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2013年11月18日

『EYEMAZING』アイメージング・スーザン(青幻舎)

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「すべての境界が溶解している」

私が写真のことを考えはじめたのは1993年、『芸術新潮』で「眼の狩人たちの軌跡」という連載をもったときだった。5センチの厚みのある『アイメージング』を繰りながら、この20年のあいだに写真をめぐる環境が大きく変わったことを思わずにいられなかった。それはとりもなおさず現代社会そのものの変化と言える。当時はまだデジカメもインターネットも携帯電話もスマートフォンもなかった。いまのように写真や画像が容易にやりとりされ、多量なイメージに囲まれて生活するようになるとは予想もしなかった。

『アイメージング』をどう定義づけたらいいだろう。すべてのページに写真が載っているが、「写真集」と呼ぶのはちょっとちがう。その多くが写真を加工したものであり、従来の「写真集」とは大きく異なるからだ。共通項はどのページにも写真を使ったイメージが載っているということ、そのほとんどに人体が写っているということである。

最初のロバート・フリントの作品は心霊写真風で、つぎのピエール・アリヴォンの作品には現代の都市風景に前世紀の人物像がコラージュされ、エリック・ロンドピエールの4枚組の写真では、キスする男女の像がプリントの表面に化学変化をほどこしたような手法により解け合わされている。

ウィリアム・ヤンは写真上に文字を書き込み、セバスチャン・ブレマーは文字ではなく緻密な点描をほどこし、見た目の印象は写真よりも絵画にちかい。マイケル・クックは歴史的人物のモノクロ写真を加工して時間がたって古くなったように見せている。全体を通してこのような古色を感じさせる作品が多い。

例外なのはジョージ・パップの人物ポートレイトや記念写真で、そこに見えるシミや傷や黴は意図的な加工ではなく経年変化により現れでたものだ。とはいえ、被写体がありのままとらえられた鮮明な写真は一枚もないのである。どれもブレたりボケたりシミがついていたり、別のイメージがコラージュされたり、古さが演出されたりしている。アウグスト・ザンダーの肖像写真が3点ほど出てくるが、これらは写真の背景に写っている場所を無人の状態で撮影したマイケル・ソモロフの写真と対になっており、ふたつでひとつだ。

未来的なイメージのものはない。どれも過去の時代や古い記憶をかきたてる。都市風景が仮想化されているものはなく、すべてに人体が登場し、しかもその多くが2000年以降に作られているのが興味を引く。

ここで『アイメージング』の成り立ちを明らかにしておこう。2003年、アイメージング・スーザンというペンネームをもつ女性によって『EYEMAGING』という雑誌が創刊された。この女性はこの10年間たったひとりでこの雑誌を編集し、継続させてきた。本書は彼女が雑誌に載せた作品をセレクトして一冊に編んだ書物の日本語版である。

「アイメージング」には、眼=アイと、驚き=アメージング、想像=イメージングの3つの意が重なっている。" 想像力の眼によって生み出された驚くべきイメージ "の集積だ。ある時期まで、現実世界に存在しながらも人に気づかれないものを示してみせるのが写真のミッションだった。事実性こそが写真の生命線と考えられていたから、加工は否定され、暗室内での操作はもちろんのこと、トリミングすら嫌う傾向が主流だったのである。

それを思うと本書には隔世の感がある。自分の撮ったものであれ、ありもの写真であれ、写真をひとつの素材としてそこから新たなイメージを生み出している。そのことがそれぞれの作家の必然であると同時に、編集者であるアイメージング・スーザンの必然でもあることが伝わってくる。そうでなければ400点以上のイメージを緊張感をもって最後まで見通させることは不可能だからだ。

ただの奇異さや物珍しさではないものがここにある。それはいったい何なのか?

そう考えているうちに「溶解」という言葉が浮かびあがってきた。
ここには世界を構成し、区分してきたあらゆるものの「溶解」があるように思われる。過去と現在の時間の溶解、場の溶解、形の溶解、身体感覚の溶解、絵画の写真の区分の溶解、現実と虚構の溶解、「写真」というカテゴリーそのものの溶解……。

写真が誕生して以来、外界のありのままの姿やそこで起きている出来事を示してみせることに写真は腐心してきた。生みだされた大量の写真は体内に記憶され、蓄積されて想像を刺激し、もうひとつのビジュアル世界を人間の内側に生み出しつつあるのかもしれない。外界を撮るのと同じように、それを可視化したいという欲求がこれらの作品を支えているのを感じる。本書には志賀利江子の作品も数点入っているが、彼女の『螺旋海岸』を書評したときに考えたように、手触りのない現実世界への焦燥感も関係しているのだろう。

10年前にたったひとりで雑誌を創刊させたアイメージング・スーザンは、写真の専門家でもなんでない。元はオランダ国立バレー団のダンサーであったという。それを聞くと、すべてのイメージが身体にからんでいること、記憶の器としての身体をとらえる視点に納得がいった。きっと既成の秩序そのものを「溶解」させたいというアナーキーな衝動が根底にあるのだろう。



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