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2010年10月28日

『SWISS』長島有里枝(赤々舎)

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「異国にいる「孤独」が浮かびあがらせたもの」

彼女のこれまでの仕事を知っている人は、この写真集を開いてホントに長島有里枝?と首を傾げるかもしれない。1993年、大学生のときに「アーバナート」展でパルコ賞を受賞しデビュー、受賞作は家族のヌードという、それまでの写真表現の枠を破るような過激な内容だった。

審査の会場で長島の作品に目を付けたのは荒木経惟だった。候補作からもれていたのを、遅れて審査の場にやって来た彼が「これを入れなきゃだめじゃない」と主張して審査の流れが変り受賞したという半ば伝説化したエピソードがある。それから17年、『SWISS』と題されたこの写真集には、つねに生きることを問うてきたこの写真家の生の温度と、自分を「他者」として見つめる冷徹な視線とが脈打っている。

写真と言葉を一緒に載せた本は多いが、両者の関係がうまくいっていると感じる例は案外少ないものだ。両方の必然性がぎりぎりまで切り詰められ、問い直されている本書では、言葉でなければ表せないことと、写真でなければ伝わらないものが、まさにここでしかないという地点を探って手をつなぎあっているのを感じる。写真というメディアを考え抜いてきた彼女の一つの到達点を示しているのではないだろうか。

野草のような黄色い花のアップではじまる。つぎは群生する白い花。それをめくると薄紙に文章が印刷されており、見出しには「1st WEEK DAY 1 2007.07.23」とある。散文詩のようなストロークの短い文がつづき、「わたしと息子 ここで3週間やっていけるだろうか」という言葉に出会う。

詳しい説明はなされてないが、大きな庭のあるスイスの田舎家に「わたしと息子」はたどり着いたところのようである。ひとりだったり、子連れだったり、カップルだったりするアーチストが共同生活しながら創作をしている「アーチスト・イン・レジデンス」と呼ばれるプログラムだ。

2日目の文章には「ここに連れてきた大切なもの 男の子 祖母の撮った花の写真 ヘルマン・ヘッセの「庭仕事の楽しみ」とある。そして花の写真を貼り付けた壁の写真。明らかに日本の庭とわかる。祖母の撮った花の写真とはこれだろう。花作りが好きで、花が咲くと写真に撮り溜めていた。目の前に広がるすばらしい庭を眺めながら、画質の悪い10円プリントに写っている祖母の花を、「わたし」はいま「美しい」と感じている。

館の庭で撮られた草花の写真がつづくが、一見して日本のものとちがう。それは花の種類ではなく、色である。ちがう土と光のもとでは花はちがう色の花を付け、それを写した写真もまたちがう色を発する。風土のちがいとレンズの集めた光によって二重に異化された「現実」。冷たく乾いた澄んだ空気がコクのある色彩から伝わってくる。

文章の頭には日付がふってあり、そこでの出来事や心のありようが綴られているが、滞在中につけていた日記をそのまま引き写したようなものとはちがう。撮れた写真をセレクトして写真集を編むように、記録したことのなかから活かすものと捨てるものを選び出し、吟味し彫琢した言葉によって流れが作られている。

5日目の日記にはっとさせられた。いつもなら食後に庭でみんなと雑談するのに、ひとりだけ場ちがいな気がして「わたし」は部屋に引き返す。「涙が出そうなほど寂しい」。小さな子がそばにいることで彼女はその寂しさを「夕日を受けて長くのびた影」のように大きく感じる。「こんな気持ちになったことはほとんどないのに 遮るものが無さすぎて 見ないふりができない」。

守られている場所から引き離された孤独。その孤独は幼い子どもとともにいることで濃さを増している。無理強いされたわけでなく、彼女自身が選んだ孤独にもかかわらず、いや、それだからこそ、その孤独の質が彼女を不意打ちしたのだ。

