた。80年代初頭のことだ。彼らの多くは物乞いをして生活していたが、物を乞う卑屈さが少しもない。朝、コーヒーを買って釣り銭をもらおうとすると、さっと横から手が出る。そのタイミングのよさに、思わずコインを彼の掌に落としてしまう。いつもそうするとは限らず、機嫌の悪いときには「こっちが欲しいくらいよ!」と言い返してしまったりするが、別に恨むふうでなく、have a nice day! と言って去っていく。

それまであまり意識しなかったホームレスのありようを、帰国後、気を留めるようになった。以前は耳にしなかった「ホームレス」という言葉をよく聞くようになったのも、このころだったように思う。原稿に「浮浪者」と書いたら「ホームレス」と赤を入れられ、この名が日本でも使われているのを知った。

ところがよく見ると、日本の路上生活者は「ホームレス」とは名ばかりで、ちゃんと段ボール製の家を作って住んでいるのである。玄関があって、入口にはちゃんと靴がそろえて脱がれていて、中から人の笑い声が聞こえてくる。これにはびっくりした。方丈を作って車座になって団らんするという住文化の原点が、路上の環境においても再現されている。こういう光景はニューヨークでは見たことがなかった。彼らは段ボールを重ねて寝るだけで家は作らないし、ましては団らんなどはしなかった。

『隅田川のエジソン』は隅田川べりに暮らす路上生活者の物語である。実在の人物をモデルにしたと帯にあるが、たしかにここに描かれている生活の細部は、想像では書けないものばかりだ。読みながらニューヨークの記憶がよみがえってきたのも、彼らの肉声に触れているような気がしたからだった。路上で生きることの具体性が、実に立体的に浮かび上がってくる。

硯木正一という元土方の男が語り手である。地方で土建の仕事をしていたが、会社が倒産して上京、浅草寺横の児童公園で夜を明かした折に、持ち物一切を盗られて、無一文になってしまう。とりあえず、という気持ちで川べりで暮らすうちにこれが気に入り、パートナーの女性も現れ、ふたりで暮らすようになるのである。

土建の仕事をしていたときから、ひとりで最初から終わりまでこなすのが好きという、工夫上手の独立独歩派だった。持ち前の技術を活かして、簡単に作れ、かつ移転を求められたらすぐに解体できる段ボールハウスのエキスパートとなり、自邸のみならず、まわりの人の家も建てて上げる。

家はただ雨露をしのぐだけの空間ではない。なんと電気が使えるのである。廃棄処分にまわされる、まだ使用可能なバッテリーを、ガソリンスタンドでもらい受けてくるのだ。電灯が付き、テレビやラジカセがある電化生活。カラオケセットを拾ってきて、カラオケ付き宴会を開いたりする。水は公衆トイレで調達。拾ったカセットコンロで料理もする。炊き立てのご飯にみそ汁、ときには摘んできたタラの芽を天ぷらにするなど、なかなか気の利いた生活ぶりだ。

収入もちゃんとある。拾った電化製品を修理してドロボウ市で売ったり、テレホンカードを換金したりして得るのだ。家賃が0円だから、稼いだ何万かはすべて食材や酒代にまわせる。こんなふうに狩猟採集生活が可能なのは、多くのものが使える状態で廃棄される東京ならではだろう。近所をひとまわりすれば必ず収穫があるのだ。

こうやって暮らす彼に、住人たちがやさしく対応するのも意外な点である。携帯電話の普及でテレホンカードが減り、それを拾うだけでは収入がおいつかなくなって、彼はアルミ缶の収集に乗り換える。それもただ拾うだけでは効率が悪いので、どこの家がたくさん捨てるかを調査して、その家と交渉する。すると、彼の生活ぶりにほだされて、缶を取り置いてくれる家が現れるのである。

「おれはいつも思う。東京は一番人間があったかい場所なんじゃねえか? だけど普段の日常は、なにか仮面が覆っていて、誰にもわからない。おれみたいに、もう終わりだよー、と一度行くところまで行ってしまった人間に対しては、許容範囲広いわけよ。その真ん中がないっていうのかね。もう飛び込んじゃえばいいんだけれど、大体の人はできないからさ。やっちゃった人に対しては、尊敬の念があるのかもしれない。出家した人みたいな扱いを受ける時があるから面白いよ」

ふつうの人が出来ないことをやっている姿に、夢を託すような気持ちがあるのではないか。「出家した人」という言葉に表れるように、異界に生きる人への敬慕の念もあるのだろう。ともかく、世間が思うほどには人の心が冷え固まっていないのに胸をつかれる。素直に表しにくくなっているだけで、人恋しさは変わらないのだ。

