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2011年01月29日

『フェルメールのカメラ』ステッドマン・フィリップ著 鈴木光太郎訳(新曜社)

フェルメールのカメラ →bookwebで購入

恐るべき実験精神の持主

フェルメールの「絵画芸術」が国立西洋美術館に来たとき、半時間ほどその前に立って眺めていたことがある。フェルメールの絵には必ず光源が示されているが、歴史の女神クリオを前に筆を動かす画家を描いたこの絵にも女性の左手奥から光が射し込んでいる。その光が何から出ているかは画面手前にあるカーテンのようなもので遮られて見えないが、私にはそれが窓の明かりではなく人工的なライトのように感じられて仕方がなかった。

もちろん電球は発明されていなかったから、そんなことはあり得ないが、光源のありかが隠されていることでかえって光の強さが際立ち、画家のアトリエというより写真家のスタジオを想像をさせたのだった。フェルメールは「窓辺で手紙を読む女」「地理学者」「牛乳を注ぐ女」「真珠の首飾り」など、窓から差し込む光のなかでひとつの行為に熱中する人の姿を繰り返し描いている。どの絵にも光によって変容する空間を息を詰めて凝視しているような気配があり、見るものを強く引き込む。

フェルーメールの時代にカメラはまだ誕生していなかったが、レンズは存在した。まっ暗な空間に小さな穴を開けると、反対側の壁に穴を通して外の風景の像が逆さまになって写る。この穴の前にレンズを付けると像はさらに明るく鮮明になる。この装置を使って絵を描くことが当時画家のあいだで流行した。暗い部屋=カメラ・オブスクラと呼ばれ、箱型とブース型があったが、その箱型のほうが後に写真装置に発展して「カメラ」の名で呼ばれるようになり、いまわたしたちが手にするカメラが出来たのだった。

フェルメールが創作にカメラ・オブスクラを使用していたことは以前から言われていた。だが、どのようなタイプのものをどの程度使っていたかについては、さまざまな議論があった。本書はそれを解き明かしたものだが、著者フィリップ・ステッドマンが美術の専門ではなく建築学のところがポイントで、美術関係者が思いもよらない方法でそれを解明していく。

彼はまずフェルメールの絵に描かれている部屋が同じものであるのをつきとめる。印象が似ているのはだれの目にも分かるが、それを構造的に分析していくところがさすが建築家である。大理石タイルや陶製タイルの床が描かれている11点を取りあげ、これをもとに部屋の三次元的な構造を再現したのだ。スケールを決めるのに利用したのは地図、楽器、デルフト焼など、彼の絵によく出てくるサイズの特定できる既製品である。画家がそれらを大きさに忠実に透視図法で描いたという想像のもとに、部屋の寸法を割り出し共通することを発見したのだ。

つぎに彼は画家が部屋のどの位置からモデルを描いたかを、同じ部屋と思われる6枚の絵を使って調査した。すなわち部屋の平面図を描き出し、その上に画家の視点を落してそれぞれの絵の画角(描かれている範囲)を計測したのである。するとその範囲が6枚の絵のサイズとほぼ一致することがわかった。

「この驚くべき幾何学的一致をどう解釈したらよいだろうか。(これが偶然の一致だとはとうてい考えにくい。)フェルメールがカメラ・オブスクラを使っていたとすれば、これは簡単に説明がつく。」

カメラ・オブスクラを使って投影像をトレースしたために、作品のサイズと画角のサイズがおなじになったと考えるのである。カメラ・オブスクラに箱型と部屋型があることは前に述べたが、これだけ距離感のある投影像を得るには当然部屋型でなければならない。つまりこのアトリエの背後にレンズを装着した穴のあるまっ暗な空間があり、フェルメールはそのなかにこもって描いていたことになる。

想像してみるに実に奇妙な光景である。モデルは求められるままに楽器にむかったり、手紙を書いたりしているが、画家の姿は「暗い部屋」のなかにいて見えない。声を掛けあうぐらいはあったかもしれないが、画家の気配は断たれているし、視線のやりとりはないのだ。あたかもレントゲン室の技師と患者のような関係である。フェルメールはモデルにどんな指示を与えたのだろう。だれもいないと思って弾いたり、書いたりしてください、と言ったのだろうか。そうでなくとも長時間ひとつの行為をしていれば画家の存在など忘れてしまうだろう。いや、そのような意識状態こそをフェルメールは待ったのかもしれない。

