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2010年11月30日

『昔日の客』関口良雄(夏葉社)

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これを読んで励まされない書き手はいない

用事がなくて自由に時間が使える週末があれば、なによりもしたいのは都内の散策である。どこでも構わない。だが構わないとなるとかえって迷うもので、さて、どこに行こうと腕を組んで考え込む。気持ちのいい散歩にするには、その日の気分と場所がうまくチューニングされなければならず、地図を広げてとりつく島を探すことになる。

もし30年前のある日にこの本を手にしたら、行き先はすぐに決まったことだろう。大森駅で降りて、駅のそばにある古本屋に立ち寄り、棚を眺めながら店主と客のやりとりに耳を傾ける。これから歩くのに重くない程度の本を何冊か買って店を出れば、もう気持ちのスイッチが入り心のなかでは散策がはじまっている。あとは足のむくまま、気のむくまま、馬込の起伏ある地形をたどっていけば最高の一日になるのはまちがいない。

大森にかつてあったこの店は「山王書房」という。古本好きのあいだではつと有名だったが、それは品揃えもさることながら店主の人柄だった。本にまったく関心のない人が本を商うことはないにせよ、物としての価値が中心で中身にはさほど興味はないケースも少なくないが、そんななかで店主の関口良雄は本を書いた作家に深い尊敬の念を抱く希有な人物だったのである。

話好きで、話上手だったから、短編小説のような味わいのある彼の話を楽しみにくる客もいた。文章を書く機会も多く、それを本にまとめるように勧める人もいた。彼はその考えを長らくあたため、還暦を前についに決意し作業にとりかかったのだが、その途上で癌に倒れ、本の完成を目前にして他界した。1977年のことである。

翌年、世に出た『昔日の客』は、本好きや古本屋ファンのあいだで愛読され、人気となったが、近年、古書の値段が上がって入手が困難になっていた。それをオリジナルとほぼ同じ装丁で復刊したのが本書である。オリジナルを知らなかった私は、千駄木の古書店でこの復刻版を見せられ、本のたたずまいに惹かれてその場で買い求めた。帰ってすぐに開いて数ページ読むと、丁寧につくられた食事を口にしたときのように細胞のひとつひとつに滋味が染み渡っていった。飾り気のない素朴な文章で、その素朴さゆえに素材の味が際立っている。こういうものをひさしく読んでいなかった気がした。

尾崎一雄の『虫のいろいろ』の初版本を探して欲しいという依頼を受け、それが入っていると思って300円もの大金をかけて市場で一山競り落とし、意気揚々と店にもどって改めて本を手にとってよく見ると『虫のいどころ』という民謡の本だったという「虫のいどころ」。よその町の古本屋で店主に作家の伊藤整とまちがえられ、そのまま訂正せずに話を合わせたところ、再び行ったときにまた声を掛けられ、しかたなく要らない本を5、6冊買ったら、重いから家にお届けしましょうと言われて慌てた「伊藤整氏になりすました話」。これには文壇の会合でホンモノの伊藤整に挨拶されるというオチがつく。デビュー前の野呂邦暢が欲しかった本をまけてもらった恩を忘れず、芥川賞の授賞式に招待してくれ、後日「昔日の客より感謝をもって」と書いた自著をおみやげにもって訪ねてきた表題作も、しみじみとした味わいがある。

しかしもっとも心惹かれた1篇をあげるならば、冒頭の「正宗白鳥先生訪問記」になるだろう。この作家の作品を読むようになった理由というのがまず素敵だ。新聞配達をしていたころ、配達区域に正宗先生の家があったので興味を持ったというのである。生い茂った林のなかに建っている赤い屋根の洋館で、どんなロマンチックな小説を書いているのだろうと思って読みはじめたが、さっぱり面白くない。それでも芽生えたロマンの火は消えず、諦めずに読みつづけ、ついには正宗白鳥の初版本二十数冊を落札し、それをかついで赤い屋根の洋館を訪ねるのである。どうしてもお会いして集めた本をお目にかけたいという一心で。