無線でインターネットがつなげる場所に家を建てて世界と交信している男(屋根に太陽電池もつけている)、廃品アートを何百と作っている男、段ボールハウスで寺子屋を始める元中学教師など、個性派そろいである。読み進むうちに、私たちが生活する同じ地表に、もう一つ別のパラレルワールドが立ち現れつような感じを抱く。そこでは人が体を使い、知恵を活かし、工夫しながら生きている。都市のロビンソン・クルーソーである。

この著者には、段ボールハウスを建築と住空間の見地からドキュメントした『0円ハウス』という著書があるが、そのときの取材が本書の核になっているのだろう。段ボールハウスとそこに暮らす人々を、社会問題としてではなく、もうひとつの生活物語として描いている点、それによって都市環境が逆照射されているところが実に新鮮である。著者は大学で建築を専攻した。その視点が都市空間や生活環境や建物の見方に生きている。

→bookwebで購入

2008年06月28日

『本が崩れる』草森紳一(文春新書)

本が崩れる →bookwebで購入

「四万冊の本に囲まれて生を終える」

この春に急逝した草森紳一氏を追悼する会が、昨夜、九段会館で開かれた。草森氏には生前に何度かお会いしていたし、彼と最後まで関わりのあった女性と、ふたりの間にできた娘さんを存じ上げている。そんな縁で参列したのだった。

司会者の説明によれば、最期の様子はまさしく氏の著書『本が崩れる』のとおりであった。締め切りになっても連絡がつかないので編集者が訪ねたところ、電気が壊れて中がよく見えない。無理に突入すると本が崩れて二次災害になるので一旦帰り、翌日、懐中電灯を持参して再訪、中で倒れている氏を発見したという。2DKのマンションに四万冊の蔵書が積まれ、人の動ける余地がなかった。

帰宅して『本が崩れる』を再読した。氏の文章は言葉が意味を超えた呼吸になっていて、私には速く読むことが出来ない。原稿用紙にして百枚くらいの作品を、書くようなペースで読んだ。速読するなら読む必要はないと言いたいほど、文章の呼吸が素晴らしい。

表題作はタイトルどおり、部屋中に積まれた本が崩れる話ではじまる。崩れただけでなく、その本が浴室のドアを封じてしまい、出られなくなるのだ。体当たりしてもビクともしない。壁を叩いて隣室の老婦人にSOSを送ろうと考えるが、いまは昼間だ。彼女は夜まで帰らない。

とりあえず本でも読むかと、脱衣場にまで侵入していた本の山から二冊を抜き取って読書する。読み終えたところで一計を案じて自力で脱出するのだが、どうやって出たかは読んでのお楽しみとして、ともかくこれだけの量の本と暮すのが具体的にどういうことなのかが、この最初のくだりで読者の肉体に刻まれるのである。

蔵書の量に頭を痛める話は、物書きのエッセイによく登場するネタだ。だが、あまりおもしろいと思ったためしがない。自嘲しているようでいて、実は自慢しているようなふしがある。物に仮託して自分を語るのは弱さの表われなのに、その薄っぺらさに気付いてない。

そんなおごりとはまったく無縁な文章である。蔵書の量がわが身の危険と引き換えにするほどスケールアウトしているし、なによりも、そこまで突き進んでしまう自分のイビツさを自覚し、突き放して描いている。あっぱれとしか言いようがない筋の通し方だ。

「物書きとしてしぶしぶ生活するようになってから、たえずもう一人の自分をわが背後に置く癖がつき(いや、三十を過ぎてからは、わが前面にも、もう一人の自分を置く)、それは守護神の如く、情けない本体の自分を救う時もあるが、前後に見張りをつけておくなんて、素直でないと責めたい部分でもある。チミモウリョウにそそのかされるまま、素直に生きている自分。そんな醜態を眺めているもう一人の素直でない自分。超越的自分ともいえるが、そんなしろもの、自分の目でたしかめたこともない。たえず不寝番している見ず知らずの気の毒な自分でもある」

彼の書くものはどれも、なにかを見ている自分と、その自分を見ている自分、あるいは心が動いている自分と、その動きを観察している自分とが、合わせ鏡のように描き込まれる。心理学的な用語でいえば、意識と無意識、自我と超自我のあいだをうねっていくような書き方だが、そんな用語を一つも使わずに、自分を素材に人間の奥深いとこをたゆたっていく。小説を読んでいるような感じがするのはそのためだろう。