「話す相手は近くにいるのにそうしないで
それでもまだ誰かと話したいと思う
誰かというのはここにいる人ではなく
わたしの中に住んでいる人だ」

人といるゆえに生れてくる孤独というのがある。万人が感じとるものではないかもしれないが、彼女はまちがいなくそれを感じてしまうひとりである。人と交わり陽気に流暢にふるまえばふるまうほど孤独がくっきりしてくる。だれかと話したいと願うものの、それは実在の人ではない。自分のなかに住む人。実在の人物から自分が作りあげたフィクショナルな人。恋こがれるほどに現実から遠のいていく人。彼女は恋の入口に立っているのだ。異国にいて感じやすい心が、そのことでますます多感に傷つきやすくなっている。

そのページのつぎは写真だ。少年がこちらに背中をむけてヨーロッパによくある両開きの窓の前に立って外を眺めている。肩のラインが暗示するなにかを堪えているような緊張感。それとは裏腹に顎のわずかなラインは外の世界への熱中を示している。内界と外界を循環する意識の活動を感じさせるこの写真は、この作品集のテーマを象徴する一点と言っていい。

少年は母の意向によってこの地に連れてこられた。子供の行動は多くの場合、そのようにして決められる。自分で選べるものはわずかで、ほとんどが与えられるものであり、それを拒否するのはむずかしいのが成長期の特徴なのだ。人々の話す言葉がわからない彼は、ここに来てから母親ともうひとり6歳の女の子としか交わらない。彼もまたこれまで体験したことのない質の孤独に直面しているのだった。

「孤独」という言葉は「寂しい」という言葉に結びつき、「寂しい」という言葉は「悲しい」という言葉を連れてきやすい。だが、本当に「孤独」は「悲しい」ことなのだろうか。そして「悲しい」ことは「よくないこと」なのだろうか。ページをめくっていくうちにそんな自問自答が生じる。たしかに「孤独」を「悲惨」に感じる場面もあるけれど、「悲しみ」のなかに「豊かさ」を感じることもたしかにあるのだ。

メイ・サートンは『独り居の日記』のなかでこう書いている。「いま起こっていることやすでに起こったことの意味を探り、発見する、ひとりだけの時間をもたぬかぎり、友達だけではなく、情熱をかけて愛している恋人さえも、ほんとうの生活ではない」。「孤独」がむきだしにする物事の本質。それを探ることなしには生きている実感がないと言うサートンと同様に、彼女もまた「ほんとうのこと」へとむかっていってしまう精神の持主であるように思える。

長島はこれまで身近な人間を撮って作品集をまとめてきた。関心の核となっているのはつねに自己と他者の関係であり、カメラはそれを見つめるための手段だった。『Empty White Room』では一緒に遊んでいた仲間を、『家族』では文字通り自分の家族の日常を、前作『Not Six』では夫を撮った。そして『SWISS』では息子との関係を、これまでにないくらい繊細な手つきで探っている。その繊細さは息子の写真の扱いによく出ている。顔を示さず、気配で見せている。自分の分身であるゆえに慎重に、夫のときにはなかった「他者」を意識した視線を注ぐ。


田舎家で出会った人々との会話を楽しむうちに、彼女は自分たち親子に欠けているものを認識するようになる。「わたしたちは親子であっても家族ではない」と書く。そしてつぎの日の日記には、父親と暮らせないことを息子に説明するのはむずかしいという記述がある。その話をしている最中、息子は父親を思いだして「水のはいった風船が割れたように」に泣き出してしまう。そのとき「わたし」はたと心づく。「この1週間でわたしが感じたのと同じ喪失感を彼もまた味わっていた」ということに。周囲と打ち解けているように見える「わたし」を見て、彼は母親という味方すらも失ったように感じたかもしれないということに……。

息子の引き起こしたささいなトラブルに過剰に反応したためにできてしまった彼との亀裂、それが埋められていく夜の情景は本書のクライマックスであり、すばらしい。しかもそこで選択されている写真が情景描写でも、「わたし」の心境説明でもなく、5歳の少年のなかにある衝動とその鎮静とを暗示するセレクトと展開になっているのが心にくい。

