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2013年05月01日

『実験室からの眺め』 『サン・ルゥへの手紙 (新装版)』 森山大道(河出書房新社)

実験室からの眺め
サン・ルゥへの手紙
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「写真の聖地へ」

昨夏、サン・ルゥに行ってきた。パリから南東へ350キロ、ブルゴーニュ地方にあるこの小さな村の名を記憶したのは、森山大道の『サン・ルゥへの手紙』という写真集によってだった。そこには村の写真は入っていなかったが、太陽がたくさん当たっていそうな地名の響きが耳に残った。

それ以来、機会があれば行ってみたいものだと思っていたが、昨夏パリに友人を訪ねたおりに晴れてその地を踏むことができた。なんということのない村で、日差しだけが強烈で、村の道には文字どおり人っ子ひとり見えず、案内所で時間になるまでお待ちくださいと言われて、木陰の椅子に座り、ガイドが現れるのを待った。『実験室からの眺め』を繰っていると、その日の他愛のない時間の流れが記憶の前面にせり出してくる。


「1827 年7月、世界に記念すべき一枚の写真は撮影された。
中部フランス・ブルゴーニュ地方の小都市シャロン・シュル・ソーヌ郊外に在る、サン・ルゥ・ド・ヴァンレンヌ村の、<グラ>と称される領地に建つ館の、2階の窓から眺めた真昼の夏景色が、世界で最初の写真の、被写体となったのである。そして、撮影に成功した偉大なる初の写真家の名は、その館に研究室をもつ、発明家であり化学者であるニセフォール・ニエプスという壮年の男であった。」


あとがきからの引用だが、自分以外の人について書くことのまれな森山が、昔の新聞記事のような格調ある書き方をしているところに、この世に写真を誕生させた男への特別な思いが感じ取れる。

写真集に入っているのはサン・ルゥで撮ったモノクロ数十点。とりわけ、館とその前の道を縦位置でとらえた写真に魅せられた。写真家は街路樹の下に立ち、道に落ちる木の影を手前に入れてシャッターを切っている。木陰から日向に視線が向けられているのだ。真上にある太陽からは燦々と光が降りそそいでいる。ニエプスがこの世の最初の一枚を撮ったときもこのような晴天の日だったのだろう。森山はそのおなじ光の下でニエプスの「そのとき」を追憶しながらシャッターを押し、その写真を見ているわたしは、おなじように晴天に恵まれたその日のまぶしさをまざまざと思い起こしている。不思議な感慨が押し寄せた。

写真は光が物を焦がすという原理を利用し、像をとらえようとする努力からはじまった。森山はどこかで、印画紙がなくなったらスーパーで卵と酢を買ってきて紙に塗って焼き付ければいいんだと語っていたが、なるほど仕掛けそのものはシンプルで、小さな穴を通った光がその紙を日焼けさせれば写真はできあがる。

しかし、現代では写真を見てそのような実感をもつのはむずかしい。写真はカメラという機械装置が生み出すものになった。自然現象が関与しているとは、頭ではわかっても、身体では納得しにくく、機械に支配されていると感じることすらある。

絵画や文学では人の作ったものを人が見るが、そうでないところに写真の特徴がある。簡単に言えばこういうことだ。装置をセットするのは人間だが(1)、像そのものを捕らえるのは機械で(2)、出た結果を見るときにまた人間にもどる(3)。(1)から(3)のあいだにひとひねりあるところが、写真を複雑にしている。写真家が困惑したり悩んだりするのも、そのひねりのためであることが多い。

(1)と(3)を連結させるには、写真装置の生み出した像に手を加えて作者に近づければよい。暗室はその作業をする空間である。森山は暗室の魔術師のようにも言われ、実際の見え方とは異なる衝撃的なイメージ群によって60年代末から70年代にかけてスターとなった。ところが、その後、そうした写真がいきなり否定されるという事態になった。彼のスタイルが写真界を席巻し、エピゴーネンをたくさん生んで写真界が一色になってしまったことが大きい。カメラ雑誌は意図的に写真の動きを別の方向に誘導し、それまで礼賛されていた森山の写真は一気に地に落ちたのだった。まだ30代だった森山は混乱し、写真が撮れない状況に陥る。