ここまででも充分におもしろく説得力を持つのだが、著者はさらにその調査を再確認するために6分の1の縮尺の模型を作って写真を撮り絵と比較したり、実物大の部屋にカメラ・オブスクラを再現してテレビ番組を作るなどして実験を進めていく。それまではフェルメールがカメラ・オブスクラを使っていたとしても箱型だろうと思われていたが、この実験で部屋型だったという確証が得られたのだった。大きな像を得るにはレンズも大きくなくてはならないが、17世紀のオランダで拡大鏡用にそれが製作されていたことも確かめている。

このようにしてブース型のカメラ・オブスクラの使用が立証されていくが、投影像を手でなぞったという主張は、ややもすれば彼の創作が機械的な非人間的なものだったような印象を与えかねない。現に美術史家のあいでは作品のアウラが損なわれるという懸念から、この問題を避けてとおる傾向があったという。だが、著者はカメラ・オブスクラの使用はフェルメールの作品の価値を貶めることにはないと主張する。いや、それどころか、この装置のおかげで彼はさまさまな試行錯誤をしたはずだとつづける。

現物とカメラ・オブスクラとのあいだを行き来して家具やモデルの位置を変えることは、カンバスが相手なら無理だが、投影像を見ながらならばできる。フェルメールが画角や対象物の重なり具合や光と影の構成など、些細な変化が画面に及ぼす影響すを満足いくまでチェックしたことは容易に想像がつく。

つまりカメラ・オブスクラこそが、「ここ」という視点を選び出すことを可能にしたのであり、それはスナップ写真を撮るような瞬間的な行為とは正反対の粘り腰の作業だった。人間の視覚とイリュージョン、それがもたらす心理的効果など、科学者のような実験精神をもって絵画表現と取り組んだ姿が浮かんでくる。フェルメールの作品が37点と少ないのも、もしかしたらその実験がおもしろくて、たくさん描くことには関心がなかったからかもしれないとふと思った。

フェルメールの絵は一見細部を忠実に再現しているように見えるが、よく見るとそうではなく、ボケていたりおおまかだったり部分が多い。カメラ・オブスクラの特性が関係していると著者は説く。この装置ではピントがピタッと合った像を得ることは不可能で、物のラインは不鮮明で、色と色調の変化するところにぼんやりした境目ができるだけである。このことがフェルメールのスタイルに影響した。つまり対象物を輪郭線ではなく、色や光のかたまりとしてとらえながら描いたのであり、その証拠にフェルメールにはスケッチブックが一冊も残されていないという。

この指摘はとてもおもしろい。というのは色や光は彼の目の前で刻々と変化したからだ。写真家なら素早くカメラをセットしてシャッターを切ればよいが、人の手は機械よりのろく光の動きに間に合わない。さっき描いたところがいま見たらもう光が変っていて、ああ、と声を上げたくなるような瞬間が幾度もあっただろう。だがそうした経験が彼の絵画への認識を変えていったとは考えられないだろうか。現実的には経験しえない時間の幅を描きこむことが自分の仕事であるというふうに。

そう思いつつ改めて見ると、たしかに彼の絵のなかには時間が流れている。いくら見ていても飽きないのはその時間感覚のためのようにも思える。手紙を読む人やミルクを注ぐ人など、ひとつの行為に熱中している人物を描くことが多かったのは、動かない人は描きやすいという以上に、そうした行為が主題であれば時間感覚のある絵画世界をより鮮明に浮き彫りできたからではないだろうか。

フェルメールは人の心理をよくわかっていた人だったと思う。現実そのままではなく、フィクション化したほうが人の心を揺さぶることをよく理解していた。カメラ・オブスクラはその後観光地に設置され、人の動く姿を相手に気づかれないまま観察できるというので人々を夢中させたそうだが、彼はそれと同じことを一種ののぞき部屋のような仕掛けをもったそのアトリエで実験しつづけたのである。その結果、どこを詳しく描き、どこを曖昧にしたほうが人の想像を刺激できるかを学んでいったのだろう。

おそらく本書に対する反論というのもあるのだろうが、暗い部屋にこもって描いているフェルメールの姿を思い描かせてくれたことは充分に刺激的だった。アトリエ風景が変化したのみならず、さまざまな興味ある想像が引き出されたし、彼の絵がなぜ現代に生きるわたしたちの心を捉えて離さないかという理由もそこに関わっているはずなのである。


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2011年01月25日

『ライティング・マシーン ウィリアム・S・バロウズ』旦敬介(インスクリプト)