到着して4日目の日記に、こんな言葉があったのを思い出す。
「ゆうがた 
庭にでて花の写真を撮る 
花とむきあっているときはこんなに気が楽だ
人と向き合う時だけ 
わたしはいろいろなことを考える」

庭中の花の世話をしているイルミ、話していると気持ちがリラックスしてくるレス、踊りのうまいマヌエラなど、人々との印象的な出会いが語られるが、彼らの写真はでてこない。息子を含めてこの写真集では人の姿が前面にでてくることはないのだ。その代わりに繰り返し登場するのは庭の草花である。植物は人に見られようが見られまいが咲いている。「わたし」はそのことに心を打たれる。誰かに見せようなどという下心がうかがえないさまに、一瞬人間であることを忘れて見入るのだ。

しかし写真から感じられるのは同化の感覚とはちがう。花たちにも「他者性」がある。「見られている」という感覚、視線を注がれている誇らしさのようなものがにじみ出ている。「見る」という行為をつうじて生起する「他者」との関係性に、改めて目を開かれる思いがした。

たえず言葉を生みだし、その言葉に呪縛されもする彼女の心にはいつも荒波が立っている。息子をしかりつけるくだりからは、舌鋒の鋭さがしばしば他者を追いつめてしまうことが想像できる。ページのおりおりに登場する花たちは、彼女の内界と外界の隣接面に佇んで何事かを語りかけ、慰撫するかのようだ。
「花々はわずか数日のあいだ生きて、死んでゆく。彼らは私を、プロセス、成長、死に触れさせていてくれる。私自身、彼らの生の時の間を、漂っているのだ」という先の著作にあるメイ・サートンの言葉に、彼女はきっと同意するだろうと思う。



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2010年10月05日

『一〇〇年前の女の子』船曳由美(講談社)

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「少女の目で描いた一〇〇年前の村落共同体の暮らし」

この本のことはある編集者の方から贈っていただいて知った。著者・船曳由美さんは自分の先輩格に当たる方でその仕事ぶりを常日ごろ尊敬している、その彼女がこのたびこのような本を出した、自分の母の時代と思い合わせて興味深く読んだのでお送りした、という私信が添えられていた。ふだんわたしが手にとる本とは少し雰囲気がちがうので、贈られなければ気づかなかったかもしれない。

一読していい本に出会えたことを感謝した。と同時にこれをだれかに読んでもらいたくなって年長の友人に推薦した。読書好きの彼女は即座に読み終え、亡くなった母とこの本の話しをしたかった、まわりにもこの本のことを触れまわった、と伝えてきた。心強くなってつぎはうちの母に勧めてみた。歳とってなかなか読書が思うように進まないと日頃嘆いているので、負担を増やしてはと躊躇していたのだが、思いがけない早さで読み終え、「あの本、とてもおもしろかった!」と連絡してきた。本はいま母の妹のところをまわっているらしい。

物語の主人公、寺崎テイは著者の母である。明治四十二年生まれで百歳になる。母の思い出をつづるのでなく、母から聞き出した少女時代の記憶を母に成り代わって語っているところに、本書が成功している秘訣があると思う。それによって、明治から大正を生きた少女が普遍的な人物像になるのに必要な距離が作られている。読んでいるとしきりと自分のそばにいたあの人、この人のことが思いだされてくるのはそのためだ。

雷鳴とともに生まれたテイはカミナリさまの申し子と言われた。顔は男の子のようでかわいさには程遠く、しかも強情だった。小言を言われても歯をくいしばり、涙をいっぱいためて上目遣いで見る。生まれついての性格もあるが、生い立ちがさらにそれを鍛え上げたのだった。テイは生みの親を知らずに育った。姑ヤスと小姑があまりになんでも出来る人だったのに怖じ気づいた母は、出産後に赤ん坊だけを寺崎家に送り届けて自分はそのまま実家に留まってしまったのである。テイは寺崎のヤスばあさんにおぶわれてもらい乳をして生きのび、5歳のときに養女にやられた。