80年代に入って連載をはじめたり、日々撮ったものを自分の部屋で展示発表するなどして少しずつペースをとりもどしたが、『サン・ルゥへの手紙』はそうした時期をくぐり抜けた1990 年に出たものである(今回出版されたのはその復刻版)。当初の評判はあまりよくなかったように記憶している。情緒的すぎるとか、写真の誕生地の名をタイトルに冠するなんて後ろ向きだとか、森山の活動にはもうインパクトがないと受け取った人がほとんどだった。

その時期、森山がしきりと考えたのは「写真とはなにか」ということだった。写真の始まりにもどって写真の根っこをつかみ、自信を回復する必要に迫られていた。『サン・ルゥへの手紙』はそのような背景のもとに、写真の故郷に報告するような気持ちで撮られたものだったのである。それぞれの写真にタイトルと撮影地が記されているのを見ても、作品集を目指してはいなかったことがわかる。別の著作のなかで森山は「写真は光の化石である」と述べているが、いわば「光の化石」のカタログとして作られたのだった。

だが、そのように理解した人は少なかった。正直に言えばわたし自身もそうだった。手紙だなんて、なんだか少女趣味だなあと思ったし、しかもタイトルはそうなのに編集やレイアウトは素っ気なくので、余計に意味不明な感じがしたものである。

写真では作者の考えがすぐには伝わらないことが多い。また写真家自身も作った直後には考えをうまく言葉化できないこともある。そういうことだったのかと納得がいくには、人生がそうであるように、長い時間を要するのだ。

『実験室からの眺め』のなかで彼はこう書く。
 
「ぼくは今、あのサン・ルゥの館で、ニエプスと同じ窓辺に同伴したことで、カメラマンとしての自らの在りようの片隅に、それとなく、ひとつの証しをもてたような気がする。それはやはり、聖地サン・ルゥ・ド・ヴァレンヌの、降りそそぐ初夏の光の只中に、カメラと供に身を置いてきたからにほかならない。」

シンプルな仕掛けが、技術の進展とともに複雑化し、ブラックボックスしたのが、現代のカメラだ。装置が撮り手を悩ませるのは、捕獲するものが具体的で、だれにも操作ができるゆえに、写真家が疎外されてしまうからだろう。その疎外に立ちむかおうと森山は格闘し、そのあげくに非難を浴びた。聖地へ気持ちがむいたのは当然だったかもしれない。

もちろん、すべての写真家にとってサン・ルゥが聖地なわけではない。自分には聖地なんかないと主張する写真家もいるだろうが、森山大道にとってはこの地のもたらすイメージは救いになった。人間の視線をありのまま留めようとしたニエプスの情熱に心身の奥深くが感応し、写真と供にこの世を生きる決意が固まったのである。

写真とはなにかをしつこく考えつづけたあの時期がなければ、いまの森山大道の活躍はなかっただろう。徹底して考え抜いたあと、彼は「写真は光の化石である」という言葉を手にしてもどってきた。写真は言葉と異なる世界を探るが、それをつづけるにはやはり杖となる言葉が必要だ。他者からの讃辞ではなく、自分にとっての言葉が。彼はサン・ルゥに想像をはせることでそれを得たのだった。

                *

いま、2冊の写真集を取り上げながらわたしはひとつの「物語」をつづった。書評という体裁をとっているが、これは物語だ。作品を作者とからめて語ろうとすれば必然的にそうなるし、また意識して物語ろうともしている。「物語」の対語として思い浮かぶのは「批評」だが、それは作者と作品を切り離そうとする態度から生まれるものだ。前回の『螺旋階段notebook』の書評でも触れたが、そのような意味での「批評」を「わたし」は欲しているのかという問いが、いま自分のなかに渦巻いている。



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