ご本人には会えず、代わりに台所から出てきた「非常に粗末ななりをした老婆」と話をする。それが正宗夫人なのだが、この夫人とのやりとりが最高におもしろく、また身につまされた。夫人は最初「夫は自分の本には関心がない」とけんもほろろだったにもかかわらず、話すうちに「それでは私が一寸見ましょう」と言って彼を庭の鶏小屋に連れていく。屋根の上のガラクタを払いのけたスペースに蔵書を広げると、夫人は感心して手にとりながら、夫の本がいかに売れないかを話すのである。

荷風さんはあんなに全集が出ているのに……、とか、夫が『楢山節考』を書評で褒めたので本が売れて深沢さんは儲かったけど、うちは少しも儲からなかったなどという話を、寒風に吹かれながら語る夫人の顔が目に浮かぶようだ。愚痴にはちがいないが、その口調にうらみがましいところがないばかりか、凛とした空気感さえ伝わってきて、夫は長く生きてきたけれど、悪い事は少しもしていない、という言葉には、そこに一緒にいて話を聞いたように勇気づけられたのである。

ご子息の関口直人氏は「復刊に際して」という巻末の文章のなかで、子供のころ、父が客にこう話しているのを聞いたことがある、とその言葉を書き留めている。

「古本屋というのは、確かに古本という物の売買を生業としているんですが、私は常々こう思っているんです。古本屋という職業は、一冊に込められた作家、詩人の魂を扱う仕事なんだって。ですから私が敬愛する作家の本達は、たとえ何年も売れなかろうが、棚にいつまでもおいておきたいと思うんですよ」

そんな悠長なことは言ってられない時代になったのは重々承知している。それでもこの本を読んでいるあいだ、日本のどこかにそういう店主がいまもいるような気持ちになってとても励まされた。本の力とはこれだ、と思った。


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2010年11月05日

『不完全なレンズで』ロベール・ドアノー著 堀江敏幸訳(月曜社)

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「写真家とはこういう者である」

ロベール・ドアノーと聞いて、その人、だれ?と首を傾げる人でも彼の写真は見ているはずである。恵比寿の東京都写真美術館に行くと入口の通路のところで、壁にプリントされたキスをする恋人をとらえた巨大な写真が目に飛び込んでくる。この写真の撮影者がロベール・ドアノーである。

マグナムの写真家として世界を股にかけたアンリ・カルチェ=ブレッソンなどと比較するとつつましい存在だったドアノーは、かつて『ライフ』の依頼で撮ったこの写真が1983年に再利用されたことで一躍有名になった。写真が「パリ=恋人たちの街」というイメージを再生産するのに大きく貢献したことはまちがいなく、当時はそれをさらに盛り上げるためにパリの観光局は若いカップルに金を払って街のあちこちでキスさせている、というまことしやかな噂さえ流れたものだった。

1912年生まれのドアノーはそのときすでに70代に入っていた。写真集は代表作『パリ郊外』ほかいくつかあったが、活字による著作はなかった。市井の人々の生活ぶりをとらえた写真はお土産屋の回転式の絵はがき棚でベストセラーだったものの、「古きよきパリ」を撮った「終わった写真家」という印象が強かったのは否めない。だが、市庁舎前のキスの写真が再浮上したことで新たな注目を浴びるようになる。本書のような本が作られたのもそのつながりで、簡単にはうんと言わないドアノーを編集者が粘り強くくどき、5年越しの対話をつづけて生み落としたものだった。

「回想と肖像」とあるように、50年以上にわたる写真家生活を振り返るというのが本書のテーマである。だが読みはじめてすぐに、時間軸にそって出来事や思い出をつづっていく一般的な回想記とはずいぶん隔たっているのに気がついた。大きなちがいは言葉のいいまわしである。切り詰めた一言でぽんと本質を言い当てる。余計な説明はしない。わからなかったらそれでいい、とばかりに素っ気ないないこの上ない。写真家ってどうしてみんなこういうしゃべり方をするのだろう。まるで彼ら専用の言葉が存在するみたいではないか。わたしは直接話したことのある日本の写真家のだれかれの顔を思い浮かべては、可笑しくてたまらなかった。

「私が写真の世界に飛び込んだとき、それはまだ木でできていたのだが、いまやほとんど電気仕掛けになっている」という一行ではじまる。「それ」とは言うまでもなくカメラのことで、「それ」がとらえる被写体は「わが同時代人たちが提供してくれるひっきりなしの、しかも無料の見世物」と描かれる。では彼にとって「それ」はどんな意味を持つかというと、ある医師が言うには長寿の条件は、おねんね(ドド)、おしっこ(ピピ)、おもちゃ(ジュジュ)の三位一体にあり、その「おもちゃ」に当たるのがカメラだ、とのたまう。