浴室から無事でられたところで半分くらいで、そのあとに男鹿半島を旅する話がつづく。本から話題が飛ぶようだが、そうではない。前半部の裏テーマは実は本に圧迫され侵食されて疲弊する肉体であり、その肉体を漢の武帝が祭られている赤神神社の九九九段の石段を登って、荒治療しようと試みるのである。

この石段を登るシーンは何度読んでもおもしろい。二十段登ったら休んでまた登るというのを五十回繰り返せばいいのだ、と自分を励ましながら進んでいくものの、ついにくたびれて石段にごろんと横になってしまう。すると「ホーホケキョ」と鴬の声がする。それも一羽二羽ではなく、複数が連唱して追いかけてきて、その声に「わが身を飾られながら」登りつめると、ふいに目の前が明るくひらけて社殿に出るのだ。

途中でもしかして「盛り」がついて鳴いているだけかもしれないという考えが、ちらっと頭をかすめる。だが、「……そんな分別、頭のスミから追い払った。この際、もっぱら自分への応援とみなすのが、「九九九」段を登り切るだめには、欠かすわけにはいかないエゴであり、妄想である」。このクールな自己観察にしびれてしまう。

私が彼の著書に出会ったのは70年代である。編集者の友人が、『子供の場所』という彼の著書にサインをもらって、当時ニューヨークに住んでいた私の元に届けてくれた。大竹昭子の「昭」の下に点々がついて「照子」になっていて、「瞬間、まちがえました。ごめんなさい」と書いてある。この本は、子供のいる場所から都市空間を論じた内容だったが、そういう括りからあふれ出る豊かさがあり、以来、彼の著書を新旧あわせてひもとくようになったのである。

「私は、これまで一度も作家とか評論家であるとか、自称したことなどない。自分では「物書き」としか言ったためしがない」と彼は言う。たしかに既成の評論のスタイルには収まり切らない書き方だし、興味の範囲も美術、デザイン、建築、写真、マンガ、広告、書、評伝と多岐にわたる。こういう作家がほかにいるだろうか。少なくとも私の乏しい知識では思い浮かばない。独自のスタイルとポジションを貫ぬいた人だった。

そんなことを思いながら帰宅する道すがら、はたと気が付いたことがあった。『子供の場所』を贈られたころ、私はまだ本格的に書きはじめていなかったが、あのとき草森紳一の著作に出会ってしまったことが、いまの自分を決定してしまったような気がする。こんなに自由に書いていいんだ、そう思って驚き、感動した。まだ駆け出してもいない私にとって、この上もなく魅力的なありようだったのである。

それ以来、内容的には到底及びがつかないものの、自由に書くというスタイルについては氏のやり方をまねてきた。一人の筆者が書いたのだから、テーマがちがっても通底したものがあるはずだと居直り、好奇心のおもむくままに書いてきたのである。それでもときどき、どうしてこんなに一言で説明しにくい仕事の仕方をしてしまったのだろうと、我が身を振り返って嘆くことがある。だが、もうこれでいくしかない。そう腹をくくれた夜だった。

→bookwebで購入

2008年03月31日

『夜になるまえに』レイナルド・アレナス著/安藤哲行訳(国書刊行会)

夜になるまえに →bookwebで購入

「めまいと戸惑い、そして冷水」

何かの都合で中断せざるを得なくなった未読の本の山から、この本を引き抜いて読み出したのは、フィデル・カストロ引退のニュースが報じられたことと無関係ではなかった。そして再び読みはじめてみて、あのときに中断した理由のひとつが、カストロの記述にあったことに思い至った。カストロの独裁体制ぶりがこれでもか、これでもかと描かれていることに、あれっと思ったのだ。カストロってそんな人だったのかと。

キューバの作家、レイナルド・アレナスの自伝で、記憶の断章とも言うべき短い回想が時間軸にそって展開される。『夜になるまえに』という忘れがたいタイトルは、それ自体がアレナスの置かれていた立場を物語っている。彼は夜が来る前にこれらの文章を書きつづけた。陽の光のあるうちに、監獄生活というもうひとつの「夜」が来ないうちに、書きつづけなければならなかった。

「六〇年代ほどキューバでセックスが盛んだった時代はないと思う」とアレナスは書く。それを証明するように、本書では最初から最後まで息苦しいほどの同性のセックスシーンが展開される。同性愛に走るのは同性愛者だけではない。ヘテロセクシュアルの人も、男であれ女であれ同性とのセックスに耽溺した。キューバでは同性を愛するのにホモになる必要はなかった。性差による仕切りはなく、欲望だけが強烈だった。