ライティング・マシーン    ウィリアム・S・バロウズ →bookwebで購入

「常に自分の意識を壊し超えようとした人」

ビートニクの作家というと、アレン・ギンズバーグ、ジャック・ケルアック、ウィリアム・バロウズの3人が代表的だが、そのなかでいちばんカッコいいとかねてより思っていたのはバロウズである。なぜならば謎めいているからだ。いつも背広に帽子という格好。ジーンズ姿の写真は見たことがない。ギンズバーグとケルアックに漂っているヒッピー世代の先駆者的な雰囲気がないのだ。麻薬中毒なのに、そうしたにおいも感じさせない。しわの寄った紙を伸ばすような独特の声。どこにも属さない孤高の人というイメージを全身から放っている。

こんなふうに書くとバロウズの良き読者のように見えるかもしれないが、申し訳ないことにそうではないのである。あのハチャメチャな文体とむきあうのは億劫だと正直なところ思っている。でも無視できない。想像をかきたててやまないあの雰囲気が気になって仕方がないのである。

「作品が面白いのは作者が面白いからだ。作品がどんなにすばらしくたって作者がつまらない人間だったら、その作品と作者に寄り添って人生を賭けられないじゃないか。文学作品を読むのは、作品を評価するためではなく、生きていくうえでのアイディアを得るためなのだから」
 
帯に使われていたこのあとがきの文章にまず心をつかまれた。漠然と思っていたことを言い当てられたように気持ちが高揚し、そう、そう、なんだ!と思わずつぶやいていた。旦敬介の仕事は、ガルシア・マルケスをはじめとしてさまざまな南米文学の翻訳で知っていたが、著作を読むのははじめてだった。いつもは黒子として見ていた人がいきなり語り出したような驚きだった。

作品を作者と切り離して自立したテクストとして読むという立場に、私自身もずっと違和感を抱いていた。その人がいなければその作品は生まれなかったのだから、作者と作品を切り離すなど土台無理な話だし、そもそもそうしなければならない理由が分からない。もちろん「人生物語」に引っ張られて作品のうわっつらしか読まないのはよくないことだが、だからといってそれを根拠に切り離すことを主張するのも奇妙である。安易な物語に洗脳されることなく生き方とテキストの関係を深く読み込むことこそをするべきなのに。

作品だけ読んでいれば充分という職業作家もいるだろう。だが、バロウズのような作家は生きることと創作とがピタリと張り付いていて、はがしとることができない。客観的な評価という世間一般の態度を留保せずにおかないほど存在感が際立っている。著者はこの本のなかで「生きるためのアイディアを得るため」にバロウズを読むという態度を貫いている。彼のなかにそうせねばならない必然と欲求が強くある。「あとがき」でそれが明かされているが、その文章自体がひとつの文学作品だ。読者はそれを読んで、一般的な評論や伝記のたぐいと異なる情熱のほとばしり出ている理由を粛然として了解するだろう。

作家とテキストの関係を深く読み込むために、著者はまず既存の「物語」を疑ってみることからはじめる。

バロウズにまとわりつくストーリーの一つに、バロウズ計算機の御曹司で生涯親の援助で生きていたというのがある。だが一家は裕福な資産家などではなく、ごくふつうの中産階級だったという。月200ドルの仕送りは、有能な兄に比べて社会的には無能だった彼に対する親(とくに母親)の理解と愛情のあらわれだった。生産活動に参加できなくてもその生は無意味ではないという母の思いが、そこに込められていたのだ。

ビートニクは旅好きでひとところに留まらないというイメージがある。実際バロウズも南米に、モロッコにと忙しなく旅しているが、その旅の意味は『オン・ザ・ロード』の作者のケルアックとはちがっていた。ケルアックが路上に身をおくこと自体に意義を見いだしたのに対し、バロウズはもっと具体的な目的をもって旅に出た。この指摘はとても新鮮だ。「旅人」と呼んでひと括りにすると見失われてしまう動機と行動があぶりだされている。おそらくふたりの雰囲気のちがいもそこから来ているだろう。

「彼にとって旅が重要なのは、その過程ではなく目的地であり、その目的地で何かを手に入れたいがために彼は旅するばかりだった」

その典型的な例は、ヤヘという幻覚植物を手に入れるためにコロンビアに旅したことだ。ヤヘを探し当てて実際に摂取した彼は「全感覚に対する狂った圧倒的強姦」を体験する。すなわち白人の彼が黒人となり、しかも男と女の両方に思うがままに入れ替わり、性欲を感じて接触するのである。