その後、父のはからいで寺崎家に帰してもらったが、養女に出された寂しさはテイに一生ついてまわった。泣き言をいわない我慢強い子に育ったのも、また養女に出されては大変だという気遣いがあったからだった。父がもらった後妻とのあいだに子供が生まれて新しい一家が出来ており、テイは家のなかでどこか宙ぶらりんの存在だった。

そのテイを気にかけかわいがってくれたのは、ヤスばあさんである。嫁がおそれをなすほど見事になんでもこなす才女の彼女は、夫を亡くし家族の重鎮として一家を切り盛りしていた。ヤスばあさんのふるまいや語り口は生き生きして読みごたえがある。気丈なだけではない心の広い人で、農村の暮らしを健全に保っていたのはこういう人物だったのだろうと思わせる。

おばあさんはお盆の墓参りのあとは決して後ろを振り返ってはいけないとテイにさとした。墓石のうしろには供えた食べ物をさらっていく者がいる。村人ではなく、貧しい女たちが団子や供え物を子どもに持っていくのである。顔を見られたくないだろうから振り返るな、というわけで、貧しき者や別の価値世界に生きる者への想像力をもっていた。

物ごいのことは「お乞食さま」と「お」のうえにさらに「さま」を付けて呼ばれた。何か理由があって神さまが身をやつして村をたずねているのかもしれない、どんなに汚い身なりをしている者でもバカにしてはいけない、そうヤスばあさんは教える。わたしの祖母や母も「お乞食さま」と呼んでいたから耳に懐かしい言葉だが、神さまの化身だという説明は聞かされたことはなく、子ども心に丁寧すぎて慇懃無礼な感じがしたものだ。これは言葉がひとり歩きする都市の宿命だろう。言葉の背景が消えてどのように発祥したのかわからなくなるのだ。

栗の山分けの話もヤスばあさんらしくていい。栗が実るとみんなで拾って大釜で茹で上げる。その栗をおばあさんが家族の人数分の山にわけ、じゃんけんで勝ったものから好きな山を選んでいく。後妻のイワかあさんが子ども思いで自分の分を少しやろうとすると、ヤスばあさんはだめだと遮る。おとなも子どもも、女も男も同じ量の栗をもらって楽しむのが栗わけの意味なのだ、だから自分で食べなさい。生活のなかでどうしても生じてしまう偏りはこのようにして是正されたのかと思った。

テイの目の高さで語られる季節の行事は描写が細かく具体的だ。ここに著者の考えがうかがえる。地方の民族博物館にいくといろいろな民具が展示されているが、いまとなってはどういうふうに使うのかまったくわからないものも多い。たとえば枠が鉄製で底に紙が貼ってある四角い箱が展示されていたとする。名札には「焙炉」とあり、茶葉を煎るのに使うと書かれている。ただそれだけで関心を抱くのはむずかしい。でももし以下のような文章を読んでいれば、たちどころに「あれだ!」と気がついて興味がわくのではないだろうか。

「カンカンに火を熾した炉の上に何本も細い鉄の棒をかけわたし、さらに台を置き、その上に焙炉をかける。炉よりも二回りほど小さな四角い箱で、枠が鉄で、底に紙が貼ってある。昔の大福帳の反古とか、破れた障子紙とや古い手紙などを何枚も何枚も貼り合わせたものだ。新聞紙はダメである。だから、和紙はどんな小さな切れっぱしでも大切に箱に入れて蔵にしまっておいたものだ」