カストロがキューバ革命を樹立して政権をとったのは一九五九年。同性愛の高まりはこの革命のエネルギーと呼応しあっていた。

「フィデル・カストロに拍手を送りながら革命広場の前をパレードするあの若者たちのほとんどが、ライフルを手に軍人らしい顔をして行進するあの兵士たちのほとんどが、パレードのあとぼくたちの部屋に来て体を丸め、裸になって自分の本当の姿をさらけだした。(中略)二人の男が到達する悦びは一種の陰謀みたいなものだった。暗がりでも真っ昼間でも構わないが、秘密裏になされるものだった。一つの視線、一つの瞬き、一つの仕種、一つの合図、そうしたものがすっかり満足するためのきっかけとなった。その冒険そのものが、たとえ望んだ肉体で絶頂に達しなかったとしても、すでに一つの悦びであり、一つの神秘、一つの驚きだった」

性の解放というとアメリカが中心のように思っていたが、キューバで同じころ同性愛をも含んだよりアナーキーな性的高揚があったのに正直驚いた。革命の熱気はキューバ国内のみならず世界へと波及し、世界中の若者を夢中にさせた。カリブ海のちっぽけな島国がアメリカという大国に盾突いたことは、性的欲望が爆発するほどの生命の高揚だったのだ。

後にアレナスはアメリカに亡命するが、そこでの同性愛の世界にはカテゴリーや区分があって、退屈で飽き足らなかったと書いている。制度化の傾向の強いアメリカでは、性すらもカテゴリー化される。同じ同性愛の行為でも目指すものがちがった。

だが、この異様な性的解放をキューバ政府が黙って放置するはずがなかった。同性愛を取り締まる法律が公布され、同性愛者たちに対する迫害が猛り狂い、強制収容所が造られた。同性愛者である上に作家であるアレナスは二重の桎梏を背負うことになる。反政府的な言動や同性愛が当局からマークされ、逃亡の果てについに投獄される。為政者が私腹をこやそうとする腐敗した体制下であれ、大国と闘って民衆を貧困から解放しようとする理想主義体制であれ、独裁政権であるかぎり、表現者は窮地に追い込まれる。

三年後に「自己批判」して刑務所を出たアレナスは、一九八〇年に船でアメリカに亡命する。このアメリカ滞在について書いたところは、前半の同性愛への記述とともにとても印象深く、考えさせられる。

まず亡命したことで、キューバで逃亡し幽閉されていていた時期よりも海外での出版の機会が減るという矛盾した事態に見舞われる。キューバにいるあいだは、いくら体制から迫害されていようと、輝かしい革命が進行する国の作家だった。アメリカをはじめとして、世界の左翼知識人にとって、カストロ体制への評価はそれほど揺るぎないものだったのだ。だが、亡命作家がカストロ批判をするにつれてキューバ文学は色あせ、大学のブックリストからも外されていく。

「亡命地ではぼくたちは自分を表現してくれる国を持っていない」とアレナスは書く。生きる許可を得られているものの、それはいつ拒否されるとも知れない危ういものだ。どこにも駆け込む場所がない刹那的な実存を生きるしかない。

アレナスは自由を求めて渡ったアメリカでも幸せを得られず、エイズの進行で死を悟り、一九九〇年に自殺している。
「ぼくの新世界は政治力に支配されていなかったが、同じくらい忌まわしいもう一つの力、つまり、金力に支配されていたのだ。何年かこの国でくらしてみて、ここは魂のない国であることがわかった。すべては金次第なのだから」

ここに至って私は大きく溜め息をつかずにいられなかった。まず同性愛を介して広がったエイズのために死を選んだことが痛々しく、また拝金主義のアメリカ批判にも胸に迫るものがあった。というのも、この金次第の資本主義や快楽主義に反旗を翻し、それに抵抗しうる体制を五十年という長きにわたって治めてきたのがカストロだったのではないか。その確固たる姿勢と実践力に、よりよき社会を夢見る世界中の人々が魅了された。だが、その体制維持のために自由を奪われ苦しめられた人間の数は半端ではなかったし、またその彼らは脱出した先のアメリカでも希望を見出せなかったのだ。この事実をどう受け止めたらいいのだろう。

カストロにはどんな大国の政治家の前に出ても動じない存在感があり、その魅力には抗しがたいものがある。だが、彼にとって国民は理想の政治体制を実現するための部品のようなものに過ぎないのだろう。政治とは組織の形成であり、その維持であって、人間はそのためのコマとみなされる。それは政治の宿命であるし、人の中にはなにか大きなものの一部になる悦びがたしかに存在するのだ。と同時に個として声を発したり、欲望を実感する悦びもまた不可欠であり、その両方がなくては人は生きられない。となれば私たちはアレナスの言う「政治力」の国と「金力」の国のあいだでうろうろと彷徨うことしが出来ないのだろうか。