なぜか写真家はこんなふうに、自分たちがやっているのは大したことではない、という態度をとるのである。評価や称賛が大袈裟だったりすると、ふっと肩をすくめる。大きな言葉に照れるのだ。その反対にえらそうな言葉を使いながらも本質を外しているような発言については徹底してバカにする。相手が「どの程度か」を確かめるためにとんち問答のような話し方をするのも好む。典型的な例として思い浮かぶのは荒木経惟や篠山紀信だが、彼らの同世代か上の世代はだれもがそんな雰囲気を漂わせているし、その下の世代にも似たような話し方をする人が見当たるのである。なぜだろうとかねてから興味深く思っていたが、『不完全なレンズ』を読んでその謎がはらりと解けたような気がした。

ドアノーにはよく「パリの下町を撮った写真家」というキャッチフレーズがつけられる。だが、彼の真価はむしろ郊外を撮ったことにあった。自身がパリ南郊のジャンティイの生まれで、その後も同じ郊外のモンルージュで暮らした生粋の「郊外っ子」だった。「郊外」という言葉は、東京ならば武蔵野や多摩、大阪なら千里などを連想させるが、パリの郊外はちょっとニュアンスが異る。パリの城壁の外側を指し、住人にはブルーカラーが多い。「郊外」という言葉には、屋敷町とスラムが雑居していた東京のような街とちがい、城壁によって住むエリアがはっきり区分されていた階層社会のありようが反映されているのだ。東京言葉の「川むこう」という言い方に近いかもしれない。

ドアノー以前に「郊外」を撮った写真家にユジェーヌ・アジェがいる。彼は中心街の建物を淡々と撮っただけでなく、城壁の周辺につくられたゾーンと呼ばれる建設禁止地域に足しげく通った。そこは一種の無法地帯で、社会から弾きだされた人々がバラックを建てて住んでいた。おなじ郊外を撮った同志として、ドアノーはアジェに深い尊敬の念を抱いている。それゆえ、アジェに言及した文章書への違和感も強い。「アジェについて書かれたすべての事柄に対する私の不信の念」とかなり強い言葉でキュレーターや伝記作家の仕事を否定している。まったくわかっちゃないなあ、というつぶやきが聞こえてきそうだ。

このズレはどこから生じたかというと、写真という行為をどう理解するかのちがいなのだろう。ドアノーは自らの肉体を介して先達の行為をたどり、その結果として彼独自のアジェ観を築いた。当時のカメラ機材一式の重みはすさまじく、「カメラバッグの革バンドで肩を立ち切られそう」だったという。そんな大荷物を抱えてあてどなく歩きまわってはイメージの落ち穂拾いをする。そんな馬鹿げた行為をどうしてあんなに執拗につづけられたのか。そこにアジェの、そして写真の謎を解く鍵があると彼は考えるのだ。

「カフェ・ドームの椅子にへたり込んでいる者たちは、アジェの、「モンパルナスで貧しい青春を送ったへぼ絵描き」のような側面を強調するより、この草分け的な人物を生き生きさせている神秘的な活力について自問したほうがずっとよい想を得たことだろう。」

アジェはよく、ひとかどの表現者になれずに写真で糊口をしのいだ人、というような見方がされる。「椅子にへたり込んでいる者たち」とは、資料だけでそうしたアジェ像を造りあげる人たちのことだが、ドアノーはそうした言葉人間の綴る人生譚は無視し、アジェが写真の何に魅入られたのかだけを問題にする。現実世界で繰り広げられている「芝居」の観客になること、「創造者である以上に、観察者であること」のこと。その高揚感が重い荷物を引きずって歩くアジェの「神秘的な活力」となっていると見る。それがドアノー自身の自画像でもあるのは、言うまでもない。