茶畑で摘んできた茶っ葉は、蒸し上げたあとにその焙炉にざっとあける。熱々の葉っぱから甘い匂いが立ち上る。焙炉の紙が焦げれば和紙を貼り継ぐ。煎った葉は手で揉み上げてお茶に仕上げていく。この作業は男の仕事と決まっている。「熱さとの闘いがよいお茶をつくる」。できた新茶はまず親戚に届けられる。村の中でも茶畑のある家は少なく、心待ちにしている家も多く前々から空の茶筒を預かっている。近所の家には子どもたちが届けるが、「新しいお茶がデキマシタァ」と大声で言って戸口に立つのは晴れがましい気持ちだ。そしてすべてが終わるとヤスばあさんは座敷でひとりお茶をいれてゆっくりと味わう。「おお、今年もよく出来た……」。
茶摘みのシーンからここまでがひとつながりの映像のように描かれ、出来立てのお茶の香りすらもにおいたつようだ。

狭い人間関係のなかで物事が比較され価値づけられる村落共同体の暮らしはいいことづくめではないはずだ。噂が飛びかい、ねたみそねみが生じる。生まれ落ちた家や階級にも縛られ、それ以外の生き方は選べない。テイの生みの母親が里からもどってこなかったのも共同体のもつ窮屈さと無関係ではないだろう。だが、それはおとなの感じる苦労であり、子どもにとっては共同体はすべてのはじまりだ。人への接し方、しぐさ、礼儀、ものを判断する力、価値観、道具の扱い方、作業のこつなど、生きるのに必要なすべてことが白紙状態の心に染み込んでいく。世の中にいろいろな人間のいることも子どものうちから自然に悟っていく。

田畑を持たない人は手の欲しい家の農作業を手伝って食事と日銭を得ていた。日傭取りという。寺崎家に来るコウさんもそのひとりで、彼は河原に掘っ建て小屋をたてて住んでいた。そこしか住む場所がないからではなく、川の音を聞いて眠るのが好きなのだ。寺崎家はコウさんと奥さんの手に助けられ、彼らはそのおかげで好きな河辺の生活をできている。川辺で寝るのがいやな人もいるだろうし、みんなが川音に心落ち着くわけではないだろう。だが、そういう人もいるということだ。子供のころに「そんな人もいる」と感じるのが大切なのだ。

火の用心の照やんも別の価値世界に生きている人だ。12月から3月半ばまで照やんは一日もかかさず拍子木を打って村の一軒一軒夜回りする。嵐でも雪でも止めない。夜回りが終わる季節になると村では彼に渡す金を集める。一部は照やんの女房にとり分け、残りはぜんぶ彼に渡す。すると照やんはその金をもってなんと福居の遊廓に直行するのだ。しかも金が尽きるまでそこに居つづけるという徹底した遊び人になるのだ。

「この春の福居の廓があるから、一年間、働けるんだよゥ」とコウさんはいう。しかも宵越しの金は持たないとばかりにパッと使ってしまう夫を、毎晩炬燵を暖めて帰りを待っていた女房は一言も非難しないのである。照やんの夜回りを村人たちは「だれにも出来ることではない」と感謝しているが、この夫婦の生き方もだれもができるものではないし、またまねする必要もない。ただそういう夫婦もいるということだ。

人間にはいろいろな人がいて、ひとつの生き方でくくることはできない。それぞれが自分に合った生き方を選んでいい。このあたり前のことを実行しにくい世の中である。頭ではわかっていても、現実の場面になると動揺することも少なくない。家族のなかに世間が認める生き方のできない人が出たときの緊迫したムードにはだれもが覚えがあるだろう。はぐれ者を受け入れる寛大さは村落共同体のほうがあったのだろう。それにははぐれ者を認めてサポートする一族がいなければならなかった。ヤスばあさんはコウさんのごはんを炊くときに、「カマの底を見せてはならねえゾ」と嫁に言ったが、それは「オレが食いすぎた」と彼が要らぬ心配をせぬようにたっぷりととぎなさい、という意味だった。

細かい気配りのできる寺崎家のような家があって共同体はよきものとして存続したのではないかと感じた。そうした要となる一族がいる村といない村では、人心の安定に大きな差があっただろう。百歳のテイはヤスばあさんの公正な目が光っていたころの共同体の光景を物語っている。それは成長して村を出た彼女の少女時代の記憶でもあるのだ。


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