« 『Documentary』中平卓馬(AkikoNagasawaPublishing) | メイン | 『北沢恒彦とは何者だったか?』編集グループSURE・編 »

2011年10月11日

『鉄は魔法使い』畠山重篤(小学館)

鉄は魔法使い →bookwebで購入

「好奇心あふれる鉄の巡礼者」

東海道線の小田原の先にある真鶴は、地名は知っていたが訪ねたことはなく、あるとき仕事で行くことになってはじめて駅に降り立った。目的は中川一政美術館の取材で、彼の力強い作品にも感動したが、それと同じくらい驚かされたのは、太平洋に突き出た真鶴半島の豊かな森だった。

半島の背骨にあたる道を先端にむかっていくと、原生林にぶつかり、そこから先は車で行けなくなる。ちなみにその森の入口に中川一政の美術館は建っており、館内の窓から見えるのは緑一色の世界。海辺に来たつもりが、山のなかにさまよい込んだかと思うような思いがけない光景だった。

取材を終え、港に下りて浜の食堂に入ったところ、出てきた魚料理がまたおいしいかった。山と海がいちどに楽しめるこんな場所が都心から一時間ちょっとのところにあるのが大発見で、しばらくは会う人ごとに、真鶴って行ったことある?と触れ回ったものだが、そのときに地元の人から聞いて記憶に残った「魚付半島」という言葉があった。魚の寄りつく緑の豊かな半島をそう呼ぶそうで、真鶴半島も原生林があるためによく魚が捕れるという。それまでつなげて考えもしなかった海と山が急接近し、風景の見え方が変わった一瞬だった。

なぜ緑が多いと魚が育つかについては、木々の枝が魚が繁殖しやすい影を海面に作ること、木の葉が海中に落ちてプランクトンを発生しやすくすること、などの説明があったように思うが、それについてさらに深く教えてくれたのが本書である。

著者の畠山重篤は気仙沼湾で牡蠣の養殖をしている漁師である。海の生き物が豊かに育つためには、海に流れ込む川の上流に豊かな森林がなくてはならないことを経験的に感じとり、二十年以上前から山に植林をする活動を行ってきた。「森は海の恋人」という名のこの活動については著書が出ているし、メディアでも報道されているので、ご存知の方もおられるだろう。

『鉄は魔法つかい』という、一見、海の話とは無関係のように思えるタイトルには、彼の活動を導き出した元がある。中学生のとき、牡蠣研究所の今井丈夫から、「プランクトンがうまくふえないときには、森にいって腐葉土をとってきなさい。森には魔法つかいがいる」と教えられ、言うとおりにすると、たちまちプランクトンが増えて生き物が元気になったのだった。

それ以来、腐葉土のなかにすむ「魔法つかい」の正体とは何なのか、という疑問がくすぶりつづけるが、周囲にはそれに答えてくれる研究者がいない。しかも、ある先生からはこのように諭される。いまは学問でも狭く深く研究する時代だ、そんな中で森から海までをぜんぶ調べるとなると時間もお金もかかりすぎる、そんな研究はできないと。

まさに現代の社会のあり方を象徴している言葉ではないか! 科学研究に限らず、社会のあらゆる場面で同じことが起きている。担当の仕事はわかっているものの、それが全体とどう関係しているかが見えず、細い縦坑がいくつも掘られていくのに、それをつなげる横坑がなく、すぐとなりにあるはずのものすら目に入らない。深い井戸のなかでごそごそと働いているような虚しさばかりがある。

事の発端は、日本海側で起きている「磯焼け」という現象がテレビで報道されたことだった。白い石灰藻に覆われると海藻が生えなくなり、生物ぜんたいにその影響が及んで、死の海となってしまう。さまざまな原因が述べられるなかで、北海道大学水産学部の松永勝彦という人が、「森林の木を切ってしまったことが原因だ、森林は鉄分を供給する役目をしているが、鉄分が不足すると海藻が生えなくなる」と語るのを聞いて、魔法つかいは鉄だったのだ!と畠山は飛び上がるのだ。

さて、ここからがおもしろいところなのだが、彼はこの言葉を聞くやいなや、「明日行きますから会ってください」と松永に連絡、気仙沼から駆けつける。つまり縦坑をつなぐ横穴を掘る作業がこのときにはじまり、その後はイモヅル式に鉄の関係者に出会えていくのである。

テレビで見た人に連絡して会いに行くということは、研究者同士はまずしないだろう。理論的な裏付けがあるかと疑ってかかるのが常だし、自分の研究のプライドもあるから簡単には接近しない。「ウニが昆布を食べてしまうから海藻が生えない」と番組のなかで主張していた研究者もおり、そういう立場ならなおさら、鉄分が足りない、などという話は眉につばして聞くだろう。

畠山がすぐに飛んでいけたのは、彼が漁師としての現場を持っているからである。海と森との関係を正確にとらえることは彼の仕事に直接関わってくる。のみならず、一方的に話を聞かせてもらうだけでなく、実施をとおして蓄積した経験を他者に分かちあうことができる。その自信があるから行動することを躊躇しないのだろう。