さまざまなラテンアメリカ作家がカストロ体制の操り人形としてやり玉に挙がっている。その中の最重要人物としてガルシア・マルケスの名があるのに驚いた。私はこの発言を判断する手がかりをなに一つ持たないので言うべき言葉はないが、ひとつの価値世界が反転するような眩暈を覚えたのはたしかだった。

実は眩暈を感じたのはここだけでなく、本書を読んでいるあいだずっとくらくらしどおしだったのである。信じるとまではいかないまでも、これまで描いていた価値世界が幻のように消えていくのを感じた。世界がグローバリズムに傾いていく中でキューバ革命は未だ輝きを放っていると思っていたし、キューバを旅してきた友人たちが一様に「貧しくても人々が生き生きしていた」とその魅力を称えるのを聞けば、ますますそう思い込んでいた。きっと旅人にそんな表情を見せる場所なのだろう。だがその国に作家として暮したなら世界はまったく変わってしまう。そのことに冷水を浴びせられたようにぱっと目が開いた。


→bookwebで購入

2008年02月29日

『乳と卵』川上未映子(文藝春秋)

乳と卵 →bookwebで購入

「言葉と体を貼り合わせる」

受賞作とかベストセラーとか、世が騒いでいるものにはなかなか素直に手を伸ばせないひねくれ者の私だが、今回の芥川賞受賞作は気になってすぐに買って読んだ。

一読して頼もしい女性作家が登場したものだと思った。関心領域が広く、それを作品に盛り込むことにも意識的だ。女の生理感覚を切り札にたらたらと書いているようにみえて、まったく逆なのだ。筋立て、着想、構成、言葉のセンス、文章のリズムなど、小説を成り立たせるさまざまな要素が緊密に結び合い、ひとつの建築物を見るようだった。

語り手の「わたし」のところに、大阪に住む姉巻子とその娘がやってくる。その二泊三日の短い滞在中に巻子と娘の確執が溶解する、と言葉にすると単純なストーリーだが、細部を描き込んで濃密に仕上げている。

巻子は娘の緑子がまだ小さいころに夫と離婚し、ホステスをしながら娘を育てている。最近、体がやせ細って「毛先から心意気が抜け散っている感」がある。娘の緑子は十二、三歳くらいで、初潮はまだないが体が変わっていくのが厭で、不可解で、たえず湧いてくる疑問と怒りをノートに付けている(このノートの文面がところどころに挟まれているのが効果的)。母親としゃべるのも拒否してすべて筆談で済ませている。

今回の上京は、豊胸手術をするという巻子のとっぴな計画の下調べをするのが目的だ。なぜそんなことをしたいのか、「わたし」にも緑子にもわからない。巻子の夫には結婚当初から女がいた。ならどうして妻である自分とのあいだに子供を作ったのかと詰め寄ったとき、夫は「孕むということは人為的でない」と「嘘くさい標準語」で言った。その十年前の出来事が巻子の頭の中でことあるごとに再生されている。

一方緑子は、どうしてお母さんは自分を生んだんだろう、と反発を抱いている。自分のために母が苦労しているのを見るのがつらいのだ。だがそう口に出して言えず、自分の存在を不甲斐なく思っている。

間もなくはじまるであろう初潮が気になり、緑子は排卵のことを本で調べる。卵子と精子が受精して女として発育しだしたときには、もう卵巣の中に七百万個もの卵子のもとがあって、その数は後に増えることはなく、ごく一部だけが成長して受精可能な卵子になることに驚き、ノートに記す。

「生まれるまえからあたしのなかに人を生むもとがあるということ。大量にあったということ。生まれるまえから生むを持っている。ほんで、これは、本のなかに書いてあるだけのことじゃなくて、このあたしのお腹の中にじっさいほんまに、今、起ってあることやということを思うと、生まれるまえの生まれるもんが、生まれるまえのなかにあって、かきむしりたい。むさくさにぶち破りたい気分になる、なんやねんこれは。」

この卵子の解説は(評者の)私にとっても意外だった。受精卵の段階で卵子のもとがすでにインプットされているとは思いもしなかったからで、だから緑子の感想にも深く共感した。ましてや彼女はこれから初潮を迎える(「『迎える』という言い方も変や」と緑子は言うがこれにも同感)思春期の少女なのだ。頭の中が卵子への違和感でいっぱいになるのも当然だろう。