処女作『ジャンキー』には人が何かに変身するシーンが登場するが、その描き方は後の『裸のランチ』ほどにはぶっとんでいない。現実に片足を置きつつ夢か幻想として変身を体験する。だが、『裸のランチ』以降は幻覚的なシーンに説明や理由がなくなり、変身や幻覚も現実のもうひとつの姿として描かれるようになる。ヤヘ体験を経て彼のなかでリアリティーが変化した証だった。

「自分自身が「黒人女」に変身してしまうのを実際に体験してしまったのだから、そしてそれはことばにできないほどリアルなことであったのだから、もはや夢と現の間に、幻想と幻覚と妄想と知覚のあいだに、リアルさの優先順位をつけることができなくなったのだ」

つねに自己の意識を更新しようとしたバロウズの本質が浮き彫りになったこの第二部の論考は力強く、説得力がある。

バロウズはまたコンテクストを無視して継ぎはぎにしたカットアップという手法で知られるが、これは単なる小説的技法として使用されたわけではなかった。彼は芸術の使命は自己表現ではなく、宇宙の潮流と同期する媒体になることだと考えていた。だが、彼自身は霊感が強いほうではなかったし、何かが憑依したように書くこともなかった。カットアップはそんな彼が自分の意図や意識を突破して文章の魔術性に近づくために編み出した方法だったのだ。

ほかにも意識ある状態で夢を作りだそうとする「ドリーム・マシーン」とか、空間内の霊力を体に取り込むための「オルゴン・ボックス」とか、鏡を凝視して自己を超える実験などを繰り返し行ったという。バロウズの考えることは常に具体的であり、実践的であり、科学者にちかい態度で意識と無意識のはざまを探っていたのである。

「さまざまなこの世の実験を通じて、われわれが常に見ている「現実」以外の次元が確実に存在することを確信していた。彼の作品はすべて、その「もうひとつの次元」(別にひとつでもなくてもいいのだが)がどんなものでありうるかを、スピリチュアルでないひとりの人間が手探りで探し当てるための活動記録だった」。

思い込みが強く妄想も多かっただろうが、思い込んだことを言葉でいいくるめるのでは彼は満足できなかった。肉体を使って実験し観察するほうに進まずにいられなかったのだ。そこが彼のクールさであり、カッコよさだ。

タイトルの「ライティング・マシーン」には二重の意味がある。ひとつはタイプライターのこと、もうひとつは彼自身が書くマシーンとなることである。もちろんふたつは絡み合っている。浮かんだことを考える間なく書き記すことのできるタイプライターの出現によって書き手バロウズが生まれた。彼はこのマシーンを駆使して言葉による無意識の表出に挑んだのだった。手で書いているかぎりは生まれなかった発想である。

このことはカメラと見ることの関係を私に思い起こさせもした。カメラを手にして人は自我の外側を意識するようになった。とくに小型カメラの登場は、カメラを肉体を密着させて路上を彷徨し無意識をあぶりだすという行為に駆り立てた。六十年代後半にそれに熱中した写真家に森山大道と中平卓馬がいるが、彼らはビートニクへの共感も強かった。

だが七十年代なるとふたりは別々の道を歩みはじめるようになる。本書のなかで以下のような言葉に出会ったとき、ケルアックとバロウズの二股路とそれが重なって見えたのが私にはとても興味深かった。

「意識の前に浮かんでいるものをそのまま書き出していく、という現象面においては非常に似通ったことをやっていながら、ケルアックとバロウズでは、やっていることの捉え方はむしろ正反対だった」

ケルアックはあくまでも書く主体としての自我を主題にしつづけたが、バロウズの主題は自分にはなかった。「自分は記録する道具にすぎない」と書き、自分の肉体がマシーンに近づくことこそが理想の状態だとした。

このことは中平の行為とピタリと重なる。夜の都市を詩情あふれるモノクロのショットに収めていた中平は、七十年代になると「植物図鑑のような写真」、まったき記録としての写真を宣言し、カラーに切り替えた。暗室作業には手の痕跡が残り、それこそが彼の否定したい「芸術」を成り立たせる根拠であると考えたのだった。それから間もなく彼は急性アルコール中毒症で記憶の大半を喪失する。だが、写真を撮ることだけは憶えており、現在にいたるまでひたすらマシーンのように撮影をつづけてきたのである。いま都内2箇所でおこなわれている中平の写真展でその成果を見ることができるが、どの写真にも事物が見返してくるような恐ろしさがある。

「使命ということを想定しなければ、人間の人生には何の価値もない」、そうバロウズは述べた。「使命」とは簡単に口にできる言葉ではない。うっかりすると映画の安手のセリフのようになってしまう。バロウズはその言葉がよく似合った人だ。中平もまたそういう人だと思う。



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