実際、畠山に会った松永は、その後気仙沼を訪れてその漁場の豊かさに圧倒され、これだけの養分がどこからくるのかと興味をもち、調査に乗り出すのである。その結果、気仙沼湾の生物生産量の約90パーセントが大川の運ぶ養分で育てられているという数値がはじきだされたのだった。
 
「森は海の恋人」の理論的背景はこれではっきりした。謎は解明され、もうだれからも、どうして森と海が関係あるのか?と詰問されることはなくなった。だが畠山の旅はここで終わらないのである。それどころか鉄のことをもっと知ろうと、さまざまな鉄の専門家を訪ねていく。このフィールドワークの部分は読んでいてわくわくする。知れば知るほどいろいろなことが連鎖式につながり、頭のなかが明るくなる。私たちが手をこまねいている地球温暖化というような問題にすら、希望のようなものが見えてくるのだから、うれしくなる。

地球温暖化の問題を鉄との関係で解いたのは、ジョン・マーチンといういまは亡き海洋科学者だった。彼のことを教えたのは先の北大の松永教授で、畠山は懸命にマーチンのことを勉強する。本書は児童書として書かれているので、マーチンの理論や実践なども図解入りでわかりやすく語られている。実はわかりやすく書くほどむずかしいことはないのだけれど、それがクリアされているから、非常に濃い内容が理系に弱い私の頭にもすんなりと入ってくる。

マーチンの最初の関心は、HNLC海域(その最大の海は南極海)にはチッ素やリンなどの栄養塩は豊富なのに、植物プランクトンが少ないのはなぜか、ということだった。それを解き明かすべく海水中の微量金属を分析する。すると鉄分が少なく、そのためにプランクトンが育たないことがわかる。書けば一行のことだが、この測定は非常な困難を伴う。彼は独自の方法を開発してこれを達成、鉄分とプランクトン育成の関係についてノーベル賞級の大発見をするのだ。

地球温暖化は二酸化炭素の増加が原因だと言われているが、マーチンはこれについてもひとつの推察を下す。氷河期に地球の温度が下がったのは、その時期にはHNLC海域にも鉄が飛んでいっており、大量の植物性プランクトンが発生して光合成し、大気中の二酸化炭素を減らしたからではないか、と考えたのだ。ならば海に鉄を撒けば温暖化を防げる可能性があるのでは、といま彼の研究を引き継いで実験がおこなわれているという。

温暖化問題を私たちは車の排気ガス規制など、人間社会のレベルで考え、解決しようとする。もちろんそれも必要だが、地球をひとつの生命体としてとらえるマーチンのような研究には、人間のダメさ加減に萎縮しがちな私たちの心を解きほぐしてくれるものがある。

HNLC海域に比べると、日本に近い北太平洋は鉄分が豊富で、それゆえ生物も多い。なぜこんなにも鉄分が多いのかということも、マーチンは考える。そして、中国大陸からジェット気流で運ばれてくる黄砂に原因があることを突き止める。黄砂は迷惑なものというイメージがあったから、この指摘には驚いた。そこに含まれている鉄分が実は海を豊かにするのに手を貸している。陸地の人間には厄介でも、海の生物にとっては鉄を運んできてくれるというありがたい連鎖があるのだ。

読み進んでいくとこの話にはつづきがあって、別の調査によって、大陸から黄砂が飛んでくる春先よりも前にプランクトンが大量発生しているのがわかる。ロシア・中国・日本が共同調査したところ、アムール川の鉄がサハリン海流によって三陸沿岸に運ばれ、黄砂に先駆けて植物プランクトンの大増殖をもたらすことが解明されたのだった。つまり三陸沖は大陸から受ける二重の恩恵によって、「世界三大漁場」のひとつとなっているのだ。遠くの出来事を足もとの現象に結びつけていく自然界の壮大さには、ほんとに驚くばかりだ。

「地球は鉄の惑星である」という刺激的な言葉を発した広島大学の長沼毅、鉄を取り入れるために大麦が出すムギネ酸を発見した高城成一、彼の意思を継いで研究をつづける森敏……。だれもがしなやかな感性の持ち主で、「ノーベル賞級」の研究にもかかわらず、名声を求めることなく、淡々となすべきことをこなし、成果を積み上げていく。研究者の鑑とはこういう人を言うのだろう。

畠山は鉄の謎にかかわるこうした人々を嬉々として訪ね歩く。専門家による縦坑的な研究作業が、彼の足によって横につながっていく。この行動力は自然界の大きな連鎖の上に自分が載っていることを実感している人ならではのものだ。読む者をわくわくさせるのは、実は彼のこのエネルギーなのである。

本書の冒頭で彼は、大震災の巨大な被害を前にして、こうした内容の本を出すことに意味があるのだろうかと自問自答する日々がつづいた、と述べている。破壊された海はもうもどらないのではないかと一度は絶望しかかるが、少しずつ澄んできた海水のなかに生き物の姿が見えてきたとき、森・川・海のつながりさえ復活すれば、また豊かな海がもどってくると確信できたという。

自然のダイナミズムを体で知っている人は、津波の大被害すらもっと大きなうねりのなかで受け止める。都市の人間とは時間のとらえ方がちがう。そのゆったりした時間感覚を分けてもらえたのか、読み終えたとき縮んだ心がふわふわになっていた。 


→bookwebで購入

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://booklog.kinokuniya.co.jp/mt-tb.cgi/4592