ここらあたりで「乳と卵」という、一見、スーパーマーケットの乳製品売り場を連想するようなタイトルに、深い意味が込められているのがわかってくる。乳房と卵子はヒトの生物的側面の象徴なのだ。体は自分のものであるにもかかわらず、その全貌はとらえきれない。とらえるというのは理解することで、それには言葉をともなうが、言葉ではとても追いつかないほど多くのものが体内にはインプットされていて、またそれがつねに変化しているのだ。

体は理解しようとする言葉の努力とは無関係に簡単に物事に反応したり、他の体と交わったりする、夫の言うところの「人為的ではない」存在だ。放っておくと何をするのかわからない不安感が人をして「なぜ?」「どうして?」という問いにむかわせる。そのような認識の欲望を持つかぎり、言葉による体の追走はエンドレスにつづくだろう。

本作品の素晴らしさはまさにこの追走劇にある。一方で言葉を追いつめながら、もう一方で言葉に造反する体を追究するという二刀流を、いとも自然にやってのけているのだ。研ぎすまされた言語感覚に負うところが多い。全編が語り口調になっていて、随所に混ぜられた大阪弁が、言葉と体を貼り合わせる糊しろになっている。無駄に連発せずに、使うべきところでキメている。

「ああ、巻子も緑子もいま現在、言葉が足りん、言葉が足りん、ほいでこれをここで見ているわたしも言葉が足りん……」

これは巻子と緑子の確執が頂点に達するシーンだが、「足りない」でなくて「足りん」だからこそ切実さが極まる。「足りない」は解説だが、「足りん」は理屈ではなくてうめきなのだ。

樋口一葉の文体にヒントを得ていると著者インタビューで答えていたが、私は読みながらしきりに人形浄瑠璃の義太夫語りを思い浮かべてしまった。「足りん」の後につづく部分は、汗をだらだら垂らしながら語る太夫の姿が二重写しになるような語感にあふれ、迫力満点だった。

「仕掛けとたくらみに満ちた小説」と審査員の池澤夏樹氏が述べている。たしかにそう。しかも仕掛けに凝った小説は色気に欠けがちなのに、それも濃厚なのが見事だ。ぜひ本人による朗読を聴いてみたい。



→bookwebで購入

2008年02月10日

『燈火節』片山廣子(月曜社)

燈火節 →bookwebで購入

「生のメカニズムを観察する眼」

片山廣子と聞いても知らない人がほとんどではないかと思う。私も本書の元になった『燈火節』が出る数年前までそのひとりだった。そのとき、大部な本をひもとき、こんな作家がいたのかと驚かされた。

今回の新編は、その中からおもだった随筆作品を選びだし、旧字旧かなづかいに戻して編み直したものである。読み返してみてやっぱりおもしろい人だと思った。いや、おもしろいでは足りない。実に得がたい人だと感じた。

1978年に生まれだから与謝野晶子と同じ生年だが、彼女のように闘う人ではない。21歳で大蔵省の役人と結婚して一男一女をもうけ、家庭人の道を踏み外さぬようにしながら短歌を詠み、エッセイや小説を書き、松村みね子の名でアイルランド文学の翻訳をした。

こう書くと堅実すぎて地味な人物に思えるかもしれないが、作品から受ける印象はまったく逆である。さっぱりして、味わい深く、自己憐憫とは無縁に物事の変化や自分の内と外との関わりをとらえている。まるで内部に精工な機械が埋め込まれているような曇りのない観察眼だ。

「赤とピンクの世界」は、近所の独り暮しのおばあさんが急にいなくなり、一カ月後にどこかの井戸から水死体となって発見された話だ。自分で飛び込んだとしか考えられない。息子夫婦のところに泊りに行ったり、むこうが訪ねてきたりで、はた目には楽しく静かな何不自由のない暮しに見えたが、「もつと貧乏なもつときうくつな生活をしてゐたら、死ななかつたらう」と片山は書き、貧乏には貧乏なりの楽しさがあるものだと説く。

ここまでは結構、ありきたりな展開である。だが、最後の400字分のところで凝縮された転と結が訪れる。この話を聞いたある人から、あなたは本当の貧乏の味を知らない、赤貧洗うがごとしという貧乏加減を知っていたらそんなことは言えない、と諭される。

そこで彼女は考える。なるほど彼の言うことは正しい、自分の知っているのは赤ではなくピンクくらいの貧乏だ、苦しいのはたしかだが、死のうという気にはならない。そこまでになるほど、自分は欲も得もすっかり忘れきれないと。