映画制作や画家について語った章では、画家や映画人との差によって写真家という人種がよりくっきりと浮かび上がっている。写真は路上で偶然に出会った人の寛容さに頼るが、映画ではそうではなく、どんな行動を起こすにも事前調査が求められる。映画制作における偶然性は最後に望むべきものであって、それ以前になさねばならないことが山とあるのだ。一方、写真では最初から最後まで頼みの綱は偶然性である。事前の予想はつねに裏切られる。少なくとも街を歩きまわりながら撮るドアノーのような人にとっては、写真はそのような即興性に満ちたものだった。

画家についての発言もおもしろい。画家たちは「一種のカルト的な雰囲気を行き渡らせる術を心得ている」が、ひとりのモデルの周りをまわっている写真家たちは「輪姦の場面を演じる役者のように見えてしまう」。なるほど。写真家が自らの仕事について自嘲的な口ぶりになるのはそれゆえなのだ。画家は一本の線を引いてそこに何らかの意味を立ち上がらせる(だからカルト的な雰囲気が必須なのだ)。だが、写真家は自分が作り出したわけではないものを横からかすめ取るのみ。シニカルにならざるを得ないのである。

写真家には芸術家のように途中でしおれてしまう危険がない、と説くくだりも興味深い。

「散文的な状況で即興の制作をおこない、多かれ少なかれ無意識のうちに人の血を吸っている吸血鬼のような強欲に身を委ねる者には、そんな危険は存在しない。捕食者が貧血であることなど、めったにないからだ」

現実世界をさまよい、好奇心をそそる出来事を追いかけ、無意識のうちに新しい血を注入する。それが写真家という種族であり、アジェの「神秘的活力」もまたそこから来ているというわけなのだ。

ドアノーが郊外に惹かれたのは、自分の出自がそこにあるだけが理由ではなかったはずだ。上流社会では人間同士の葛藤もあたたかみも、それが引き起こす事件や出来事も、建物のなかや人間の内面で起きる。外から見えにくいから、写真よりは文学が対象とすべきものなのだ。一方劣悪な環境下にある郊外では、人々の暮らしぶりも、感情や行動も、隠す場所がなくてすべてがヴィジュアルなシーンとして公開される。またとない人間劇場だったはずである。しかも、彼自身がそこの住人だったのだから読み込みが深かった。

煎じ詰めるとドアノーがこの本で語っているのはたったひとつのこと、「写真家とはなにものか」ということのように思える。さまざまなエピソードがすべてこの一点に収斂し、語られているように感じられる。もちろん、詩人ジャック・プレヴェールやブレーズ・サンドラールなど、彼を支えた仲間のことや、ピカソやブランクーシを撮影にいったときのことなど貴重なエピソードも多いが、70を過ぎた彼が編集者のくどきに応じてこの場に出てきたのは、写真家というのはこういうものだ、それを自分は50年やってきた、ということを言うためだったのではないだろうか。

周知のとおり、写真を巡る環境はこの20数年でずいぶんと変化した。ドアノーが撮っていたころは写真はまだ「芸術」ではなく、「二流」の表現のように見なされていたが、いまは現代アートの1ジャンルとして確立している。装置や状況を前もってセットアップして撮ったり、デジタル処理をして絵画との境界を無化したりと、ドアノーが信じていた偶然の出会いを期する写真とはだいぶ隔たったタイプの写真も登場してきた。途中に機械が介入している宿命として、写真の世界ではイメージの消費もスタイルの変遷も絵画よりずっと素早いのである。

それでも路上を歩きまわってスナップする写真が、この世から消えてなくなることはないのではないか。それは無から有を引き出すののではなく、現存するものから何かを選びだして見せる単純で素朴な行為のなかに、生命活動に似たものがあるからだ。ドアノーはそれを「人の血を吸って生きる吸血鬼」と露悪的に表現したが、選択することは何かを産みだすよりもはるかに生命活動に沿っている。予測不可能な現実世界に踏み込んでいく行動力や、そこで生滅する出来事に立ちあおうとする気力を喚起する写真行為は、消えかかっても再燃して人の心に火をつけつづけるだろう。

亡くなった緒形拳はドアノーのファンで、生前パリの彼の家を訪ねている。仲介の労をとったのは詩人でドアノーの友人であるピエール・バルーで、その出会いの模様を撮った映像作品を彼に見せてもらったことがあったのを、本書を読んで思い出した。この機会にあの作品が公開されればいいのだが。



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