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2011年05月18日

『Documentary』中平卓馬(AkikoNagasawaPublishing)

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「中平卓馬の写真をめぐって(その2)」を書こうと思ううちに、日がたってしまった。「その1」を出したのは3月下旬だが、最近、ある場所ではじめてお会いした方から「その2」はいつでるのですか?と尋ねられて、あせった。こんなところで読者にお会いするとは思わず、薮からいきなり棒でつんつんとつつかれたように驚いた。

4月からはじまった新聞連載に追われて、「書評空間月2回」という自分の立てた目標が崩れはじめている。その連載は文章だけでなく写真も撮らなくてはならず、お尻についた火を消しながら走っている状態なのだ。加えて単行本の書き下ろしの仕事もあり、この二ヶ月忙殺されていた。

その書き下ろしが一段落し、連載のほうのメドもたってきたので、急ぎ足で大阪のSixで開催中の中平卓馬「キリカエ」展を見てきた。『Documentary』の進行形ともいえる展示で、この写真集に収められている写真とその時期に撮ったものを中心に、写真展開始後に大阪で撮ったものなどを付け加えて、終了する5月29日まで成長をつづけていくという。

会場には写真家の金村修氏の撮った、大阪で撮影中の中平の様子を撮ったドキュメンタリー映像も流れていた。5時間くらい歩きまわったらしい。撮ったのは10カットほど。彼は横浜の自宅にいるときも、雨が降らない限り毎日撮影に出る。歩きまわる距離も、撮るカットの少なさも特別ではないし、展示からはどれが大阪で撮ったものかもわからなかった。横浜であろうと、大阪であろうと、写真の態度になんら変化はないのが中平卓馬なのだと、あらためて思った。

『Documentary』は見る者を試す写真集と言えるかもしれない。写真を見慣れてない人は戸惑うだろう。だが見慣れてなくても、その人のセンスしだいでは惹かれるにちがいない。なまじ写真を知っていると思っている人が、なんだこの写真は、と反発するのではないか。

たしかに、意味不明な写真である。トップは銀鼠瓦を載せた破風屋根。そのとなりは燃え盛る竹の幹。次のページはうずくまるアヒルで、対向ページは観葉植物の葉のアップ。写真と写真のあいだにつながりはなく、支離滅裂な感じを受ける。繰り返し撮られているものがある一方で、一度も撮られていないものあるのも気になる。しかも写真集をいくらひっくり返してもそれらの答えは得られない。

憮然としてページを閉じる人がいてもおかしくないが、それと同時に、この写真集にこれまで感じたことのないざわめきを覚えて、深く引込まれる人も必ずいるはずである。そういう人は、被写体の意味ではなく、このように撮ることに作者の意味が込められていることを、無意識のうちに察知している。口を開けるペンギン、コートをひっかぶって路上で寝る男、居酒屋の前にたつ狸の置物、社寺に立っている石碑の文字、シャクヤクの大輪、岩に砕ける波、わらぶき屋根の表面など、アイテムとしてはよく見知っているものがはじめて見るような新鮮さで迫ってくる。被写体の選択がどのようになされているかが不明なゆえに、一層その像が直球となって飛んでくるのだ。

「その1」で1970年代に、中平が心情を廃して物を物として見る「植物図鑑のような写真」を撮ろうと決意し、その途上で倒れて記憶を喪失し、リハビリの過程で写真を手にしたものの、「植物図鑑」に近づいたり、遠のいたり、モノクロとカラーのあいだを行きつもどりつしたりと、そのあゆみが彷徨したことを述べた。

そのスタイルが縦位置&カラーという現在のものに定まってきたのは、1990年に入ったころからではないかと想像する。使用レンズが100ミリに固定されたのもこの時期だ。現在の写真は、当初のものと比べるとはるかに力強く、確信にみちている。かつてはおずおずと撮っているような感じがあったが、それが消えているのだ。彼はおなじ被写体を連射したり、角度を変えて何度も撮ったりはしない。いつも大砲を撃つようにズドンと一発勝負。その勢いが写真にもストレートに出ており、見ているこちらにエネルギーを充電する。

物を物としてありのままとらえるのが写真の力であることは、写真について少しでも考えのある人なら、わかることだ。ところが、その実践と持続は困難がともなう。短期間なら可能としても、30年もつづけるのは簡単なことではない。

なぜならば、物をありのままにとらえるとは、「私」とカメラを一体化させることであり、「私」らしさを捨象することだからだ。これをつづければ、ほとんどの写真家は不安を覚えるだろうと思う。商業写真のようにその見返りとしてギャラが支払われるなら別だが、求められもせずに、だれでも撮れるような写真を撮りつづけば、虚無感に陥らないほうが不思議である。

中平は自分の過去を話すとき、「編集者をやってたんだって」というように、必ず「……だって」を最後につける。自分の過去を伝聞のようにしか語れない状態におちいったときに感じる不安がどのようなものか、私にはとても想像がつかない。

中平卓馬が30年間、植物図鑑のような写真だけを求めて撮りつづけ、不安を覚えなかったのは、それ以上の生の不安があったからだろう。それに比べたら同じやり方で撮りつづけることなど、少しも怖くなかったにちがいない。それどころか、自分の記憶が強められていく心強さを感じたかもしれない。イメージと記憶との関係を考えると、同じものを繰り返し撮りつつ、少しずつ新しいものを混ぜていくという撮り方にも、彼なりの理由があるように思える。

中平の父は長寿でたしか90歳を超えるほど長く生きた。あるとき彼が、父より長生きするんだ、と意気込んで話していたのを思いだす。そのとき、どんな植物図鑑が出来上がっているのだろうか。それを想像すると人生を賭けたこのプロジェクトの行方にわくわくしてくる。こんな奇妙な写真家が活動している同時代に生きていられるなんて、なんと幸運なことだろう!


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