生きる力は欲と得から湧く。それを浄化してしまっては人の生命は絶える。本能的に生きている生き物との差はそこにあり、人の感じる幸不幸も実は欲望を源泉にしていることを、この文章は気付かせる。情緒に傾くのでもなく、モラルで収めるのでもない。人を生かしているメカニズムを冷静に見つめる自然誌的な視線とも言える。

40代以降の片山はたくさんの死に接しているような印象がある。42歳のときに夫が他界し、67歳で今度は長男を失い、つづいて弟や妹が自分より先に逝った。彼女はまた芥川龍之介や堀辰雄らと親交があり、芥川は「或阿呆の一生」で「才力の上にも格闘できる女」と書き、堀は彼女をヒントにして「聖家族」や「物語の女」を著したと言われているが、はるかに年若いふたりですら、彼女よりはやく死んでいる。

片山の厳格な自己認識はそんなこととも関係していたのかもしれない。だがその一方で、生来的に情熱を遠ざける資質を持っていた人のようにも思うのである。心の水盤が斜めになると、水が流れ出す前に気付いて平らにもどそうとする。そうした敏感な心の働きが随所にうかがえる。

このことから、「情熱の根源には、たいてい、汚れた、不具の、完全でない、確かならざる自己が存在する」(『魂の錬金術』)というエリック・フォファーの言葉を思い出した。もしかしたら、彼と近い感覚の人だったのかもしれない。どの年齢を生きていようと、どの時代を通過していようと、精神の均衡を求めるメカニズムを作動させ、その静寂の中で聞こえる小さな声を信頼した。

「赤とピンクの世界」は「死ぬといふことは悪いことではない。人間が多すぎるのだから。生きてゐることも悪いことではない。生きてゐることをたのしんでゐれば」という文で締めくくられる。一見なげやりに見える言葉の中に真実が光っている。途方に暮れたとき、一篇か二篇を読むだけで水盤の水が平らになり、生きる力が湧く。手ごろな価格の新編によって、彼女の文章を必要とする人に届くのはうれしいことだ。



→bookwebで購入

2007年11月28日

『「三十歳までなんか生きるな」と思っていた』保坂和志(草思社)

「三十歳までなんか生きるな」と思っていた →bookwebで購入

「思考の散歩道」


「これは自問自答の本です」と最初にある。「私にとって書くことは考えつづけることだ」とも記されている。なるほど、結論と見えたものは、すぐに新しい問いに転じてつぎの章にバトンタッチされる。山頂を目指すのではなく、くねくねと森の中を行くように。

半分を越える第三章あたりから、思考のネジがギリギリと巻かれていく。前の章ではじめられた、広さを称揚する世界観を再度批判した「大は小より脆弱である」や、組織の合理主義に抗して「身内に不幸があったら一日余分に休もう」「ペットが死んで悲しんでいる人がいたらその人の話に耳を傾けよう」と提案する「冷淡さの連鎖」あたりは、まだやや月並みな印象があるが、三つ目の「「命」について」でいきなり思考が離陸する。

「自分が生まれていない可能性」のことを考えはじめるのである。十代の頃からこの気持ちに襲われるようになって、そうすると同じ電車に乗り合わせている人がすべて自分とつながっているような感覚に囚われたという。電車の中のだれかが自分の父か母とすれ違っていたら自分は生まれなかったと思うと、世界の深淵を垣間見た気持ちになった。

もっとも、ふだんは「自分の生まれていない可能性」なんて考えない。考えたらとても日常生活が送れないが、それは「自分に与えられた状況を動かしがたいものだと感じる」人間の心の特性によるものだ。だが、悲劇的な出来事に遭遇すると、その動かしがたさが肥大し、あのときああすればよかった、こうしたら免れたのではないかと思い惑う。

そうした状態のとき、出来事の最中とはまったく別の場所に立っている。状況の外から過去形として俯瞰しているのであり、ということは「自分の生まれていない可能性を考える」ことも同様に「自分が生きている状態をパッケージして、その外に立つという誤りを犯してしまっている」のではないかと思い至る。だが、最後にはこう述べるのだ。

「それにしても「自分がうまれていない可能性」をリアルに感じる瞬間が、吸い寄せられるような魅力を持っていることは否定しがたい……」

くねくねした道を歩いていたら、知らないまにもとの場所にもどっていたというようなエンディングである。だが、もどってしまったから、歩いたことに意味がないというのではない。目的地に急いでいるならそうかもしれないが、歩くことそのものが目的なら、もどることはむしろ必然とも言える。


第四章では、空間と時間は似たものとして混同しされがちだが、両者はまったく別物で比較の対象にはならない、ただ空間は見えてしまうから「わかった」という錯覚をもちやすいが、時間は目の前にないからわかりにくい、と説き、こう結ぶ。

「人間とは自分が生きた、過ぎ去った時間に向かって無数の触手を伸ばす生き物なのだ、と考えてみると、「わからない」とばかり言っていた時間が自分の身体の延長のようになって、自分の生が別の意味を持って新たにはじまるように思われてこないだろうか」

散歩の時間を連想させるような言葉だと思った。散歩の楽しさは歩いている最中にあり、その時間のなかに喜びが詰まっている。本書も筆者の思考の道筋をたどりながら読みすすんでいく時間そのものが楽しく、行きつ戻りつする思考が身体を活性化させてくる。

著者は「自爆テロも辞さず」に分類されうるタイプだと自認していたが、小学校で同じクラスだった女友達からに二十八歳のときに「保坂君は昔から、ぐだぐだ、テンションの低い子どもだったわよ」と言われたという。たしかに最初はだらだらはじまり、しだいにテンションを上げていく、その上げ方の執拗さに「自爆テロも辞さず」の構えがうっすらと漂っていて、読み終えて本を置いたとき、しみじみとはほど遠い熱さが体に残った。



→bookwebで購入

2007年07月29日

『ロック母』角田光代(講談社)

ロック母 →bookwebで購入

描かれるフリーターたちのその後

黒一色に銀文字のタイトルだけ、というロックっぽい扉を開くと、
7篇のタイトルが並んでいる。
そのうち、「ロック母」は昨年、川端康成文学賞を受賞したときに文芸誌で読んでおり、タイトルを見てそのときの感慨を思い出した。

シンプルなストーリーである。
つきあっていた男とのあいだに子供ができて、出産のために故郷の島にもどってきた「私」には、男と結婚の予定はなく、母になる自覚もなく、
しかし腹の中の赤ん坊だけは着実に大きくなっていく。
父が蜜柑工場に働きに出かけてだれもいなくなった家では、
「私」の残していったロックのレコードを母が大音量でかけている。
そんなやるせない日々の果てについに出産の日が来る……。

フリーターの生活感情やアジアを放浪する若者を描いてきた作家が、こういうものを書くようになったのかと新鮮な気がした。
行き先知れずの若者も、歳を重ねれば若いことろはちがう現実に直面する。そのあたり前のことが、当事者とおなじ立ち位置で描かれており、
人生に巡り来る時間とまっこうから付き添っていこうとしている、
作家の覚悟のほどを実感したのだった。

本書に収められた7篇には時間的な幅があって、
最初の「ゆうべの神様」は1992年の発表で、
最後の「イリの結婚式」は2007年と、実に15年分が収まっている。
作者が25歳から40歳までの期間に当たり、
それぞれの主題に切迫感がある。

「ゆうべの神様」は、東京の大学に入って早く田舎を出ていきたいと願っているグレた受験生の話。
つぎの「緑の鼠の糞」と「爆竹夜」は二十代の若者のアジア放浪もの。
寄る辺なさ、意欲の欠如、閉塞状況が濃厚で、
3篇ともダルい空気が漂っている。

それにつづく「カノジョ」「ロック母」「父のボール」「イリの結婚式」は、現実に苛立っていたり、馴染めなかったり、折り合いがつかなかったりする主人公が出てくる点は前の3篇と共通しているが、
なにかがちがっている。
作者の時間への眼差しが変化しているのだ。

前の3篇では主人公は目の前で起きていること、
いまこの時にしか関心がない。
自分を取り巻く現実に反応するだけで手いっぱいで、
人のことを思いやる余裕もない。

しかし後半の4篇には、父の死、婚約者の元彼女の気配、生まれてくる赤ん坊のことなど、「目の前に存在しないもの」、「まだ起きてない現実」に視線がむいて、想像の時空が拡大しているのだ。
作家の成長が率直に作品化されている爽やかさを感じた。

角田が書きつづけてきたのは、
その人物に成りきったように書き進める超リアルな小説世界だ。
ビジョンを持たずに生きる、社会的に「無価値」とされる若者は、
彼女の小説の中で存在を許され、認められてきた。

四十代に入った角田はいま、彼らのその後にむかっている。
歳を重ねたことを力として、
これからもリアルさとはなにかを追究していくだろう。
つぎつぎと産み落とされる作品には、作者も予想しない、
過ぎて見えてくる「時代」が刻印されているにちがいない。

→bookwebで購入